「先輩が!」じゅうろく!

 文化祭が終わってしばらく、みんなが日常に戻った頃。優也はクッキーを持って畑に足を運んだ。

 心配だったのだ。四宮は「もう大丈夫です」と言っていたけど、長年悩まされていたストーカーと直接対峙したのだ、ショックは大きいだろう。(ジュリは別にストーカーじゃ無いが、優也の認識ではそんなものである)だから話を聞いてやろうと、ティータイムの口実にクッキーを焼いてきた。

 まあ、理由の8割くらいは会いたかったからという、なんとも自分勝手なものなのだが。そもそも優也はほぼ毎日畑に通っている。健気なことである。しかし当の四宮といえば……。

 

「バイトを増やす?」

「はい。やりたいことがあって」


 優也が持ってきたクッキーを食べながら、四宮はアッサリと言う。優也は意外な選択にポカンとした。てっきりもっと落ち込んでいるものだと思っていたのだが。

 実は四宮はバイトをしている。と言っても、週に1回、土曜日だけだ。親戚の書店を手伝っていて、ほとんどお手伝いのようなものだった。


「でも、叔父さんが知り合いのバイト紹介してくれるみたいで」

「どんなとこ?」

「花屋です。素人知識しか無いですけど、何も知らないよりはマシだって」

「花屋かあ。うん、よつばちゃんに似合うだろうね」

「そうですか?」


 四宮は愛想笑いをすることが少なくなった。現に今も、サクサクとクッキーを食べながら落ち着いた表情で朗々と話す。そうしていると年齢よりもぐっと大人っぽく見えた。優也はその変化が嬉しくて、『懐いてきたなあ』と頬を緩めた。


「それでですね」

「んー?」

「畑に来る頻度が下がります」

「……ん?」

「月、水、金、土にシフトを入れたので」

「え」

「だからその曜日は、畑にいらしても私いないです」

「……」


 優也は絶句した。それは、つまり。


「3日しかよつばちゃんに会えないの……?」


 四宮は思った。日曜も会うつもりなんだ、と。

 優也は最近、ほぼ毎日四宮と会っている。チャイムが鳴ったら1番に教室を出て、鼻歌なんて歌いながら畑に行く。そしてそこにいる四宮に会って癒される。程なくしてキャプテンが現れて優也を引きずっていく。それがルーティンなのだ。

 どうしよう、3日しか会えないんだなんてよつばちゃん欠乏症になる。

 優也は真剣にそう思った。


「……」


 優也はすうーっと息を吸う。そして頭の中で、『じゃあ終わったら迎えに行こ』と決定する。帰り道で話せるし。時間によってはもう日も暮れているだろうから、四宮のボディーガードもできる。うん、最高。これで行こう。


「ね、よつばちゃん。バイトって何時くらいに終わるの?」

「8時くらいには上がれますけど……」

「迎えに行っていい?」

「え、でも……」

「俺もどうせ部活で帰りそのくらいになるし、最近暗くなるの早いでしょ。女の子1人で歩かせられないって」

「えっと」

「それに俺、ちょっとでもよつばちゃんに会いたいよ」


 遠慮していた四宮の、喉がぐっと詰まる。抵抗するようにはくはくと口を開け閉めしたが、それ以上の言葉は紡げなかった。

 だって彼の瞳は、あまりに熱っぽい。


(……また、思い通りだわ)


 四宮はキュッと拳を握りしめる。そして小さく「はい」と呟いた。



◾️



「もっと自分磨きをしなきゃ」


 時間は遡って、ジュリと再開した日の夜。四宮は仰向けにベッドに寝転んで呟く。

 

 優也が好きだ。


 どうしようもなくそう思った。ずっと見て見ぬふりをし続けた胸の内は、いつしか溢れかえってしまった。からかわれてるだけだとか、都合のいい暇つぶし相手にされているとか、ネガティブな妄想はいくらでもできた。

 でも、優也に抱きしめられた時。なんでか、自分より辛そうな顔をする彼を見上げた時。

 

 ───ああ、この人、私のことが好きなんだなあ。

 

 なんて、気がついてしまったから。可能性に目を瞑って、言い訳を並べて、知らないふりをしていたけど。このまま『可愛い後輩』で終わって、綺麗な思い出になりたかったけど。

 それはもうできそうになかった。向けられた想いに応えたい。思い切り彼を抱きしめて、耳元で「私も好きよ」なんて囁いてあげたい。

 でも、それでは意味が無い。


「スグに飽きられたら、敵わないもの」


 天井に伸ばした手を、グッと握りしめる。

 優也と四宮は釣り合っていない。年齢だったり、学力だったり、ルックスだったり。

 それは純然たる事実であり、また、絶望的な壁でもあった。

 四宮より魅力的な女の子なんてこの世にごまんといて、その中で”たまたま”優也に出会って、”たまたま”興味を持ってもらえて、”たまたま”好きになってもらえた。天文学的な数字だ。だから、この1回限りの奇跡を無駄にするつもりは無い。


「優也先輩はきっと、『そのままのよつばちゃんが好きだよ』なんて言うでしょうね」


 甘い想像をする。彼が四宮の頬を撫でて、「そのままの君が好きだ」なんて言う。僻みや嫉妬、周りから向けられる悪感情の全てから守ってくれて、四宮は彼の腕の中に一生いるのだ。そして何も知らず、お綺麗・・・なままで蝶よ花よと彼に愛でられる。


「馬鹿馬鹿しいっ」


 そんな幸せで甘く───都合のいい夢を、四宮は嘲笑いわらい飛ばした。

 何も知らないまま守られて? 甘い言葉だけもらって? 都合の悪いことは隠されて?

 そんなの、ただの愛玩動物じゃないか。

 並び立たねば意味が無いのだ。優也の隣に並び立って遜色無いほど、周りが認めざるを得ないほど、優也を夢中にさせるほど、良い女にならねば。

 高校生の、一過性の恋情だとしても、この心地よい熱を手放したくはなかった。



「───そんなわけで、自分磨きをしようと思うの。そのためにはまず、何においてもお金が必要になるでしょ? だからバイトを増やしたの」


 そんな話を聞かされた三田は絶句したし、あまりにストレートな恋の話に霧子は顔を赤くした。


「四宮おまっ、重、いや知ってたけど重!!!」

「知ってるなら予測もしてたでしょ」

「いやお前、恋愛に関しては未知数だったじゃん!」

「そうだけど」


 四宮はポテトをつまみながら、思っても無いくせに「びっくりさせてゴメンネ」と言う。

 店員は思った。バーガーショップでとんでもねえ話が聞こえたんだが。帰ったらツイートしよ……。


「あ、アンタ、マジで優也先輩のこと好きなのね」

「うん」

「応援する」

「ありがとう、霧子ちゃん」

「そう、アンタ、アンタ……」


 霧子はぼうっと天井の安っぽい照明を見上げた。まさか四宮が、こんな話をするとは思わなかったのだ。ずっとずっと恋心を胸の内に秘めて、墓場まで持っていきそうな女なのに。それが解放されたら、こんなにも強烈な想いになるのかと。


「優也先輩は、果報者ね」


 こんなに真剣に、この先一緒にいるためのことを考えられている。それが少し羨ましかった。霧子は、四宮にそんな風に思ってもらえるだろうか。


「私がこんなに悩むの、優也先輩のことだけだよ」

「!」

「だって、あの人は一緒にいてくれるか分からないでしょ。サンタとか霧子ちゃんと違って」


 見透かしたようにそう言われる。いや、実際見透かされているのだろう。

 でも、それでも、嬉しかった。三田もまんざらでもなさそうに鼻の下を擦っている。


「しゃあねえなあ……手伝ってやるよ、お前の自分磨き!」

「アタシも手伝う! 美容ならアタシだし」

「2人とも、ありがとう」


 四宮は柔らかく笑った。その笑みに三田は確信して、「コイツは良い女になるだろうな」と思った。



◾️



「ね、ね、よつばちゃん。あそこ見て、あそこ」


 花屋の店長はお茶目な人だ。四宮の親と同じくらいの年齢であるのに、いつまでも少女のように軽やかで、それでいて頼りになる大人でもある。

 この人も、良い女だな。

 四宮は生意気にもそう思った。


「すっごいイケメンがいるのよ! モデルさんかしら」

「あ」


 優也だ。

 大きなショルダーバッグをリュックのように肩に背負い、マフラーに顔を埋めて電柱に寄りかかっている。まだ10月だが、彼は寒がりなのだ。カイロも常備しているそう。

 周りの女の子たちはみんな彼に声をかけたがっているが、あまりのレベルの高さに尻込みしてしまっている。それはそうで、優也はその辺のモデルなんかよりもカッコイイ。実際、今もスカウトが絶えないらしい。これは優子も同様だ。

 でも、声をかけられるのも時間の問題だろう。あの人はフェミニストの気があるから、女の子に話しかけられれば「どうしたの?」と優しく対応する。それはちょっと、恋する乙女的に防ぎたい事態だ。


「あ、よつばちゃん、もう上がって良いからね。本当、助かるわあ。お父さんが入院しちゃって。いやね、ただのギックリ腰なんだけど。それにやっぱり、女の子がいた方が華やかじゃない? 昨日のお客さんも嬉しそうにしてたわよお」


 四宮は「マズイ。」と思う。店主は話が長いのだ。おしゃべりは楽しいけど、今日は優也がいる。四宮はエプロンをたたみながら、「あ、お迎えが来てるんです」と、意味深な目線を優也に向けながら言った。


「アラッ。やだあ、お邪魔したわね! 早く行ってあげなさい!」

「はい、お疲れ様でした」


 万国共通、誰だって恋の話に興味津々だ。


「優也先輩」

「よつばちゃん」


 四宮が声をかけた瞬間、優也はふわりと柔らかに表情を崩す。四宮はこれにやたらキュンときた。自覚した途端にこれだ。心臓は持つだろうか。


「お待たせしました」

「ううん、お疲れ」


 どちらが促すでもなく歩き出す。四宮はいつもより少しだけ近い距離で隣を歩いてみた。それだけで優也の存在を強く意識してしまう。

 この人、やっぱり背が高いわ。

 歩幅、合わせてくれてるのね。

 手も足も、大きいなあ。

 平静を装いながらも、心臓はドキドキと跳ねているし、優也を意識するたびたまらなくなって、叫び出したい気分だった。

 四宮は改めて、恋の威力を味わっていた。そして一方の優也はというと……。


(どのタイミングで手繋ごうかな)


 完全に狩りをしていた。

 優也は四宮の距離が近くなったことに、もちろん気づいている。しかし表情はいつも通りなので、ただ気を許されているだけか、意識されているのかは明確には分からなかった。

 しかしそれで充分。ひとまず、近くにいても拒否されない。これが大事だった。

 このまま距離を縮めていって、手が触れるまで近くにいって、そのまま落としてしまおう。優也に気を許した時点で終わりなのだ。


「あ、ここまでで」

「え?」


 四宮は交差点で止まった。家の前ではない。


「家まで送るよ?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

「でも暗いし」

「もう近いので」

「……」


 優也は一気に突き放された気分になった。

 なんで、俺に気を許したんじゃないの。


「心配だよ。俺が送るって言ったんだし、最後まで見送らせて」

「いいえ、そこまでは。……家族がうるさいと思うので」


 四宮はくしゃりと笑った。初めて見る顔だ。

 こんな時にそんな顔するの?

 優也は少し苛立ったが、結局負けて、それからは交差点で解散するのが恒例になってしまった。

 防犯意識のしっかりしている四宮は何も知らずにときめいていた。

 四宮はけっこう天然で、あまりに恋を知らなさすぎた。このポンコツはちゃんと優也をメロメロにできるのだろうか。後日話を聞いた三田と霧子はそう思った。

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