「先輩が!」じゅうご!

 四宮よつばは希望だった。


「どいつもこいつも馬鹿ばっか」


 ジュリは生まれてからずっと、そんな思いに苛まれていた。

 周りと話が合わない。大人とでさえも。

 なんであんなに馬鹿みたいに騒げるんだろう。

 なんであんなに馬鹿みたいに笑えるんだろう。

 なんであんなに馬鹿みたいに───


「あの子、先輩と仲良いんだって。調子乗ってない?」


 中学に上がる頃には、周りに適当に合わせることを覚えた。

 周りの馬鹿な女子たちの馬鹿な悪口なんて興味が無かったが、その日はたまたま気が向いた。

 あまりに退屈な日常に、少しでも刺激が欲しかったのだ。


「ねえ、それ何読んでるの?」


 目が合った瞬間分かった。この子は周りの馬鹿どもと違う。

 きっとこの子を理解できるのはジュリだけだ。ジュリを理解できるのも四宮だけだ。

 それに気づいた瞬間の、脳に走る甘い痺れときたら!

 ジュリはその日から、四宮に夢中になった。


「ねえ四宮! アタシもその本、読んでみたの!」


「ねえ四宮! 今度遊びに行きましょう!」


「ねえ四宮!」


 楽しかった。人生最大の幸福だと思った。

 いつも表情の無い四宮が、ジュリといる時は柔らかく微笑む。その顔が見たくて、ジュリは四宮を喜ばせることに全力だった。でも……。


「ねえサンタ」


 ───誰?


「なあなあ四宮! 世界一飛ぶ紙飛行機作ろうぜ!」

「ふふ、いいよ」

「いやマジで飛ぶ作り方ってのを見てさ」

「うんうん」


 どうしてそんな顔するの。

 どうしてアタシ以外に、そんな顔見せるの。

 あんな顔見たことない。あんな、心底楽しそうな顔なんて。

 ジュリは嫉妬に狂った。最初は、四宮と三田を引き離そうとするだけだった。


「予定を埋めなきゃ。アイツと遊びになんて行かせない」


 ジュリは毎週のように四宮の予定を差し押さえた。常に隣にいたし、しつこいくらいに構った。四宮は少し困惑していたが、ジュリを受け入れてくれた。そのうち三田とは疎遠になった。

 ああ、四宮がアタシを選んでくれた!

 ジュリは喜びに支配された。もっともっと、四宮の中にジュリの割合を増やしたい。ジュリのことだけ考えていてほしい。


「四宮さんってさあ、調子乗ってるよね」


 だから、四宮に向くつまらない嫉妬心は都合が良かった。

 四宮を理解できるのはジュリだけなのだ。有象無象は気にしなくていい。きれいなあの子には必要ない。


「私、ジュリちゃんくらいしか友達いないかも」


 四宮はちょっと悲しそうに言った。しかしジュリはそれに気づかずに、勝手に四宮と思いが通じ合ったと思った。

 そうよ、アナタにはアタシだけでいい。


「ジュリちゃんが四宮さんのことウザイって言ってたよ! ウンザリだって!」


 きっかけは荒唐無稽な嘘だった。四宮に嫉妬する女子からの、つまらない嘘。もちろんジュリがそんなこと言うわけない。四宮も信じないと思っていた。

 でも、四宮は一瞬、傷ついた顔をしたのだ。

 その後は軽くあしらっていたけど、確かに。

 これにジュリは、今まで感じたことのないくらいの興奮を感じた。

 だって四宮だ。人形のように表情が変わらず、この世の汚れを知らないような、高潔で純粋な女の子。そんな彼女が、ジュリに執着している? ああ、なんてことだろう!


「もっとアタシを、四宮に刻み込まなきゃ!!」


 ジュリは四宮にとって忘れられない女になりたかった。だから深く深く傷つけた。

 傷つけてしまったから、もう一緒にはいられないけど、ジュリが刺したトゲはずっと四宮に刺さっている。ジュリは四宮の一部になっている。

 そう、言ってしまえばジュリは───四宮よつばに、歪んだ恋をしていた。



◾️



「だから許せないのッ! あんなポッと出の男に四宮が汚されるだなんて! ……ぁああああああ!!」

「歪んでるなー……」


 キャプテンは薄暗い倉庫の中で、明らかに引いて言った。

 優子の指示でとりあえず縛って倉庫に転がしたものの、急に四宮と自分との思い出を語り、顔を真っ赤にして地面を跳ねている。さながら鬼のような顔だった。


「解きなさいよ!!」

「いや無理だわ。四宮ちゃんのとこ行くんだろどうせ」

「当たり前じゃない! ああ四宮可哀想に! あんなチャラ男に捕まって!」

「チャラいのは確かだけど」

「あの子男なんて知らないのよ!? きっと騙されてるんだ、そうじゃなきゃ四宮が人を好きになるはずない。あの子はいつも1人でいなきゃなの!」

「うわー……どーする、優子ちゃん」


 キャプテンは唾を飛ばしながら怒鳴るジュリから距離を取り、優子に指示を仰いだ。

 優子は跳び箱を椅子にしてジュリの真正面に座り、さっきからずっと爪を見ている。きっと飽きたのだろう。やっぱり優也とそっくりなのだ。


「……あ、話終わった?」


 キャプテンが声をかけると、優子はやっと顔を上げた。あからさまに機嫌が悪い。


「なんだっけ……お前が四宮ちゃんに性癖狂わされた話だっけ?」

「そんな低俗な話じゃない!」

「まあどうでもいいケド。お前が四宮ちゃんのことなーんにも理解してないことは分かったし」

「はあ!?」


 ジュリは顔をさらに赤くして捲し立てる。聞くに耐えない罵詈雑言だ。しかし優子は涼しい顔で受け流し、「うるせえよ」とジュリの顔スレスレにダンッ! と足を叩きつけた。


「四宮ちゃんはさー。確かに1人の時は表情無いけどー。一緒にいたら表情コロコロ変わるんだよねー」

「は? 何」

「普通に友達いるしー。てか全学年まんべんなく知り合いいるしー。恋バナとか割とノリいいしー」

「さっきから何よ!」

「四宮ちゃんはさあ、優也抜きにしたって、可愛い後輩なんだよねえ」


 キャプテンは倉庫の隅で静かに影を消した。だってキレてる優子怖いもん。


「───ねえ身の程知らずのカエルちゃん。外の世界を教えてやるよ」



 一方その頃。


(……これ、どのタイミングで離れればいいの!?)


 四宮はピンチに陥っていた。

 散々泣いて落ち着いた後、自分がとんでもなく大胆で失礼なことをしている自覚が出てきたのだ。優也は四宮を腕の中にすっぽり納め、苦しく無い程度に抱きしめてくれる。

 優也の腕の中で良かったかもしれない。だってまだ、真っ赤な顔を隠せる自信が無いから。

 でも、本当にどのタイミングで離れればいいのだろうか。四宮は全身で感じる優也の体温や匂い、心臓の音にやられて、正直キャパオーバーだ。腰が抜けそうである。


「本当に、ごめんね、怖い目に合わせて」

「い、いえ。先輩たちから離れた私が悪いので」

「……無事でよかった」

「ひえ」


 耳元でしっとり囁かれては四宮も「ひえ」以外の語彙が無くなる。顔も良けりゃ声も良い。この人は欠点が無いのか。天は彼に一体いくつ与えたんだ。

 四宮はもう照れを通り越して宇宙へと旅立った。自分の身へ起こっている事に理解が追いつかない。これはスペース・四宮待ったなし。四宮は気絶しそうだった。と、そこへ。


「し”の”み”や”あ”あ”あ”あ”!!!」

「チッ」

「サンタ!?」


 顔をグッシャグシャにした三田が現れたので、ムードはぶち壊しになった。

 三田に見られる前に俊敏に優也から離れた四宮に、優也は思わず舌打ちした。役得だったのに。


「ごめっ、オレ連絡気づかなくてっ」

「ううん、優也先輩たちが助けてくれたから」

「ウワーン無事でよかったあ!!!」


 三田は四宮の周りをカニ歩きで周りながらワンワン泣いた。ジュリのせいで辛かった四宮を見てきた男だ、泣きっ面が汚ねえ。

 でも四宮はホッとして、仕方なさそうに微笑む。


「もう、泣きすぎよ」

「だっでぼばえ」

「何言ってるの? ほら、顔拭いて」

「むぐ」


 四宮は三田の首にかかったタオルで顔を拭おうとした───が。


「駆けつけてくれてありがとうねえサンタくん先輩が顔拭いてやるよ」

「痛いです! 痛いです優也先輩!!」

「ん〜? よしよーし」


 後ろから優也がタオルを奪い、雑に三田の顔を擦った。手のひらをグリグリと押し付け、まるでボールを拭くかのような力強さだ。三田は「アレっ? オレって体育館の床だったかな?」と思った。


「そうだ、五十嵐さんどうなったかな」

「あんなヤツのことなんか気にする必要ねーだろ!」

「大丈夫だよ。優子とキャプテンがいいようにやってるから」

「あ、もしもし優子先輩? 四宮ですけど」

「「……」」


 四宮はこういう時可愛くない。


「あ、はい。そうですね、できれば会いたいです。……はい、はい、ありがとうございます。今から伺いますね」

「四宮?」

「五十嵐さんに最後に会おうと思って。ねえサンタ、霧子ちゃんの足止めしててくれない? 手に負えないと思うから」

「手に負えないのにオレに任せるの??」

「頑張れ、メイド長」

「クゥ〜……! ジュース奢れよ!」

「うん、ありがとう」


 三田は心底嫌そうな顔をしながら、何度も「なんかあったら呼べよ!」と言って帰っていった。これから大怪獣と戦闘になるので、タオルをハチマキのように頭に巻いて、気合を入れながら。


「……優也先輩」

「なあに」

「着いて来てくれませんか」


 四宮は緊張しながら言った。優也に何かお願いをするのなんて、ほとんど初めてだ。こんなすごい人を、なんの見返りも無しに使ってもいいのかと葛藤した。

 でも、優也に着いて来てほしかった。


「もちろん!」


 断らないのを知っていて誘うのは、少しズルな気もしたけど、たまらなく嬉しかった。



◾️



「四宮ちゃんおつ〜!」

「優子先輩、ありがとうございます。キャプテンさんも」

「いえいえ」


 四宮が倉庫に着くと、いつも通りの先輩2人と、怯え切ったジュリがいた。全く、何をどうしたらこうなるのだろう。なんて思ったが、まあ優子ならなんでもアリか、と考えるのをやめた。それ以上にやらなければならないことがある。


「五十嵐さん」

「しっ、四宮!」


 ジュリは全部の自尊心を打ち砕かれたばかりだった。恐怖で心がポッキリ折れたのだ。


「怪我は大丈夫?」


 だから優しく微笑む四宮は天使に見えた。四宮が怪我をさせたのに、その矛盾にすら気づけず、涙をこぼしながら笑っている。


「ああ、四宮、四宮! 助けに来てくれたのね、アタシの天使! ねえ聞いて、アイツら酷いのよ、アナタも近づかない方がいいわ、それとね、」

「私ね、親友ができたよ」

「え?」


 ジュリは堰を切ったかのように話し始めたが、四宮はそれを止めた。まるで聞こえていないみたいに。


「霧子ちゃんっていうの。五十嵐さんも会ったでしょ、教室で。あの綺麗な子」

「し、四宮?」

「先輩たちにも良くしてもらってる。同級生とも遊びに行ったし、高校生活楽しいの」


 四宮は「それとね」と言って、ジュリの耳元に口を寄せ、2人にしか聞こえないように囁いた。


「───好きな人もできたのよ」

「……!!!!」


 ジュリは目を見開く。四宮が一瞬見たアイツが、好きな人。ジュリじゃない。今は親友も友達も好きな人もジュリじゃない。これからそうなる可能性も低い。

 でも、四宮に1番深く傷をつけたのはジュリだ。そのはずだ。それならいい。それだけで───


「ねえ『ジュリちゃん』」

「!」


 久しぶりに名前を呼ばれる。それだけで感動に胸が打ち震えた。

 ああ、四宮は何を言うのだろう。恨み? 怒り? 憎しみ? 何をジュリにぶつけてくるのだろう。憎まれれば憎まれるほど、四宮の中にジュリの存在は刻みつけられる。それこそ、死ぬまで。何かにつけて思い出すのだろう。やっぱり、ジュリの選択は間違ってなかっ───


「同窓会、楽しみだね」

「───は?」

「まあ、私行かないけど。じゃあね」


 お達者で。

 そう動いた四宮の口を、ジュリは優子に引き摺られながら、呆然と見ることしかできなかった。


「何話したの、よつばちゃん?」


 優也は四宮のアイコンタクトにもちろん気づいたが、何を話していたのかまでは分からなかった。ただ、ジュリがショックを受けていたけど。


「ふふ、秘密です」

「えー! ちょっとだけ教えてよ!」

「だーめ。優也先輩には絶対言わない」

「え、何それ」

「ふふ」


 優也はわざとらしく「そ、そんな!」という顔をしておどける。四宮はそれに笑ったが、ついぞ秘密を打ち明けてくれはしなかった。

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