「先輩が!」じゅうよん!

「は?」


 低い低い声は、祭りの喧騒にかき消えて、誰にも届かなかった。


「なんで四宮が……」


 ジュリの視界に映るのは、愛おしそうに笑う優也と、そして───同じように笑う四宮。


「なんで?」


 ガリ。


「なんで四宮が男といるの?」


 ガリガリ。


「なんであんな風に笑うの?」


 ガリガリガリ。


「なんで表情を崩すの?」


 ガリガリガリガリ。


「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで───」


 ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ───


「どうして?」


 ジュリは頭をかきむしる。一才の手加減なく、神経質に地団駄を踏みながら。

 爪に傷付けられた頭皮からは血が滲み、指先を赤く染めていた。艶やかなブラウンのロングヘアは見る影もなく、老婆のようにボサボサになっている。目は血走り、噛み締めた唇からも血が流れ、顎まで伝う。しかしそれを気にもとめず、ジュリは瞬きすらせずに四宮を凝視していた。


「あんなのは、違う。四宮じゃない。あれは四宮じゃない。誰かが悪さしたんだ。あたしのなのに。───戻さなきゃ」


 ジュリは四宮の後をつけた。早く1人になれと呪いながら。

 そしてチャンスは、来てしまった。


「そんなの、ダメよ」

「え? ムグッ!」


 四宮の口を塞ぎ、無理矢理引っ張って裏庭まで行く。そして怒りのままに四宮を壁に叩きつけ、荒い息で絶叫した。


「なんでなんでなんであんな顔するの!? ダメじゃん、そんなの四宮じゃない!」

「……っ!?」

「四宮はさあ、笑うか真顔しかしなくていいの! あんな、あんな俗な感情なんか見せなくていいの! 完璧なお人形ドールなの!!」

「ック、ウウッ」


 四宮は必死にジュリの手を引き剥がそうとした。しかし体格差もある彼女に力で勝てず、息を吸い込もうと必死になっている。

 ジュリは興奮しすぎて、鼻まで塞いでいることに気がついていない。

 隙間から必死に息を吸う。酸素が足りないから足に力が入らない。生理的な涙は止まらない。


「っなんで泣くの!? 四宮は泣かないじゃん!!」

「ウ、っふ」

「あたしに裏切られた時も泣かなかったじゃん! 笑ってたじゃん! あの美しい四宮に戻って! 戻って! 戻ってェ!」

「……!」

「ギャッ」


 四宮は近づいたジュリの顔に手を伸ばし、グリンッ! と鼻を90度に曲げた。ジュリはたまらず悲鳴を上げて手を離し、鼻を抑えてよろよろと後退する。


「っああーッ! うあ、あーッ!」

「ゲホッ、ゲホッ」


 ジュリは痛みにのたうち回った。四宮は必死に肺に空気を回し、何とか立って逃げようとするが、体にうまく力が入らない。足が震えて、頭にはぼんやりと霞がかかったような感覚がする。


「誰か、たす───」


 言いかけて、やめる。

 誰も助けてくれるはずがない。

 どうしよう。

 何とかしなきゃ。

 サンタ!


「っ携帯」


 四宮は震える手で三田の連絡先をタップする。壁を伝って表通りへと歩きながらも、祈るようにワンコール、ツーコール、スリーコール───


『ただいま、電話に出ることができません。ピーっという発信音の後に、お名前と、ご用件をお話しください』


 無機質なそれは、四宮を絶望させるには充分だった。


「し、の、みやああ!」

「っあ!」


 ジュリが鼻血を垂らしながら四宮に追い縋る。髪を振り乱し、目を血走らせ、息を荒げながら迫る姿は鬼のようで、四宮は恐怖で体を固くした。

 ジュリの手は目の前だ。


「よっと」

「ッウ!?」


 何か後ろから強い力で引き寄せられたかと思えば、ジュリが鈍い音とともに飛んでいった。そのまま地面に倒れ伏し、動かない。


「……へ、え?」

「大丈夫?」


 妖精のような甘いマスクに、繊細なプラチナブロンド。色白の陶器肌に、薄いブルーグレーの瞳。


「───優子、先輩」

「ん。もう大丈夫だから、安心して」



◾️



「遅くね?」


 ソワソワする優也を見かねてキャプテンは言った。


「遅いよね!? やっぱ探しに行くわ、ナンパとかされてたらシャレになんねえし」

「あー……オレも行くわ」


 キャプテンは四宮の容姿を思い出して苦い顔をした。

 小さい背丈に華奢な体躯、これで童顔なら、中学生に見られるだろう。そうすればナンパの確率はグッと落ちる。


(でも四宮ちゃん、美人顔なんだよな〜)


 アイラインで垂れさせてはいるが、キャプテンが見るにあれはちょっとツリ目だ。ほんのちょっとの範囲ではあるけど、ツリ目の方が童顔には見えずらい。

 それに加えてシャープなフェイスラインと、コントラストのはっきりした瞳、伏しがちなまつ毛、ぱっちりとした二重、すっと通った鼻筋───とあげたらキリがない。

 それにスタイルだって、背が低いだけで結構───とまで考えたところで、キャプテンは思考をストップさせた。

 流石にキモイだろ、オレ。との賢明な判断だった。

 とにかく、四宮はどこからどう見ても高校生なのだ。でも体格は華奢だから、無理矢理引っ張られでもしたら抵抗できないだろう。文化祭で浮かれた奴らは何をしでかすか分からない。


「あれ、いない」

「は? どっか連れてかれたか? 着信も無いし。キャプテン、この辺探してて。優子に電話してくる」

「おう」


 優也の判断は早かった。そしていつでも正しい。

 キャプテンはそれを知っているから、何も考えずに言われたことだけに集中する。この調子ならすぐに見つかるだろう、となんとなく地面に目を落とす。


「……あれ?」


 ゴミ箱の前に、ゴミが散らかっている。正直ゴミ拾いなんてしてる場合じゃ無いのに、なぜかそれが引っかかった。


「スティックシュガーが、5本……あ」


 5本一気に引きちぎった残骸は、特徴的な切り口をしている。

 キャプテンの使ったスティックシュガーだ。


「優也! 四宮ちゃんこの近く! ゴミ落としてる!」

「優子、聞いてた?」

『今裏庭向かってる』

「俺も行く。切る」


 言い終わるか終わらないかくらいで通話を切って、優也は大股に歩き出す。キャプテンもそれに続いた。





(いた!)


 優子は遠くから四宮の姿を見つけ、走るスピードを上げる。様子がおかしかったから。

 すると嫌な予感は的中して、後ろを振り返る四宮に、知らない女が襲い掛かろうとしていた。ので。


「よっと」


 殴り飛ばした。


「四宮ちゃん、もう大丈夫だよ」

「ゆ、優子先輩」


 ポカンとした顔で、腕の中の四宮は優子を見上げる。予想だにしていなかったのか、完全にフリーズしてしまっている。


「よつばちゃん!」

「優也遅っせーよ」

「大丈夫!?」

「あ、せんぱい」


 優也は四宮を抱きしめる勢いだったが、優子の腕の中の彼女には届かず急ブレーキをかけた。

 代わりにそっと頬に触れ、痛ましい表情で謝った。


「ごめん、1人にして。俺が着いて行くべきだった」

「あ、言いつけを破ったのは、私ですし」

「ううん。よつばちゃんは悪くないよ。……ごめん」


 優也は怒っているような、泣いているような顔で、辛そうに俯いた。

 それを見た四宮は目を見開き、何かを言いかけるが───


「四宮ぁあ」


 引き攣った声にかき消された。


「そいつね。四宮を壊したのは」

「……」

「四宮は、いつだって孤高で、冷たくて、特別で、あたしのものだったのに」

「あなたのものじゃない」

「うるさい! ……四宮はあんな風に笑わない! ずっと一人ぼっちのお人形なの! あたしだけが味方なの! 周りのバカどもと違って賢くて、聡明で、あたししか理解してあげられない、そういう子なの!! 可哀想な───」


「お前黙れよ」


 無意識に、ジュリの喉がヒュッと鳴る。そこだけ重力が増したかのように空気が重くなる。

 優也は冷静な顔だった。感情の見えない顔だった。しかし首や額には血管が浮き、頭をわずかに左に傾けている。

 あ、キレてる。

 優子は冷や汗を垂らしながら思った。

 このままではマズい。キャプテンも優子も間に入れない。

 優也はジュリの方へ足を踏み出す。何をされるか分からないジュリは、蛇に睨まれた蛙のように顔を青くしてへたりこんでいた。

 が。


 クンッ。


「……よつばちゃん?」


 四宮が俯いたまま、優也の服の袖を引っ張る。


「よつばちゃん、俺が話しつけてくるから、優子と一緒に───」

「私、怖い思いしました」


 四宮が話を遮る。こんなことは初めてだったので、優也は虚をつかれて勢いを削がれた。


「よ、よつばちゃん?」

「いきなり意味わかんないこと言われて、いきなり裏庭に連れ込まれて」

「う、うん?」

「壁に叩きつけられたから背中は痛いし、口だけじゃなくて鼻まで塞がれたから、窒息するかと思ったし」

「……は? あの女、」

「サンタは電話に出ないし!」


 ジュリが四宮に行った所業を聞いて、優也はまた怒りをたぎらせるものの、四宮の急な大声にまた押し黙った。


「私、怖い思いをしたんですよ」


 四宮はいつの間にか優子の手から離れ、優也の服の裾を掴んだまま立ち上がる。そして俯いたまま。


「それなのに、そばにいてくれないんですか」

「───ご、めん」


 青白いだけだった優也の顔に、ぽっと紅がさす。

 他が見えなくなるくらい、四宮しか見えないくらいの、強烈な口説き文句だった。


「ごめん、よつばちゃん、ごめんね……」

「なん…なんで五十嵐さんのところに行くの」

「行かない! 行かないよ、ずっとよつばちゃんのそばにいるから」

「嘘。だってさっき、止まらなかったし、顔も、怖いし」

「もう怖く無いから! ほら、ね!?」

「もう、だって、私」

「っあ〜〜〜ごめんごめんごめんマジで俺が悪かった。ごめん。もうしない」


 四宮が涙声になるにつれて、優也のちょびっとしかない罪悪感が強烈に刺激されていく。小さく震える肩は触ったら壊れてしまいそうで、普段の余裕の態度は形無し、優也はできるだけ優しい声を出して、行き場の無い手をウロウロと彷徨わせることしかできなかった。


「なんで、こういう時に、抱きしめてくれないの」

「いいの!?」

「優也先輩がモテるなんて嘘だわ」

「うん、うん、それでいいよ。俺、よつばちゃん以外はどうでもいいから」


 許可も出たので、優也はたまらず四宮を抱きしめる。遠慮がちに回された手が愛おしかった。


「───っべーよ2人の世界だよオレらどうすればいいんだよ」


 キャプテンはコソコソ優子に話しかけた。


「とりあえず、あのブス連れて退避退避。優也はどうでもいいけど四宮ちゃんは落ち着くまで時間いるし」

「了解!」

「おっし、じゃあほら立てよ。カエルちゃーん」

「か、カエル!?」

「そ、『井の中の蛙大海を知らず』、ってね。ピッタリっしょ? あ、コレ座右の銘だったりする?」

「このっ、ふざけ───!」


 ダンッ。


「拒否権ねーから。大人しく着いてこい」

「…………!」


 ジュリは寄りかかっていた壁のスレスレを蹴られて、その威力に閉口した。背の高いキャプテンと優子に囲まれて、ジュリは周りから見えなくなる。きっと助けは望めないだろう。

 ジュリは断頭台に向かう死刑囚の気分で、思い足を前に動かすしかなかった。

 

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