「先輩が!」はち!

 早朝。八代霧子はチラシを持って通学路を急いだ。夏の生暖かい空気を切って、まだ冷めているアスファルトを蹴り上げる。早く行かないと、彼女は帰ってしまうから。ツインテールにした髪が急かすように揺れた。

 道角を曲がって、一瞬足を止めて考える。そして進路を変え、裏門の方に回った。裏門はまだ開いておらず、フェンスも閉まったままだ。しかし霧子はスピードを落とさず、目で歩数を測って。


「えいっ」


 と、ハードル走のように軽く飛び越えてしまった。そして勢いをそのままに加速して駆けて行く。そこの角を曲がったら、早起きの彼女がいるはずだから。


「よつば!」


 夏の太陽のようにキラキラした笑みで、霧子は愛しい親友の名を呼んだ。



 ◇



「ビックリした、スポドリのCMかと思った」


 四宮の第一声である。

 四宮はもはや習慣化した水やりに来ていた。「カレー、煮浸し、酢漬け、素焼き、ラタトゥイユ〜♪」と歌いながら野菜の健康状態をチェックする。静かな早朝は、四宮が2番目に好きな時間だった。1番は晴れの日の雨だ。


「霧子ちゃん、こんな朝早くにどうしたの?」

「え、麦わら帽子!? カワイーっ!」

「話聞かないなあ」


 四宮はつばの広い麦わら帽子をかぶっていた。白と黄色のチェック柄のリボンに、ひまわりの飾りが大小付いている。これはネクラが『日差しが強くて、危ないからネ!』とくれたものだ。それにヒステリックが『アン? もっとカワイくしてやるわよ』とひまわりの飾りをつけてくれた。合作である。

 霧子はきゃあきゃあと高い声をあげて喜んだ。親友の着飾った姿は、一緒にお出かけデートした時にしか見られない。つまりレア。霧子はオシャレが好きなのだ。


「え、髪型も変えようよ! 三つ編みがいい! ツインテね、お揃い!」

「返事聞く前に髪いじるじゃん」


 四宮は文句を垂れるものの無抵抗で、霧子は上機嫌に柔らかい髪に触れた。スルスルと三つ編みを2本作っていき、ほぐし方がどうだの、サイドバングがどうだの、持ってきたコテまで使う始末だ。四宮はそれに黙って付き合ってやり、完成したところで話を切り出した。


「完成! え、カワイイ。アタシ天才かも。赤毛のアンみたい!」

「すごいねえ霧子ちゃん。カワイイ。そういえば、なんだか急いでたみたいだけど」

「あっ、そう! そうなの!」


 霧子はハッとし、鞄に適当に詰め込んだチラシを引っ張り出した。


「夏祭り! 一緒に行こ!」

「……え、ウン、何?」


 霧子の嬉しそうな笑顔が眩しすぎて、四宮は一瞬意識が飛んだ。精巧な人形のような彼女は、意外にも人間味ある表情をする。そのギャップは強烈で、脳がショートするくらいに魅力的だった。


「だから、一緒に浴衣着て、夏祭りデートしよっ」

「わ、楽しそう。それっていつ?」

「今日!」

「嘘だろ」


 クシャクシャのチラシをよく見ると、最終日が今日になっている。


「なんでもっと前に言わなかったの!?」

「昨日気づいたんだもの」

「えー、浴衣あったかな。あと着付けとか」

「浴衣はアタシのお下がり貸してあげる。着付けはママができるわ」

「そんな急に、大丈夫かな」

「大丈夫よ。ママ、よつばのこと気に入ってるし」


 霧子はクッと右の口角だけを上げ、「まだ不安なことある?」と聞いた。レトロで挑戦的な笑みに四宮は何も言えず、ありません、と首を振った。


「じゃあ決まりね! 6時にウチに来て、それからママに着付けてもらいましょ」

「うん、楽しみ」


 パチ、と霧子は瞬きして、一瞬止まる。

 四宮は少し目を細め、薄く笑った。いつもなら手をパチンと合わせて、大袈裟なくらいきゃあきゃあと喜ぶはずなのに。

 そのどこか大人っぽい笑みに、霧子はなんだか緊張してしまって、「う、うん」と口籠った。


「霧子ちゃん?」

「なんでもないわ! ……なんでも」


 ツインテールの毛先をキュッと握る。最近の四宮は、ふとした時に大人っぽい表情を見せる。きっと素の顔なのだと思う。それに嬉しさを感じると同時に、親友のデリケートな面を覗いている様で、霧子はなんだかドキドキした。


「仲良くなってるって、ことなのかしら」

「? どうしたの霧子ちゃん。麦茶飲む?」


 差し出されたペットボトルで顔を冷やしながら、霧子は熱っぽいため息をつく。四宮はそれを色っぽいな〜と思いながら眺めていた。2人の体感温度は、平等じゃなかった。



 ◾️



「夏祭り……!?」


 お昼時。優也は戦慄した。


「え、今日最終日でしたよね? それで副キャプテンが、みんなで行こうって」

「全員強制な」

「え、アイツどうしたの?」

「いやなんか、彼女と別れたらしいぜ」

「ああ……」


 七瀬は般若のような副キャプテンに肩を掴まれ、全てを説明させられていた。えらいでしょ、と言わんばかりの顔はゴールデンレトリバーの赤ちゃんの様だった。


「みんなでお出かけっていいっすね」


 そうやってルンルンするから、最初は反論していた部員たちも絆されて、仕方ないなあと順繰りに七瀬の頭を撫でていった。


「ワッ、ちょっと、やめてくださいよ!」

「うん、お前可愛いよな」

「はあ!? 可愛くねえ……ですし!」

「うんうん」


 顔を赤くして周りに噛み付く七瀬は、副キャプテンに手ずからチョコを与えられて大人しくなった。そして優也はというと……。


「俺としたことが……っ!」


 地面に伏せて、床をダアンッ! と悔しそうに叩いていた。


「どうした? 優也」

「え、行けない系?」

「いや! まだわかんない。とりあえず連絡しなきゃ」


 優也は持ち前の運動神経を全て使ってベンチに走り、スマホのトーク画面を開いて、『よつばちゃん』をタップした。慌てていたので電話になってしまったが、かえって良かったかもしれない。ワンコール、ツーコール、スリーコールで彼女は出た。


『はい、四宮です』


 電話越しに聞く彼女の声は、少し掠れていて低かった。


「よつばちゃん、優也だけど」

『優也先輩! 珍しいですね、電話なんて。何か急ぎのご用でもありましたか?』

「ああ、急ぎって言うか、今日夏祭りあるの知ってる?」

『はい、川沿いの公園でやるんですよね』

「俺、今日最終日だって気づいたんだけどさ。よつばちゃんと一緒に行きたいなって思って。急な誘いだから、無理に、とは言わないけど」


 優也は残念そうな声を出して同情を誘った。電話口の四宮が一瞬、固まった雰囲気を察してさらに畳み掛ける。


「やっぱり、だめ?」


 胸が締め付けられるような切ない声だったが、四宮は息を呑んで頭を抱える。


『だ、ダメというか。すみません、先約が……』

「先約?」

『はい、友達と行こうって話になっていて』

「…………そっ、かー」


 ショック。優也は自分の計画性のなさにうなだれた。夏祭りだなんてスッカリ忘れていた。いつもはこの時期にやらないから、それで油断して。

 しかし優也は転んでもただでは起きない男。呆然と、悲しそうな雰囲気を作る。それにまんまと騙されてしまった四宮は、なんだか悪いことをしてしまった気になって、「で、でも」と続けてしまう。


『行く時間が被れば、少しお会いできるかもしれません』

「! 本当?」

『はい。友達と回るので、一緒に行動するのは難しいかもしれませんが……』

「ううん、会えるだけでめっちゃ嬉しい。あとで時間送るね」


 内緒話をするようにヒソヒソ喋るので、四宮は耐えきれなくなってそっとスピーカーボタンを押した。イケメンは声までイケメンだ。耳元で囁かれているようでドキドキしてしまう。

 四宮は自制心を持って、もう電話を切り上げなければと別れの言葉を口にする。


『優也先輩に会うなら、とびきり綺麗にしないといけませんね。私も楽しみです。また後で』


 優也につられて、四宮も囁くように呟いた。それは思わず固まってしまうほど密やかで、周りの音が掻き消えるほど艶っぽかった。


「……また後で!」


 優也はグ、と喉に力を入れ、なんとか明るい声を出す。そしてピ、と電話を切った後。


「……ぅわあ〜〜〜〜」


 仰向けにドーン! と倒れ、形容し難い声で唸った。


「どうした優也!?」

「熱!?」

「大丈夫か!?」

「うるせ〜〜〜〜」


 優也は顔を両手で覆ったまま、腹筋だけで体を起こす。立てた膝に肘を置き、くしゃ、と前髪をかき上げる姿は、ハッとするほど様になっていた。


「えー……ずるいなあ」


 四宮と出会ってから、まだそんなに経っていない。印象としては、思ったよりも表情のない少女。曖昧にはにかむばかりで、それ以上を見せてくれない、警戒心の強い子だと。それが最近は違ってきている。誰の影響かはわからない。自分だと確信を持てるほど、四宮は踏み入らせてくれていないのだ。


「俺の所為ならいいのに」


 彼女の変化も、動揺も、停滞も、喜びも悲しみも、全部自分の所為ならいい。

 そんな恐ろしいことを考えながら、優也は美しくため息をついた。



 ◾️



「霧子ちゃん、可愛い! 綺麗!」


 四宮は高い声で絶賛した。


「トーゼン。アタシだもん」


 霧子はクールに言ったが、耳が少し赤い。それに口角がどうしても上がってしまっている。嬉しいのだ。

 霧子の浴衣は白地にあやめの模様が描かれていて、青と紫、白の調和が綺麗な、丁寧な布地だった。霧子はハニーブロンドを前髪ごと結い上げており、豪奢なあやめの簪がシャラリと揺れた。合わせて塗った鮮やかなブルーのネイルが指先をさらに美しく飾り立て、ラメがぎっしり乗った瞼は星屑を散りばめたようだった。

 彼女は全身が海のように青く、あまりに美しいから、周りの景色からポッカリと浮いていた。


「青は霧子ちゃんの色だね。瞳の空色もそうだし、今着けている海色も、指先のサファイアも。よく似合ってる」


 芸術品を讃える品評価のような、情熱的な音楽家のような口ぶりで、四宮は霧子を褒め称える。


「あ、アンタ、たまに詩的よね」

「そうかな? 意識したことはないけど……そんな言葉が出てくるぐらい、霧子ちゃんが魅力的なんだよ」


 霧子はこれにノックアウトされて、ぺちん! と頬を両手で覆った。四宮はいつも、大真面目にこんなことを言うものだから、からかいもできず恥ずかしいのだ。褒めて褒めてと話しかけた女子はみんな返り討ちにされている。


「もう! アタシは充分だから!」

「? あ、うん。確かに、わざわざ語らなくたって、霧子ちゃんが綺麗なのは一目瞭然だよね」

「……もう! よつばだって綺麗よ」

「私? そ、そうかな。黒って大人っぽいし、服に着られてないかな」


 四宮は居心地悪そうに、ふわふわと巻かれた髪先をいじった。

 彼女の浴衣は黒地にアサガオの花が控えめに描かれており、上の方の白いアサガオから下へ、グラデーションのように青やピンク、黄色などが薄く掛かっている。

 髪は霧子と同じ、下の方で結ったお団子だったが、霧子とは違い夏の風情を感じさせるような、日本的な美があった。

 言葉の飾りを全て外せば、とにかく似合っている、ということだ。

 しかし四宮は自信がないようで、空いた首筋に手を当て、困った顔をして立っている。霧子はこれが気に入らなかった。


「もう、似合ってるって言ってるじゃない。どうしてそんなに自信がないの」

「だって、浴衣とかアクセは綺麗だけど、大人っぽすぎるというか……。私は背も高くないし、大人顔ってわけじゃないし、そもそも雰囲気が合うかどうかも……」

「言うほど童顔じゃないわよ。それに、このアタシが選んだのよ。自分が信じられないっていうなら、アタシを信じなさい。それなら迷わないでしょ」


 霧子はやはり、よく磨かれた宝石のような瞳で四宮を射抜く。何よりも自信にあふれた両目から溢れる光は、やがて四宮にも伝染して、いつも納得させられてしまうのである。


「……うん、じゃあ、お祭りに来た人みんなに見せびらかして歩こう。ウン、幸せを分け与えるつもりで」

「待って、アタシいつもそんな風に思われてたの!?」


 2人はきゃあきゃあ言い合って、やがて時計の針に慌てて家を出た。カランコロン、下駄が鳴る音が楽しくて、ステップを踏みながら熱の残るアスファルトを蹴り上げる。会場までの道はランウェイで、終着点は沈んでいく太陽だった。


「───ねえ、あれって……」


 夜はもうすぐそこだった。

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