「先輩が!」なな!
ジワジワ地面から湧き上がる熱気、責め立てるように降ってくる蝉の声、肌を焦がす眩しい日差し。
夏である。
「声出せー」
「ハイッ」
さて、夏休みのバスケ部は、体育館で練習に励んでいた。サマーカップは優勝したとはいえ、ウィンターカップは3年レギュラーの引退試合でもある。にっくきライバル校はさらに実力を着けて来ているだろうし、この夏が正念場だった。
「あれ、向こうのコートにいるのってダンス部っすよね。なんで?」
「七瀬、お前話聞いてた? 今日はダンス部のリハだって部長が言ってたろ」
「あ、だからやけにみんな髪型とか気にしてるんすね!」
七瀬はゴンッ! とゲンコツを落とされた。
◇
「良いよなー、ダンス部」
休憩中、バスケ部の誰かがこぼした言葉に全員が頷いた。
ダンス部は女子のみで構成された部活だ。他にも男子だけ、男女混合と自由だ。その中で「ダンス部」の名称を勝ち取ったのが彼女たちだったというだけで。
「やっぱ椿ちゃん、可愛いよな〜」
「エ”っ」
七瀬は姉の話題が出て気まずくなった。
「音倉ちゃんだって良いじゃん。美人だし」
「オレは優子ちゃんかな。優也と顔一緒だけど」
「あと最近で言うと1年の……」
「霧子ちゃーん!」
「えっ、四宮!?」
体育館に入って来たのは四宮だった。何やら巾着袋を持ってダンス部の方へ近づいて行っている。
「あ、四宮ちゃんだあ!」
「おつー。どったの、アタシに会いに来た?」
「違うヨ! 先輩に、会いに来たんだよネ!?」
「ネクラキモ」
「四宮ちゃん、誰かに用事?」
「先輩方、こんにちは。椿先輩、そうなんです。霧子ちゃんいますか?」
「ちょうどお化粧直しに行ってるから、こっちで一緒に待とっか」
「ありがとうございます!」
四宮はダンス部の綺麗なお姉さんたちの中心に座らされていた。勝手に髪型をいじられたり、勝手に化粧をされたり、勝手にお菓子を口に詰め込まれたりしていたが、その全てに無抵抗でニコニコしている。何か交互に話されてウンウン頷いていて、まるで赤ベコみたいだ。
男子はザワッとした。女子の密なやり取りを見て、なんだか見てはいけないものを見てしまっているような、そんな気分になった。
誰かこの空気どうにかしろよ。
全員がアイコンタクトをとって、全員が無理だと首を振った。
「何? この空気」
「優也!」
救世主は突然に現れた。
優也だ。
バスケ部はパッと顔を明るくして、「アレどうにかしてくれよぉ〜!」と優也に泣きついた。優也は女子の相手が上手い、というか果てしなく女子に好かれているのだ。全員がワンチャン狙ってる。だから優也の言うことは比較的素直に聞く。そういうわけだ。
「なんかちょっと声かけてきてよ」
「なんかって……え待って。よつばちゃん!?」
おーい、よつばちゃーん!
優也は手を振りながらズンズン女子の塊に近づいていった。嫌そうにされていないのが恐ろしい。バスケ部のキャプテンはオレが行ったら「は? 何」って白けた顔で言われんのにな……とホロリ涙を流した。
「優也先輩。こんにちは」
「こんにちは。どうしたの? 俺に会いにきてくれた?」
「いいえ、友達に呼び出されちゃって」
「友達?」
「よつば!」
優也が首を傾げたのも一瞬、体育館の入り口からよく通る声が聞こえてきた。思わず視線をやると、フランス人形のように豪奢で繊細な美少女が駆けてきた。濃い金色のロングヘアと、雨上がりの空のような澄んだ青い瞳が印象的だった。
「待たせた?」
優也はピシリと固まった。眩しい彼女は四宮の前まで来ると、手を伸ばしてサラリと四宮の髪を耳にかけたからだ。そのまま頬に手を添え、スリ、と親指の腹で目の下を撫でた。四宮は抵抗もせず、しかしなんの感想も抱いていないような顔をしていた。
「ううん、先輩たちとお喋りしてたから」
「そう。……あれ」
「あっ、紹介するね。先輩、こちら
四宮が軽く説明する。霧子は「ああ」と納得した顔をして、敵対心を隠して友好的な笑みを向けた。
「初めまして、一ノ瀬先輩?」
「よろしくねー八代ちゃん」
バチッ! と火花が散る。美形2人は直感的に察したのだ。
コイツ、邪魔する気か。と。
霧子は知っていたし、聞いていた。一ノ瀬優也といえば学校一のモテ男で、バスケ部といえばチャラ部として有名だ。そんな女子なんてよりどりみどりで慣れている優也が、入学以来の親友にちょっかいをかけている。ぎゅってされちゃった、と耳を赤くして相談された時から、おのれ一ノ瀬優也許すまじと決意を固くしていたのだ。
「ねえ、持ってきてくれた?」
「うん。もう、大変だったんだから」
「ごめんごめん。今度はあたしが持ってくるから」
霧子は四宮の肩をグイッと引き寄せそう聞いた。四宮は不満そうな顔で唇を尖らせた。その幼い表情に優也は「可愛いな……」と思いつつ、何を持ってきたのだろう、と首を傾げる。
「あ、お弁当をね、作ってきたんです」
「お弁当?」
「はい。霧子ちゃんが、『夏バテ気味だから』って。夏バテだからってなんで私に弁当作らせんだよ」
「アンタのご飯なら食べれるから」
「重い〜!」
四宮は頭の上に腕をノシ、と乗せられて二重の意味で叫んだ。友達といるからか表情や言葉はいつもより乱雑で、伏し目気味に霧子を睨みつけていた。
「え、いいなー。俺も食べたい」
優也はすげえので素直に言った。霧子は「マジかコイツ」と目を見開き、四宮は本当にモテる人なんだなと感心した。だって1ミリも嫌な気持ちにならない。むしろ喜んで自分の弁当を差し出してしまいそうだ。
「ねえ、一緒に食べるんでしょ。早く行こ」
「え、私帰るけど」
「は!?」
「もともと水やりしに来ただけだし。お弁当箱は洗って返してね」
「いやそれはやるけど」
「じゃあねー。先輩方、失礼します」
あっさりと。弁当箱だけ渡して四宮はいなくなった。霧子も優也も引き留める間がなかった。さっきまで立っていた場所には彼女の温度はすでに無く、霧子が持っている弁当箱だけが、彼女がいた証明になっていた。
「……もう! また逃げられた!!」
ダアンッ! と霧子は地団駄を踏んだ。頬を膨らませて怒る姿は愛らしかったが、体育館に響いた鈍い音に男子たちは戦慄した。
「逃げられた?」
優也は気になって聞いた。霧子は四宮がいなくなることを承知していたような素振りで、肩を組んだのも、やけに距離が近かったのも何か作為があったように思えた。優也に見せつけるためだと思っていたが、どうやらそれだけではないらしい。
霧子は悔しさが勝っているのか、早口で一方的に捲し立てた。相手が優也じゃなくてもよかった。
「あの子、いっつも逃げるんです! 遠慮しいっていうか、今もどうせ『ダンス部に混ざっても気使われちゃうよね』とかつまんないこと考えてたんだろうけど!」
もっと仲良くなりたいのに!
霧子はプンプン怒りながら「失礼します!」と言っていなくなった。優也は口を手で覆い、視線を左に投げて何かを思案した。
「シノミヤチャンと、ご飯、食べたかったナ……!」
ネクラはさめざめ泣いていた。
◾️
「じゃあ今日はこれで解散! 居残りするやつは戸締り忘れんなよー」
「ありがとうございましたァ!!」
日も暮れ始めた頃、バスケ部はやっと終了の時間になった。それでも何人かは体育館に残り、絶えず流れる汗もそのままに練習に励む。この部活では珍しくもない光景だった。
「七瀬ー。1on1付き合えー」
「ええっ!? 嫌っすよ、ボコボコにされるじゃないですか!」
「俺も3年に負け続きでフラストレーション溜まってんだよ」
「サンドバックだ!!」
七瀬は哀れにも、2年の先輩にズルズル引き摺られていった。
「優也ー、お前はどうする?」
「んー……残ろっかな」
「え、珍しい。熱ある?」
「ねえよ」
優也は基本残らない。体力の問題があるからだ。しかし今日は途中からの参加だったし(午前はサボった)、夜なら涼しい。しかし付き合いの長いキャプテンは訝しげだった。やたらやる気がある時、優也は大抵熱があるのだ。
「おら、デコ出せ」
「だから違うって。考え事したいの」
「考え事?」
「そー。体動かしながらの方がいいじゃん」
いや人それぞれだろ。
キャプテンの反論を聞きもせず、優也はコートに向かって足を進めた。
「サクラ、頑張ってんじゃん。俺も相手してやるよ」
「ゲェッ、優也先輩!? ヤダヤダ、オレもう足動かないっす!」
どうやら本当に大丈夫そうだ。キャプテンはポリポリ頭をかきながら、一体なんの心境の変化だ? と首をかしげる。そして四宮ちゃんか? と当たりをつける。
四宮よつば。染めたことがないだろう髪を飾り気なく括っていて、校則で禁止されていないのにも関わらず、化粧っ気のない顔をしている。きっとパウダーくらいだろうな、とキャプテンは察し、少しもったいなく思った。肌は綺麗なのだ。それにスタイルも悪くない。着飾ればそれなりにはなるだろう。
まあ、殴られたくないから言わねえケド。
思考回路は失礼だが、それを言わないくらいの分別はつく。何を考えるのも自由だけど、何もかもを言っていい訳じゃない。
「でも、
顎に手を当てしばらく考えてみるが、答えは一向に出てこない。結局、お気に入りの後輩にちょっかいかけてるだけか、と納得し、キャプテンもコートに向かった。
だってまさか、優也の一方的な懸念だなんて、誰も考えつかないのである。それだけ、優也と四宮は釣り合っていなかった。
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