「先輩が!」よん!

「キエ───ーッ。シノミヤチャンに近づくな───ーッ」

 

 優也はブルーブラックの美人に、周りをバッタのように跳ねれられていた。



 ◾️



 優也はちょっぴり落ち込んでいた。もちろん四宮のことで。優也にとってハグはスキンシップの一環だったし、まさかあそこまで嫌がられるとは思わなかったのだ。だから言いつけ通りに四宮に近づくことはしなかったし、学年も違うから廊下ですれ違うこともなかったのだ。しかし……。


「あっ」

「わ」


 部活へ行く道すがら、本当にたまたま会ってしまった。優也は思わず固まってしまったが、四宮はポポポ……と顔を赤くした。


「えっ」

「あ、あの、そこ、通してほしいです」

「あ、ごめんね」

「し、失礼します」


 四宮は律儀に会釈して、焦ったようにパタパタ駆けていった。それはまるで、照れているかのような───。


「……まだ嫌われてない?」


 ワンチャンあるのでは。

 優也は真剣な顔でスリーポイントを決めた。審判をしている仲の良い後輩はロクでもないこと考えてんだろうな。と試合終了の笛を鳴らした。


 ◇


「あー……、音倉ちゃん? とりあえず跳ねんのやめなよ」

「キエ───ッ」

「聞いてねえな」


 優也は周りを化け物みたいな女に跳ね回られながら、無抵抗です、と両手を上げる。

 長い髪を振り乱しながら奇声をあげる彼女は優子の友達だ。名前を音倉オトクラアオイと言う。ほぼ完璧な美人のはずだが、なぜこのように狂ったことをしているのか。優也は彼女とは3年目の付き合いになるが、こんな状態は初めてだ。


「何してんのネクラ」

「優子。どうにかして」


 ちなみに音倉は親しみと友愛を込めてネクラと呼ばれている。理由は本人がド陽キャの癖に「いやいうてジブン根暗ですし……」などとよくのたまっている所からだ。本人は「マ、その通りっすわ」と受け入れているし、なんなら自分から名乗っている。


「ネクラー? おーい。みっともないぞー」

「優子!!!! コイツ弟でしょなんとかして!!!!」

「っるさ何!?」

「シノミヤチャンに近づくなー!」

「えっ? 何今の発音キモ」

「キモチワルクナイモン!」


 優子はネクラをギチギチと締め上げながら優也に事情を説明してやる。


「ネクラ、四宮ちゃんの顔が好きなんだって」

「人聞き悪いな! カッ、カワイイ子をカワイイと思うのは、トッテモ自然なことだと思うナ!」


 ネクラはなぜかモジモジと照れながらおじさん構文みたいな発音でニヤニヤしていた。正直言って相当変態くさいし気持ち悪い。実は優子と四宮が仲良くなった原因はコイツである。

 4月もまだ半ばの頃、ネクラが急に「カワイイコガイル!」と駆け抜けていったのだ。優子は3年間ネクラと友達をやっていてそんな姿を見たのは初めてだったので固まってしまい、ネクラは無駄に俊敏に四宮に近づいた。


『コ、コンニチワ!』

『こっ……こんにち、わ』

『ワタシ、ネクラって言いマス! ネクラセンパイ、って呼んでネ!』


 のちの四宮は語る。『完全に変質者かと思ったけど、喋り方がユニークなだけで良い先輩だった』と。優子は後輩にセクハラをかますネクラをしばき、四宮に目をかけるようになった。ネクラがいつかやらかすんじゃないかと思って。


「そんなこと、しないヨ!」

「ってわけで、お前に威嚇してるってワケ」

「ええ……俺部活帰りで疲れてんだけど」

「うるさい! 知ってんだからな!! シノミヤチャンから聞いたんだからな!!!」

「え〜、何を?」

「そう、アレは今日の放課後、シノミヤチャンとふ、2人きりで、お、お茶をしていた時のこと───」

「気持ち悪いな」


 ◇


 ネクラは放課後の食堂でいそいそとお茶の準備をしていた。あの子は何が好きかな、でもお茶には詳しくないって言ってたし、最近暑くなってきたしアールグレイがいいかな、なんて考えながら、なんならたまに『デュフっw』と零しながら四宮を待った。


『ね、ネクラ先輩、お待たせしてすみません!』

『ゼンゼン、待ってないヨ! 先輩、楽しみで、早く着きすぎチャッタカモ!笑』


 少し息切れしながらやってきた四宮は、ネクラの言葉を聞くと『私も楽しみでした』と眉を下げて笑った。ネクラはここで『カワイ───ーッ』と叫びたかったが流石に食堂では騒げないので、『先輩、嬉しくなっちゃうナ!』と気持ち悪く言った。


『ささ、座りなヨ! 今日は、何か、お悩み相談があるんだよネ』

『ありがとうございます。あの、ちょっと恥ずかしい話なんですけど……』


 恥ずかしい……話!? え!? 私に!? そ、そんな、いいんですか!? ありがとうございます!!!!

 ネクラはどこまでも気持ち悪かった。セクハラで訴えられたら100負けるぐらいにはアウトだった。しかしマイペース・四宮は気にせず、『あのね』と甘えた口調で話し始めた。


『あのね、ネクラ先輩は、優也先輩って知ってますか?』

『あー、優子の弟だよネ。近づかない方がいいヨ。バスケ部ってみんなチャラいから』

『あはは……実はちょっと手遅れで』

『ナニッ。先輩、チョット、優也のこと〆よっか!?』

『あ、いいえ、大丈夫です。それで、その。実は───』



『───ってことがあって、顔を合わせるとどうしても照れちゃうんです。どうしたらいいですかね』

『優也ァ───ーッ』


 ◇


「───って聞いたヨ! 許せねえ……テメエはここで終わらせる」

「キモ……」


 優也はフェミニストなので女子に対して滅多に暴言を吐かないが、今回ばかりは心の底から素直な声が出た。ドン引きだった。


「え、てか。俺見たら照れるって言ってたのホント?」

「キ───ッ。シノミヤチャンが嘘言うってのか!! あ”あ”!?」

「え。えー……なにそれかわいー……」


 優也はどうしよう、と口元に手を当てて目線を空に投げた。

 え、じゃあ半径5メートル以内に近寄らないでってのも、照れちゃうから? しばらくはって言ってたし、まだ俺チャンスあるんじゃね。


「ありがとう音倉ちゃん。元気出たわ」

「なぁにが元気出ただよーッ! シノミヤチャンはオメーのせいで悩まされてんだぞ! わかってんのか!」

「わかってるわかってる。だから近づくなって言われたわけだし」

「フン……そういえばお前、私の天使に拒否られたんだっけな。あんなに優しくてカワイくて優しくてカワイイ子に」

「おんなじこと2回ずつ言った」

「フン……2度とマイスウィートエンジェルシノミヤチャンに近づくなよ」

「ネクラ話あんだけど」

「え、優子? なんでそんな怖い顔してんの? モテないゾッ☆」

「俺もう行っていい?」

「自己判断もできないのかオメーは」

「はいはい。じゃあね」


 優也は上機嫌に鼻歌を歌いながら去っていった。優子はネクラをその場に正座させ膝の上に平たい石とかを積み上げていた。


「そんな怒ることないじゃん!」

「おっ、まだ余裕? 人間の限界に挑戦してみたかったんだよね」

「ギャーッ優子の鬼! 悪魔! ドS!」

「ん? てかさ、お前四宮ちゃんどうしたの?」

「え? ……あ」

「……置いてきたの!?」



 ◾️



「先輩がいなくなってしまった……」


 四宮は食堂にひとり残されていた。急に猛然とした勢いで駆け出すネクラを見送ることしかできず、暇になったのでお茶請けのクッキーをサクサク食べていた。すると……。


「あれ、四宮?」

「あ、七瀬くん」

「何してんの、ひとり?」

「さっきまでは2人だったよ」


 集団の中からひとりやって来たのは、四宮のクラスメイトの七瀬ナナセサクラだった。女の子のような名前であるが、れっきとした男の子である。

 四宮はこの学園は美形が多いなあ、と七瀬を見上げながら思った。七瀬はまだ可愛さが残る美少年で、柔らかい栗色の髪が目に優しい。七瀬も中学からの同級生で、中学時代はそんなに話したことはなかったが、三田繋がりで仲良くなった。


「さっきまで?」

「うん、相手がちょっと用があったみたいで、今席外してるんだよ」

「へー。それ何?」

「クッキー。プレーンとチョコとバニラと紅茶。食べる?」

「食べる!」


 七瀬は子犬のように目を輝かせた。彼はクールぶっているがその実人懐っこく素直でコーヒーが飲めない。そのくせいつもブラックのホットに挑戦して涙目になっている。四宮はニコニコしてクッキーの入った皿を差し出し、ネクラの分だけよけて「いっぱいお食べ」と言った。


「サンキュ。腹減っててさ」

「あれ、部活はもう終わったの?」

「ん? ああ、今日体育館の点検なんだよ。せっかくだから休みにしちゃおうってことで、基礎練とミニゲーム軽くやって終わり」

「へー。お疲れ様」

「まあね」


 七瀬が喋りたそうにソワソワしているので、四宮は「ミニゲームって何したの?」と聞いてあげた。すると七瀬は待ってました! と言わんばかりに首の後ろをさすりながら何点とった、とか、2、3年は流石に強い、とかコテコテ話した。

 しかし言っておかなくてはならないことがある。七瀬桜という人間はみんなの弟的存在で可愛いイメージがあるが、同世代の男子と比べても発育はいい方だし、黙ればクールなイケメンである。そして何より、デリカシー皆無人間だ。この男には男女の距離感というものが存在しない。なので。


「あ、四宮、ついてる」

「え」


 このように、向かい合った女子の口元にも下心なく手を伸ばすのだ。


 ◇


 ガッ。と手を掴まれる。


「……サクラぁ、何してんの?」


 底冷えするような声だった。四宮は背後にいる彼の表情はわからなかったが、ただ自分が標的にならないようにギュッと体を硬くした。


「優也先輩! お疲れ様です」

「俺、何してんのかって聞いてんだけど」


 優也はテーブルについた手を浮かせて、トン、と指を落とす。その動作だけで胃がズシリと重くなり、四宮は無意識のうちに息を止めていた。

 七瀬は何を怒られているのかわからなかったが、優也が何かに怒っているのは見て取れたので、バカ正直に「四宮とクッキー食べてました」と言う。


「は? そう言うこと言ってんじゃねえんだけど」

「え、す、すいません」

「わかんねえ?」

「……はい」

「じゃあさ、お前この子と付き合ってんの?」

「え、いいえ!」

「じゃあこの手なんだよ」


 ギ、と七瀬の手を掴む力が少し強まる。まさに一触即発の空気だったが───。


「え、何。何してんすか。え?」


 三田が明らかに怯えつつも間に割って入った。男2人に囲まれて俯く四宮が見てられなかったのだ。


「太陽!」

「え、何……どうしたんすか? いや、サクラが何かしたんだろうけど」

「わ、わかんねえ」

「はあ……?」


 ぺそ……と七瀬に縋られながらも、三田は冷静に状況を観察した。

 三田の服の裾を掴みながら半泣きになる七瀬、その七瀬の腕を掴みながら四宮をすっぽり覆うようにテーブルに手をつく優也、そして優也の腕に囲まれながら俯く四宮。四宮と七瀬の間にある食べかけのクッキー。

 このことからわかるのは……。


「サクラ、お前この手どうしようとしたん?」

「え。四宮の口に食べカスついてたから取ってあげようと」

「バッッッッッ。お前ホントバッッッッッ」

「った、何すんだよ!」

「んなの恋人の距離感じゃねえか! セクハラ! サイテー!」

「は、はああ!? ちがっ、そんなつもりじゃ!」


 三田は目を吊り上げて怒り、七瀬は顔を真っ赤にして否定する。「言い訳するのはこの口か!」と三田にほっぺたを引っ張られて、七瀬は「はにふんらよ!」とギャーギャー騒ぎ出す。いつの間にか優也は七瀬の手を離していて、ちょっと冷静じゃなかったな、とため息をついた。


「おう四宮コイツ殴ってやれよ! ……四宮?」

「? どうしたの四宮」

「よつばちゃん?」


 おーい、どうした?

 三田がそう声を掛けるも四宮は俯いたままで、不審に思った優也が顔を覗き込むと───


「え」

 四宮は真っ赤だった。

「ち、近い……!」

「え、あ、ゴメン!」

「……」


 四宮は黙って俯いた。そうでもしないと泣きそうだったのだ。

 だって七瀬は予想外の行動をとるし、優也は怒っていて怖いし、距離が近くてドキドキするし、何より食べカスつけてるとこ見られた……! と恥ずかしかったのだ。女子的にものすごい恥辱。七瀬が言わなければ気付かれなかったのに、と四宮は顔を赤くしたまま、涙目で七瀬をキッと睨みつけた。


「七瀬くん、キライ」

「!!!!」

「な……なんで口で言ってくれないの。恥ずかしい思いしたじゃない!」

「ご、ゴメンナサイ」

「優也先輩も!」

「はい」

「助けてくれたのには感謝してます、けど、近い!」

「はい、気をつけます」

「サンタ!」

「え、はい!?」

「行こ。お礼になんか奢ったげる」

「マジ? やったー!」


 失礼します!

 投げ捨てるようにそう言って、四宮は三田を連れて去っていった。残された七瀬と優也は気まずくなって、カタン……と席に着いた。


「シノミヤチャン、大丈夫カナ!?」

「もういねーよ」


 遅れてやってきたネクラは役立たずだった。

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