「先輩が!」さん!


「何をどうやったらそうなるんだよバカ」


 四宮のクラスメイト、三田太陽は呆れ顔でそう言った。向かい合って座る四宮はさして気にしていない様子で首を傾げた。彼は中学からの同級生だが、口の悪さは今に始まったことじゃない。


「だから、優子先輩を助けたと思ったら優也先輩だったの。普通女装して歩いてるなんて思わないじゃん」

「それはそうだけど。だから優也先輩について聞きたいって言ったん?」

「うん。トマトあげるから」

「え、いらない」


 三田は本気でいらなさそうな顔をしたものの、四宮が差し出したトマトを手に取って齧った。四宮は彼のこういうところが理解できなかった。なので素直に「こわ……」と口に出したが、三田はあっという間にトマトを食べ切ってしまった。そして口についた汁を拭い喋り出す。


「優也先輩は3年の有名人。それくらいは知ってんだろ?」

「うん。すごいモテる人がいるって」

「そ、めっちゃモテんの。成績優秀、運動神経抜群、コミュ力も高いしカーストのトップ。家も金持ちらしいし。なんか資産家? らしいぜ」

「流石ゴシップ部。情報が豊富だね」

「新聞部な」


 四宮は気にせず思考に耽った。つまり、今日畑に来るのは四宮如きが相手取れないようなスーパー完璧イケメン。しかも何を考えているのかわからない。しかし四宮の平凡な頭脳では、何か企んでるんじゃないのかな、もしかして罰ゲームなんじゃないかしら、と平凡な考えしか浮かんでこない。けどいくら考えても違う気がして、うーんと唸りながら首を傾げた。


「あ。あと、バスケ部でスタメン兼マネジャーしてるらしいぜ。なんでも体が弱いんだとか」

「体が?」

「おう。季節の変わり目には絶対体調崩すし、水被ったら次の日確定で風邪だし、怪我の治りも遅いらしい」

「うわお。やっぱり見た目通り儚いのかな」

「な。まあ、オレ如きが喋れるような人じゃないけどさ」

「うん、ありがとうサンタ。やっぱりきみって情報通だね」

「三田な。ミタ!」

「うんうん」


 四宮は「わかってるよ、完璧にね」と本当にわかっていそうな表情で頷いた。しかし三田は騙されず、中学の時から鬼マイペースだよな、コイツ。とため息をついた。


「ところでさ」

「ん?」

「放課後空いてる?」


 もじもじとした様子で聞く四宮に、三田はオッと思ったので「オッ」と言った。


「私と夏野菜、植え替えない?」

「そんなこったろうと思ったよ。期待を返せよ。行く」


 本当に天邪鬼なヤツだ。四宮と三田はお互いに呆れながらチャイムを待った。



 ◾️



「なあなあ、オレなんもおかしくない? 前髪大丈夫そ? ジャージの着こなしは?」


 放課後。三田は執拗に鏡を見ながら前髪をいじっていた。隣の四宮は「あーうん。良いんじゃない」と適当に相槌を打ちつつ苗の様子を確認していた。


「ちょっとちゃんと聞けよ。優也先輩に会うんだぞ。好印象残したいだろうが。名前覚えてもらえたいだろうが」

「じゃあ一発芸でもしたら」

「一発芸!? オレボイパしかできないんだけど」

「充分じゃん。すごいな!」


 四宮は三田の思わぬ特技に驚いて顔を上げた。三田は鼻の下を擦りながらまんざらでもない様子だった。ニヤニヤしながら「ドゥンヴンシュクシュクチェケラ!」と簡単にやってくれる。エアマイクはダサかったが、ボイパの腕はなかなかのものだった。


「なんでもっと早く言ってくれなかったの!?」

「いや、恥ずいじゃんなんか」

「上手いよ! 就職の時特技の欄に書けるよ!」

「そ、そうかな」

「自信持ちなよ! 絶対優也先輩も気に入ってくれるって!」

「も、もう。やめろよー!」

「俺がどうしたの?」

「キャーッ」

「あ、キミが言うんだ」


 四宮の後ろからひょこりと現れた優也に、三田は絹を裂いたような悲鳴をあげた。優也はジャージ姿で、捲っている袖から除く肌が眩しかった。

 四宮は一歩引けば背中が当たる距離に優也がいたので、目を丸くしたまま「ひょえ〜」と声を漏らした。一方で優也は笑顔だったが、つまらない思いをしていた。せっかくよつばちゃんと2人きりだと思ったのに、コイツどう追い出そうかな、と考えていた。


「ゆ、ゆゆゆ優也先輩」

「おおお落ち着いてサンタ」

「んー? よつばちゃん、コイツ誰?」

「あ、同じクラスの、三田太陽です。サンタって言います」

「ミタです」

「今日はサンタも手伝ってくれるそうです」

「ミタです」

「……フーン? よろしくね、サンタくん?」

「サンタです」


 三田はサンタになった。優也先輩に名前を呼ばれた! と都合よく改名していた。最早最初からサンタだった気がする。そんなわけはないのにそう思い込んだ。


「サンタはゴシップ部なんです。優也先輩に憧れてるそうです」

「バッ、おま、急にそんなん言われても先輩困んだろ!? ったく……」


 そう言いながらも三田はソワソワと首の後ろをさすったりしていた。憧れの先輩に憧れって言っちゃったー! アタシどうなっちゃうのー!? と1人で盛り上がった。しかし面と向かって好意を伝えるのは緊張するので、「ったく、コイツは話盛りすぎなんだよ……それはそれとしてファンです」と頭を下げて手を差し出した。


「サンタくん、ゴシップ部なの?」

「はい! あ、いいえ! 新聞部です!」

「そっかあ。なんか書いたりするの?」

「いえ、まだ企画が通ったことなくて」

「へえ。ちょっと電話していい?」


 優也は四宮に向かって聞いたので、四宮は首を傾げながら「ど、どうぞ」と言った。優也は「ありがと♡」と愛嬌たっぷりに言って、少し離れた場所で誰かに電話をかけた。


「カ……ッコよ」

「サンタちょっとキモい」

「うるせえな誰がどう見たってカッコいいだろ優也先輩」

「そうだけど。さっき近くて緊張しちゃった」


 2人は話しながらも視線は優也に向いている。スマホを耳に充てる姿でさえ様になっていて、「携帯会社の広告?」と通りがかった全員に言われていた。


「───そ。いやお前俺に借りあるじゃん。返すチャンスだよ、いいの? ……性格悪い? ありがと〜俺のアイデンティティなんだよね。じゃ、よろしく!」


 ピッ! と電話を切ってひとつため息をつく優也は、カッコよかったが怖かった。だから三田と四宮は無意識に寄り添いあっていた。それを見た優也は頭の中で「ハ?」と思いながら、グ、と三田の肩を掴んで四宮から引き剥がす。そのまま肩を抱いて離れ、「ちょっと話あんだけど」といつも通りの声で言った。三田は「ア、死んだな」と一瞬で理解したが、優也は肩を組んだまま、意外にもニコリといたずらっ子のように微笑んだ。


「サンタくん、サッカー部の坂田って知ってる?」

「も、もちろん! サッカー部のキャプテンですよね。でも部長がなかなか取材に応えてくれないって」

「それがさあ、今なら5分だけ応えてやるって。グラウンドにいるから行っておいでよ」

「マジすか! あ、でも」

「畑なら、俺いるからさ。いいから行ってきなよ。誌面を飾るチャンスじゃん。な?」


 三田はグ、と肩を抱く手に力を入れられて、ゾワリと鳥肌を立てた。それと同時に納得する。

 あ、オレ、お邪魔なのね。


「……じゃあオレ行ってきます! 先輩ありがとうございました!」

「うんうん、行ってら」

「四宮に説明してきますね!」


 三田は優也に止められる前に四宮の元に急いで駆け寄り、「わり! オレ取材行ってくるわ!」と手を挙げた。


「え、後でじゃダメなの? 私2人きりって耐えられる自信ない」

「サッカー部のキャプテンに取材するチャンスなんだよ。なんかあったら、電話かけてきていいからさ。一応スマホはポッケの中入れとけよ」

「……絶対だよ」

「あーうん。うん。じゃあ」


 三田は身長差的に必然的に上目遣いになる四宮を見て、勘弁しろと思った。別に仲良い友達としては普通の距離感だが、これからはそうもいかない。優也の視線が怖いし。

 三田は敵じゃありまセン。と両手を上げながら去っていった。四宮はまたバカなことしてんなあいつ……と残念なものを見るような視線で見送った。


「じゃあ、早速始める? それとも先輩とお喋りしよっか」

「作業始めます!!」

「そかっかあ、残念」


 真面目だね。

 そう囁かれて四宮は唇を噛んで形容し難い声を漏らした。だって優也は本当に残念そうに言うし、なんなら罪悪感に負けて「ちょっとだけなら……」と流されてしまいそうだ。しかしここを耐えねば優也といる時間が長くなる。それでは四宮の方が先にギブアップしてしまうだろう。

 恐ろしや、顔の良いイケメン。

 矛盾したことを考えながら、四宮はなんとか優也に説明を始めた。


「えっと、今日やるのは苗の植え替えです。あそこにある苗を全部ここに植え替えます。畑はもう耕してあるので、苗をポットから出してこう……ちょっと揉んであげてから植えてください。穴の深さはこれくらいで、土は軽くで大丈夫です」

「わかった。こう?」

「あ、はい! 先輩上手いですね」

「そうかな? よつばちゃんの説明がわかりやすかったから。教えるの上手だね」

「そ、そうですかね」


 四宮は分かりやすく嬉しそうに「参ったなこりゃ」と照れていた。威勢のいい照れ方だったが、優也はかわい〜! とニコニコ見守った。


「じゃ、じゃあ、私あっちからやりますので、先輩はこっちから植えて行ってくれますか?」

「任せて、すぐ終わらせちゃうから」



 ◾️



「ほ、本当にすぐ終わった……」


 四宮は綺麗に苗が並んだ畑を眺め呆然とした。

 優也はものすごく手際が良く、あっという間に担当区域を埋め尽くし、しかも苗の間隔もほぼ均一だ。逆に四宮の方が遅く終わりそうで焦ってしまった。


「よつばちゃん、お疲れ。紅茶飲める? 優子とよくお茶してるって聞いたからさ」


 優也はいつの間にか缶コーヒーと缶の紅茶を持っていて、紅茶の方を四宮に渡した。


「わ、ありがとうございます。いくらでしたか?」

「ついでだしいいよ。代わりにそれ飲み終わるまで、俺とお喋りして?」


 隣に座った優也は思ったよりも距離が近かった。ともすれば肩が触れそうな距離にいて、汗で額に張り付いた髪がくっきり見えた。でも絶妙に近いとも言いにくい距離で、更にコテン、とちょっとあざとく首を傾げられれば黙ってしまう。実際四宮も何も言えずにグウと唸るだけだった。ニコ、と有無を言わさぬ笑みを向けられて、四宮は結局「ありがとうございます」と言う選択肢以外を奪われたのだ。しかし彼女はたいへん真面目なので、飲み物代くらいは先輩を楽しませなきゃ、と果敢に話し出した。


「優也先輩は、好きな食べ物ありますか」

「え、うん。オレンジとか好き」

「私はシュークリームが好きです」

「そっか……?」


 奢れってことかな……? と優也は思ったので、「購買行く?」と聞いたが、不思議そうな顔で「何か買うものがあるんですか?」と聞き返されてしまったので、話題を提供してくれてるのかな……? と首を傾げた。とにかく四宮は話す気はあるらしい。


「ご趣味はありますか? 私はしおり集めです」

「ピアス集めです……?」

「集める仲間ですね」

「そうですね……?」


 優也は女の子と喋っていて初めて困惑した。四宮が何を求めているのかはわからないが、この子めっちゃ見つめてくるな、とまたまた困惑した。いや、ただ見つめられるのならわかるのだ。優也の気を引きたい子や、表情を逃すまいとしている子、果てはただ顔が見たいだけの子。優也は顔を見られるのは慣れていた。が、こんなにも他意なく目だけを見つめられるのは初めてなので、どうすればいいのかわからなかった。なので気まずくなって首をさすりながら目線を畑に向ける。


「この畑、結構広いよね。よつばちゃん以外も使ってるの?」

「一応、1年生4人で使うはずの畑ですよ。ただ後3人が来ないだけで」

「あー、園芸部って幽霊部員多いもんね」

「定例会、私と顧問しかいませんでした」

「顧問って、家庭科の古達先生?」

「そうです、コタツ先生」

「コタツ? フルタチじゃなくて?」

「いつもコタツに入ってるので」

「確かに」


 四宮は三田曰く鬼マイペースなので、優也はそのペースに完全に巻き込まれていた。ゆるゆるとした空気が流れ、運動後の熱った肌に気持ちの良い風が吹く。鳥もチュンチュン囀っていて、遠くに運動部の掛け声が聞こえる。2人は一緒に雲を見上げて、なんとなく会話をしながらゆるりとした時間を過ごしていた。優也は、なんか思ってたのと違うけど、これはこれでいっかー。と目を閉じて風に吹かれていたが……。


「優也ゴラァア!!!! 今日ミーティングだっつっただろボゲェ!!!!」

「チッ、うるさいのが来た……」


 空気を揺らす大声に舌打ちした。


「あ、ごめんねよつばちゃん。アイツ声デカいんだよ。怒ってないから」

「引きずってでも連れてくからな!!」

「怒ってるのでは」

「大丈夫大丈夫。アイツ俺のこと殴れないから」

「見つけたぞァ!!」


 後ろから聞こえてきた怒声に、四宮は思わずビクッ! と肩を揺らし、ほとんど反射で優也の後ろに逃げ込みピタリと側に張り付いた。体こそ器用に触れていないものの、座っていた時よりも格段に近かった。それも気にならないほど先程の大声は迫力があって、肉食獣に至近距離で吠えられた時のように心臓が嫌に鳴っていた。


「オイオイオイ優也テメエお前ふざけんなマジお前が話あるっつったから時間空けたのにマジお前」

「落ち着けよキャプテン。女子怖がらせんな」

「女子ィ? どこに」

「あ……」


 哀れ、四宮は怒声の主と目が合ってしまった。たっぷり3秒は経っただろうか、四宮はチャラくて怖くてでもカッコいいお兄さんと目を合わせるのが辛かったが、目を逸らしたら食われる!(食われない)と思って頑張って見つめ返した。


「あ!」

「!」

「うわ、ごめんねえ怖がらせて。てか気づかなくてゴメン! 優也が邪魔で見えなかったわ」


 チャラカッコいいお兄さんは一転、眉をへにゃっと下げて謝った。大きな体を限界まで小さくして四宮に視線を合わせている。さっきまでとは別人のように優しい顔だった。


「うっわー、こんなカワイイ子いたの気づかないとかマジ情けねえわ。ねね、挽回させてもらっていい?」

「ば、挽回?」

「そそ! お詫びになんか奢るから、今からオレと───」

「どさくさに紛れてナンパすんな」

「イデッ!?」


 優也は近づいてきた彼の頭にビスッと手刀を落とした。


「何すんだよ!」

「ごめんねよつばちゃん。コイツナンパ癖あんだよね。キツく言っておくから」

「は、はあ」

「信じらんねえ! お前だってどさくさに紛れて肩抱いてんなよ!」

「え」

「あ、バレちゃった」


 四宮がギギギ……と視線を動かすと、確かに右の肩が優也の手ですっぽり覆われていた。同時に軽く引き寄せられていたようで、いつの間に体が触れている。優也の体温を感じ取った瞬間、四宮は勢いよく優也から離れた。


「───〜〜っ!?」

「あ、真っ赤。かわいい」


 四宮は火がついたように赤くなって、目を見開きながら優也と距離を取ろうとした。しかし優也が嬉しそうに一歩近づいてくるので一歩後退り、また一歩近づかれて、一歩後退りを繰り返し、とうとう畑に逃げ込んだ。畝を挟んだなら入ってこられないだろう、と思って。しかし。


「よっ」

「え!?」


 優也は助走もつけずに畝を飛び越えてしまった。


「つーかまーえた♡」

「ぴ」


 四宮が驚いている隙に優也はあっという間に距離を詰めてしまい、上機嫌に「ぎゅー」と四宮を抱きしめた。


「バカバカバカ限界だろやめてやれ!」


 バスケ部のキャプテンが見かねて止めようと近づいてくる。が、四宮はそれより早く叫んだ。


「コタツせんせ───ーっ!!!!」



 ◾️



「で、思わず抱きしめちゃったと」

「可愛くて、つい」

「ついじゃねえんだよマセガキ」

「アデッ!」


 ゴンッ! と正座をした優也の頭に拳が振り落とされる。


「〜〜〜っ、覚えとけよキャプテン……」

「センセーの指示だし」

「俺ぁ殴れねえからな。指示も出してねえ」


 四宮のSOSは無事に先生まで届いた。部室で昼寝してたコタツは突然の叫び声に飛び起きて、アイマスクを着けたままドタドタとやってきた。そして畑に到着して目に入ったのは、キャプテンに羽交締めにされる優也と、涙目で腰を抜かす四宮だった。ちなみに四宮は現在コタツの腰にへばりついている。

 コタツはとりあえず事情聴取をして、四宮が落ち着くのを待った。


 ◇


「せんせえ……」


 四宮の立ち直りは案外早かった。優也がキャプテンに縛られている頃に唸るように呟いて、少しだけコタツの背中から顔を覗かせた。


「大丈夫かあ、四宮」

「どうしよ」

「どうした?」

「ぎゅってされちゃった……!」

「お前可愛いな」


 ワ! と顔を赤くする四宮にコタツは思わずそう言った。続けて「セクハラじゃねえよなコレ。アウト?」とガシガシ頭をかいた。


「先生ヘンな意味で言ってないでしょ。愛妻家だし。セクハラじゃないよ」

「助かる〜」


 側から見たらコタツの腹が喋っているように見えるシュールな光景の端で、優也はプルプル震えていた。


「聞いた? めっちゃ可愛い……」

「お前懲りろよ」


 確かにあれは可愛いけど。

 キャプテンはそこだけ同意して、やっぱ足も縛って転がしとこうかな、と追加の紐を用意した。


「え? マジ可愛い。ハグだけであれ? え、え〜、可愛いな……」

「キモ」


 そう言うと同時にキャプテンは転がし終わった優也をパシャ、と撮る。正直優也が美形じゃなければ見るに堪えない表情をしていて、キャプテンは追加で「キんモ」と言ってバスケ部のグループトークに経緯と写真を送った。しかし連絡するのを忘れていたので「どこいんだ」「優也は」「連絡よこせカス」と一斉に怒りの連投が画面を埋め尽くしていて、キャプテンはそっと電源を落とした。するとドドドドドッ!! と地鳴りが聞こえてきて、同時に賢明なキャプテンは鍛えた足で逃げ出した。


「ァアンタなァにしてんのよーーーーーーッ!!!!」

「ヒステリック!? ぐへっ」


 突如現れたのは、恐ろしいほど似合っていない地味なスーツ姿に、どうしてその色にしたの? と言いたくなるようななんとも言えない茶髪を、どうしてその髪型にしたの? と言いたくなるようなひっつめにした女教師だった。しかも服は地味なくせに13センチの赤い派手なピンヒールを履いていて、左手の薬指以外の指には指輪が嵌められていた。足元か手元だけ切り取ればセンスがいいのが恐ろしい。


「聞いたわよォこの痴漢魔!」

「教師の言うセリフじゃねえだろ! てか今日も酷い格好だな!」

「ァアンッ!? コレが1番モテんのよ!!!!!!」


 そのどう見ても派手が隠しきれない、素材を殺した美人はドスン! と転がされた優也の上に座り、至近距離でメンチを切っている。彼女は人呼んでヒステリック。ちょっと結婚に焦っている自称25歳女性事務職だ。本来は音楽の教師をしているし25歳じゃない。あとなぜか体育教師も兼任していて、なんならたまに化学を教えることもあるし、数学の解説はわかりやすいと評判だ。左手の薬指が空いているのは、「いつかダーリン♡ にEngageringを嵌めて貰うために決まってんでしょォーーーーッ!!!!」だそうだ。


「アンタ大丈夫なのッ?」

「ヒステリックせんせ〜……! ぎゅってされちゃった、どうしよう!」

「カッワイイこと言うじゃない。あざといわね。今度アタシもやろうかしら」


 ヒステリックはいつもメンチを切りながら話す。なぜかはわからないが、やっぱり闘争本能が強いんじゃないかという説が有力だ。


「デ、アンタ何したのヨ」

「知らねえのに座ったの!?」

「アン? 当事者全員から直接話聞かなきゃフェアじゃないでしょうがッ!」

「なんでそこだけマトモなんだよ!」


 ◇


「───ってことがあって」

「アンッタのせいじゃないのォーーーーッ!!!!」

「うるっさ耳元で叫ぶな!!」


 優也は怒鳴り返したが、残念、ヒステリックの方が強い。彼女の喉は超合金でできてるんじゃないかと噂されるだけあって、全校生徒が本気で校歌を合唱しても負けない音圧がある。


「ッケェーーーーッッッッ!!!! 青いわねガキ!!!!」

 それと学園の七不思議のひとつ、「怪鳥の鳴き声」の正体は彼女だったりする。


「よつばァ!」

「はいっ!」

「コイツどうしたいのよ。もう近づかないようにすることもできるわよ」

「それは……うーん」

「アンタの好きにしなッ」


 急に選択肢を与えられた四宮は、真面目なので頑張って考えた。

 近づかないようにするのは、ちょっとやりすぎ感あるよね。ストーカーでもないし。とにかく心臓に悪いから、もうハグとかはしないで欲しいなあ。そもそも普段会う機会もないだろうし。それに……うん、決めた!

 四宮はコタツの背中から剥がれて、優也、とその上に座るヒステリックに近づいた。よく見るとヒステリックは優也に腰掛けておらず、ギリギリのところで空気椅子をしていた。


「決めました」

「言ってみなさい」

「はい。えっと、接触禁止はやりすぎかと思ったので、しばらくは半径5メートルくらいは近づかないでください。あと、もう触るのはナシです」

「それでいいの」

「はい」

「追加したいことがあったら後でアタシんトコ来な」

「ありがとうございます。縄、解いてあげてください」

「アン?」


 ヒステリックはブチっと縄をちぎり取った。新品のロープは見るも無惨な姿になっている。そして優也の脇の下に手を入れて、まるで小さい子のようにスポーン! と持ち上げた。


「約束は守りなさいよ。破ったらわかるからね!!!!」


 ヒステリックはそう言って優也に脅しをかけ去っていった。優也は子どものように扱われた恥辱と、散々近くで叫ばれて痛んできた頭と、最後の脅しの迫力のどれに反応すればいいかわからなくてその場に座り込んだ。


「あ、話終わった?」


 コタツは耳栓を外しながら、「いやーまとまって良かった良かった。結局どうなったの?」と四宮に話しかけた。


「耳栓ズルいです」

「俺の貸すわけにもいかんだろ。ばっちいぞ」

「……よつばちゃん」

「は、はい」

「ごめんね」

「はい。もうしないでくださいね」

「うん……」


 優也はすっかり落ち込んだ様子だったので、四宮は少し気にしながらコタツにどうなったかを話した。


「ほーん。それでいいの?」

「はい。物理的な接触がなければ、それで」

「随分甘くねえか? なんで?」

「だって……」

 四宮は優也をチラリ、と見て、コタツに「耳貸して」と催促した。



「だってね、その、顔が好みだから」



 コタツは驚いてパッと離れ、内緒ね、と人差し指を口に当てる彼女に、なかなかやるなあと感心するばかりだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る