第10話 「VIP」ルーム



エレベーターの扉が開く直前、サンチョは嫌な予感を覚えた。


隣にいるストリィーガを見上げると口元がわずかに緩む。


「どうぞお楽しみくださいませ…」


扉が開くと支配人がエレベーターの開閉ボタンを押しながら声をかける。


「さあ、行きましょう?」


ストリィーガは弾んだ声で、なんの躊躇ためらいもなくフロアに足を踏み入れる。


「…」


嫌な予感がするといっても、アヴァーロ・コッダルディーアに会いに来たのだ。VIPルームに行かないわけにはいかない。サンチョは無言でストリィーガについてエレベーターから出る。


後ろでゆっくりと扉が閉まる音がした。


目の前に広がるのは赤い絨毯じゅうたんの敷かれた長い廊下。


少し歩くと目の前には壁があり、壁の真ん中に「VIPルーム」と書かれた金色に光る派手な扉があった。


防音設備がしっかりしているのか、扉の奥からは音は全く聞こえてこない。


「…なあ、VIPルームって、エレベーターの前に扉を作るものなのか?」


「ん~…そうねぇ、人の出入りがあると気になるし、別におかしくはないんじゃない?」


サンチョの疑問にストリィーガは少し首をひねった後、肩をすくめて、金のかかっていそうなネイルをした指で金色の扉に手をかける。


「ん?」


「どうした?」


「おかしいわね…」


扉に手をかけたストリィーガは形の良い眉を寄せて呟く。


「開かない…」


「呼び鈴は?」


「ないわよ。VIPルームよ、ここ。そんなもの必要ならあの支配人さんが絶対一緒にくるでしょう」


サンチョは「それもそうか…」と頷き、何気なく後ろを振り返る。


そして、あることに気がつく。


「…エレベーターのボタンがないぞ」


「はぁ?」


ストリィーガは「そんなわけないでしょう」と言いかけて、後ろを振り向く。確かにサンチョの言う通りエレベーターのボタンがない。


「…冗談でしょう?」


目の前の金の扉は開かない。そして帰ろうにもエレベーターを呼び出すボタンがない。この2人はこの廊下に閉じ込められたことになる。


「…この扉、ダミーだな」


ストリィーガが先程開けようとした扉をつかんだサンチョは呟く。


よくできているが、取手はそもそも開閉機能がついていない。蝶番ちょうつがいも飾り物だ。


「なあ…ストリィーガ」


「なあに?」


「嫌な予感がするんだが…」


「そう?私はしないわ」


ストリィーガは苦い顔をするサンチョを見てクスクスと笑う。その後ろで壁とダミーの扉がゆっくりと上に持ち上がっていく。


「これは…一体…」


サンチョが呟く。壁が完全に天井の中に消えていくと、そこには巨大な4色のタイルが4×4でランダムに配置された足場が姿を現す。


その先にあるのはタイルと同じ幅で隙間なく配置されたバルカン砲。


見晴らしの良い広い部屋の端に置かれているにも関わらず、その凶悪な金属の魔物は強い存在感を放っている。


“ようこそ、VIPルームへ。ストリィーガ。それにボディーガード君”


スピーカーから男の声が聞こえ、声の主を探すと、上の階にガラス張りの部屋があり、そこに十数人の人間がこちらを見下ろしていた。


恐らくこの声の主がサンチョの探しているこのカジノのオーナーで、コッダルディーア・ファミリーのボス―――アヴァーロ・コッダルディーアだろう。


「…なるほど、VIPルームがなんでB2をすっ飛ばしてB3なのかと思ったけど…ふふっ…そういう作りなわけね」


ストリィーガは楽しそうに笑う。


「つまりここは…」


“そう。君たちこそが我々の賭けの対象だよ。悪いね、ストリィーガ、VIPの皆さんが君に結構恨みがあるみたいでね”


「あら…私、なにかしたかしら?」


ストリィーガは首を傾げてとぼける。


“大人気のようだよ。美しいというのは罪だね”


「あら…お上手」


ストリィーガはクスクス、と笑う。


どうやら、ストリィーガは正体がバレた上でVIPルームに案内されていたようだ。


確かにカジノ荒らしと恐れられる程の彼女が、カジノ側に警戒されていないと考える方が不自然だ。そもそも彼女は外見からして目立ちすぎる。


一方、サンチョはボディーガードとしてしか認識されていない。特段、普段、顔も名前も隠しているわけでもないので知られていてもおかしくないが、一流の殺し屋とは大体目立たぬものだ。


向こうの話しぶりからして、明らかにヤバい状況にあるが、ストリィーガは先程からご機嫌な様子である。


“ちょっとしたゲームをしたい。これから君たちにはこちら向かって歩いてきてもらう。この4つのタイルのどれを選んでくれても構わないが、別々のものを選ばないといけない。後戻りはなしだ”


「それで?目の前のバルカン砲は?」


サンチョが目の前にある凶悪な魔物について質問する。


“せっかちだね。ボディーガード君は。…まあいい。4つのタイルのうち2つはアタリ。踏んだ瞬間に目の前のバルカン砲が発射される。残り2つはハズレ。バルカン砲は発射されない。君たちはこっちまで辿り着いたら勝ちだ。バルカン砲の裏にB2に繋がる階段があるから登ってくるといい”


「つまり、安全な足場を見つけて、向こう側まで渡り切ればいい、そういうことだな?」


“御名答。ちなみに後戻りしたり、2人が同じタイルを踏んだりしてもそのタイルの先にあるバルカン砲が発射されるから気をつけてね”


楽しいカジノから突然のデス・ゲーム展開だ。


どうやらストリィーガはカジノの主催者とVIPたちに相当嫌われているらしい。これは事実上の公開処刑だろう。


だが…


「ねぇ、これ、最っっっっっ高………にスリリングじゃない?」


ストリィーガは頬を紅潮させ、ブルリ、と身体を震わせる。


恐らく主催者たちはストリィーガを喜ばせる意図はないはずだが、彼女はこの状況を明らかに楽しんでいる。


「…」


やはり彼女と出会うとロクな目に遭わない。


これこそが彼女が「魔女」と呼ばれる所以ゆえんだ。


彼女の運命は最終的には彼女に都合の良い方向に帰結きけつする。


では彼女の都合の良い方向とはなんなのか?


この彼女の願望こそが彼女の周囲を不幸にする原因なのかもしれない。


「ふふふふ…」


ストリィーガはペロリ、と赤い舌を出して唇を舐めた。


官能かんのう的な表情を浮かべ、熱い吐息を漏らす。


彼女のその様子はベッドの上なら誰もが大喜びするのかもしれない。しかし、デス・ゲームを目の前にしてこの表情を浮かべられても引くしかない。正直、十人いれば十人が彼女の表情を見てドン引きするだろう。


類稀たぐいまれ魔貌まぼうと豪運によってイージーモードとなった彼女の人生はあまりにも退屈。


人生がイージーモードになると人間はどうなるのか?


答えは簡単だ。


歪む。


ストリィーガという女は人生に常に強い刺激を求めていた。


自分の豪運がどこまで通用するのかを知りたがっているのか、あるいは不幸を体験したいという破滅願望なのか…。


燃え盛る炎の中に飛び込んでいく虫のように、自分の命がおびかされる程の危険に率先して飛び込んでいく。


「一つ、言いたいことがある」


サンチョは身をくねらせ興奮した様子のストリィーガを無視し、B2にいる主催者に声をかける。


“なんだい?”


「お前たちは俺たちで賭けをして楽しんでいる。だが、俺たちも客だ。VIPルームに通された以上、命を賭けてゲームをするというなら報酬をもらいたい」


“…”


スピーカー越しに話していた主催者は黙り込む。どうやら向こうでVIPたちと話し合っているようだ。そしてスピーカーからはドッと笑い声が聞こえてきた。


“やあ、悪い悪い。そう、そうだな。確かにそうだ。報酬になにか希望はあるのか?”


「アヴァ―ロ・コッダルディーアと直接話がしたい」


“ボディーガード君が………俺と?”


主催者は意外そうな声を上げる。やはり声の主はアヴァーロのようだ。サンチョが頷く。


“ふーん…まあいいや。いいよ。…で、君はどうだいストリィーガ?”


「私は…そうねぇ。あ、そうだ。ジョカットリ・ボッテガイオのぬいぐるみ、誰か持ってない?」


思いついたようにストリィーガがアヴァーロに尋ね、サンチョがそれに対してピクリ、と反応する。


“…ジョカットリ・ボッテガイオのぬいぐるみ?コレクションに1体あったと思うが…確かカメレオンのだったかな?お嬢さんはアンティークのぬいぐるみが欲しいのかい?”


「ええ。ちょっとね。じゃあ私の報酬はそれで」


“いいだろう”


「…」


サンチョがストリィーガの方を無言で見上げる。ストリィーガはそのサンチョの表情を見て、薄く微笑んだ。


“よし。報酬も決まったところで、さあ、楽しいゲームの始まり始まりだ”


アヴァーロが開始を宣言すると、命を賭けたゲームに相応しくない陽気な音楽が流れ始める。


始まってしまったからには動かなくてはなるまい。



目の前にある4×4のタイルの1列目。


4つのタイルのうち2つがアタリということは、1列目は確率は2/4でバルカン砲の蜂の巣を食らうわけだ。


しかし、このゲーム、冷静に考えてみると移動するタイルによって選択肢の幅が大きく変わってくる。


最初はどこでも移動できるから純粋に2/4。しかし、2手目からは移動が制限されてしまう。


タイルが大きすぎるため、1つ飛ばしに跳ぶことはできない。だから例えば両端のどちらかを選択した場合には次に移動できるのは正面か、その隣のみ。事実上の2択になってしまう。


一方で真ん中の2つのタイルを選べば正面と隣接した2つのタイルを選べるので3択だ。


加えて、ストリィーガと同じブロックに乗れないということはさらに動きが制限される。


選択肢が多い方が安全、というわけではないが、選択肢を広く持ちたくなるのが普通だ。


その真ん中を選びたい心理を逆手に取って初手は真ん中にアタリを2つ配置している可能性が高い。


また仮にアタリを引いてしまった場合のことも考えて、ストリィーガを守れる位置にいる必要もある。


そう考えたサンチョはここまでの考えをストリィーガに相談しようと声をかける。


「ストリィーガ…まずはどのタイルに…あ…」


「え?」


ストリィーガは迷わず真ん中左寄りのタイルにハイヒールを乗せていた。


「真ん中は…」


初手ならば、万が一、バルカン砲が発射されてもすぐに突き飛ばせるようサンチョが構える。


しかし、バルカン砲が動く気配はなかった。…幸いハズレだったようだ。


「~~~~」


サンチョはふう、と息を吐く。


本当はリスクの高い真ん中をサンチョが取って、彼女にどちらか隣接した端を選ばせるつもりだったが、計画が狂った。


「こんなの、悩んだってしょうがないでしょう?」


顔をしかめるサンチョに対し、駆け引きもクソもないという考えのストリィーガは呆れた様子で振り返る。


だが、このゲームは心理戦だ。どう考えても真ん中2つがハズレである可能性は低い。


ストリィーガが左寄り真ん中を選んでしまった以上は残る選択肢は事実上1択となる。


サンチョは渋々左端のタイルに足を乗せる。


「……………」


緊張で身体を硬くしながら正面のバルカン砲を見据える。


もしアタリだった場合には即座に動いてかわすつもりだ。


だが、幸いにしてバルカン砲が動く気配はなかった。



“運良く両方ともハズレだったみたいだね。…アタリを引くとこうなる”


ウィィィィィン………


遠隔操作でバルカン砲が起動する音が聞こえた。


直後、バルルルルルルルルルルル、という激しい音と共に、1分間に6000発近く発射できるバルカン砲が十数秒間、1000m/秒の速度で弾丸の雨を降らす。


大量の弾が発射される音と弾がどこかに着弾する音、そして、薬莢やっきょうが地面を叩く音が収まると、部屋は途端に静まり返る。


シュウゥゥゥゥゥ………


静まり返った部屋には火薬の匂いと焼けた金属が熱を発する音が響いた。


サンチョが恐る恐る振り返ると、エレベーターのある壁の前にはいつの間にか防弾壁が降りていた。その防弾壁には無数の凹み痕が刻まれている。


「………ッ!!」


あまりの迫力に腰が抜けたのか、ストリィーガがヘナヘナと地面に崩れ落ちる。


「大丈夫か?」


「さい……こう…………」


恍惚こうこつな表情を浮かべて彼女は呟く。


「…………」


「ああ、そうですか…」としか言いようがない。


「ねぇ…これ、一気に駆け抜けたら、どうなるかしら?」


ストリィーガは頬を紅潮させて微笑む。


「………………は?あ、おい!」


サンチョが彼女の言葉の意味を理解する前に彼女はまっすぐに・・・・・タイルを歩き始める。


彼女は震える足で、自らの身体を掻き抱きながら、しかし顔には笑顔を浮かべて進んでいく。


2列目のタイルに足を乗せ、そのままバルカン砲が起動するかどうか確認もせずに3列目…そして4列目を歩き…


見事、一度もアタリを引くことなく、バルカン砲の前までたどり着く。


「あはっ………気ン持ち良いぃぃぃぃぃ」


ゴールに立ったストリィーガは両手を頬に当て、幸せそうに呟く。


「嘘だろ…」


“はははっ、嘘だろ!?噂通り頭がおかしいヤツだな、ストリィーガ!!”


スピーカーからアヴァーロが叫び、その背後からVIPたちの興奮した声が聞こえた。


「いやいやいやいや…」


サンチョは違う意味で絶望していた。


それはサンチョが今立たされている状況について、だ。


同じタイルには2度乗れないというルールがあり、今のサンチョは左端のタイルにすでに乗ってしまっている。


そしてその隣のタイルは一直線にストリィーガが歩き切ってしまった。


タイル間は1つ飛ばしできないほど離れている。


これらの事実がなにを示しているのか。


そう。ストリィーガが正面のタイルを歩き切ってしまったせいで、同じマスを踏めないというルールがあるため、サンチョが選べるタイルはこれから全て1択になってしまうのだ。


しかも次からのタイルではハズレを引く確率は1/3。ということは、生存確率は1/3の3乗で4%に満たない。




「サンチョ~~~~!早くこっちに来なさいよ」


ストリィーガはバルカン砲にもたれかかりながらサンチョに声をかける。


やられた…。


「これは流石にマズいな…」


普段は滅多に動じないサンチョだが、これには流石に参った。


帽子を目深に被り、目の前の現実に思わず呟いた。


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