第11話 湿気ったナッツ


明るい声で「早く早く~」とほお紅潮こうちょうさせて手を振るハイテンションのストリィーガにサンチョは苦笑いするしかない。


目の前に突きつけられた現実は、生存率4%の地獄の直線。


「う~~~~~む…」


流石の伝説的殺し屋サンチョ・パッソもこれにはうなる。


さっきの弾丸を見て思った。ひょっとしたらいけるかと思ったが、どう考えても人間の脚力ではバルカン砲を避けるのは無理だ。


人間が1発1発撃つ銃弾ならば、角度と軌道を読んでかわしたり、捉えることもできようが、1発避ければ終わりではない。左は壁だし、2度タイルを踏むと強制的にバルカン砲が起動する仕組みのせいで、右にも避けることができない。


この非常事態を乗り切るためになにかないか、とサンチョはジャケットのポケットをゴソゴソと探る。


いつのものかわからないが、行きつけのバー「デリチオゾ」で食べ残したナッツ類の入った紙包みが出てきた。先程ボディーチェックで引っかかったものだ。


反対側のポケットにはレシート類しか入っていない。


あとはスラックスのポケットだが…ボディーチェックもあるので、武器類は一切持ってきていないし、財布も最低限の小銭と紙幣そしてカードしかなかった。


「…どうしたものか…」


サンチョはそう言いながら包みを広げ、ピーナッツを一粒摘む。


口の中に放り込むが随分前のものであるため、湿気っていて美味しくない。


一応、塩が振ってあるのが唯一の救いだ。


もうひと粒…


今度はカシューナッツだ。口の中に放り込むがやはり美味しくない。


サンチョは口をもぐもぐと動かしながら渋い顔をした。これはダメだ。とても全部は食べ切れない。


「ちょっと~、そこで勝手におやつタイム始めないでよ!」


ストリィーガがその様子を見て不満そうな声を上げる。


「は・や・く・き・て」


「…わかったよ」


サンチョは渋々と頷くと紙包みを綺麗に4つ折りにして、ジャケットのポケットにしまい込んだ。


残念ながら完食はできなかったが、サンチョなりにナッツたちには経緯を払った…筈だ。


魔女ストリィーガがいる限り、神に祈っても無駄なのはわかっているが、ここは本当に自分の運にかけるしかない。


サンチョはできるだけストリィーガが渡りきったタイルに寄りながら前方の黄色いタイルに恐る恐る左足をかける。


「怖い怖い…」


そーっと左足を乗せ、しかし体重をかけるのを躊躇ためらう。


嫌な汗をかくし、心臓もバクバクいっているが仕方がない。


きっと上ではアヴァーロたちVIPがその様子を笑いながら見ているのだろう。


デス・ゲームを仕掛ける側は本当に気楽でいい。アイツ等は金さえ出せば人の人生をもてあそんでいいと思っているのか。その根性が許せない。


「行くぞ…行くぞ…」


サンチョはブツブツと呟きながら思い切って左足に体重をかける。


“バーーーーーーーーーン!!!”


アヴァーロがその瞬間、大声で叫び、サンチョはビクリ、と身体を震わせた。


“アハハハハハハ!!!冗談だよ。良かったね、ハズレを引いたようだ。次のタイルもハズレだと良いね!”


アヴァーロがサンチョの様子を見て大笑いする。


「…おいおい、今ので俺の寿命、10年くらい縮んだぞ…」


バクバクと脈打つ心臓を手で抑え、サンチョはボソリ、と文句を言う。


たった十数歩でどっと疲れた気がする。オゥルソのいびきがうるさく、ここ数日やや不眠症気味だが、今晩はきっとよく眠れるだろう。…もっとも生きて帰れれば、の話だが。


「ねぇ~まだぁ~」


「あおるな。あおるな。ゆっくりいかせてくれ…」


待ちくたびれたような声を上げるストリィーガをサンチョはなだめながらタイルの端まで足を進める。


全力で助走してジャンプをしても対岸どころか次のタイルの端にすら届かないだろう。


いっそ壁を走るか、とも考えるが、壁走りができたらそもそもこんな葛藤はないわけで…。


再びプルプルとへっぴり腰で左足のつま先を次の青いタイルに差し出す。


段々大きくなってくる重厚感たっぷりのバルカン砲が今にも音を立てながら銃弾を発射しそうで心臓に悪い。


“次はどうかな?どうかな?発射かな?”


アヴァーロが楽しそうな声を上げる。


「やめろ、そういうことを言うんじゃない。ただでさえ心臓がマーチングバンドのドラムロールみたいに高鳴ってうるさいんだ。ちょっと集中させてくれ」


“運試しなんだから集中は必要ないんじゃないかな?”


サンチョは青い顔をしながら軽口を叩くアヴァーロのいる上階を睨みつける。


そして、ふと思いつく。


…ひょっとしたら腹ばいになったら助かるのではないだろうか?


タイルを抉るほど低空で弾丸は発射されないはずだし、床と一体化するくらい細くなれれば…。


サンチョは左足を引っ込めて、試しに地面に腹ばいになってみる。


“あははは!ひょっとしてそれで弾がかわせると思ってる?”


「…やっぱりダメか?」


出っ張った腹を懸命に地面に押し付けながら恐る恐る尋ねる。


“きっと背中が綺麗に削り取られるだろうね。向こう岸にたどり着く時には体重が3分の2くらいになってるだろうさ”


スピーカーからVIPたちが大笑いしている声が聞こえてきた。


「むむむ…」


「ね~~~~!もう早く来なさいよ!いつまで私を待たせる気?待ちくたびれて老婆になっちゃう」


ストリィーガが苛立った声を上げる。


「わかった…わかったよ…でもちょっとだけ待ってくれ―――時の流れはお前が思っている以上にゆっくりだから」


サンチョは渋々と頷いて立ち上がると、ジャケットの前面をパンパン、と叩いて汚れを落とし、目をつぶって深呼吸する。


「あー…………よし…気合いを入れろ………行くぞ…行くぞ」


サンチョは青いタイルを睨みつけ、ブツブツと呟く。運が悪ければ身体は25mmの弾丸で穴だらけになる。そう考えただけで手足から嫌な汗が吹き出すのがわかった。


数々の修羅場を生き抜いてきた殺し屋だって死ぬのは怖い。


地雷原の中を走り回るよりも生存確率の低いこのデス・ゲームを楽しめるあの女ストリィーガが異常なのだ。


普通に考えれば2レーンともアタリバルカン砲が用意されていない、なんてことはあり得ない。1レーンだって奇跡だ。


これまで2つのタイルは運が良かった。しかし、次か、その次は確実にアタリバルカン砲を引く。


だから自分の運に頼るしかない。周りを不幸にする魔女ストリィーガの呪いとサンチョの運と、普通に戦えば結果は明白だが、それでも今回も無事乗り切れることを信じるしかないのだ。


「ぐううううううううう…」


サンチョは歯を食いしばり、覚悟を決めて足を伸ばす。


青いタイルに足をかけ、そして飛び乗った。


ウゥゥゥゥン…!!!!


「!?」


バルカン砲がサンチョを脅すようにうなりを上げる。


予想通りの展開だが、こうなってはどうしようもない。


「…………………」


素早い身のこなしで、被弾を少しでも避けようと腹ばいになったサンチョは目をつぶって頭の上を弾丸が通過するのを待つ。


だが…


“…ん?あれ?おかしいな…”


アヴァーロがスピーカーから間の抜けた声を上げた。


彼の声の雰囲気を察するに、どうやら本来はアタリのタイルだったようだが、運良くバルカン砲が故障してくれたようだ。


千載一遇のチャンス到来。


これを逃せば蜂の巣確定。


短距離走で世界新記録を更新するならば今しかない。


駆けろ!風になれ!


「うおおおおおおお!!!」


サンチョは帽子を抑えながら、最後の緑のタイルを必死の形相で駆け抜ける。


幸い緑のタイルを踏んでも目の前にある重厚感のある大口径のバルカン砲から弾丸が発射される様子はない。


とうとう、触れる位置まで近づいた2門のバルカン砲の間をおっかなびっくりしながらすり抜けてゴールにたどり着くと、顔の汗をハンカチで拭った。


「ふぅ…」


「遅いわよ」


息を吐くサンチョにストリィーガが頬を膨らませ、待ちくたびれたことをアピールする。


「あのな…半分はお前のせいでもあるんだぞ」


サンチョの忠告を無視して、さらに彼の選択肢を全て奪っていったことについて、ストリィーガに文句を言うが、彼女はどこ吹く風だ。


「別にいいじゃない。結局無事だったんだから」


「それは結果論であってだな」


「ふふふ…貴方があんなに焦る顔が見れるなんてね…気分が良いわ」


クスクスとストリィーガは笑う。


「本当に死にかけたんだぞ」


「あら?沢山人を殺しても、やっぱり自分の命は大事?」


「仕事の殺しは別物だ。そもそも仕事は生きていくためにするものだ。自分の命を大切にしない殺し屋はプロじゃない」


「ふうん…」


普段よりも口数多く怒るサンチョを見るのが楽しいのか、ストリィーガは上機嫌で彼を眺める。


そして階段を指差した。


「…ね、2人とも賭けに勝ったんだから当然登っていいのよね?」


“…………もちろんだとも。VIPたちも大喜びだ。歓迎するよ”


少し間があった後、アヴァーロはスピーカーから応える。


“登っておいで。商品を渡そう”

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