第9話 カジノ潰しとブラックジャック
「それで?仕事ってことはまた例のお人形集め?なんだっけジョンカートリッヒ…?」
「…ジョカットリ・ボッテガイオだ」
ポーカーの卓から離れたストリィーガはワイングラスを持ちながら「ああ、そうそう」と頷く。
「ふぅ~ん…。それでここに来ている客でも殺そうっていうのかしら?」
まるで宝石のような灰色の瞳をキラリと輝かせ、ストリィーガはサンチョを覗き込む。
彼女の豊満な胸が揺れ、すれ違う客たちがチラチラと彼女の谷間を眺める。
だが、サンチョはストリィーガの谷間に目を向けることなく「いや…」と首を振った。
「今回はそういう依頼じゃない。…が、ここのオーナーに用がある」
「ん?アヴァーロ・コッダルディーアに?どうやって会うつもり?」
彼女は金色の大きなリングのピアスを揺らしながら首を傾げる。その一つ一つの動作が優雅で洗練されている。
「さっき、バニーガールが出入りしている場所を確認した。そこから…」
「…あっきれた」
ストリィーガはサンチョの言葉を
「まさか、貴方…従業員のスペースにアヴァーロがいると思ってる?」
「?」
サンチョは「違うのか?」と首を傾げる。
「いるわけないでしょう?………ハァ」
ストリィーガはため息をついて「相変わらずね」と肩をすくめた。
「いい?従業員のスペースで待ってたら何年経っても会えないわよ。オーナーっていったって、アヴァーロみたいな大物は実際の運営には関わっていないわ。時々来てちょーっとゲームをしたり、VIPをもてなすくらいよ」
「そうなのか?」
「そうよ」
ストリィーガは白くて細長い腕を胸の前で組むと、サンチョの頭から靴まで見下ろす。
「ん?ちょっと待って…その格好…………あたしが数年前に選んであげたヤツじゃない。他の服は持ってないの?」
サンチョの服は帽子から靴まで黒一色だが、一応、一流デザイナーが手掛けた作品だ。ストリィーガに「服がダサい」と言われて高級ブランド店を何軒も連れ回され、最終的にこれをプレゼントされた。
「結構気に入ってるんだが…ダメか?」
サンチョが自分の格好を眺めてからストリィーガに尋ねると、彼女は「うーん…」と腕を組んで形の良い眉を寄せる。
「ダメってわけじゃないけど…ちょっとその格好はもう時代遅れね」
ストリィーガはポーチからピンクの高そうなハンカチを取り出し、乳酸菌飲料水で濡れたサンチョの口元を拭くように、と渡す。
「もう…あたしに言ってくれれば、洋服選びくらいは付き合ってあげるのに」
口を膨らませる彼女に「ふむ」とサンチョは頷く。
「…だが、毎年一着のスーツに何万ジルも使うのはもったいなくないか?『デリチオゾ』に何百回行けるんだ?」
「ちょっと…貴方はお人形とナポリタンと乳酸菌飲料水にしかお金使わないつもり?そもそも貴方、沢山お金持ってるでしょう?ケチケチしないの」
「…」
子どものように叱られたサンチョは黙ってグラスに入った乳酸菌飲料水を飲む。
「従業員スペースにいないならどうすればいい?」
このままファッションの話に付き合うと長いお説教になりそうなのでサンチョは脱線しかけた話を元に戻す。
ストリィーガは「逃げたわね」と軽くサンチョを睨んだ後、
「さっきの話、聞いてなかった?『時々来てちょっとゲームをしたり、VIPをもてなす』って言ったでしょ?VIPルームに行けば会えるかもしれないわ」
と言って、最後に「運が良ければ、だけどね」と付け加える。
「なるほど」
サンチョは頷き、ぐいっ、と乳酸菌飲料水を一気に飲む。そして、空きグラスをバニーガールに渡し、ストリィーガのハンカチで口を拭う。
「ありがとう」
「どういたしまして…?」
ストリィーガにハンカチを返すと、「よし」と頷いてサンチョが動き出す。
「ちょいちょいちょい…」
そのサンチョの
「今、どこに行こうとしたの?」
「? VIPルームだが?」
「どうやって行こうとしたの?」
「? 従業員に尋ねたら教えてくれるだろう?」
首を傾げながら当然のような顔をして答えるサンチョに「頭痛い…」とストリィーガは顔に手を当てて深く息を吐く。
「どうした?大丈夫か?病気か?」
「ある意味では貴方が、ね」
「俺は別に健康だ」
「はいはい………………あーあ…ここのカジノでは静かに遊ぼうと思ってたんだけどなぁ」
ストリィーガはくっ、とワインを口に流し込むと「ちょっとこれ、持ってて」とポーチをサンチョに押し付ける。
「どこに?」
「稼いでくる」
ストリィーガはそう言うと、近くにあったブラックジャックの卓に座り、チップを山のように積み上げた。
同席した客たちは入ってくるなり、とてつもない額を
細かいブラックジャックのルールは割愛するが、ブラックジャックは21にカードの合計を近づけるゲームだ。
プレイヤーは決められた範囲のチップを賭け、ディーラーと手札を勝負する。
ブラックジャックでの勝ち方は2つしかない。ディーラーの手札よりも21に近づけるか、ディーラーがバースト―――つまり、21以上の数字にしてしまうかだ。
ディーラーの手札に勝つか、ディーラーがバーストすれば掛け金分のチップが払い出しされる。これはこのカジノでのルールだが、もし、合計が21―――ブラックジャックであれば、掛け金の1.5倍が返ってくる。
逆に、プレイヤーはディーラーよりも低い数字であるか、あるいはバーストすれば負けとなる。
ストリィーガが配られたカードは「Q」と「6」。
「10」と絵札はすべて「10」になるため、合計は16。
…微妙な手札だ。
対してディーラーのカードは「8」。
ストリィーガはここでステイ―――つまり16で待機するか、ヒット―――もう1枚カードを要求するかを選択できる。
ディーラーには、手札の合計が必ず17以上にしなければならないルールがあり、客が全員賭け終わると、ルールに従ってヒットを行う。
この場合は「8」なので、もしストリィーガがヒットしなければ、「9」「10」「J」「Q」「K」「A」を引いた時点でディーラーの合計は17か18か19となるため負けとなる(「A」は「1」か「11」のどちらかの数字を選ぶことができる)。
一方で、もしストリィーガがヒットした場合には、6以上のカードが出るとバーストとなる。
…まあ、要するに素人目に見て、ヒットしても、ステイしても勝ち目が薄い勝負だ。
しかし…
「ダブル」
ストリィーガは迷わず、
「正気か?」「嘘だろ…」「おいおい、姉ちゃん、それはいくらんでももったいないぜ」
同じ卓を囲む客たちが美女の判断は間違いだと首を振る。だが、ストリィーガは堂々とした態度で笑みを浮かべる。
「…」
直後、ディーラーから配られたカードは「5」!
「「「…ブラックジャック!?」」」
「ご
ストリィーガはそれを見て微笑んだ。そしてディーラーから大量のチップを受け取り、次はびっくりするほど少ないチップをかける。
結果はディーラーが
次も少額。やはりディーラーの勝利だ。
今度は先程同様、限界額まで賭けてストリィーガの勝利…。
まるで配られる手札の中身がわかるかのように負けの被害は最小限に抑え、勝つ時は大勝を繰り返す。
10数ゲームしたところで、彼女の目の前にはチップの山がいくつも出来上がっていた。
「…」
その近くで彼女のポーチを言いつけ通り抱えていたサンチョは、驚いた様子もなく、黙ってその勝負を見ていた。
やがて制服を来た支配人らしき中年の男性が現れ、ストリィーガになにかを耳打ちする。
「あら…面白そうね」
支配人の耳打ちを聞いたストリィーガは頷き、そしてサンチョにウィンクする。どうやら早速、ストリィーガにVIPルームのお誘いが来たようだった。
「ねぇ、彼はあたしのボディーガードなの。連れて行っていいでしょ?」
支配人の前でわざとらしくサンチョの腕を掴み、同行の許可を求める。…身長差がかなりあるため、ストリィーガに引き寄せられるとサンチョの帽子に大きな胸が当たる。
どう考えてもボディーガードには見えなかっただろうが、支配人は特にそのことには触れず、「問題ございません」と頷き、VIPルームへと2人を案内する。
道中、ストリィーガは小声でサンチョに「1つ貸しよ」と
「絶対もうこのカジノ次回から出禁だもの。…あーあ、また行けるカジノが減っちゃたわ。しばらく目立たないようにしてたのに」
サンチョに会う前からポーカーでボロ勝ちしてひんしゅくを買っていたことを忘れたのか、ストリィーガはわざとらしく深いため息をつく。
「…相変わらずデタラメなツキだな」
サンチョは表情を変えずに呟く。
イカサマと思われても仕方がないようなあり得ない勝ち方をするが、ストリィーガは勝負に一切細工をしていない。彼女は昔から
全ての結果は必ず彼女に都合の良い方向へ転がる。
一方で、彼女がまるで幸運を吸い取っているかのように周囲の人間は不幸になっていく。
彼女を知る者は、彼女のことを運を吸い取る魔性の女―――「魔女」と呼ぶ。そんな彼女は酒と
賭博場を豪運で荒らしまくっては出禁になり、稼いだ金で遊んで暮らす…。
とにかく金遣いが荒いため、あっという間に金を使い果たしてしまうが、その都度、タイミングを図ったかのように、彼女のことを知らない愚かなカジノが彼女の来店を許可したり、彼女に貢ぐ大金持ちが現れたりするのだ。
サンチョはそんなストリィーガと知り合ってもう10年近くになる。
一見、好きなことばかりをして自由に暮らしているように見える彼女だが、彼女にも悩みがあった。
それは「美人」で「豪運の持ち主」と
しかも、彼女と親しくなった人間はほぼ必ず不幸になるので、結果的に彼女はいつも1人になってしまう。
だからこそ彼女は刺激を求める。
そして、彼女にスリルを提供してくれる「殺し屋」であり、長年、彼女の近くにいても
「…ねぇ、その仕事が落ち着いたら今度こそ私を殺してよ」
ストリィーガは熱っぽい声でひそひそとサンチョに
「前にも言ったが、俺は…」
「『無駄な殺しはしない』…でしょ?」
サンチョの発言にかぶせ、「あーあ、つまんない」とストリィーガは口を尖らせる。
「じゃあ、いっそあたしも殺し屋になろうかしら。ねぇ、殺し方をあたしに教えてよ」
「やめておけ、向いていない」
「なによ」
サンチョがきっぱりと言い切るとストリィーガはムッとした顔をする。
「殺しにはストレスがつきものだ。ストレスは美容の天敵じゃなかったか?」
「………それは嫌ね。でも貴方は仕事にストレスを感じるの?」
「俺は特別だ」
「ずるいわ」
そんな軽口を叩きあっている間に、カジノの1Fから螺旋階段を降りて、B1Fのフロアを抜ける。そして、カードキーで操作するエレベーターに乗ってB3Fへと到達した。
「お待たせいたしました。こちらがVIPルームになります」
支配人がエレベーターの扉を開き、2人をVIPルームへと招き入れた。
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