第2話 故郷へ(1)

 出発は二週間後。室長から厳命され、私はなんとかその期間内に引継ぎを終わらせた。心配事は山ほどあるが、他所の空港から応援を呼ぶと聞いたのでどうにかなるだろう。特に不安要素の多いソフィアのことは、イザベラにも頼んでおいた。


 あちらでの住居は、母の住んでいる家の一部屋を使わせてもらうことになった。母は私が王都に働きに出たのを機に、父と三人で暮らしていた家から今のこじんまりした家に移っていた。場所は島で最も住民の多い市街地で、私も一、二度、泊まったことがある。


 電話で短期間の転勤を告げた時、母は失礼にも、何をやらかしたのかと聞いてきた。

「あなたはしっかり者に見えて、肝心なところで大失敗することがあるから」

 お父さんに似てね、と母は笑った。自分でも心当たりはあるので、反論はできなかった。ただし、今回はただの転勤であるということは念を押しておいた。調査は内密に進めてほしいという通達が、軍からあったからだ。


「あなたの部屋はちゃんと残しているわよ。ポエムが書かれた日記も、学生時代に渡さずじまいだったラブレターも捨てずにね」

 一言も二言も多い母である。たぶん浮かれているのだろう。そう思えば、怒りもわいてこない。私は到着する日程を伝え、電話を切った。




 そして二週間後の早朝。私は荷物を詰めたトランクを手に、駅舎近くの広場にいた。隣には、見送りに来てくれたイザベラの姿があった。

「はいこれ、皆からの餞別。すぐ帰ってくるわよとは言っておいたんだけど……」

 彼女はそう言って、綺麗にラッピングされた箱をくれた。中身はキャンドルだという。

「選んだのはソフィよ。あの子、トゥーレはインフラ整備が遅れていて停電が多いって思い込んでいるらしくて、停電の時灯りにしてくださいですって」

 あれは戦時中に意図的に流されたデマなのに、とイザベラは肩をすくめた。もちろん、当時住んでいた私も知っている。あの島は文明が遅れていて、我が国の領地とすることは島民のためでもあると、当時の政府は戦争の正当性を主張したのだ。戦後、それが全くの嘘であったことが知れて国内外で非難が沸き起こったことで、当時の議会は解散していた。


「間違った知識はともかく、気持ちは嬉しいわ。こっちが懐かしくなった時に、使わせてもらうわね」

「ええ、そうして。早く事故の原因が見つかるように祈っているわ」

 室長から大体の事情を聞いているイザベラは、真剣な顔で私の手を自分の手で包み、言った。

「ありがとう。あんな事故が二度と起こらないように、急がないとね。期待していて」

「ふふ、頼もしいわね」

 イザベラは華やかな笑顔を私に向ける。それから悪戯っぽい顔で、広場の片隅に目をやった。


「でも、ある意味“運が良かった”んじゃない? きっと、うらやましがる人もいると思うわよ」

「……あなたにはルイス室長がいるでしょ?」

 私が呆れまじりに言えば、イザベラは一般的な意見だと涼しい顔で答えた。

 彼女の視線の先にいるのは、シャノン・クロフォード少佐だった。ルイス室長の言っていた軍が派遣する一名というのは、彼のことだったようだ。


 彼の見目が良いこと自体は、私にも異論はない。現に、彼の傍らにいる軍服姿の見送り二人の他に、遠巻きにそちらを窺う女性が少なくとも十人はいた。

「あれはきっと、軍本部の事務員達ね。……あ、あの生垣の陰にいる子は角のパン屋の子じゃない?」

「あの中の誰かが代わってくれるなら、お願いしたいくらいよ。それに、物腰は柔らかかったけど食えない感じだったわ。たぶん、見た目通りの王子様ではないわね」

「あら、もうそこまで仲良くなったの? 彼女たちに嫉妬されそうねえ」

 面白がるイザベラに付き合うのも馬鹿馬鹿しくなり、トランクを持ち直して足を踏み出した。


「じゃあ、元気でね、イザベラ。室長に捨てられないように頑張って」

「ふん、捨てるとしたら私の方よ。まあそんなことは起きないでしょうけど」

 幸せそうで何よりだ。私は手を振る彼女に軽く振り返すと、駅舎に向かった。ちょうど、少佐も同僚に別れを告げたところのようだ。互いに手を上げ、敬礼していた。

 通りがかった私に、彼は形ばかり申し訳なさそうな表情を作った。

「あなたまで巻き込んでしまって、すみません」

「ええ、本当に迷惑です。あのバケットサンドがこんなに高くつくなんて」

 大げさに肩をすくめると、彼は如才なく私の荷物を取って言った。

「列車は一等車にしましたから、それでご勘弁を。着いたら、バケットサンドよりずっと美味しい料理もご馳走しますよ」


 私たちのやりとりを聞いて、見送りの二人のうちの一人、ひょろりと細長い男性が吹き出した。彼もあまり軍人らしくない雰囲気だ。堅苦しさがないというか、もっと言えば軟派な印象を受ける。

「少佐から話は聞いていましたけど、面白い方ですね。俺が任務に立候補すれば良かったなあ」

「中尉の場合、向こうで調査を放って飲み明かしていそうですね」

「カイロンより俺が羽を伸ばしてたりしてね」

 もう一人、クールに口を挟んだのは若い女性だった。私と同じくらいかもう少し年下だろう。凛としていて、やや吊り上がった目がその美貌を引き締めている。彼女は私に目を合わせると、航空部隊に所属するナイトレイ曹長と名乗った。


「先ほどはこちらのウィンベリー中尉が失礼いたしました。私としては、自分の担当管制官があなただったらとても頼もしく思います」

「ええと、ありがとうございます」

 私は戸惑いながらも礼を言った。曹長と中尉では断然中尉の階級が上のはずだが、彼らの間にそんな空気はなかった。


「先日暴走したカイロンを回収したパイロットは、こちらの二人なんです」

「えっ、そうだったんですか!」

 二人はそろって頷く。

「被害が出ずに済んだのは、お二人のおかげですね」

「いや、俺たちは指示に従って飛んだだけですから」

 ウィンベリー中尉はまんざらでもない顔で言った。

「その指示がそれなりに無茶だったとは思いますが」

 ナイトレイ曹長が少佐に視線をやってチクリと刺す。それに乗っかるように、ウィンベリー中尉が続けた。

「クロフォード少佐は涼しい顔をして時々暴走しますから、気をつけてくださいね」

「場合によってはエヴァンス様にもご迷惑をおかけするかもしれませんが、少佐をよろしくお願いいたします」

「はあ……」


 部下に色々と言われているのに、少佐自身は咎めもせずにこにこしている。私にはそれがとても不吉に思えた。腕時計に目を落としたナイトレイ曹長が言う。

「少佐、そろそろ出発時刻が迫っています」

「わかった。じゃあ二人とも、くれぐれも上司の真似をして暴れないように」

 二人の部下はにやりと笑ったが、どちらも頷きはしなかった。仕方ないというように笑みをこぼして、少佐は踵を返す。私は二人に会釈すると、彼に続いた。


 一等車は先頭車両らしく、私たちは人のまばらなホームの先端に向かって歩を進めた。

「良い部下をお持ちですね」

「皮肉ですか?」

「まさか! あのカイロンの並走と離陸、見ていて惚れ惚れしました。……私、そんな嫌味を言うように見えます?」

 クロフォード少佐はくすりと笑ってから言った。

「すみません、普段から言葉の裏を勘繰ってばかりいるもので。あなたはとても素直な方だと思いますよ」

 褒められたのかどうなのか、私は複雑な気分になった。


 ようやく一等車の前に到着すると、少佐は私を先に通してくれた。一等車は通廊列車と呼ばれる造りで、片側に廊下があり、ドア付きのコンパートメントが並んでいた。運転席から数えて三番目が私たちの座席で、ドアを開けるとクッションの柔らかそうな椅子が向かい合って配置されていた。三等車の木でできた硬い椅子に長時間揺られて来た思い出しかない私には、まるで別の乗り物のようだ。


 実際に腰かけてみると、想像以上の座り心地の良さだった。少佐の目がなければ、寝そべって柔らかさを堪能していただろう。

「いつも、こんな贅沢な移動をされているんですか?」

「いいえ、航空部隊ですから、ここまでの遠方でしたらカイロンを使います。今回はカイロンがトゥーレで暴走する可能性を考えて、列車と船を使うことにしたんです」

確かに、疑惑の場所にカイロンで突っ込むのは無謀だ。自分が乗るカイロンが暴走して事故を起こしたら、目も当てられない。


 列車は汽笛を鳴らし、出発した。車窓から外を見ると、イザベラや少佐の部下たちの姿はもうなかったが、少佐の見送りに来たらしい女性たちはここぞとばかりに手を振っている。少佐は貴族然としてにこやかに手を振り返していたが、彼女たちの中の数人は私を恨めしそうに見ていて、しばらくは廊下側に避難することにした。しかし改めて考えてみれば、個室に男性と二人きり、という状況だ。


「そういえば、昔一等車はコンパートメントごとに車両を繋げていたそうですね。でも、それだと車内で何かあった時に助けが呼べないので、今のような形になったとか」

 窓の外から興味深げに私に視線を移して、そのようですね、と少佐は相槌を打った。

「ただ残念なことに、今日は機密情報のやりとりがあるということで人払いをしています。切符の確認は降車後でとお願いしたので、車掌も来ません」


「……一等車にしたのは私のご機嫌取りではなく、そちらが理由ですね?」

「ええ、その通りです。素直で勘の良いミズ・エヴァンス」

 私はその言葉にため息で答えると、流れていく景色に目を移した。住宅はまばらになり、畑がぽつぽつと現れ始める。やがて木々の緑が徐々に濃くなって、列車は山を貫くトンネルへと入った。


 車内が煤まみれになる前に、少佐は細く開けていた窓を閉じた。窓の外は夜のような一面の暗闇だ。

「カイロン暴走の件で、この二週間ほどで得られた情報ですが」

 彼は私の正面に座ると、口を開いた。

「試しに、火曜日のみ、トゥーレ周辺のカイロンの飛行を禁止しました。貨物用、軍事用、旅客用全てです。その結果、先日のような暴走は起こりませんでした。他の曜日は平常通りの経路でしたが、そちらも問題なし。トゥーレと火曜日が怪しい、という仮説は今のところ否定されていません」

「でも、必ずしもその二つの要素が関わっているとは言い切れませんね。異変の原因が別にあって、この二週間は偶然それがなかっただけかもしれないですし」

「ええ、その通りです。しかし、さすがに“火曜日にトゥーレまでカイロンで飛行して、暴走するか確かめろ”とは命じられないでしょう? 戦時中ならまだしも、単なる事故の調査でそのような命令を出せば、人命軽視だ冷酷だと批判を受けるのは確実です。最近はただでさえ、軍への風当たりが強くなってきましたからね」


 先の戦争では、ジュノー王国も周辺国に進軍して、あるいは侵略を受け、特に国境では激しい戦闘があった。そして最終的にジュノーは領土を広げることに成功し、勝利宣言の末戦争は終結した。軍が王政に干渉を始めたのも、戦争の勝利とその後の経済発展により、国が豊かになったという功績があるためだ。

 一方で、国民感情としては戦争を忌諱する向きがある。結果的に勝利したものの、国中の市民が戦場に駆り出されることになり、犠牲も少なくなかった。もう戦争はこりごり、といった空気だ。風当たりが強くなったと少佐が言ったのも、武力行使否定派の国民の声が大きくなってきたということだろう。

 それに、戦後十年が経ち、戦争の記憶も薄れ始めている。特に華やかで楽しいことの多い王都に暮らしていると、時間の流れは早い。戦時を積極的に忘れようとしているようにすら思える。まるで、忘れて目を逸らせば平和がずっと続くと信じているかのように。それは軍とは違った方向で、勝者の傲慢のように私には見えた。戦争で国や大切な命が失われた事実を、もう忘れたというなんて。


「……十年は、そんなに昔でもないと思うけど」

「え?」

 クロフォード少佐がきょとんと私を見ていて、自分の心の声が口に出ていたことに気づいた。私は咳払いして話題を戻す。

「外殻が開けられなかったことを考えると、いくら技術のあるパイロットでも危険ですよね。安全の確保もできないですし」

 ノアの取り乱した時の声は、今も耳に残っている。パイロットを二度とあんな目に遭わせてはいけないと、私も思う。

「ええ、もし実験するなら、まずは安全な方法を考えるところからですね。その場合は参謀本部が動いて、追加人員が送られてくると思います。我々の仕事は、まずは島内に事故原因があるか調べることですよ。より具体的に言えば――不審な人の動きがなかったか。もしあれば、何者か。その辺りがわかれば十分です」


「人……つまり、暴走は人為的に引き起こされたということですか?」

「いえ、それはわかりません。ただ、軍の中枢が最も懸念しているのがそういう事態だということです。トゥーレは、“厄介な場所”ですから」

 彼の言葉の意味は、私にもなんとなくわかった。かつては違う国で、戦争によってジュノー王国の領土となった地。十年が経っていても、そこに火が燻り続けている可能性は十分にある。


「反逆……」


 私の呟きに、少佐は頷いた。

「これまで表立った動きは見られませんでしたが、注意しておくに越したことはありません。もし何者かがカイロンを暴走させる方法を編み出し、それを使ってこちらに攻撃を加えたとすれば、相手が少数でもかなり苦戦するでしょう。先の戦争では、カイロンを用いたことが大きな勝因だったとされています。反対に、それを奪われれば戦力の大半が失われるということです」

 だから、軍はここまで素早く動き、民間人である私まで巻き込んだのだ。ようやく明快な答えを知ることができた。


「現状、カイロンの繁殖や育成はあの島で行われているんですよね?」

「はい、牧場があるのはあの島だけですし、“手術”もあの場にしか設備がなく、本土ではできません」

 手術とは、カイロンを人間の意思に従わせるために行う外科的な処置のことだ。パイロットが操縦するカイロンには須らく、「ブリンカー」と呼ばれる精密機器が脳に埋め込まれている。詳しいことはよくわからないが、この機器からの電気刺激がカイロンの神経に伝わり、パイロットの指示通りの動きをしているのだ。

 その処置の是非については、今も議論が起こっている。動物を人間のエゴで改造し自由を奪うことは、確かに残虐な行為だ。そもそも、乗り物として利用すること自体がエゴだと主張する人もいる。


 しかし彼らは今や、最も早い輸送手段であり、交通手段だ。空を行くことで、一日で移動できる距離が伸び、あらゆる産業の進歩は格段に早まった。人の移動が増えて、経済も回るようになった。需要が増えることはあっても、減ることはない。より低コストで早い別の乗り物が作られない限り、彼らの役割は終わらないだろう。

 そして、安全に空を飛ぶには、やはりカイロンを意のままに操るしかない。

 カイロンは穏やかな草食動物ではあるが、機嫌によっては人を襲うこともある。それに、人と獣では意思疎通にも限界があり、指示を確実に聞いてくれるとも限らない。


 考えを巡らせているうち、私はかつて聞いたことのある噂を思い出した。

「カイロンは本来、もっと速く飛ぶことができるというのは本当ですか?」

「ええ、地上を走る速度も馬力も、全く違いますよ。どちらも、安全のためにブリンカーによって抑制されていますけれど」

 本来の能力を出されると、中の人間の体に負担がかかるのだという。

「そう言われると、見てみたくなりますね。抑制されていない、本来の姿を」

 きっと、王都の空を飛ぶよりも力強く、自由に飛翔しているのだろう。

「島の牧場にはまだ手術を受けていないカイロンもいるはずですよ。調査の一環で、一度はその牧場も訪ねることになると思います」

「そうやって、関係のありそうな場所を一つずつ巡っていくんですね。地味で根気のいる作業になりそうです」


 私の言葉に同意するように、クロフォード少佐は苦笑した。

「島には軍やジュノーに反感を持っている人もいるでしょうから、協力的ではないかもしれませんね。そういった時に、あなたが様子を窺ってくださると助かります」

「いっそ、カップルのふりをして訪ねるなんてどうです?」

 私の冗談に、少佐は驚いたように瞬いてから、小さく吹き出した。

「協力してくださるんですか?」

「必要なら私は構いませんけれど。でも、その嘘で心を痛める方がいらっしゃるかしら?」

 少佐はあっさり首を振った。

「爵位のある家の生まれならそういった話もあるでしょうが、僕は孤児ですから」

「そうなんですか……」

 てっきり、どこぞの貴族出身だと思っていた。


「意外ですか?」

 問われて返答に窮したが、彼はむしろ私の反応を面白がっている様子だった。

「まあそういう身分ですから、何も気になさる必要はありませんよ。そもそも、これからは男女平等、職業にも貴賎なしの時代です。あなたにも、遠慮をせずに意見をしていただきたいと思っています。手始めに――」


 彼は私の目を覗き込むようにして言った。

「ミズ・エヴァンス。ファーストネームでお呼びしても?」

「ええ、もちろん。私はなんとお呼びしましょう?」

「シャノンと呼んでください、アレッタ」

 彼が私の名前を口にした時、私は心臓を掴まれたような衝撃を感じた。理由のわからない、かつてないその感覚に戸惑っていると、唐突に車内が明るくなった。トンネルを抜けたのだ。車窓からは、海のように広い湖が見えていた。


「素晴らしい景色ですね」

 そう話す少佐――シャノンの横顔にも、湖の水面に反射したまばゆい光が射していた。

「ええ……綺麗ですね」

 私はエメラルドのように輝く彼の瞳を眺めながら、呟いた。

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