第5話 管制塔にて待つ(3)
「エル! あれ……」
私たちが向かう先にも、灯りが見えていた。
「二人とも、固まって木の陰に隠れろ」
私とクレアはそれに従おうとしたが、その前に、聞いたことのある声が闇の中から聞こえた。
「やあ、またお会いしましたね、お嬢さん。まさかこんなところにあなたがおられるとは」
ヴァイナーだった。黒ずくめの服は闇に溶け、白い手と顔だけが灯りに照らされて宙に漂うようだった。
「あなたこそ、どうしてこんなところに?」
早鐘を打つ心臓に負けないように、私は声を張り上げて尋ねた。ヴァイナーはそんな私の必死さを面白がっているかのように、笑みを浮かべていた。
「この前もお話しした通り、ギルバートさんのお手伝いですよ。トゥーレに駐在する軍や警察の配置を、お伝えしておこうと思いましてね」
「本当に、それだけ? あなたの目的は、他にあるんじゃないの?」
「おや、私の言うことを信じていただけないようで」
ヴァイナーは喉の奥でくつくつと笑う。揺れる灯りもこちらを嘲笑っているように見えた。
「しかし、疑り深いとあまり良い結果は産みませんよ」
ヴァイナーが灯りを掲げたのを合図に、周囲に人影が見えた。背後の灯りを持った人物だけではない。私たちは、五人ほどに囲まれていた。
「どうするつもりだ?」
私たちを庇うように立って、エルが問う。ヴァイナーは笑みを浮かべたまま答えた。
「あなた方を放っておくと我々の計画の邪魔になると、私の直感が告げております。私の縄張り内であれば葬っているところですが、ここは考えの甘い……いや、お優しいギルバートさんに免じて、命までは奪いません。牧場の飼育員たちと共に、人質になってもらいましょう。領主様と縁の深いあなた方がいれば、彼女も強くは出られないでしょうから」
私たちを囲む数人は、銃を手にしていた。手慣れた様子に、逆らえば容赦なく撃たれるだろうと想像がつく。
ここは従うしかない。私たちは頷き合い、ヴァイナーに続いて牧場に戻ろうとした。
その時、銃声が山の中に響いた。気づいた時には、目の前にあったヴァイナーの持つ灯りが消えていた。
「おい、誰か間違えて撃ったのか?」
ヴァイナーが仲間に向かって苛立ちを隠さず叫ぶ。私たちは自然ともう一つの灯りを持った男に目を向けた。彼はもちろん他の男たちも、口々に否定する。しかし次の瞬間、残った灯りも銃声と共に消えた。
それから、間髪入れずに三発の銃声。呻くような声も聞こえた。
「なんだ、何が起こっている?」
エルはとっさに、自分の持っていた灯りも消した。周囲が完全に闇に包まれる。何も見えないのは怖いが、これで逃げられるかもしれない。
不意に、人の気配を横に感じた。クレアやエルがいるはずの方向とは、別だ。
「アレッタ、こちらに」
「……シャノン?」
聞き間違えようのない、シャノンの声だった。もう大丈夫だ。彼の声を聞いただけで、私は安心してしまった。ヴァイナーが待て、と恫喝しても、その確信は揺るがなかった。
「あなたたち一人一人が何をしようと、もう止められませんよ。戦争が、再び起こるのです。次の戦争は、カイロンの数が勝敗を分ける。ジュノーがこの島を握っていることは、とても厄介だったのです。この騒動で、ジュノーは収束を図るためカイロンの部隊をこちらに派遣するでしょう。王都からは一時的に軍用騎が消える。その隙を突けば――もう、おわかりですね?」
ヴァイナーの高笑いが、森の中を反響している。
「構う必要はない。行こう」
私たちはシャノンに引っ張られるようにして、暗闇の中を急いだ。山道の入り口まで来て、エルが再び灯りをつけた。
「ここまで来れば大丈夫だろう。助かったよ、シャノン」
鮮やかな射撃だった。私とクレアが口々に褒めると、シャノンは一応軍人だから、と謙遜してはにかんだ。
「アリスに言われて様子を見に行ったら、あんなことになっていてびっくりしたよ。間に合ってよかった」
「しかし、戦争が起こるっていうのは大げさだな。負け惜しみだったのか?」
「そうだと、良かったんだけど」
シャノンは私たちに、一枚の紙を見せた。万年筆で書かれた短い文面だったが、衝撃は十分だった。
――我々革命軍は、ここにリトグラフィカ民主国の建国とジュノー王国からの独立を宣言する。
最後に、革命軍のリーダーとしてギルバート・コックスの名もあった。
「独立宣言? というよりもこれは……」
「ジュノーへの、宣戦布告だな。領主のクロフォード家を無視して建国を宣言するなんて、喧嘩を売るのと同じだ」
無茶苦茶だと、エルが呆れる。
「しかも、これが王都に直接届いたんだ。例の、所属不明のカイロンでね」
シャノンが明かした事実に、私たちは驚きの声を上げた。
「じゃあ、あのカイロンは牧場から王都に向かったの?」
シャノンは頷いた。緊急発進後、彼は問題のカイロンが飛行する姿を捉え、追跡したという。
「大陸の海岸線に沿って飛んだ後、王都の東側でカイロンが急旋回した。その時に、キャノピーが開いてパイロットが脱出したんだ。それは計画されたもので、海上にパラシュートで降りたパイロットは近くの船に引き上げられていた。カイロンはその後も飛び続け、フェザント空港の上空に出現して大騒ぎになった」
「他の便と衝突しなかったの?」
「その前に、軍の管制塔から麻酔弾を撃ち込んだからね」
パイロットが中にいないとシャノンが報告したこともあり、判断は早かったという。
「それで、操縦席を見たらあの紙が大量に入っていた。おかげで王都は今大混乱だよ。牧場が占拠されて飼育しているカイロンが奪われたとすれば、制圧には王都のカイロン全騎が必要という話になってね。実際には革命軍側のパイロットの数がそこまで多いとは思えないから、稼働数はもっと少ないはずだけど」
そこに考えが至らないほど、動揺しているということなのだろう。
「なるほど、それで王都から本当にカイロンが押し寄せれば、戦争になるってわけか」
まずはこのまま、島の行政機関の中枢である支庁舎に向かうことになった。アリスをはじめとした国王に任命された官吏やトゥーレの軍と警察の幹部らが、既に集まっているのだとシャノンが説明した。
私がトゥーレを出てから建てられたという庁舎は、丸みを帯びた屋根が上品な白塗りの建物だった。落ち着いた雰囲気の中では荘厳な印象を持つのだろうが、今は人々が文字通り右往左往していて、造りを堪能する余裕もなかった。
シャノンは人混みを器用に避けながら、奥の議事堂へと私たちを案内した。分厚いドアの前には二人の警備員が立っていたが、シャノンの顔を見るとすぐにドアを開けてくれた。
「ああ、みんな無事だったのね。良かったわ!」
アリスはすぐに私たちに気づき、声を上げた。場の注目が一斉にこちらに向く中、シャノンは臆さずに議場の中心へと歩を進めた。
アリスたちが囲むテーブルにも独立を宣言する声明文が置かれていたが、それはくしゃくしゃになったものをもう一度伸ばしたようだった。誰かが怒りに任せて、丸めてしまったのかもしれない。
「クロフォード少佐、何か新しい報告はあるか?」
軍服を着た眼鏡の男性が、シャノンに言った。胸の勲章を見るに、彼がトゥーレの軍のトップだろう。眼鏡に何度も手をやる様子から、神経質そうな人だと感じた。
「では、何点かご報告いたします。まず、現在の牧場内ですが、表立った変化はありません。革命軍を名乗る数十名が人質をとり籠城しています。ただ、一部は別行動をとっているらしく、牧場の北側の山中にて遭遇しました。その中には軍が内偵を進めていたヴァイナーという医師の姿もあり――」
シャノンがヴァイナーの目的について話すと、テーブルについていた者たちは色めき立った。
「つまり、そのヴァイナーなる人物は、ジュノーの王都を襲撃する隙を作るために、この内乱を起こしたということか? ……内偵していたのなら、事を起こす前に拘束すれば良かったのではないかと思うが」
警察署長が軍の方をちらりと見て嫌味を言う。一瞬緊張が走ったが、アリスは無視してシャノンに尋ねた。
「ヴァイナーがリーダーのギルバート・コックスやその周囲を扇動したのは間違いなさそうだけど、革命軍のトゥーレ出身者たちは、ジュノーとの武力衝突を本気で考えているのかしら?」
「そのあたりはまだわかりません。しかしリーダーのギルバートを含め、集まっていた者は戦闘の訓練すら受けたことがなさそうですから、そこまでは想定していなかったのではと予想しています。ヴァイナーの仲間は銃の扱いにも慣れている様子だったので、牧場の占拠もヴァイナーの一味が主導した可能性が高いでしょう」
革命軍を組織しただけでも反逆行為に当たるというのに、アリスはギルたちトゥーレの者が不当に重い罰を受けないよう配慮しているようだった。彼の元クラスメイトとしては嬉しく思うが、その反面、優しすぎるのではないかと不安になる。
「ともかく、今は他国の侵略から国を守ることを優先すべきね。ヴァイナーの目的が王都フェザントだというなら、急いであちらに報告しないと。ジュノー政府も軍も、まさに彼の思惑通りの行動を取っているわ」
アリスの言葉に、シャノンも同意した。
「今後ヴァイナーたちが抜ければ革命軍による反乱が拡大することはないでしょうし、王都の防衛を最優先に考えるべきだと思います」
「しかし、島民に説明するには事情が少々複雑ですな。牧場の占拠を知って自主的に避難をしている住民もいますが、王都への攻撃があるかもしれないと聞いたら本土も危険ではないかと心配する者もおるでしょうし……」
アリスの横に座る、学者然とした白髭の老爺が言う。おそらく彼が、領主の補佐役だろう。
「内乱が起きているのは確かですし、混乱を避けるためにも島外への避難は継続しても良いと思います。怖いのは、知識のないままカイロンを操縦しようとして、誤って暴走させた場合です。市街地に侵入して暴れたら、建物が破壊され、怪我人も出る恐れがあります」
シャノンがちらりとクレアを見て言う。彼女はテーブルを囲む面々が見ていないところで、ぺろりと舌を出した。
「避難の流れができているのなら、下手に細かい事情を明かして住民の不安を煽らない方が良いでしょう。王都に帝国が攻めてくるなんて聞いたら、生きた心地がしない」
警察署長の発した帝国という直接的な単語に、その場にいた全員の顔が強張る。
「ハリス少将閣下、帝国との国境監視部隊から報告はありましたか?」
シャノンからハリス少将と呼ばれた眼鏡の軍人は、威厳を示すようにゆっくりと頷いた。
「国境の兵が普段より少ないようだ。配置するカイロンの数も減っていると報告があった。王都襲撃への準備ともとれる」
本当に帝国が動いているのか、と議事堂がざわめいた。小さな島での内乱が帝国からの攻撃の予兆だったとは、さすがに誰も予想していなかったようだ。以前から国境付近に不穏な気配はあったが、いよいよ侵略が始まるということか。
これまで近隣の小国への侵略を進めてきたパラス帝国は、五年ほど前にジュノーより広い国土を有するようになった。人口はジュノーの二倍ほどとされている。本格的に攻撃を加えられれば、無傷では済まない。
重苦しい空気が支配する中で、アリスが言った。
「でも、私たちは事前に帝国の動きを察知することができました。王都のカイロンの部隊も、まだこちらには来ていません。急げば間に合いますわ」
その一言が呼び水となって、まずはアリスが王都に電話で一報を入れに席を外した。近いうち、王都を訪れて状況を説明するという方針も決まり、アリスのいない間にその議論が始まった。
「問題は、誰が王都に向かうかだが……」
警察署長が窺うようにテーブルを囲む面々を見た。
「私が参りましょう。ヴァイナーについては我々が最も情報を得ている」
ハリス少将が言う。しかし署長はそれを鼻で笑った。
「いや、私が参りますよ。内乱が起きているというのに、軍の指揮官がいないのはまずいでしょう。名誉挽回の機会を窺っておられるのかもしれんが、不審人物を放置しテロ行為まで起こされたとあっては、どんな言い訳をしてもごまかせませんよ」
「なんだと貴様、無礼だぞ!」
少将が立ち上がって叫ぶ。眼鏡を直す指がカタカタと揺れていた。上司がケンカを買おうとしているのに、シャノンは素知らぬ顔で議場の出入り口の方を見ていた。ちょうど、アリスが戻ってきたところだった。
「あらあら、ずいぶんと議論が白熱しているようですわね」
アリスが冷やかすように言うと、二人は気まずそうに顔を逸らした。
「それで、あちらの反応はいかがでしたかな?」
好々爺然とした笑みを浮かべ、補佐官がアリスに尋ねる。
「ええ、国防担当の閣僚にお話ししたら、大変うろたえておられましたわ。数時間前に内乱の発生と聞いたのに、なぜそうなるのかと。こんな小娘の言うことを信じていただけるか心配しましたが、帝国の不穏な気配はあちらも察知していたようで、すぐに対策を取るとのことでした。具体的には、王都の軍事用カイロンの配備を有事の態勢に変更し、地方のカイロンも王都に集めて戦力を増強するそうです」
「そこまで整えば、王都の防衛は完璧ですね」
ハリス少将は得意げに口の端を上げた。しかし、と警察署長が口を挟む。
「王都からの援軍が見込めないとなると、内乱はこの島にいる者たちだけで解決せねばならんということです。数的有利はこちらにあるが、ヴァイナーの動きも読み切れていない。そう簡単ではありませんよ」
「ええ、私もそう思いますわ。ですから、軍と警察が一丸となって、畳みかける必要があると存じます。お二人の指揮には、とても期待しております」
威圧的な笑顔で放たれたアリスの言葉に、二人の顔が引きつった。
「それは素晴らしい。王都への長旅は、僭越ながら私がお引き受けしましょう」
補佐官もにこやかに追い打ちをかけ、ハリス少将と署長はようやく作戦を練り始めた。その様子を見て、アリスが私とクレアに言う。
「ありがとう。あなたたちが危険を冒して掴んでくださった情報で、ジュノーは救われたわ。あなたたちも、ひとまず避難してちょうだい」
私はシャノンとエルを見たが、彼らは事態が収束するまでトゥーレに残るという。私もクレアも後ろ髪を引かれる思いだったが、ここにいてできることもなく、議事堂を出た。
「私、じいちゃんばあちゃんと暮らしてるんだ。たぶん私を待っているだろうから、早く帰って一緒に避難しないと」
クレアはそう言うと、駆け足で家に戻っていった。
私の母も、きっと私の帰りを待っているだろう。クレアの話を聞いて母が恋しくなり、私も駆け出した。
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