第5話 管制塔にて待つ(2)

 ブラントン先生を襲った犯人はまだ見つからず、普段は比較的穏やかなこの島にはどことなく落ち着かない空気が漂っていた。母も、お客さんや近所の人との話題はもっぱらその件だと言っていた。

 アリスは依然としてトゥーレで当主代理を務めているが、今のところ何も問題は起きていないようだ。しかしギルバートたちは必ず次の手を打ってくるはずで、私は一人戦々恐々としていた。


 こんな調子では、仕事にも支障が出てしまう。私はデスクから立ち上がり、気分転換に管制室の窓辺に向かった。まだ次の便の到着には三十分以上あるので、問題ないだろう。


 その時、私の立つ場所に突然影が差した。今日はさほど風が強くなかったはずだが、雲でも流れてきたのだろうか。何気なく窓の外に目をやって、私はぽかんと口を開けた。


「うそ……」

 すぐ横を過ぎて行ったのは、カイロンだった。この空港から次に飛び立つ予定は約一時間後の貨物用だが、それとは違う。軍用騎でもない。しかし、キャノピーが見えたことから、野生のカイロンでもない。

 私は同僚たちに声をかけ、カイロンの航行予定に変更が出ていたかと尋ねた。そんなはずはない、と答えが返ってくる。


「所属不明騎……? どういうこと?」

 ドアが開き、別室にいたジェイデン室長が駆け込んできた。

「今、トゥーレの軍から連絡があった。先ほどこの管制塔近くを通った一騎だが、軍も把握していなかったそうだ。当然、行き先も操縦者もわからない」

「つまり、何も情報がないということですか?」

 室長はうなだれるようにして頷いた。


「とりあえず、今はこちらに向かっているカイロンとの衝突が心配だ。連絡を取って注意を促してくれ。行方がわからないから、気をつけろとしか言えないが」

 私はデスクに駆け戻り、到着予定のカイロンの空路を監視しているクレイン航空交通管制部に電話をかけた。トゥーレに向かう便は、定刻通り飛行しているという。私は所属不明騎が既定の空路を横切る可能性があると伝え、付近を通る全便への通達を頼んだ。

「了解いたしました。トゥーレに近い便から順に、通信で伝えます」

 女性にしては低い、落ち着いた声の管制官だった。彼女は無駄なことは一切言わず、電話を切った。あの様子なら心配はいらないだろう。

 私が受話器を置いたのを見計らったかのように、通信機のランプが瞬いた。


「ハイ、アレッタ」

 陽気な声に、私はかくりと力が抜けた。

「シャノン、いくら軍がこちらの受信周波数を知っているからと言って、普通に連絡を取って良いわけじゃないと思うわ」

「今の状況は普通じゃないから、大丈夫だよ」

 シャノンは軽く笑い飛ばすと、私に言った。


「これから緊急発進して、所属不明騎を追跡する。深追いはしないつもりだけど、アリスとエルには心配しないように言っておいて」

「私は伝言板じゃないわよ」

「もちろん知っているよ。そんな綺麗な声で喋る伝言板なんて、見たことがない」

「な……シャノン!」

 何か言い返さねばと口をぱくぱくさせているうちに、通信は切れてしまった。私は毟るようにヘッドセットを取り、立ち上がる。

 窓の向こう、軍の滑走路から、一騎のカイロンが優雅に飛び立つところだった。




 所属不明のカイロンを目撃してから一時間ほどが経過したが、それを見かけたというパイロットはいなかった。トゥーレに向かっていたカイロンも無事着陸でき、衝突したという報告もない。

「まあ、あとは軍からの連絡を待つしかないな。私たちにできるのは、安全に配慮することだけだ」

 室長はそう言って、既に疲れた顔をして自分の執務室に戻っていった。予定ではこれから二騎の出発と一騎の到着が予定されていたが、三便とも欠航になった。所属不明騎が見つかるまで、運航の再開はしないだろう。


「なんだか、手持ち無沙汰ね。やることはなくなってしまったけれど、落ち着かないわ」

 ケイティが管制室をうろうろと歩き回りながら言う。私も同感だった。シャノンに言われた通りクロフォード邸に連絡を入れたら、もう仕事はない。

 それにしても、一体どこのカイロンだったのだろう。民間騎でも軍の所有でもないとすれば――。


「牧場から、逃げ出したとか……?」

 すでに軍が確認しているだろうと思いつつ、私は気になって管制室から電話をかけてみた。十回ほどコールしてみたが、応答はない。あの太った施設長はいないのだろうかと首を捻り、仕方なく電話を置いた。


 その日はそのまま帰宅を言い渡され、私は家に向かう道を歩いていた。途中、物々しい様子の軍や警察の集団が、同じ方角に向かっているのが見えた。あの先は、牧場だ。やはり、カイロンが囲いを破って逃げ出してしまったのだろうか。

 そして牧場の方に向かう集団とは別に、馬車が連なっているのも見た。馬車の豪奢な見た目から察するに、乗っているのは街の名士や議員といった面々だろう。


「支庁舎の方ね……」

 アリスも、あの馬車の中にいたかもしれない。今後の対応を、頭を捻って考えているところだろう。クロフォード邸のマークさんに聞けば、多少は状況がわかるだろうか。邪魔になるだろうとは思ったが、どうしても気になって、結局クロフォード邸の方へと足を向けた。


 屋敷の門の前の道でエルを見かけ、声をかけた。

「エル、アリスの傍にいなくていいの?」

「ああ、支庁舎での警護は他の奴に任せてきた。それに入り口でチェックしているから、怪しい人間は入って来られないはずだ」

「この騒ぎは、所属不明のカイロンに対処するため?」

「それもあるが、どちらかといえば、目的は反乱の鎮圧だ。――カイロンの牧場が、革命軍と名乗るやつらに占拠されたらしい」

「占拠……!? じゃあ、あのカイロンもそこから?」

 おそらくそうだろうと、エルは言った。


「牧場の人達は、無事なの?」

 管理棟の電話に出る者がいなかったのは、それが理由だったのだ。クレアは大丈夫だろうか。

「連絡は取れていない。状況が全くわからないんだ。昼過ぎにカイロンの飼料を届けに行った業者が、ガラの悪い奴らが占拠していると通報して判明したんだよ。街外れだから、気づくのに時間がかかったんだろう」

 協議をして、先ほどようやく警察と軍が合同で牧場に向かったという。私が見た物々しい一団はそれだったようだ。


「占拠した目的も、まだわからない。革命軍というくらいだから、ジュノーの支配を良く思っていないということだろうが」

 ギルバートも、ずいぶん思い切った手段に出たものだ。牧場にいるカイロンは、この島の軍用騎の数十倍。手術済みの個体に限っても、十倍にはなるだろう。それを握るということは、領主の喉元に刃を突き付けるのと同じだ。


「……シャノンから聞いていたが、ヴァイナーという男は“戦争屋”かもしれないな。争いの火種を撒くのが仕事の奴らだ」

「そんなことをして、何になるの?」

 怒りに震え、私は叫んだ。

「仕事を依頼する人間には、メリットがあるのさ。大体は、金儲けか敵国の弱体化が目的だ。住む場所を戦場にされる俺たちにとっては、迷惑この上ない」

 エルは私に比べればずいぶんと冷静だったが、それでも苛立ちが見えた。


「俺はこれから、牧場の様子を見に行く。山側から回って、ギリギリまで近づくつもりだ」

「それ、私も行ってもいい? 牧場には友達がいるの」

 足手まといになるだろうと思っても、じっとしていられなかった。普通なら拒むだろうに、彼はからりと笑って了承してくれた。

「ちょうどいい。アレッタを無事に帰さなきゃと思えば、無茶もできないからな」

 すぐに行けるかと問われ、もちろんと答える。私たちはメインストリートから離れた住宅地を通り、草が伸び放題の空き地から山道に入った。


「こんなルートがあったなんて、知らなかったわ」

「道というより通れるところを進んでいるだけだからな。俺は仕事上把握しておく必要があるから知っているが、牧場の職員もこんなところは通らないだろう」

 例えばクロフォード邸が襲撃を受けた時、見つからないように移動するルートをいくつか想定しているのだという。

 覚悟はしていたものの、山道は上がったり下がったりを繰り返してなかなかに険しかった。エルはまったく息が切れていないが、私はついていくのに精一杯だ。


「よし、とりあえずここで一旦様子を見よう」

 エルが木に囲まれた一角で足を止め、私はほっと息をついた。彼は早速枝をかき分けて、牧場の様子を窺っている。

「牧場にはカイロンが数頭出ているが、人影はないな」

「厩舎や管理棟の灯りは点いているわね。そこにいるのかしら」

 籠城するなら、拠点が必要になる。牧場で使えそうなのは、管理棟くらいだろう。あるいは、山の中に潜んでいるのかもしれない。


 しばらく眺めていたが、事態が動く様子はなかった。警察や軍も、まだ様子見の段階なのだろうか。私の疑問に、エルが答えた。

「あちらからは、敷地内に入れば従業員の命はない、という脅しがあったそうだ。人質がいる以上、いきなり突入はできないだろうな。牧場はひらけているから、気づかれないように近づくことも難しい」

「クレア……」

 どうか、無事でいてほしい。気の強い彼女が、反抗して怪我でもしていないか、心配だった。


 到着したのはまだ夕暮れ時だったが、山の中にいるうちに完全に日が落ちた。エルは準備していた懐中電灯を、牧場の方角に向かないよう注意しながら点けた。

「これは今日中には動かないかもしれないな。この場所が監視に使えるというのはわかったから、一度戻る――」


「……どうしたの、エル?」

 エルは素早く牧場の方を振り返ると、私に言った。

「足音がしないか?」

 彼に倣って、耳を澄ませる。すると、草を踏む音が聞こえてきた。段々、大きくなっている。歩く速度ではなく、駆け足だ。でも、あまりにも速すぎないだろうか。


「カイロンだ!」

 エルが鋭く叫んだ刹那、私は風に煽られてよろめいた。ごう、と耳元で鳴る。私より先に態勢を立て直したエルが、山の中に目を向けて言った。

「牧場から走ってそのまま飛び上がり、森に突っ込んだみたいだな。ネットが張られていない区画にいたから、もう“手術”済みで逃亡の恐れがない個体のはずだが……」

「暴走、というわけでもなさそうだけど」

 私たちは近くにいるはずのカイロンの元に向かうことにした。


 風圧や音から考えてもっと近いと思ったが、歩いて五分ほどの場所に、カイロンはいた。悠々と、木の傍に寝そべっている。やはり、暴走ではないようだ。

 すると、何か堅いものを叩くようなコンコンという音が聞こえた。音の出所は、カイロンのようだ。注視していると、もう一度音が鳴った。そして、背中の甲殻がゆっくりと開いた。


「……ふう、やっと出られた」

 そこからひょっこり顔を出したのは、クレアだった。彼女は私たちを見て、心底びっくりしたように、目を見開いた。

「エルにアレッタ! こんなところでどうしたんだ?」

「それはこっちの台詞だ、クレア。お前、人質になっていたんじゃないのか?」

 呆れを滲ませて、エルが言う。どうやら、二人は知り合いのようだった。

「いや、そうなんだけどさ、とっさにカイロンの中に隠れたら見つからずにすんだんだ。それでずっとカイロンの中にいたんだけど、もしかして操縦すれば外に出てくれるんじゃないかと思って」

 クレアが乗り込んだカイロンは既に操縦席も設置されていて、出荷間近のようだった。一か八か、牧場の外に向けて走るよう指示を出したのだという。


「いやあ、見よう見まねでも、なんとか動いてくれるもんだね」

 あっけらかんと、クレアは笑った。

「まったく、お前も命知らずだなあ。怪我がないなら良かったが」

 お前も、の中にはシャノンやアリスのことも含まれているはずで、心労が絶えないエルに同情した。


「とりあえず、帰るか」

 エルの言葉に、私とクレアが頷く。クレアはカイロンに声をかけ、そのまま一緒に連れて行こうとしていたが、エルが止めた。クレアが不満そうに口を尖らせる。

「だって、ここに残していったらかわいそうじゃないか」

「そんな目立つ荷物、ダメに決まっているだろう。置いて行け」

 まるで捨て猫を拾った時のやりとりである。この二人は相当親しいのではないかと私は思った。


 結局、エルがカイロンを促し、首を叩いて牧場の方へと向かわせた。ブリンカーが装着されているカイロンは、そうやって素直に命令を聞くらしい。クレアは名残惜しそうに、カイロンを見送った。

 私たちはクレアを連れ、来た道を戻った。暗くなっているので、行きよりも歩きづらい。石ころや木の根につまずきそうになりながら、なんとか山を抜けた。


「そうだ、アレッタが話していた、ヴァイナーってヤツも見たよ」

 カイロンの中に隠れる前、厩舎の隅に身を潜めていたクレアは、革命軍と名乗った者たちの会話を聞いたのだという。

「計画は順調で、あとは最後の仕上げだけだって。近くにギルはいなかったから、それはあいつに言ってないのかも」

「反逆者の存在を知らせて騒ぎを起こして、これから何をするつもりなんだ? 確かに、わざわざ介入したにしては生ぬるい気がするが……」


 今はまだ、直接的な衝突は起きていない。アリスも武力行使だけで押し切らず、できるだけ穏便に解決しようとするだろう。

 それに、ギルの望みもまだ果たされていない。ユアン・シーバートがどこかで生きていたとしても、この規模の騒動では耳に入らないのではないだろうか。


「ともかく、その話も含めて一度アリスに報告を――」

 エルが足を止め、前方の木立を凝視していた。さわさわと草が揺れる音は、風のためか、それとも。

「灯りが見えた。敵かはわからないが、とりあえず少し離れるぞ」

 エルの見ていた方向には、確かに揺れる灯りがちらついていた。再び山道に戻ることになるが、仕方がない。しかし、戻るとそのぶん、灯りもついてくる。私はじわじわと、恐怖を感じ始めていた。

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