第6話 幻想を歌う獣(2)

 私は管制塔から地上に降りて、市街地を走った。ベイレイを加工する工場の場所は、大体見当がついていた。いつ爆弾が降ってくるかわからない恐怖の中、私はがむしゃらに走った。


 息を切らせて、工場の様子を覗く。当然だが、人の気配はなかった。

ベイレイはどこにあるのだろう。そもそも、加工前のものは残っているだろうか。私は薄暗い工場の中を歩き回った。石を研磨するためのものらしい機械。外殻からベイレイを削り出すのは、これより前の工程だ。

 工場の一角に、ひと際大きな機械が何台か並んでいた。最初に使うのは、これだろうか。


「……あった!」

 作業台の上に、まさに今から作業を始めるところだったらしいベイレイがいくつか転がっていた。職人たちがそのままにして避難したのだろう。

「ごめんなさい、後でお返しします!」

 私はベイレイを抱えて工場を出ると、管制塔に駆け戻った。途中、庁舎に爆弾が落ちるのを目の当たりにした。一キロ近く離れているはずだが、爆風と熱は私のところまで感じられた。早く、早く。私は思い通りに動いてくれない足を叱咤しながら、来た道を戻った。


 階段をようやく上り切って、放送室のドアを開ける。部屋の三面が機材で埋まった、小さな部屋だ。私は棚の中にあった操作マニュアルを引っ張り出し、全島放送のスピーカーから音を流す方法を確認した。


「電源を入れて、ボリュームは最大に設定して……」

 ぶつぶつと独り言を言いながら、一つずつ操作していく。焦って文字が目を滑り、なかなか意味を理解できない部分もあったが、なんとか完了した。

「このボタンを押せば、放送開始ね」

 私はマイクの前に持ち出したベイレイを置いた。工場と同じような音を出すには、どうすればいいだろうか。少し考えて、工具箱から金槌を持って来た。


 さあスイッチを入れようと指を置いた時、私は大変なことに気づいた。ウィンベリー中尉とナイトレイ曹長は、今もカイロンを飛行させているはずだ。先に伝えておかないと、彼らのカイロンも暴走して危険に晒すことになる。

 急いで管制室に戻りウィンベリー中尉と通信しようとしたが、電波があちらに届いている気配がなかった。嫌な想像が過ぎったが、考えないようにしてナイトレイ曹長と通信を試みた。


「はい、ナイトレイ曹長です。アレッタさんですか?」

「良かった、繋がって! お二人ともご無事ですか?」

「はい、途中からエルドレッド様が加勢してくださって、無傷とはいきませんが持ちこたえています。少尉と連絡が取れないのは、攻撃を受けた際に電気系統の一部がやられたからかもしれません。何かご用件がおありですか?」

「はい、今からカイロンを暴走させるつもりです」

 冷静沈着な曹長も、さすがに返事をするまでに間が空いた。


「それはつまり……一連のカイロンの暴走の原因が、判明したということですか?」

「実際に試したことはありませんが、これではないかというものを見つけました。ぶっつけ本番ですが、試しても良いでしょうか?」

「本来なら少佐の判断を仰ぎたいところですが、今は不可能ですね。私としては、遠慮なくどうぞという気持ちです。そうなると、我々は着陸するべきでしょうか」

 感動するほど理解が早い。しかし、少尉と通信できないことが懸案だ。私がそう言うと、問題はないという答えが返ってきた。

「通信ができなくなった時のために、カイロンの翼の動きを使ったサインを決めてあります。エルドレッド様にも、お伝えしましょう」

「ええ、お願いします!」


 通信を切ると、一気に恐怖が襲ってきた。これは賭けだ。カイロンは一度着陸してしまえば、また飛び上がるまでに時間がかかる。先ほどまでうまくいっていた戦法を捨てることになるのだ。もし、私の推測が何もかも間違っていたら。期待していたような効果がなかったら。想像するだけで体が震えた。

 しかし、もう後戻りはできない。私は放送室に入り、スピーカーとマイクのスイッチを入れた。


 左手でベイレイを押さえ、右手に金槌を握る。そのまま、ベイレイに金槌を打ち下ろした。恐る恐る叩いた音は、鈍く弱々しかった。もう一度、振り下ろす。今度は少し大きな音が鳴った。表面の外殻部分に、ひびが入る。やがて、無機質な音に、澄んだ高い響きが混じるようになった。

 涼やかで明瞭なその音は、どこかシャノンの声に似ていた。


 そろそろ、良いだろうか。ベイレイは硬く、金槌を握る手が痺れていた。右手をさすりながら、様子を見に管制室に向かった。

 窓の外を見る。帝国軍のカイロンは、まだ島の上空に留まっていた。ただ、少しふらついて、落ち着きを失っているようにも見える。例えるなら、虫にまとわりつかれて鬱陶しそうにしている感じだ。

 しかし、私が見たことのあるような、制御を外れた暴走まではしていない。


「どうして……」

 効果は出ている。間違ってはいないはずだ。でも、あと一歩、何かが足りない。

 目の前が暗くなりかけた時、チカチカと点滅する緑のランプが目に入った。私は飛びついてヘッドセットをつけた。


「こちら管制塔!」

 叫ぶようにして声を送ると、元気だな、と笑う声が返ってきた。エルの声だ。

「アレッタ、シャノンからの伝言だから、よく聞けよ。必要なのは“不協和音”だ。ベイレイを同時に打ち鳴らせ」

「わかったわ、やってみる!」

 放送室に戻った私は、使えそうなものを探した。機器の埃避けにかけられていた布を剥いで、ベイレイをひとまとめにして包む。これで上から叩けば、いくつものベイレイが同時に振動するはずだ。


 今度は躊躇なく、ベイレイの塊に向かって金槌で叩いた。布の中でベイレイが転がり、ぶつかり合う。私は夢中で、金槌を振り続けた。


 どのくらい経っただろうか。気づけば鼻の頭やこめかみに汗をかいていて、布にぽたりと雫が落ちた。

 私は息を整えながら、恐る恐る、管制室の窓を覗いた。


 先ほどまで空を覆っていたカイロンは、ずいぶん疎らになっている。下方に目を転じれば、悶えながら滅茶苦茶な飛行をするカイロンたちが見えた。突然上昇したかと思えば、急旋回し、そのまま降下する。突如口を開け、咆哮する。そう、これこそが暴走だ。ベイレイの音は一つならばカイロンにとって気になる音でしかないが、いくつも重なると不快になり、変調をきたすのだ。


 やがて体力を使い果たしたらしいカイロンが、墜落した。腹に入っていた爆弾が破裂し、周囲が炎に包まれる。その様子を見てか、カイロンから脱出しようとするパイロットの姿も目に入った。運よくベイルアウトのシステムが作動したらしい者もいれば、翼に弾かれて落下していく者もいた。

 少ないが、まだ飛行を続けているカイロンもいる。私は再び、ベイレイを打ち始めた。どこかで轟音が聞こえた。パイロットが一矢報いようと建物を爆撃したのか、単にカイロンが落下したのか。


 もう少し、あと少しだけ。一旦叩き始めると止めることが怖くなった。この音が響いている間は、カイロンは兵器として意味をなさない。しかし、正気に戻ってしまったら状況も元通りだ。

 その時、びりびりと壁が振動し、私は顔を上げた。そして次の瞬間、先ほどの比ではない耳をつんざくような轟音と大きな揺れが襲ってきた。


「何……?」

 しばらくは頭の中で音がわんわんと反響して、自分の声も聞こえなかった。放送室の出入り口から顔を出した私は、目に飛び込んできた光景に、言葉を失った。


 管制室の窓と天井の一部が、なくなっている。抜けた天井の向こうに、空が見えていた。少し考えてようやく、爆撃されたのだとわかった。

 部屋の中も、ぐちゃぐちゃになっていた。机は横倒しになり、その上に載っていたはずの通信機器は熱を受けてひしゃげている。どう見ても、もう使えないだろう。


 部屋のあちらこちらで、火の手が上がっていた。息苦しいほどに熱く、私は口を押さえてしゃがみ込んだ。

 私は這うようにして廊下を進み、階段に向かった。下り階段の踊り場を目にして、これは無理だと思った。

 階下もすでに燃えている。黒々とした煙がこちらに迫っていて、向こうが見えなかった。

 糸がぷつりと切れたように、体から、ふっと力が抜けた。熱気を感じるのに、体の芯は冷えていく。泣き叫んで嘆く気力も、起きなかった。


 これも、報いなのかもしれない。私がカイロンを暴走させたことで、何騎ものカイロンが墜落し、爆弾と共に焼けただろう。命を失ったパイロットもいたはずだ。

 仕方ないと、それだけのことをしたと、納得はしている。でも、後悔はあった。


「あーあ、意地を張らないで、シャノンの声を聞いておけばよかった」

 大きな独り言を口にすると、少しだけ恐怖が和らいだ。考えないようにしていたけれど、私は怯えていた。死ぬときは、痛いのだろうか、苦しいのだろうか。もうその時はすぐそこに迫っているのに、私はただ震えて待つしかなかった。母を、父を、友人たちを、思い浮かべる。私は一人死んでいくけれど、最期の瞬間、せめて瞼の裏側では皆に寄り添っていてほしかった。


 その音が聞こえた時、初めは幻聴だと思った。

 パチパチと、火の爆ぜる音。それを打ち消すかのように、鳴り響くベルの音。聞き慣れた、電話のベルの音だ。


 まさかと思ったが、ベルはまだ鳴っている。私は立ち上がり、音を頼りに電話を探した。見つかった場所は柱の陰で、電話も爆風に飛ばされて転がったらしかった。奇跡的に、電話線は繋がっているようだ。


「はい……」

 私は受話器を取り、耳に当てた。かけてくる相手は一人しかいないと、声を聞く前からわかっていた。


「アレッタ?」

「ええ、そうよ、シャノン」

 凛として、温かな声。気づけば私は、笑みを浮かべていた。

「ふふ、初めてあなたと話した時みたい」

「そうだね、僕もそれを思い出していた」

 私は受話器を抱きしめるようにして、ねえ、と呼びかけた。


「私は何も、後悔していないわ。誰も、何も、恨まない。だから、あなたは前だけを向いて、生きてほしい。それが私の願いよ」

 受話器の向こうからは、風のような、ごうごうという音が聞こえていた。微かに、シャノンの息遣いを感じた。


「……アレッタ、まだ、諦めるには早いよ」

「え……?」

「君は僕に、もう一度会えると信じていると言った。だから、僕も諦めない」

 シャノンの力強い言葉の向こうで、カイロンの咆哮が響いた。雄々しくもどこか切ない、感情を揺さぶるような声――。


 はっと気づくと、手の中から受話器が消えていた。

 それだけではない。燃え盛っていた炎はなくなり、管制室は窓も天井も元通りになっていた。……いや、机の配置や窓の幅が、少し違う。


「ここは……」

 床にぺたりと座り込んでいた私の横に、誰かが立った。男物の、革靴を履いた足が見える。その人物を見上げた私は、驚きの声を上げた。


「お父さん……?」

 記憶の中と同じ姿をした父が、私の目の前に立っていた。父は私に立ちあがれというように、手を差し出す。私は右手を伸ばし、その手を取った。

 子供のように手を引かれ、私は管制室を出た。廊下を少し進むと階段がある。父が足を踏み出したのは、屋上に通じる上り階段だった。


 この階段は、どこまで続いているのだろう。父は私を、“お迎え”に来てくれたのだろうか。

 私は導かれるまま階段を上った。ドアノブを回し、重いドアを体重をかけて押す。強風が吹きこんできて、反射的に目を瞑った。


 次に目を開けた時、父の気配は消えていた。それだけではなく、再び爆撃に曝された建物に戻っていた。屋上の手すりはぐにゃりと歪んでいて、床は一部がひび割れ、抜けていた。


 不意に、頭上から影が差した。手をかざして見上げれば、見慣れたカイロンが一騎。優雅に羽ばたきながら、ゆっくりと高度を下げている。

 私はまだ、夢を見ているのだろうか。カイロンは器用に、今にも崩れそうな屋上の縁に足をかけて降り立った。その耳には、アリスがわざわざ実験のために作らせた、耳当てがつけられていた。


 カイロンの外殻がゆっくりと開く。私は息を詰めて、その様子を眺めていた。

 カイロンの中からシャノンの顔が覗いた時、私は駆け出していた。彼が伸ばした腕の中に飛び込む。カイロンの背に入った私たちは、互いの鼓動を確かめるように、そのまま言葉もなく抱きしめ合っていた。


 私の体をそっと離して座らせると、シャノンはカイロンの耳当てを外し、操縦機器を操作してキャノピーと外殻を閉めた。それ以外は操作をせず、カイロンに何事か声をかける。私を振り返り、シャノンは言った。

「カイロンに乗ったことは?」

「ないわ! 中に入るのも初めて!」

 私は興奮して叫んだ。操縦席は列車のように座席も設置されていたが、生き物の温かさに包まれている感じがした。


 シートベルトをするように言われ、私はシャノンの隣の席でシートベルトを締めた。ガラス越しに、ボロボロになった屋上が見える。

「滑走路もないのに、飛べるの?」

 不安になって尋ねると、シャノンは自信に満ちた顔で答えた。

「風を掴めば飛べる。さあ、行くよ」

 ぐらりと揺れて、カイロンが力を貯めるように身を屈めたのがわかった。そして、太い足が思い切り屋上の縁を蹴り、宙へ飛び出す。


 ふわりと浮いたと思ったのも束の間、カイロンは一直線に降下していた。内臓が飛び出すのではないかと心配になるようなぞわぞわする感覚に、私は悲鳴を上げた。思わずシャノンにしがみつくと、彼は楽しげに笑った。


 このまま墜落するのではと心配になったころ、再び浮遊感を覚えた。翼がはためくばさりという音がして、そこからはぐんぐん上昇していく。

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