第3話 優しいカイロン(3)

 その翌日、仕事を終えた私はクロフォード邸を訪ねた。クレアの話や、自分が管制塔から目撃した情報を伝えるためだ。特に約束はしていなかったが、マークさんによれば、アリスは戻っているという。すぐに、部屋に通してもらった。


「ご苦労様、アレッタ……ふふっ」

 私の顔を見た途端、アリスが吹き出した。どうしたのかと聞くと、彼女は笑い交じりに答えた。

「だってあなた、シャノンを叱り飛ばしたんですって? 私もその場にいたかったわ!」

「それは……気づいたらもう叫んでいて……」

 私は顔を赤らめ、ぼそぼそと言った。あの時は感情的になっていて周囲の反応なんて気にならなかったが、一日たって冷静になった今は、ひたすらに恥ずかしい。

「彼ったら、珍しくしょんぼりしていたわよ。よっぽどショックだったのね」

「うう……すみません」

 首を垂れた私に、アリスは明るく言った。

「あら、謝る必要なんてないわ。彼は昔からよく無茶をして、私やエルをやきもきさせていたの。良い薬よ」

 年下の彼女にここまで言われるとは、シャノンは過去に何をしでかしたのだろう。そういえば、彼の部下も似たようなことを言っていた気がする。


「それで、シャノンはまだ帰っていないのですか?」

「ええ、昨日の件で、軍内でも本土への報告とか対策会議とか、色々あるみたいよ。パイロットの聞き取り調査も、今日やる予定だって聞いたわ」

 もうしばらく帰らないだろうと、アリスは言った。

「あなたの方は、何かわかったの?」

 私は牧場のカイロンも様子がおかしくなったことを話した。

「やっぱり、そうなのね。ウチにいる二頭も、そわそわしていたとエルが言っていたわ」

「ウチに……? クロフォード家はカイロンを所有しているということですか?」

 それは初耳だった。アリスは頷いて言う。

「エルが中心になって世話をしているの。私やお父様の移動に使えるし、万が一暴動が起きても戦力になるでしょう?」

 アリスはマークさんに言って、エルドレットをこの部屋に呼んでもらった。彼も私を見て豪快に笑い、私はまた縮こまることになった。


「アリスが言ったと思うが、昨日の昼頃は二頭ともうろうろと歩き回って落ち着きがなかったよ。ウチのは比較的動じない性格なんだが、それであの調子なら、よっぽど気になることがあったんだろうな」

「何を気にしていたか、心当たりはありますか?」

「いや、今のところこれといったものはない。ただ、思い返すと週に一度くらい、落ち着きがない時があった気がするんだ。“火曜日”に何かあるという仮説は、正しいかもしれない」

「でも火曜日って、そんな特別なことがあったかしら……」

 アリスが首を捻る。


「この辺りでは、生ゴミの収集日ですねえ」

 マークさんが言い、もしかして、とアリスが声を上げた。

「生ゴミの臭いが嫌で、暴れたんじゃないかしら! カイロンは臭いものが苦手なのよ、きっと!」

「うーん……どうでしょうか」

 カイロンが私たちに比べて鋭い嗅覚を持つのは確かだが、生ゴミの臭いはたぶんその時々によって変わるだろう。それに、マークさんが言ったように収集日が火曜日ではない地域もある。私が指摘すると、アリスはすぐ次の案を出した。


「火曜日といえば、市場は青果を売り出す日よ! カイロンが特別に敏感な匂いの果物があるんじゃない?」

 どうやらアリスは匂いが原因だという説を推しているらしい。しかしこれには、エルが異論を唱えた。

「市場が出るのは午前中の比較的早い時間だ。カイロンの様子がおかしくなるのは早くても正午ごろからだから、時間に開きがある。それに、これは匂い全般に言えることだが、その日の風によって匂いの強さも範囲も異なるはずだ。この島全体に加えて上空を通過するカイロンにも影響があるとすると、可能性は低いと思う」

 淡々と話すエルの意見には、説得力があった。役回りや豪快そうな見た目から勝手に武闘派だと思っていたが、冷静沈着な参謀のようでもあった。


「では、匂い以外はどうですか? まず思いつくのは、視覚や聴覚ですが」

「動物によっては、人が認識できない波長の光が見えるそうよ。例えば空から降り注ぐ光が原因だとしたら、上空のカイロンも見えるはずだわ」

 それは有り得るかもしれない。匂いよりは光の方が遠くまで届くだろう。しかし――。

「空からとなると人工物が原因とは考えにくいが、毎週火曜日の同じ時間に、自然に光が降り注ぐのか? 天候は一定ではないし、毎週というのは難しい気がするぞ」

「じゃあ、地上から光を発する何かがある、とか?」

 アリスが言ったが、自信があるわけではなさそうだ。


「聴覚……音なら天候にあまり左右されないですね。ただ、音も無数にありますから、手がかりがないと特定は難しそうです」

 私の言葉に、二人が頷く。

 結局これといった案が出ず、エルがこれまでの話をまとめて言った。

「とにかく、毎週火曜日の正午から後に限定して起こることを調べるしかないな。街の知り合いにも、それとなく聞いてみるよ」

 そういうことなら、私も役に立てそうだ。もともとこの島の人間なので、警戒されることもない。


「ずいぶん議論が盛り上がっているね」

「あら、お帰りなさいシャノン」

 部屋に入ってきたシャノンは、アリスにただいまと微笑んだ。私は顔を合わせづらく、目を逸らす。

「それで、軍の方では何かわかったのか?」

「原因については、はっきりしなかった。パイロットは今回も、蜃気楼のような幻覚を見たと言っていて、その直後にカイロンの様子がおかしくなったというのも同じだったよ」

 同じことが三度起こった、ということのようだ。共通点は今のところ、「火曜日」に「トゥーレ」で起こるということ。パイロットは、幻覚らしきものを見ること。そしてどうやら、私たち人間を含む動物たちの中で、その異変を感じ取れるのはカイロンだけらしい。


「一度、実験をしてみるのはどうだろう」

「実験?」

 シャノンの呟きに思わず反応してしまった。彼は憎らしいくらい普段通りに、私に向かってにこやかに言う。

「クロフォード家が所有するカイロンに、協力してもらうんです。来週の火曜日、二頭を外の様子が見えない屋内に入れて、一頭は耳を、もう一頭は鼻を覆っておく。原因が音か匂いなら、どちらかのカイロンだけが反応するはずです。二頭とも反応がないなら、目で見える何かが原因ということでしょう。対照として、牧場のカイロンがその時落ち着きを失っていたと確認できれば、比較する条件は揃います」

「なるほど、それはやってみる価値がありそうだ」

 アリスも良いアイデアだと賛同し、早速耳や鼻を覆う器具を作ってもらおうと言った。


「じゃあ、私はそろそろ失礼しますね」

 夢中になって話していたら、ずいぶんと遅い時間になっていた。明日も仕事があるので、あまり夜更かしをすると業務に支障が出てしまう。睡眠不足は集中力の低下を招くことになり、管制官にとっては致命的だ。


「ああ、アレッタ。遅いから送っていきますよ」

 シャノンに呼び止められた私は、とっさに断ろうとした。しかし、ここで距離を置いてしまったら溝ができてしまうかもしれない。私は小さく礼を言い、それでも横に並ぶのは緊張するので、先に早足で部屋を出た。




 クロフォード邸を出て少し経ったところで、シャノンが遠慮がちに私の名前を呼んだ。

「そんなに先に行かれたら、送ることにならないですよ」

「ご、ごめんなさい」

 私は顔を赤らめ、歩調を緩めた。どうやら緊張のあまり、どんどん早足になっていたようだ。


「でも、あなたは今私の顔なんて見たくないんじゃないかと思って」

「ああ、昨日のやりとりのことですか? 気にしていない……わけじゃないですけど」

 やっぱり。謝ろうと口を開きかけた時、シャノンが先に言った。

「あなたがどうしてあんなに怒ったのか考えたら、なんだか嬉しくなってしまって」

「えっ?」

想定外の答えを聞いて振り返ると、シャノンがにやりと笑った。

「やっとこっちを見てくれた」

「……今の言葉は、嘘?」

 むくれる私に、シャノンは笑いながらいいえと言った。


「怒られたおかげで、考えました。自分はあの判断が最良だと思ったけれど、他にもっと安全な方法があったのではないか。焦らずに、考えるべきだったのではないか、と――」

「違うわ」

 私は思わずシャノンの言葉を遮った。伝わっているようで、実は何も伝わっていない。首を傾げる彼に、私は言った。

「あなたは頭が良いから、考え過ぎなのよ。私、そんな高尚なアドバイスをしたつもりはないの。たとえパイロットを救う唯一の方法があの方法しかなかったとしても、私は無茶をしたあなたに怒っていたわ」

「それじゃあ、僕はどうすれば良かったんです?」

「さあ、それは頭の良いあなたが考えればいいんじゃない?」

 横暴だとシャノンが吹き出し、私も笑った。


「怒られたくなかったら、無茶はしないことね。怪我もせず、生きて帰ること。……単純でしょ?」

「単純だね。でも、簡単ではない」

 自分の身を省みない彼のような人にとっては、そうなのかもしれない。また、軍人とはそういうものなのかもしれない。

「簡単じゃなくても、守って。私を不安にさせないで」

 怒りは不安を覆い隠すための虚勢だ。シャノンに万一のことがあったら。そう想像するだけで、背筋が凍った。理由なんてわからない。ただ、私はその時確かに、そう感じた。その事実があるだけだ。


「……ありがとう、アレッタ」

 シャノンは穏やかな顔で、私に言う。でも結局、無茶をしないという約束は、してくれなかった。

「うちはこの道の奥だから、ここまででいいわ」

 いつの間にか、家の近くまで来ていた。時間切れだ。名残惜しく感じながら、私は言った。


「じゃあ、また来週にでも。おやすみ、アレッタ」

「お、おやすみなさい……」

 私は小さく答えて、シャノンが見えなくなる場所まで来ると駆け出した。

「今日は遅かったのね、アレッタ。あら、走って帰ってきたの? 顔が赤いわよ」

母に生返事をして、私は自室にこもった。頬が熱い。鼓動が、体全体に響いているようだった。

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