第4話 シーバートの末裔(1)

 その日、私はざらついた空気を感じて目を覚ました。いつもならまどろんでいる時間帯だが、その違和感のせいで目が冴えてしまった。しばらくすると家のドアが開閉する音が聞こえ、どうやら母が帰ってきたようだとわかった。こんな時間に、どこに行っていたのだろう。


「あら、寝坊助さんが今日に限って早起きね」

 母のセリフだけはのんきだったが、表情は珍しく強張っていた。何かあったのかと尋ねると、母は隣家の奥さんと話し込んでいたのだと答えた。


「奥さんが新聞配達員から聞いた話なんだけど、公爵様のお墓が荒らされたそうよ。お骨も一部無くなっているとかで、大騒ぎみたい。ひどいことをする人もいるものね」

「一緒に埋められていた装飾品が盗まれたわけではないの?」

「さあ……そこまで詳しいことは聞いていないわ」


 公爵様のお墓には、先日シャノンと共に訪れていた。人の出入りも少なく、穏やかな場所だったはずだ。どうしても気になって、私は朝食もとらずに家を飛び出した。


 墓に通じる道から、既に野次馬の姿があった。規制しているわけではないようだったので、私は墓のある丘までほとんど駆け足で向かった。

 人垣の向こうに、立派な墓石が見える。墓石が倒されたり転がったりということはなさそうだったが、地面を見ると土が掘り返された跡のようなものがあった。


 近くにいた二人組の男性に聞くと、状況はだいたいわかった。

「埋まっていた棺を掘り起こして、中の遺骨の一部を持って行った奴がいるみたいなんだ」

 一人が言い、もう一人は、わけがわからないというように首を振っている。二人とも同じデザインのツナギを着ていて、胸ポケットに近くの農園の名前が書いてあった。


「公爵様のお骨が盗まれた、ということですか?」

「ああ、上半身をごっそりらしい。それから、ご子息のユアン様もだ。子供の小さな棺まで掘り出して……理解できないよ」

 死者への冒涜だ、罰当たりだ、という声がどこかから聞こえていた。

 確かに、人の心があるとは到底思えない所業だ。それに、目的もわからない。何か金目のものがあるということならわかるが、骨だけを盗むことに何の意味があるのだろう。十年も前に潰えた公爵家の墓を、今さら暴く理由なんて思いつかなかった。仮に恨んでいる人間がいたとしても、時間が経ちすぎている。


 墓の近くには制服を着た警察官や軍人が手がかりを探している様子だったが、そこから少し離れたところに、物々しい集団が見えた。彼らは一様に背が高く、何かを守るように囲んでいる。その中の一人は、よく見るとエルだった。アリスの護衛をする、クロフォード家の警備員たちだ。

 そしてその一団に混じって、シャノンの姿もあった。彼は呆然と、荒らされた墓を眺めていた。すぐにでも声をかけに行きたかったが、今は人の目がある。私はそっと近づき、彼らの会話に耳を澄ませた。


 甲高い感情的な声が聞こえて、アリスが相当怒っているということはすぐにわかった。

「決して許されることではありません。必ず不届き者の正体を突き止め、ご遺体を取り戻してください。必要であれば、私からも本土に協力の要請をいたします」

 憤りは十分に感じられたが、それでもアリスは感情を抑えようと努めているようだった。向かい合っているのは警察官の制服を着た初老の男性で、おそらくトゥーレのトップだろう。彼は若い領主代理にも丁寧な姿勢を崩さなかったが、アリスのあまりに苛烈な怒りに戸惑っているようだった。


「恐れながら、アリーチェ様。墓を荒らす行為は確かに見過ごせるものではありませんが、絶えて久しい公爵家を標的にしたとなると、領主様や我々への反発ではないでしょう。そこまで気にされることも――」

「そんなことはわかっています!」

 アリスはぴしゃりと言った。

「父のかつての盟友とそのご家族の安らかな眠りをお守りすることも、我がクロフォード家が果たすべき役目の一つです。この地がジュノー王国の一部となっても、公爵家への敬意は受け継いでいくと、私は誓っております。その誓いのもと、このような行為は重罪であると示さなければなりません。署長様、この島の治安維持を任じられたあなたであれば、当然同じお気持ちでしょう?」

 署長と呼ばれた警察官は、気圧されたように一歩後ずさった。

「……かしこまりました。全力で、捜査をいたします」

「ええ、お願いいたします。期待しておりますわ」

 ものすごい剣幕だ。私は一人、感嘆のため息をついた。背後に控えていたシャノンとエルも、顔を見合わせて苦笑している。


 私の視線に気がついたのか、シャノンが不意にこちらを見た。彼の唇が、あとで、と動く。私は頷いて、その場を離れた。


「あら、あれは……」

 人垣から少し離れたところに、ギルバートの姿があった。一人、ポツンと佇んでいる彼からは、感情が読み取れなかった。先日は公国の復活を熱望していたが、激昂しているようには見えない。公爵閣下に対する敬愛の念は、特に持っていないのだろうか。

 彼はしばらく墓のあたりやアリスたちを眺めていたが、そこから近づくことはなく、木立の向こうに消えた。


 私は来た道を戻り、そのままぶらぶらと大通りを歩いた。普段に比べればずいぶんと早起きをしたので、まだ時間に余裕がある。市場の店を開けるため準備をしている人たちがいて、街は市場から目を覚ますのだと知った。にぎやかな様子しか見たことのない私にとっては、新鮮な光景だった。

 通りの商店の大部分はまだ閉じたままだったが、パン屋やコーヒースタンドからは良い匂いが漂っている。つい引き寄せられそうになったけれど、家に帰れば母の用意した朝食が待っていると踏み止まった。


 その中で私が目を留めたのは、小さな写真館だった。ショーウィンドウには大小様々な写真が飾られている。額縁の写真はどれも色褪せていて、服装や髪型からも時代を感じた。

 ショーウィンドウの上の方に掛けられた写真も、十年以上前のものだろう。記憶がおぼろげだが、おそらく亡き公爵様だ。長身の、品の良い紳士だった。はにかむ表情からは、控えめな印象を受ける。


 ドアベルの鳴る音がして振り返ると、店主らしい老年の男性がにこやかにこちらを見ていた。

「かつてリト公国を治めておられた、ダレン・シーバート様だよ。知っているかい?」

「はい、私はこの島の生まれなので。でも、こうしてきちんとお姿を拝見したのは初めてかもしれません」

 老店主は頷き、自分は何度かシーバート家の家族写真を撮りに伺ったことがあるのだと言った。

「その写真もシーバート家の屋敷と一緒に燃えてしまっただろうがね、この写真だけは偶然手元に残っていたんだよ。街が賑わっている様子をご覧になるのがお好きだったから、戦争が終わって落ち着いてきたころに、飾り始めたのさ」

「そんな優しい理由だったんですね。素敵です」

 店主は照れたように笑ったが、どこか寂しげだった。


「公爵家があんなことになってしまったのは、本当に残念だった。やるせないね。せめて、ご子息だけでもどこかに逃してやれなかったのかと思うよ」

「でも、たった一人残すのも可哀想だと思ったんじゃないかい? 苦労するのは目に見えているからね」

 店の中で話を聞いていたらしい女性が、箒と塵取りを手に現れた。店主よりやや若い女性で、店主は妻だと紹介した。


「それはそうと、シーバート家には他にも何人かお子さんがいなかったかい? 一緒に遊んでいるのを見かけた気がするんだが」

 奥さんは言ったが、店主はそんなはずはないと答えた。

「一人息子だと、ダレン様はおっしゃられていたよ。一緒にいたのはどこかの貴族の子だろう。確かに兄弟のように、ずいぶんと仲が良さそうだった」

 奥さんは納得したように、そうかと頷いた。


 私は何気なく入り口から店内に目をやり、やたらとカイロンの写真が飾られていることに気づいた。それに気づいた店主が、嬉しそうに言う。

「最近は朝にカメラを抱えて野生のカイロンを撮りに行くのが趣味でね、毎週のように出かけているんだ」

「店が暇ってことだから、もっと焦ってほしいもんだけどねえ。カイロンからは撮影料をもらえないし」

 奥さんのぼやきに笑みをこぼしつつ、私は写真を眺めた。付近で野生のカイロンが生息しているのはトゥーレだけで、ジュノー王国のある大陸にも生息していない。もう一つ大陸を越えたどこかの島に生息していると聞いたことがあるが、今も本当に生息しているのか、詳しいことはわからなかった。


「でも、よく撮影されているだけあって、躍動感のある写真ばかりですね。カイロンが生き生きしています」

 店主は満足そうに、何度も頷いた。

「最近は動きが活発で、その写真みたいに羽を広げて飛び上がるような姿をよく見せてくれるんだ」

「つまり、この人の腕じゃなくてシャッターチャンスが増えたおかげだよ」

 奥さんの言葉を聞き流して、店主は飾られていない写真も出して見せてくれた。

初めはカイロンの美しい姿を惚れ惚れと見ていたが、ふと気づいた。最近、そして動きが活発、という表現が少し引っかかる。


「あの、動きが活発だったというのは、いつ頃だったかわかりますか?」

「ああ、写真にはいつも日付を入れているから……」

 店主は写真をひっくり返し、日付を口にした。私は店にかかったカレンダーに目をやり、曜日を確認する。――火曜日だ。牧場のカイロンやクロフォード家のカイロン同様、野生のカイロンにも影響を及ぼしている。火曜日、この島の全域に、何かが起きているのだ。



 

 その日、仕事を終えてクロフォード邸を訪れると、アリスはまだ憤慨していた。

「こんなことなら、墓地の入り口に見張りを配置しておくべきだったわ。療養中のお父様もきっとお嘆きのはずよ」

「アリーチェ様、そのように気を高ぶらせてはお体に障りますよ」

 横でアリスを宥めている穏やかそうな男性は、おそらく彼女の主治医であるブラントン先生だろう。部屋にいたエルドレッドも、彼に同調した。

「確かに今回のことはお父上もショックだろうが、娘が倒れたと聞いたらもっとショックを受けるだろう。まずは、自分の体を労わらないとな」

「ええ、そうね。私も、兄が亡くなった時のような顔はもう父にさせたくないわ」

 アリスは胸に手を当てると、目を閉じてゆっくりと深呼吸した。アリスを含め、クロフォード家は病弱な家系なのかもしれない。


「それで、犯人の手がかりは何か見つかっているのですか?」

 アリスは悔しそうに、首を振った。

「犯人も、目的も、わからないわ。でも、単に騒ぎを起こすことが目的ではなさそうね。無駄な場所を掘り返すことなく、公爵閣下とその息子のご遺体の一部を持ち去っている。おそらく、準備と調査をしてから実行に移したのでしょうね」

「そうなると、お二人の遺骨を手に入れることが目的のようにも思えますけれど……」

 たとえ公爵家を敬愛していたとしても、常識的な人間はそんなことをしないだろう。黒魔術を信じているとか、怪しげな信仰を持っていたとしたら常識など通用しないだろうけれど。


「そういえば、真偽はわかりませんが、シーバート一族はある能力に秀でていると聞いたことがありますなあ」

 口ひげを撫でながらのんびりとした口調で、ブラントン医師が言った。興味をそそられて、耳を傾ける。

「カイロンを家畜として飼育し始めたのは、このトゥーレが最初だと言われておりますね。もちろんそれはジュノー王国の位置する大陸にカイロンが生息していなかったからでしょうが、それ以前に、シーバート一族はカイロンを使役することに長けていたと聞いたことがあります。なんでも、彼らはカイロンをその声一つで操ることができたとか」

「では、その理由を探るために、何者かが体のつくりを調べようとして骨を盗んだということですか?」

 私の質問に、医師はどうでしょうなあと笑った。

「そこまで信憑性があるとも思えません。実際に調べた者もおらず、医学的な根拠もないですからね」

「ブラントン先生がご存知ないなら、絵空事かもしれませんわね。失われて戻らないものには、つい幻想を抱きたくなるものでしょう?」

 アリスが微笑みながら言う。すぐに話題を打ち切ったのは、誰かの空想に過ぎない話題で彼らの名を出したくないからだろうか。シーバート家と親交があったからこそ、事実と異なる噂には神経を尖らせているのかもしれない。


「ところで、シャノンは今日も遅いようですね」

「ええ、私が発破をかけたから、軍も調査をしてくれているようなの。それで、彼も忙しいみたい。会えなくて残念ね、アレッタ」

「私は別に……。いえ、もちろん私と進めている調査の相談ができないのは困りますけれど」

 特段彼を意識しているわけではない、と主張したかったのだが、アリスはにやにやと意地の悪い笑い方をしていた。


 確かに、おやすみと言われたあの夜から、私はぼんやりシャノンのことを考えることが多くなった。しかし、私は彼に何も告げていないし、第一、彼が私をどう思っているかわからない。それに、密命を任された軍人と民間人が恋に落ちるなんて、あまりに安直すぎないだろうか。自分が物語のような展開に憧れて浮かれるような軽薄な人間だとは思っていなかったし、もちろんそうなりたいとも思わない。真実の愛、というのがどんなものか正直私にはまだわからないが、シチュエーションに流されて始まる恋は、違うような気がする。


「……ごめんなさい、アレッタ。気を悪くしたかしら? 私はただ、二人がそういう関係になったら面白いと思って」

「面白い……」

「こらアリス、言いたいことは色々あるが、口に出す前に一度考えろ」

 エルが咎めるのを眺めながら、私はとりあえず頭の中で渦巻いた思いに蓋をした。そういえば、彼らに伝えたい情報があったのだ。


「今朝、写真館のご主人から伺ったのですけれど――」

 野生のカイロンも、火曜日に落ち着かない様子だったらしい、と話す。

「それは貴重な情報だな。人に飼い慣らされているか、“手術”を受けているかとは関係なく、カイロンという種すべてに影響がある、というわけか」

「今、シャノンの提案した実験の準備を進めているところよ。来週の火曜日、さっそく調べてみましょう」

 もし、その実験でカイロンが何に反応しているのかわかれば、原因も絞れるはず。今は仕事に専念しよう、と私は自分に言い聞かせるように心の中で呟いた。

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