第3話 優しいカイロン(2)

 もやもやとした思いを抱えたまま週末を過ごした私だったが、翌週の月曜日、そんな悩みも後回しになるような事実を、シャノンから聞かされた。


「一騎のカイロンが、火曜日に?」

「ええ、『ブリンカー』装着後の、試験飛行だそうです。民間騎なので、おそらく管制はそちらが行うことになると思います」

 試験飛行のための日取りを思案していた担当者が、事情も知らずに空いているからと予定を組んでしまったらしい。


「僕は念のため回避すべきではと意見したのですが、押し切られてしまいました。牧場も操縦席を設置した王都の企業もできるだけ早く売りたいようで、おそらく軍にいくらか包んだのだと思います」

 デッカー施設長の、胡散臭い笑顔が脳裏に浮かんだ。そんな賄賂がまかり通ることに唖然としたが、そういう裏事情があるなら覆ることはないだろう。

「それで、到着は何時ですか?」

「午後一時の予定です。クレアさんの話ではカイロンが落ち着きを失ったのは火曜日の午前中ということだったので、午後なら大丈夫かもしれませんが」

 警戒はしておくべきだろうと、シャノンは言った。


 そして今日が火曜日。私は平静を装って管制席に座っているが、内心は緊張していた。フライトプランを何度も読み直し、出発したフェザント空港のルイス室長とも直接電話をして、カイロンのデータを教えてもらった。そのカイロンは健康状態がすこぶる良好で、今朝のチェックも問題なかったという。

 現在午前十一時四十五分。緊張であまり食欲はないが、先に昼食を取ってしまおう。そうすれば、午後一時の到着前に多少は心に余裕ができるはずだ。


「じゃあ、私は一足早く昼休憩を――」

 隣のハンナに言いかけた時だった。通信を示す緑のランプが、ちかちかと点滅した。定刻を考えれば早すぎると思ったが、通信は無視できない。私はヘッドセットを取り、応対した。男性パイロットの声が、聞こえてくる。


――トゥーレアプローチへ、こちらSES199便。午後一時到着予定でしたが、経由するポイントを間違えてしまい、予定より早く到着しそうです。……その、申し訳ないのですが、着陸はできますか?

 試験飛行と聞いたが、パイロットも研修中だったのだろうか。私はため息を飲み込み、パイロットに声をかけた。

「SES199便、トゥーレアプローチです。着陸は可能です。おおよその現在地を教えてください」

 パイロットは先程通過したというポイントと現在の高度を告げた。レーダーでも捕捉できており、間違いはなさそうだ。


「SES199便、了解しました。右滑走路への進入を許可します」

 そこからは飛行場の管制を担当するハンナにバトンタッチしたが、気になって着陸まで見届けることにした。

「SES199便、トゥーレタワーです。右滑走路に着陸を許可します」

 ハンナが言ったが、パイロットから了解の返事はなかった。普通はきちんと返事をして、右滑走路に着陸、と復唱するものだ。これは苦情を申し入れなければ、と考えていたが、管制塔の窓から見えたカイロンの姿に、異常事態だと気づいた。


 カイロンは滑走路の上空で、必要もないのに旋回していた。そうかと思えば、虫にまとわりつかれたかのように首を振り、羽をばたつかせ始めた。

 まただ。同じことが、起きてしまった。

「何? 何が起きているの?」

 半狂乱になったハンナが叫ぶ。私は彼女からヘッドセットを奪って、パイロットに呼びかけた。


「SES199便、応答してください! 異常事態ですか?」

 パイロットが、飛びつくように返答した。

――し、島の上空くらいから突然コントロールが効かなくなって。あの、これどうすれば……。


 反応は早く、私が想像したよりも落ち着いていた。経験の浅いぶん、事態の深刻さを理解していないのかもしれない。まあ、焦っても状況は変わらないのだから、落ち着いているに越したことはないだろう。

「SES199便、鎮静剤は使用しましたか?」

――ああ、はい。それでバイタルサインは少し落ち着いたんですが……あれ、ちょっと下がりすぎかな?

「鎮静剤は規定通りの量を与えましたよね?」

――えっと、アンプル三本全部です。

「なぜ!」

 一本が一回分だ。つまり、三倍量を投与されたことになる。鎮静剤が効きすぎると、どうなるのだったか。頭を抱えながら必死に記憶を辿っていると、ケイティが遠慮がちに私の肩を叩いた。


「今、軍用騎のカイロンから通信があって、アレッタに繋いでほしいって言われたんだけど……」

 そうだ、このトゥーレ空港の横にも航空部隊の基地があった。私はヘッドセットをハンナに返し、ケイティの差し出した方を受け取った。

「シャノン?」

――ええ、そうです。この時間に発着する便はないはずですが、今上空にいるのはどこの所属ですか?

 私はパイロットのミスで到着時刻が早まったこと、さらに彼が鎮静剤を大量に投与してしまったことを早口でまくし立てた。

――鎮静剤が効きすぎると、カイロンは意識が朦朧として、最終的に眠りに落ちると思います。最悪、受け身も取れずに落下するかもしれません。

「可哀そうに……」

 もちろん、中のパイロットのことではなく、カイロンがだ。


――話を聞く限り自業自得ですが、だからといって見捨てるわけにもいきません。落ちる前に、なんとかしましょう。

「なんとかって、何か方法があるんですか?」

 この間のような作戦は、使えないだろう。ウィンベリー中尉やナイトレイ曹長と同等のパイロットが、この辺境の地にいるとは思えない。

――詳しく説明している時間はなさそうなので、これからそれを実行するとだけ言っておきます。それから、パイロットにキャノピーを開けておくように言ってください。


 私は首を傾げながらも、パイロットにはその通り伝えた。

 そういえば、なぜ彼は無線で連絡をしてきたのだろう。あちらの管制室からなら電話を使えば――。

「まさか、カイロンの中から?」

 思い返せばケイティは確かに軍用騎のカイロンからと言っていた。私が気づいて管制塔の窓に張りついたころには、一騎のカイロンはもう飛び立つところだった。羽を大きく広げ、風を掴むようにして高度をぐんぐん上げていく。


 対して暴走しているカイロンの方は、明らかに元気がなくなっていた。風に乗り高度を保ってはいるが、眠そうに瞼が落ちては開き、今にも眠ってしまいそうだ。いつ落下してもおかしくない。

 軍用騎はあっという間に、暴走するカイロンの正面まで飛び上がった。シャノンには何か考えがあるようだが、どうするつもりなのだろう。そもそも、あれに彼が乗っているのかもわからない――。


 カイロンの中から人の頭が見えた時、私は目を疑った。引き出しに入れていた双眼鏡を取り、覗く。その横顔は間違いなくシャノンだった。しかも、手には何か長い棒状の物を手にしている。

「……デッキブラシ?」

 どこにでもある、硬い毛で床を擦る掃除用具だ。そのまま、暴走するカイロンに向かってスピードを上げて直進する。シャノンは操縦席から身を乗り出すと、四枚の翼を掻い潜ってデッキブラシの柄を、キャノピーを開けて生じた外殻部分との隙間に突き立てた。


「そうか、外からこじ開けるつもりで……」

 外殻は蛇腹状で、カイロンの頭側から開く構造になっている。デッキブラシの柄は頭側の隙間に入ったらしく、すれ違いざまに外殻を半分ほど開くことに成功した。

 軍用騎は暴走するカイロンの横を過ぎて一旦距離を取ると、鮮やかにターンして戻ってきた。

 暴走するカイロンの背からも、パイロットが顔を出す。軍用騎はもう一度近づき、シャノンがパイロットを、軍用騎の中に引っ張り上げた。

 パイロットのいなくなったカイロンはふらふらと高度を下げ、背中から地面に衝突した。それはカイロンの本能による行動で、落下時は堅い殻で身を守ろうとすると聞いたことがあった。あのまま乗っていたら、パイロットにもかなりの衝撃だっただろう。

 軍用騎は緩やかに降下し、地面に降り立つ。ずいぶんと長い時間に感じられたが、時計を見れば五分も経っていなかった。


「素晴らしいわ、ブラボー!」

 ハンナとケイティ、別室から様子を見に来たジェイデン室長たちが、喜びに沸き立っている。無線のランプが瞬き、私は席に戻ってヘッドセットを耳に当てた。

――パイロットは無事救出できました。これから、落下したカイロンの回収と手当てを行います。午後のフライトには影響しないと思いますが――。


「…カ……!」

――え? アレッタ、なんです――。

「馬鹿って言ったの! 飛行中のカイロンから顔を出して、しかも別のカイロンに近づくなんて! もし翼に接触したら……」

 ハンナたちが驚いたように私を見ていたが、そんなことを気にしていられなかった。今回はうまくいったが、あんな危なっかしいことを続けていたら、いつかきっと大怪我を負う。いや、怪我で済めばまだいい、最悪……。想像したら、震えが走った。


――アレッタ? その……。

 ごめんなさい、とシャノンは稚い子供のように言った。私は大きく息を吐いて気持ちを落ち着けると、彼に尋ねた。

「あなたに怪我はないの?」

――ええ、大丈夫です。

「そう、良かったわ。じゃあ、これで」

 シャノンが口を開く気配がしたが、私は通信を一方的に切断した。今は感情的な言葉しか出てこないから、その方が良い。自分を窺う複数の視線に気づいた私は、ヘッドセットを置いて言った。

「休憩時間なので、外に出てきます」

 ランチを掴んで、私は逃げるように管制室を出た。




 その日仕事を終えた私は、急いで牧場に向かった。まだ、クレアはいるだろうか。空港でカイロンが暴走した時、牧場のカイロンの様子がどうだったか、確認したかった。

 牧場に到着すると、前回放牧されていた草原にはカイロンの姿はなかった。もう厩舎に戻っているのだろう。

 事前の許可は得ていなかったが、私はクレアを探して敷地の中に入った。しばらく行くと厩舎があり、そちらから話し声が聞こえた。


 厩舎を覗いてみると、こちらに歩いてくる男女の姿があった。女性の方はクレアで、もう一人は同じ年頃の男性だ。

私は二人の前に顔を出した。

「こんばんは、突然ごめんなさい。クレアに聞きたいことがあって」

 クレアは一瞬驚いた表情を浮かべたが、察したように一つ頷くと、傍らの男性に言った。

「ハイスクールの時のクラスメイトなんだ。先に帰ってて」

「へえ、君にもちゃんと友達がいたとはね」

 クレアはからかう彼の脛を蹴ると、うずくまる彼には目もくれず、こちらに走ってきた。


「もしかして、今日のお昼ごろのこと?」

「ええ、そうよ。じゃあ――」

「うん、カイロンの落ち着きがなくなった。今までで一番ひどかったよ。自分から柵に頭を打ちつけたり、飛び上がりすぎてネットに羽をぶつけたり」

 そっちはと聞かれて、私は今日の顛末を話した。聞き終えたクレアが口笛を吹いて言う。

「あの少佐さん、やるねえ。デッキブラシってのが最高だ」

「でも、あんなの無茶だわ。私、思わず怒鳴りつけてしまって」

 クレアは目を見開いた後、大きな声で笑った。

「そりゃあ傑作だ! 少佐さんもびっくりしただろうねえ」

「笑い事じゃないわよ、もし失敗して振り落とされていたら……」

「うんうん、アレッタは心配だったんだよな」

 にやにやと含みのある笑い方で、クレアは言う。彼女の想像するような感情はないと否定したかったが、何を言っても意味がなさそうだ。私は話題をカイロンの話に戻した。


「それで、カイロンの様子がおかしかった時、クレアは何か異変に気づいた? いつもと違うことがあったとか」

 クレアは首を振った。

「今回はきちんと注意して色々観察したんだけど、特に何もなかったと思う。他の飼育員も、みんな同じことを言ってた」

「やっぱり、カイロンだけに感じ取れることなのね」

「そうだろうね、野良犬や鶏小屋の鶏は、なんともなかったし」

 犬は人間よりずっと嗅覚や聴覚が発達していて、カイロンに近いはずだ。それでも反応しないということは、どういうことだろう。特定の刺激に対する、カイロン特有の受容器があるのだろうか。少し考えてみたが、この場では答えが出そうになかった。


「そういえば、同窓会はどうだった?」

 クレアに聞かれて、私はあの夜の切ないような寂しいような気持ちを思い出した。

「……あなたが言っていたことの意味が、わかったわ。私も“仲間”にはなれそうにないわね」

「まともな頭があればそうなるよ。今独立なんてしようとしたら、ジュノーの怒りを買ってあっという間に食糧難だ。街は綺麗になったけど、畑を潰して家を建ててきたわけだし、自給率は十年前と比べて格段に落ちてる」

 クレアの言う通りだ。主食の穀物の供給を止めるだけで、ジュノーはトゥーレを窮地に追いやることができるだろう。ギルにはまた武力行使されるのではと言ったが、そうするまでもない。

「カイロンを交渉に使うと言っていたけれど、食べ物がなければ私たちも肝心のカイロンも追い詰められるだけよね。ただ、もう一つカードがあると言っていたのが少し気になるわ」

「ふうん? ギルバートのやつ、危ないのと手を組んでたりして」

「危ないのって、何か心当たりがあるの?」

 クレアは首を振って、単なる想像だと笑った。

「今のところ、そんなきな臭い話は聞いてないよ。でも、カイロンが暴走する原因と繋がっていたら、厄介だね」

 クレアはそう言って何気ない様子で柵の中を眺めていたが、突然、あ、と声を上げた。


「いけない、奥の区画に親子のカイロンを一組入れたのを忘れてた。出産後のせいか昼に特に暴れたカイロンがいて、隔離していたんだよ」

 私はクレアについて行って、親子のカイロンを見せてもらった。二頭は寄り添うようにして、柵の近くに立っていた。私たちが近づくと、親のカイロンが警戒するように後退る。産毛に包まれた子供のカイロンも、覚束ない足取りで親の陰に隠れた。その様子を見て、クレアが言う。


「ねえアレッタ、カイロンの背は、どうして甲殻に覆われていて、しかも中が空洞になっているんだと思う?」

「うーん……わからないわ。軽い甲殻と空洞で軽量化しているって説もあるけれど、中に人が乗っても飛ぶことはできるから、必要条件ではないでしょうし」

「まあ、私もこれって証拠があるわけじゃないけどさ」

 クレアはカイロンに目を向けたまま、言う。私たちの目の前で、親のカイロンは話題に上った背の外殻を開いた。そして後ろを振り向くと、子の首の後ろを咥え、首を巡らせてぽいと背中に放り込む。私たちの見ている前で、外殻は閉まっていった。


「私はさ、ああいうことだと思うんだ」

 その時だけは皮肉な物言いをせず、クレアは言った。

「大切なものを、守るためにあるんだよ」

 まるでその通り、と言うかのように、カイロンはぐるぐると喉を鳴らした。

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