第4話 シーバートの末裔(3)

 週末のその日ギリギリまで、私はずっと悩んでいた。ギルの誘いを受けるかどうか。もちろん、リト公国の復活やトゥーレの独立を本気で望んでいるわけではない。私の狙いは、彼らが何をしようとしているのか知ることだ。

 ギルやその同志たちが進める交渉の準備、最近頻繁になったカイロンの暴走、そしてシーバート家の墓荒らし。すべてが、繋がっていたのではないか。考えるほどに、それが真実のような気がしてきた。しかも、今のところそれに気づいているのは私だけ。

 今すぐアリスやシャノンに話してしまうことも考えた。しかし、彼らが具体的に何をしようとしているのか、まだわからない。どうせなら、もっと情報を掴んでから。そうなるとやはり、土曜日の会合に顔を出すしかなかった。


 店の前に立った私は、暴れる心臓を宥めるように、ゆっくり息を吐いた。この前来た時は店の外観などあまり見ずに中に入ったが、ドアが木製で窓も小さいその店は、外から中の様子を窺うことが難しかった。耳を澄ましてみたが、人の声も聞こえてこない。

 こうなったら、飛び込んでみるしかない。私はえいっとドアを押した。


 歓声と拍手。熱気が、怯む私を包む。しかし幸い、入ってきた私に注目する者はいなかった。

 店の奥には一段高いステージがあり、皆そちらに顔を向けていた。ステージに立つのは、ギルバートだった。彼が何か言うたびに、観衆が声援や拍手で称賛する。


「悲しい歴史を乗り越えて、この島は今、力を取り戻した。しかし僕らは、ここで足を止めてはいけない。戦争で奪われたものを、取り戻すんだ。亡き公爵閣下が果たせなかった夢を、僕らが叶えてみせようじゃないか!」

 ギルが拳を掲げ、歓声がひときわ大きくなった。周囲を見てみるが、私のようにぽかんとしている者は一人もいない。さすがにこの空間に居続けることを考えると苦痛だ。今日のところはそっと退散しようかと思ったが、店の端に、意外な人物がいることに気づいた。


 トゥーレに向かう船に乗り合わせた、黒ずくめの男性。パラス帝国、ジュノーと渡り歩いてきた医師だと言っていた。

 トゥーレには初めて来たと言っていたのに、なぜこんな場所にいるのだろう。なんだか胸騒ぎがした。


 ギルの演説はいつの間にか終わり、なかなか鳴り止まない拍手に笑顔を見せながら、彼はステージを降りた。そしてこちらの方に近づいてきたかと思うと、私の前で立ち止まった。

 彼は演説後の高揚感を残したまま、私に言った。

「やあアレッタ、来てくれて嬉しいよ! さあ、こっちへ」

 ギルは私の背を押して、店の奥にある部屋に誘導した。一旦入ってしまったら、いざという時逃げられないかもしれない。頭の中では警鐘が鳴っていたが、今さらギルを振り切って帰ることもできなかった。


 奥の部屋は防音になっているらしく、ドアを閉めると今までの喧騒が嘘のように静かになった。

「僕の演説はどうだったかな?」

 私の方をくるりと振り返って、ギルが言う。

「みんな聞き入っていたわ。ハイスクールの頃から、あなたには人を惹きつける才能があったものね」

「そうかい? 僕自身は、あの頃そんな風に考えたことはなかったけれど」

 にこにこしながら答えるギルに、私は単刀直入に尋ねた。


「それで、私にどんな話があるの?」

 ギルは一つ頷くと、顔に笑みを張りつかせたまま言った。

「君の目的が何か。それを聞きたかったんだ」

「え……?」

 ギルの目を見て、私は自分の失敗を知った。追い打ちをかけるように、背後からもう一つ声がした。


「あなたはクロフォード家や軍と繋がっている。我々のことを調べるため、話に乗るふりをするつもりだった。――違いますかな?」

「あなたは……」

 先ほど見かけた、あの黒ずくめの医師だった。

「お会いするのは二度目ですね。私はヴァイナーと申します」

「医師だというのは嘘だったんですか?」

 ヴァイナーは愉快そうに腹を揺らして笑った。

「いやいや、本当ですよ。街外れのあばら家が私の医院です。偶然ギルバートさんにお会いしてその熱い志に感銘を受け、私にできる範囲で協力をしようと思ったのです」

「協力?」

「ええ、私の武器は医師としての知識と、国を渡り歩いて耳に挟んだ噂といったところでしょうか」

 ヴァイナーは不気味に唇を歪めた。


「お嬢さんは、シーバート家に関する噂を聞いたことがありませんか?」

「カイロンの扱いに長けていたとは、聞きました。声一つで操ることができるらしい、という噂も」

 ヴァイナーは満足そうに笑みを浮かべ頷く。

「ええ、それも噂の一つですね。声で操る、ということと関連するかは不明ですが、シーバート家は喉の骨の形状が少々変わっているそうです。――それから、噂がもう一つ」

 ヴァイナーは勿体ぶるように一旦言葉を切ると、私の目を覗き込んで言った。


「シーバート家の末裔、ユアン・シーバートは生きている」

「そんな、まさか……」

 突然そんなことを言われても、嘘としか思えなかった。

「だって、棺にはきちんと遺体が納められていたはずです」

 そこで、墓を荒らされた一件を思い出した。盗まれたのは公爵閣下とその子供、ユアンの遺骨の一部。それは、シーバート家特有の骨の形を確認するためだった?

 私の思考を読んだかのように、ヴァイナーはニヤリと笑った。


「私は自らの知識をもって、遺骨を調べたのです。そして、ユアンとされた遺骨に、父親と同じ骨の形は見られなかった。……そうですね、ギルバートさん?」

 ギルが迷いなく頷く。その姿に苛立ちを覚えた私は、ギルに強い口調で尋ねた。

「あなたは本当に、この人を信用できると思っているの? リト公国には全く関係のないよそ者よ? しかも島の人々にとって大切な、シーバート家の墓を荒らすような人なのよ!」

「それは必要なことだったから仕方ないよ。リト公国に特別な感情をもたないヴァイナーさんだからこそ明らかにできた事実だ。同志は既に、集まっている。今僕らに必要なのは、策を授けてくれる参謀さ。君のことを教えてくれたのも、ヴァイナーさんだった」

 ギルは私を見下ろし、不気味なくらい穏やかに問いかけた。


「もう一度聞こう。君の目的は? 昔馴染みだから、できれば手荒な真似はしたくない。でも、そうだな……君のお母様は、香水をジュノーの王都に出荷する予定だったね。僕が勤める会社は、その積み荷を自由にできる。例えば、香水の中に劇物を入れることなんかも可能かもしれないね」

 私は出荷を楽しみにしていた母の顔を思い出し、唇を噛んだ。どこまで明かせば、解放されるだろうか。あるいは、喋った後に用済みだと判断されて――。私は悪い想像を振り切るように、口を開いた。


「確かに、私は乗り気じゃなかったわ。あなたが何か危険なことをしようとしているんじゃないかと思って、探りに来たの。でもそれは、私個人の判断よ。私がトゥーレに異動したのは、旅客用カイロンを安全かつ広く普及させるヒントを得るため。国が主導だから軍や領主のクロフォード家も関わっていて、私は民間人として協力しているの」

 目的についてはごまかしたが、私の異動とギルの行動に何の関連もないのは事実だ。私は恐怖を押し込めて、必死に訴えた。

「本当に? 探るよう命じられたんじゃないか?」

 私は間髪入れずに否定したが、ギルは疑っている様子だった。意外にもヴァイナーがもう良いと口を挟み、緊迫した空気が緩んだ。


「彼女が今までに得た情報をクロフォード家に話していたとしても、大したことではありますまい。問題は、これからのことです。今日知ったことにさえ口を噤んでいただければ、我々が困ることはありません」

 同意を求めるように、ヴァイナーはギルを見た。

「まあ、そうだな。ただし、もし君が情報を漏らしたとわかれば、容赦はできない。先ほど言ったようなことになるだろうし、場合によってはもっと恐ろしいことになるだろう」

 淡々と、ギルが言う。いざとなれば本当にやるだろうと思わせる、感情のない目だった。


「シーバート家の末裔、ユアン・シーバート様は生きている。僕らは世界のどこかにいる彼に向けて、新たな国を興そうと呼びかけるんだ。そして、現れた彼と一緒に戦うのさ。僕らはそのために、革命の一歩を踏み出すんだよ」

 ギルバートの目は、ぎらぎらと輝いていた。それが以前聞いた、もう一つの交渉のカードなのだ。もし本当に、シーバート家の末裔が現れたとしたら。それはジュノーにとっても脅威になるだろう。カイロンを声で操る。そんなことが可能なら、この島は彼にとって最強の要塞だ。


 争いが、始まる。漠然と感じていた不安が形になっていく。それを知りながら止める術を持たない私は、悔しさにこぶしを握り締めた。

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