十四 青傘の来客

 気付かぬうちに眠っていたらしい。

 眠っている彼女が目の前、どうしていいのかわからずに布団の中で身じろぎする。

 このまま朝を迎えるのは非常にまずい。

 まだ日の上らない今のうちから離れに戻るほかないだろう。

「……む」

 私の体に彼女の腕がかかっている。

 背中に回された片腕をどうしたものか。

 なるべく起こさないようにと思いつつ、私は彼女の腕に触れるべきかそうでないのか迷っていた。

 その時、すうっとふすまが開く。

「やぁ、こんばんは」

 そこにいたのは、あの少年であった。

 何をしに来たのか。

 この状況を見られているということよりも先にそこに目がいった。

 他人の泊まる部屋に入り込むなど普通のことではない。

 いったい何の目的があって。

「なにを……!」

 不格好ながらも何か言おうとすると彼が私の口に指を当てる。

 いつの間に距離を詰めたのだろうか、まったく認識ができなかった。

 立てられた人差し指の腹が唇を押さえ、その下の歯の感触を確かめるように指が唇をいじっている。

「静かに、起きてしまうよ」

 彼は脇にあの青い傘を挟んでいた。

 部屋の中に傘を持ち込むのは不作法だろうか。

「なにをしているのかな。そういう関係だったりする?」

「ちが……」

「あぁ、ほら。大きな声を出そうとする。声を落として、大丈夫。悪いようにはしないよ」

 この状況のどこを見ればそれを信じられるのだろうか。

 私にはまったくわからない。

 だが、彼の声色は確かに優しいものであった。

 私はそれを少しだけ信じることにした。

 彼が布団をめくり、私がゆっくりと体を引いていく。

 布団から這い出れば、空調の温かな風が体に触れた。

「いやぁ、驚いた。まさか一緒に寝てる人がいるとは」

「……何の用ですか。お姉さんは来客が来るのを知っていたようではなかったですけど」

「あぁ、まぁ、それもそうか。なにか許可を取ったり連絡をしたわけじゃあなかった」

「……」

「そんな顔をしないでお兄さん。僕は僕で少し、困っているんだ」

「?」

「外で話そうか。お兄さんも帰らないといけないんだろう? 朝帰りばかりじゃあ怒られるさ」

 そう言って開け放たれているふすまの方を指さした。

 彼のいうことも確かだった。

 上着に腕を通し、立ち上がると彼がふすまのそばで笑っていた。

 導かれるように私は部屋を抜けていく。

 部屋を出る前、彼女の方に視線を向けてみると彼女はやはり眠っていた。

 少し名残惜しい気持ちになりながらも、廊下へと足を向かわせる。

 深夜、旅館内も静かである。

 こんなことなら、両親も帰ってきていてもいいのではと思う。

「お兄さんは彼女と仲がいいのかな」

「……まぁ、悪くはないです」

「へぇ。それで夜な夜な会ってるのかな? 旅館の人になんて説明してるの?」

「説明もなにも、見つからなければ申し訳も申し開きも必要ありません」

「それもそうだ」

 当然のような足取りで彼は廊下を進む。

 実に静かな足運びである。

「お先にどうぞ」

 そう言って廊下の窓を開ける。

 びゅう、と肌を刺すような風が吹き込んだ。

 部屋から持ってきた靴を袋から出し、窓の外に投げる。

 窓をまたぎ、靴の上に足を下ろして、片足ずつはいていく。

 私がそうやっている間に彼も外に出てきた。

 ……彼は別に正面から出てもいいのではないだろうか。

「お兄さんの感情にどうのこうのと文句をつけるわけじゃあないけれど。あまり深入りをおすすめはしないよ。年の差だとかそういう話をしてるんじゃあない。彼女は……」

 そういう時になって、やっと私は気が付いた。

 彼は彼女のことを認識している。

 いや、正式なあるいは詳細な表現をするならば彼女を記憶している。

 彼女がつい最近知り合った……とは考えにくい。

 過去に出会っていても、やはり彼女の身に降りかかった不可思議な呪いのようなそれによって、彼女のことを忘れているはずだ。

「鬼だから、ですか」

「あれ、知ってたんだ。ふうん、ならいいんだ。そこからは自己責任ってものだからね」

「……貴方は、何者ですか。なんでお姉さんのことを覚えているんですか」

「ううん。何者と言われると、僕は僕というほかないんだけど。そうだね。そういう風に聞くのはあの人はいつだって聞かないと答えないからだろうし……」

 傘を地面につき、それに体重をかけつつ思案顔。

 なにか、彼の中でどうするべきかと懸念していることがあるのだろう。

 彼女の抱えている問題のようなものも、知っているのだろう。

「ひとまず、自己紹介をしよう。僕の名前は土御門つちみかど波瑠はる、陰陽師と言って、信じられるかな」

 私は、彼の言葉にうなずいた。

「僕は彼女の周りにある問題に一区切りをつけなければならないからここに来た」

「区切り」

「あぁ、事と次第によっては彼女を鬼として退治しないといけないからね」

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