六 一月一日、寅の日
「この時間やと人も少ないなぁ」
「それでも屋台はやってるみたいですけどね」
「商魂たくましいのはええことやよ」
私も商売人の息子なのでそこは否定できない。
「にしても寒いなぁ雪も降ってきそうや」
「予報だと明日の朝に降るみたいですよ」
「へぇ。そらええなぁ。若旦那、降ったら見に来る?」
「いえ、僕の部屋からも見えますので」
「いややわぁ。一緒に見やんかってそう言う話やよ」
そう言って私の方に身を寄せる。
からかっているのかそうでないのかわからない。
屋台やらなにやらで彼女もはしゃいでいるのだろうか。
石階段を昇って、鳥居をくぐる。
「初詣も久しぶりやな」
「そうなんですか」
「一人やとおっくうでな。こっち来るまでずっとふらふらしとったし」
そういうものなのだろうか。
その辺のこともいつか教えてくれるかは不明である。
「ところで、なんでそれ持ってきたんですか?」
いつかの夜に持っていたあの袋を彼女は今日も持っていた。
竹刀袋に見えるがそれを持ってくる用事はないはずだ。
「んー。まぁ、最後の手段っちゅうか、なんちゅうか」
「?」
暴漢対策だろうか。
だとしてももう少し小型のものでもいいのでは無いだろうか。
それに子供とはいえ私はそんなに頼りないだろうか。
そうこうしている間に私たちの番がやってきた。
賽銭、二礼二拍手一礼。
何を願ったものかと考えてしまう。
大抵の事は自分でなんとかしないといけないのだから。
みんなその前提で祈願しているのだろうか。
「……」
彼女の行く先の幸福でも祈っておこうか。
欲をかいていいのなら、出来るだけ長く彼女といたいことも願う。
たかだか五百円玉ひとつで図々しい話である。
「お願い、すんだ?」
「はい」
「ほんなら、屋台でもまわろや。どこ行くか迷ってまいそやわ」
境内に並ぶ店と店内を照らす橙色の電灯と人の声が新年の夜を彩っている。
彼女は目に付いた店に導かれるように近づいて行く。
そうして、焼きそばやらたこ焼きやらを買い込んでいく。
私の手はりんごあめと綿あめで早々に塞がってしまった。
新年早々景気のいい話だ。
「どっか座る場所あらへんかな」
「向こうに」
「ほな、案内してや」
屋台から少し離れた石の長椅子にはあの橙の明かりはあまり当たらないようで、私たちは薄暗い中で割り箸を開いた。
「おしり冷たいな。なんか敷くもん持ってきとったらよかったわぁ」
「時間が時間ですから」
それでも屋台の商品はどれも温かく、すぐに石から伝わる冷たさを忘れさせてくれた。
隣では彼女が焼きそばに何度も息を吹きかけている。
時々私に息がかかって前髪が揺れた。
そんなに強く吹かなくてもいいと思う。
「……猫舌なんですか?」
「いや、なんちゅうん。猫舌やないんよ? ただな、火傷すると痛いやろ。なかなか治らんし」
大真面目にそんなことを言っている。
本当にそうだとしても息の回数と量が過剰である。
「そや、若旦那がふーふーしてくれたらうち楽やわ」
「楽とかそういう話ではないのでは……?」
「ほら、若旦那。ほぉら……」
彼女の目と口が弧を描いていた。
した方がいいのだろうか。
「若旦那」
根負けしたのは私の方であった。
ええいままよ、と息を吹く。
なんとも奇妙な光景だなと思いつつも、彼女の箸で掴まれた茶色の麺が揺れる。
「ふふ。ええ子ええ子」
彼女にそんなふうに言われると悪い気がしないのはどうしてだろう。
そして、それと同じくらい子供扱いされているようで私の心の中にささくれた痛みを残してくれる。
「若旦那が冷ましてくれたら食べやすいわぁ」
「……」
「なぁに?」
「いえ、なんでも……」
からかわれて、なんとも言えない気持ちになって。
顔を伏せて自分も焼きそばに箸を伸ばす。
こうやってひとつの物をふたりで分け合うのも悪くは無い。
私たちの間に空いた隙間に並べられた商品たちは毎年のように目にするものたちだ。
毎年流行りが変わるのか外国で人気のとか、若い人の間で話題のとか、そういうものも出てくるが、私からすればこのくらいがちょうどいい。
素朴で構わないのだ。
こんな時間が長く続くのなら、きっとそれは良きことだ。
「若旦那。喉乾かん? 大丈夫?」
「いえ、大丈夫です。まだ」
「遠慮せんでかまんかまん。ちょっと買ってくるわ」
そう言って長椅子から立ち上がる彼女。
釣られて私も立ち上がろうとすると、彼女の指が私の額を押さえた。
紐で引かれたように私の体は椅子に縛り付けられる。
動けない。
立ち上がろうとする力が指一本で霧散している。
「そこの、食べて待っとって」
「でも……危ないですよ」
「……危ない?」
「酒盛りをしてそのまま来てる方もいるかもしれません。喧嘩する人も珍しくないです」
嘘だ。
喧嘩をする人がいるのは事実だが珍しくない訳では無い。
まだ一緒にいたい、それを神に祈った。
そのせいだったのだろうか。
彼女が私から離れるという事実に、心の奥底に爪を立てられたような気持ちになる。
「僕も行きます」
「食べられてまうよ?」
「食べ残しを食べる人はそういませんよ」
「なんや今日は強情やな。なんやのん」
私にも分からない。
それでも彼女をここで見送ってはいけないような気がしたのだ。
「……いま何時や」
「えっ、あっ、は……? さ、三時です」
「若旦那……前に言うたな、後悔するでって」
ひゅうと向かい風が吹いた。
彼女の髪が吹き上がって舞っている。
それほどまでに強い風が吹き、私はその勢いに思わず目を細めてしまった。
そうしなければ、私はその言葉の意味を理解せずに済んだだろう。
「それが今やわ、若旦那」
笑う彼女の背後から私をのぞき込むように。
真っ赤な体の鬼がいたのだから。
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