十七 雨、烏、血、痛み
彼女と一緒に離れに向かって庭を歩いている。
なぜ行く先が離れなのか、とは聞かなかった。
なんだかそんなことを聞くのが面倒で、なんだかこの空気に水を差してしまうように思えた。
彼女を連れ込むようで気恥ずかしい気持ちがないでもない。
しかし、なんだかその気持ちの中に期待するような感情があるのも事実だ。
私はそのことを酷く恥じている。
家族の前にいるときに感じる己の小ささとは違う感覚、
「……若旦那」
「なんでしょう」
「ごめんな。こないな女で」
別にいいのだ。
私の身に起きたことが何なのか、私には皆目見当がつかないがそれでもいい。
彼女が悪心を持って私に接触したわけじゃないこともなんとなくわかっているから。
「ほんまにええの」
「なにがでしょう」
「離れ、若旦那個人の部屋っちゅうか、
「別にいいですよ」
別にいいのだ。
彼女がよしとしているのなら、別に私は。
「いいわけないでしょ」
私が扉を開けると背から声がした。
振り返るまでもなくわかる、土御門波瑠だ。
視線をやると私と彼女の間に体を割り込ませて立っている。
「約束が違うよ、お姉さん」
「したかな、約束」
「あらら。鬼は嘘をつかないと聞いていたけど、お姉さんは例外かな……あぁ、まだ人間だって思ってるからか」
一触即発。
そう認識するよりもことは起こった。
少年の青い傘が振り上げられて、それに応じるように彼女が下がる。
ざり、と音がしたかと思えば庭に敷かれた石が舞う。
彼女が蹴り飛ばしたらしい。
その石を受け止めたのは少年の傘で、開いた傘がくるくると回りながら石を地面へと返していく。
「人の敷地内でなにを……」
「いや、正当防衛だよ。先に手を出したのは彼女だ」
「そういうことではなく……!」
「あぁこれをやめてくれってことなら、少し待っておいて欲しいんだ。僕は僕でどう着地させればいいかと考えてるからね」
部屋の中にいるように、と伝える彼の手を見ないふりして私はその場にいた。
現状は私が招いたのか? だとしたら、責任を取らねばならないのではないか。
「冷静になってほしいんだけどね」
そう言った後に、彼は何かを呟いた。
その呟きを私は聞いていたのだが内容が一切思い出せないし、意味も理解できていない。
言葉が早いということもあるが、それは私が使うものとは違う言語のように思えた。
「
最後にそう言ったのだけ、私は理解できた。
次の瞬間、空から何かが飛来する。
雨が降るように黒い塊がやってきて、地面に衝突する寸前でまた上空に戻っていく。
……烏だ。
目で見て分かった。
ガァガァと鳴き、真っ黒な羽に身を包んでいるあの鳥たちだ。
「雨やろか。こないに天気がええのに……わずらわしい」
降ってくる烏たちを気に留めず、彼女が近づいてくる。
クチバシが体に当たり、白い肌に赤い筋が浮かんでいた。
血のしずくを彼女の着ている服が受け止め、その中に沈みこませていく。
その姿はどこか美しいものにすら見えた。
やはり、私は彼女に魅入られている。
「そうら」
瞬きをするような一瞬で彼女が土御門の体に触れていた。
腹を打たれたらしく、体がくの字に曲がり後ずさる。
「本当に鬼のようになられて本当に……!」
傘がたたまれ、その先を地面に突き立てる。
空いている方の手が拝むような形を取り、また彼は何かを口走る。
次の瞬間、彼の影が膨らむ。
影から、何かが伸びていく。
それは手だった。
彼女に向かって影から真っ白な手が伸びていた。
それが彼女の体を掴み、次々に体を上っていく。
彼女を組み伏せようとしているのだろうか。
組みつかれている彼女はといえば、それを振りほどこうと体を動かすものの流石に数が多いのか徐々に体の掴まれている場所が多くなる。
ついにはその体をうつぶせに地面に預け、白い手がマユのように彼女を包み込み始めた。
「……ん、くっ……!」
無理やり、彼女が体を起こそうとする。
地面についた手で体を押し上げようとして、押し付ける手に抵抗していた。
黒い髪が顔におりて、髪の隙間から彼女の目がのぞいている。
その目はあの夜の色とは違うものであった。
「あ、まだ待って……」
私は思わず彼女のそばに走っていた。
彼女を押さえる白い手に触れると、電気が流れたように私の手が弾かれる。
それでもかまわず、何度も私は手を伸ばす。
「なにしてんの、若旦那……?」
「もう、もういいでしょう……」
「……?」
「お姉さんに原因があるのは分かりますが……それでも……!」
承知と理解は脳の違う場所で行う。
状況はなんとなく理解した。
彼女が悪いこともなんとなく理解した。
しかしそれでも。
「あなたがそうなることを承知できないんです」
「……わか、だんな」
その時であった。
びゅう、と冷たい風が吹いて雲が流れ始める。
数秒ほどで空は暗く覆われ、夕暮れ時のような暗さが満ちていった。
いつの間にか、白い手は彼女の体から消えていて、私は彼の方に視線を向けた。
彼の顔から緊張の色は消えない。
「……なにが」
「若旦那」
気付けば、彼女が体を起こしている。
怪我の具合はどうかと聞こうかと思ったものの、そういう雰囲気ではなかった。
「早すぎる」
私は振り返る。
庭の松の木が風にあおられる中、ただそこに立つもの。
鬼、というには頼りないところどころ骨になった姿。
枝のように分かれて伸びる一本の角。
右目のあるべき場所にあるのは青く燃える炎。
そこに、彼女があの夜語った幽鬼の姿があった。
丑寅の女 鈴元 @suzumoto_13
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