四 金毘羅船々
それから、私は彼女の部屋に行くようになった。
離れを抜け出して、旅館の裏口から入って行く。
とはいえ、普通にしていたのでは従業員の方に見つかってしまうため、私は大抵なるべく人に見つからない場所を選んでいくことになる。
これには細心の注意が必要で、幾度となく私が彼女の部屋に行くことがバレてしまうのではないかと思う場面があった。
とはいえ、年末年始で両親が旅館に泊まりこんで働く時期になればどんどんと人に見つからずに行くことは難しくなるだろう。
「若旦那」
彼女の部屋の襖は私が来ると同時に開かれる。
直感なのかなんなのか本当にぴたりと私が来る時に合わせて彼女が開くのだ。
そして、私の腕を引っ張って部屋に放り込む。
私が行く時間は大抵夕食も終え、布団も敷かれているような時間であった。
布団の上に私を投げ込み、彼女は座布団の上に座り、なんでもないようなことを話す。
あの時以来、鬼について聞いてもまたはぐらかされるようになってしまった。
「そのうちな」
そんな言葉を何度も聞かされた。
彼女は部屋に備え付けられたや酒を飲み、私にジュースを振舞ってくれた。
これではどちらが客なのか分からない。
「若旦那って年末年始はどないすんの」
「どう、と言われても……普通ですよ」
「ご両親、おらんのやろ?」
「……元日は昼に帰ってきますから」
とはいえ、三が日が終わるまでは泊まり込むため、着替えを取りに行ったりだとかそういうことをするために戻ってくるという意味合いの方が強い。
それでも家族揃っての初詣には行ってくれるから、ありがたいと思うべきなのだろうか。
……もう、そんな歳でもない気もするが。
「ほんなら、あれか。忙しいか」
「……いや、まぁ……」
親戚などが来れば挨拶をしないといけない。
しかし、私がその場に必要かと言えばそうでもない。
大抵両親がいる時間や、兄や姉が変わりに挨拶をすることが多い。
私は親戚付き合いが苦手だ。
父の兄弟が自身の妻子を連れてやってくる。
子供は母屋を駆け回り、ご婦人方は普段のグチなどに花を咲かせる。
男衆は酒を飲み、時折父が深夜に旅館を抜け出して戻ってくる。
私からすると彼女より彼らの方がよっぽど鬼のような振る舞いをしているように思えた。
「……」
期待している。
なにか、彼女に言って欲しいことがあるのだろう。
あれやこれや考えるというのはそういう事だ。
そして、恥じらいがそれを阻害するのである。
彼女の前では慎ましくありたいと思ってしまっている。
「初詣、いかんか?」
はい、という返事が喉をついて出そうになるのを何とか抑える。
慎ましく、だ。
エサを与えられた動物のように飛びつくのは下品である。
しかし、しっぽを振ってしまっては世話がない。
きっと私の顔は明るい色に変わっていただろうから。
「ふふ、なぁに?」
「なにか、親やら兄さんや姉さんに悪い気がして」
苦しげな言い訳だが、彼女は納得したらしい。
多分、私に合わせてくれたのだろう。
そう思うと、気恥しさから耳に熱が灯ってしまう。
「ほんなら、遊びで決めよか。負けたら若旦那はうちの言いなりな」
「なっ……!」
「あ、冗談冗談。初詣行くだけやよ」
ケラケラと笑われた。
またからかわれたらしい。
彼女はみかんが入った小さなダンボール箱を持ってきて、私と彼女の間に置いた。
フタを閉め、上から手ぬぐいのような布を広げて乗せた。
「
そう言って、今度は布の上になにか小さな箱を置いた。
「これは?」
「株札。今度これの遊び方も教えたげるわ。おいちょかぶっちゅうんやけど……ま、今はええやろ」
そう言うと何か民謡らしい歌を歌い始め、それに合わせて箱を取ったり置いたりし始めた。
「歌に合わせて、箱の上に手のひら置く。相手が箱を持ってってもうたら、台に拳を乗せる。歌はどんどんはようなるから、気ぃつけんと手ぇの形を間違える」
「間違えたら負けですか?」
「そう。ほんまはお酒飲ますんやけどな」
私は未成年だ。
「お歌はうちが
そうして、彼女と私の遊びが始まった。
「こんぴらふねふね、
箱に手を置く、箱が取られる、台に拳を置く。
箱が返って、手を置いて、それを繰り返す。
早くなる。
徐々に、徐々に、徐々に、徐々に。
私は慌て始めるのに、彼女は涼しい顔で歌っている。
勝ち目などない遊び、私の心を見透かしたからこの遊びを提案したのだろうか。
いや、それではまるで私と初詣に行きたいようではないか。
思い上がりも程々にせねばならない。
「いちどまわれば 」
歌は一周しただろうか。
分からない。
どこかで負けてしまえば私の望むとおりになるのに、どうしてこんなにも真剣になってしまうのだろう。
本能が何かを告げているのかもしれない。
『彼女はよせ』
そんな訳が無いか。
「いちどまわれば」
彼女の声が聞こえる。
それに導かれて手を動かしている。
「いちどまわれば」
耳をすませばここに無いはずの楽器の音も聞こえてきそうだ。
彼女の声が私以外も導いているのだろうか、だとしたらそれはなんだろう。
「長宗我部元親、神罰恐れて、逆さに立てたる
声が止まって顔を上げる。
「手ぇ、
台の上に手のひら。
正しくは閉じる、そう示すように私の手に彼女の手が重なって、指を折って握らせた。
「ほんなら、細かい時間はまた伝えるわ。明日も来るやろ」
「は、はい……」
「若旦那」
手から彼女の温もりが伝わって。
「楽しかったなぁ?」
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