二 笑みが消えて
「へぇ、若旦那は十四か。若いなぁ」
「どうも……」
カウンター席でよかったのだが、何か気を遣われたのか個室に通されてしまった。
対面に座る彼女は何杯目かわからない日本酒を飲みつつ、皿に盛られたおでんのだいこんやちくわをつまんだり、たまにお造りの盛り合わせに箸を向けている。
対する私はといえば、お通しのしぐれ煮を食べつつ、合間合間でコーラに口をつけている。
なにか食べ物も頼めとは言われたものの、恐縮してしまい時々彼女のお造りをもらっていた。
「あ、時間大丈夫? 親御さん遅いって気にしはらん?」
「大丈夫ですよ……多分、僕が家を出たことも気づいてませんから」
「……なんや、聞いたアカンこと聞いたか?」
「いえ、離れに住んでるってだけです。電気消えてたら寝てると思うでしょう」
「はぁ。なるほどな。で、離れに住んどる理由は聞いてええんかな?」
話してから言わないほうがよかったかと思った。
しかし、心のどこかで彼女なら話してもいいかと思ったのも事実である。
なんどかこめかみのあたりをかいて、なんとか家のことを悪く言わない言い方というのを考え考え、言葉を一つずつ吐いていく。
「僕のわがままです。一人暮らしの真似事で……いえ、食事の時は母屋に戻るので完全に一人暮らしというわけでもないのですが」
「……ふうん」
そのあとも、私はぽつぽつと彼女に離れにいる理由や普段のことを話していった。
彼女はそれにうなずいたり、時々私に質問を投げかけたり、酒を飲んだりしている。
不思議とそのくらいの接し方に安心して、昼の間に彼女と会ったときとは違う、柔らかな安心感を得た。
「さよか……うん。ほうか、ほうか」
彼女が立ち上がった、お手洗いかでなければ会計かと思った。
あまり楽しい話でもなかったか、と内心反省する。
話し過ぎた自分を恥じる気持ちすらもあった。
しかし、彼女が向かったのは外に出るために戸ではなかった。
「ほっ」
軽やかに彼女の足が畳を蹴って机を飛び越えた。
行儀が悪いがそれを咎めることはない。
そんな暇はなかったし、ここで礼儀作法などをどうのこうのという気持ちも沸いてこなかったからだ。
「あんた、楽しなさそうやな」
「……」
私の横に飛び込んできた彼女がそういう。
怒らせた……というわけでもない。
こちらを見て、笑っていたからだ。
喜怒哀楽の感情が読みにくい人だ、本当に。
いつもこんな風に笑っていて、しかしだからと言って人生を心から楽しんでいるような雰囲気でもない。
分からない。
分からないということはなんと恐ろしいのだろうか。
底が見えないことはなんと恐ろしいのだろうか。
「あ……え……」
「若旦那。なあに緊張してんの。楽にしぃや、楽ぅにし」
引きずり込まれる。
とっさに私が身を引いた理由はきっとそんなことを感じたからだ。
骨ごと食べられる錯覚というのがあったからなのだ。
「人生、一回しかあらへんよ?」
「それは……」
それはその通りだ。
だけれど、だからといってどうしたらいいのだろうか。
人間誰しも人生は一回だ。
それをどう消費していくのかはその人次第だが、自分の思うように振舞える人間がどれだけいるのだろうか。
彼女は自分の思うままに生きられるのだろうか。
「若旦那」
温かな暖房の風が私の首筋を撫でて、彼女が細めた黒い瞳が私を見て、何か言葉を発しようにもうまく紡げず、ただツバを飲み込んだ。
「そないな顔して……あかんで。もっと自由に」
なにか、心の底のところの一部を見透かされたような気がしていた。
激しく叱責されたわけでも、怒鳴られたわけでもないのに涙が出そうになる。
私たちは深い仲ではない。
基本的には客とその旅館の次男坊だ。
廊下ですれ違えば挨拶をするくらいの間柄だ。
それが彼女のがここにきて何度あっただろう。
私がときたま店の手伝いをするときに、彼女と何度出会っただろう。
それなのに、どうして私は。
「若旦那」
「……あ」
「大丈夫?」
やっぱりあかんな、と彼女が呟いた気がした。
私に向けた言葉、というよりは自分に向けた言葉という雰囲気だ。
「……あの、すみません」
「別にかまんよ。こっちこそ、悪かったなぁ。人に面と向かってそないな口きいて」
位置は変えず、私の隣……いや、厳密には私が彼女の方に体を向けているので私の前にいる彼女が机の反対側に置き去りにした日本酒の入ったグラスを手に取る。
「おいで、若旦那」
「あ、はい……」
座りなおし、おずおずと彼女のそばに寄っていく。
やはり、あの甘い香りがする。
「なんや、昔似たような子ぉを見たような気ぃがしてな」
「……はぁ」
「自分勝手な話やけどな、何かが重なって見えて。そんでちょっとお節介っちゅうんを焼いてみてもうたんよ」
机に肘をついて、何が楽しいのかやはりくすくすと笑っている。
私もコーラを口に含んだ。
甘い味が口に広がって、後からもうほとんど残っていない炭酸の泡の残り香が弾ける。
「あの」
「んー?」
「貴方は……何者なんですか」
つい、口にしてしまった。
しまったなと内心で呟いて、彼女の顔を見ると。
その顔から、笑みが消えていた。
「鬼やよ」
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