死神は血を啜らない

富士田けやき

第1話:運命の出会い

 私の名前は姫島さつき。十六歳で高校二年生。

「あー、遅刻しちゃう! ママ、パパ、いってきまーす!」

 どこにでもいる『普通』の女子高生です。

 幸せいっぱいの三人家族。パパもママも仲良しで、私も二人が大好き。最近はママから教えてもらって料理の勉強中。朝ごはんも私が三人分作っているんだ。

 今日から新学期、二年生のクラスがどうなるか不安で若干寝不足だけど、『普通』の女子高生として遅刻は厳禁。絶対に間に合わせるために猛烈ダッシュ中。

 それでも一日の始まりには朝ごはんは必須。

 急いでいても必ず食べるのが家族の決まりごと。

 ただ本当に遅刻しそうだから、掟破りのパンをくわえての全力登校。

 急げ急げ。

 さあ、あの角を曲がったらもう少しで学校だ。学年が上がって新しい出会いが待っている。不安はあるけどその分楽しみ。

 きっと素晴らしい出会いが――


     ○


 俺の名前は羽佐間一二三。ひふみって変わった名前だ。

 今日から新学期。新しいクラスで浮かないように初日から遅刻は避けたいが、昨日の夜色々あって絶賛体調不良。急ぎ栄養を確保すべく冷蔵庫を開けるが、

「……牛乳、切らしてたかぁ」

 悪い時には悪いことが重なるもの。よく出来た同居人もいるのだが、彼女は牛乳が嫌いなのでこいつの在庫だけはあえて報告しないよう徹している。

「学校の自販機で買うかぁ」

 仕方なく栄養補給せず、家を出る。同居人は昨夜の行動に対しご立腹なのか、すでに家を出ていた様子。起こしてくれないのは機嫌が悪い証拠である。

「眠い」

 思ったよりも消耗していたのか、足取りがおぼつかない。眠気もあって意識が朦朧としながら、何とか一年間は通った道筋を辿る。

 あの角を曲がったらもう少しで学校。新しい出会いとかどうでも良いから、とにかく牛乳が欲しい。今はもうそれだけ。もしくは――

「……馬鹿たれ」

 自分の頭に過ぎった考えを一蹴し、そのまま前に進む。

 早く牛乳が欲しい、その一心で――


     ○

 

「え⁉」

「は?」

 交差点の角でどん、と衝突する二人。

 これに驚いたのは姫島さつきであった。当たった衝撃はそれほど大きくなかったのに、相手の男の子があまりにも軽くて、衝突後を見ると完全に相撲取りのぶちかましを喰らったかのような感じで、大げさなほど勢いよく吹き飛んでいた。

 対して姫島はくわえていたパンが空中に舞ったぐらい。それも何とか地面に落とす前に口でキャッチし、セーフ、と思っていた。

 だが――

「あー、駄目だこりゃ」

 羽佐間一二三はそのまま路上に躍り出て、

「え?」

 トラックに撥ねられた。

 あまりにも衝撃的な光景に姫島は口をあんぐりと開ける。それもそうだろう。自分と衝突したことで吹き飛んだ相手が、それなりの速度を出していたトラックに撥ねられ、ぐっちゃぐちゃの、バッラバラになったのだから。

 ついでにその辺も血まみれである。

 地上波ならば全面にモザイク処理が必要であろう。

 あと、姫島のほっぺにも血が――

 くらり、と立ち眩みで倒れそうになるところを、何とか精神力で堪える姫島。今すべきことはまず、救急車に連絡し、そのまま警察に通報することだろう。

 私がやりました、と。

 急ぎスマホを取り出し、救急車を要請すべく連絡をしようとする。

 しかし、その手は別の手に止められた。

「あの、離してください。私が責任もって連絡を……あれ?」

 そして姫島は気づく。その手が、誰とも繋がっていない千切れた手であることに。

 またしても、くらりと血の気が引く。

 その傍らで、

「いてて。おじさん、ごめん。めっちゃ血ぃついちゃった」

「あ、ああ。いや、別に。それはいいんだけど」

「ほんと? 助かります」

 血まみれで、バラバラになったはずの羽佐間一二三が、千切れたパーツをくっつけながら呆然とする運転手と話していた。普通に、世間話をするかのように。

「本当にいいの?」

「あ、はい。俺、そういう種族なんで」

「そ、そっか。こ、これから脇見運転はしないようにするよ」

「ご安全にー」

「き、君もお大事にね」

 そのまま血まみれのトラックは走り去っていく。

 そして、羽佐間一二三が振り返り、

「連絡はしなくて良いよ。轢かれたのは二回目ぐらいだけど、全然平気だから」

 姫島に声をかける。

「え、そ、そういう種族って?」

「ゾンビ」

 羽佐間一二三の身体に向かって、姫島の手を止めていた腕がてくてくと歩き出す。指を使って器用に、何かかさかさと気持ち悪い動きで一二三の身体に接続される。

「別にこの都市なら珍しくもないでしょ」

「あ、そっか、でも――」

 まだこの惨状を飲み込み切れていない姫島は混乱していた。

「あんまりボーっとしてると遅刻するよ」

 羽佐間一二三はそのまま学校へ足を向けた。ボロボロの制服のまま。

 しばらく混乱していた姫島さつきが状況を飲み込んだ頃には――

「あっ」

 始業を告げるチャイムが耳に届き始めた頃であった。


     〇


 異種族との融和を目指したメガフロート都市、『コンコルドシティ』。日本沿岸の海上にそびえる人口五万人を超えたばかりの、新たなる価値観を想像すべき場所においては、ゾンビなど極々普通の種族である。まあ、まだ全員にこの『普通』が行き渡っているかと言われたなら、まだまだなのだろうが。それでも建前としては『普通』でなければならない。

 羽佐間一二三の戸籍上はゾンビとなっている。後天的にキャリアを介し発症、以降はゾンビとしての生を送る。と言うのが公の記録である。

 まさか朝からぶちかましを食らい、宙を舞うとは一二三も思わなかった。さらにトラックにまで都合よく撥ねられるとは、もはやピタゴラスイッチであろう。

 牛乳があれば避けられた、と一二三は誰に聞かれるわけでもなく心の中で言い訳をする。決して可愛い女の子の胸に目を奪われて、とか衝突の際めくれ上がったスカートの中を見てトラックに気づけなかった、とか、そういうことは断じてないのだ。

「おっ、一二三ボロボロじゃん。事故った?」

 一二三の姿を見つけ、近寄ってくるのは根暗で友達が非常に少ない一二三唯一と言っていい友達、イケメン、国光隼人。とにかくモテる。

 運動神経も抜群。コミュ力も桁外れ。運動会なんて彼のための行事である。

「事故った。女子高生のタックルで吹き飛んだ自分が情けない」

「ふーん、その子可愛かっただろ?」

「まあまあかな」

「胸は?」

「デカい。Eはある」

「パンツの色は?」

「白。品の良いレースも入ってた」

「……ガン見し過ぎだろ、ったく」

 誘導尋問である。彼相手に嘘はつけないと一二三は天を仰ぐ。やましい気持ちはなかった。だが、時に人間は悪魔のささやきに耳を貸してしまうこともあるのだ。

 男子高校生が抗うには、少し刺激が強過ぎた、と一二三は後述する。

「国光いるー?」

「っと、やべえ。じゃあな一二三、クラス変わっても遊びに来るから覚悟しとけよ。あと覗きもほどほどにな」

「覗いてない。視界に入っただけだ」

「あっはっは」

 こちらのクラスを覗き込んでいるのは国光の彼女、にょっきり伸びた角がチャーミングなサキュバスっ子が国光を見つけて満面の笑顔に、そして一二三を見て蛇蝎の如し嫌悪感溢れる顔つきになった。とんでもない美人が台無しである。

「国光! いつも何であんな奴と!」

「だぁから、親友なんだって」

「釣り合わなァい!」

 痴話喧嘩はよそでやってほしい、と一二三は思う。

 そうこうしていると――

「相変わらずモテモテだね、国光君は」

「あ、同じクラスだったんだ」

「んもー、名簿を見て喜んでた僕がバカみたいじゃないか」

「すみません、ヘルマくん」

 留学生のヘルマくんが一二三に声をかけてきた。男子の制服を着ているが、女子の制服を着て良い権利を持つ、戸籍上は両性。小柄で中性的な見た目で女子に大人気の助っ人外国人である。彼もモテる。男女問わずモテる。

 むしろ男子の方が根深いかもしれない。

 一二三も巨乳好きじゃなければ危なかった、と後に語る。

「あはは、言ってみただけだよ。国光君とは春休み遊んでたの?」

「んー、一回だけかな。あいつも部活忙しいし」

「一回かあ。ならいいや」

 何が良いのかよくわからない一二三だが、納得してくれたようなので気にしない。

「また部活呼んでね。結構楽しかったよ」

「えー、あれが楽しかったの? 俺、楽しいって思ったことないよ」

「じゃあなんで所属しているのさ」

「家庭の方針。何でもいいから部活に入れって言われたから、担任に相談したらあそこにぶち込まれたんだ。正直失敗したと思ってる。相談相手を間違えた」

 ちなみに羽佐間家に家庭の方針など存在しないため、これは真っ赤な嘘である。

 が、後述の通り顧問が『あれ』なため、こう言っておけば皆納得するのだ。

「あの先生じゃ仕方ないよ」

 このように。

「陰気、猫背、独身の三重奏だ。しかも今年は副担任に格下げだザマーミロ」

「あんまり言うとまた――」

「誰が結婚間近の優良物件だコラ」

 一二三のこめかみにぐにゃりとえぐり込むような感覚が走る。一二三は椅子から転げ落ち、粉まみれになりながら倒れ伏す。隣の机も絡めた大転倒。

 とても痛そうである。

「く、黒木先生! 体罰はダメですよ!」

 一二三は引っ繰り返り、反転した視界の中、見知らぬ人物を見つける。

 とてもいけ好かない、ではなくイケメンの外国人である。

「あれはいいんです。うちの部活の生徒なので」

「それは理由になっていません!」

「じゃあゾンビだから」

「尚更まずいです! この学校の、都市の理念を考えてください!」

「へーへー」

 教室の後方で自前の携帯椅子を取り出して、堂々と座り込む副担任の名は黒木。先ほどのチョーク投げを行った悪辣非道の教師である。

 そもそもこのご時世、こんなのが教師と言うのが間違っているだろう。

「全員着席しろー。席は適当でいいぞ。ガキの席なんてどうでもいいからな」

 よれよれのスーツ、振舞いも含めて教師っぽくはない。

 対して――

「おはよう皆! これから一年、このクラスの担任を務めますクロス・ハートです。出身はイギリスですが大学は日本、教員免許も日本、今は戸籍も日本人です」

 もう一人の方はとても好感が持てる。きっと良い教師なのだろう。

 新しいクラスの心が一つに成った。副担任のおかげで。

「超イケメンじゃん」

「やば、このクラス大当たりだね。ミキにラインしよ」

 しかし女子の嬌声が聞こえた瞬間、半分の心が離れた。

「チィ! これだから女はよォ」

「イケメン教師がなんだ! 外国の血がなんだ! 大和男児はここにいるぞ!」

 喧々囂々のクラス。困り顔の担任クロス先生。

「まったく、酷いクラスだ。嫉妬心が渦巻いている」

 一二三は飄々と、バカ騒ぎする連中を憐みの眼で見ていた。

 ああなっては人間おしまいであろう。人間、種族を問わず品格が大事なのだ。

「ねえ一二三君」

「ん?」

「なんでノートにイケメン死すべし慈悲はないって書いてるの?」

「留学生なのに賢いな。まあ、あれだ。俺も男だからさ」

「うん」

「男のイケメンが死ぬほど嫌いなんだ」

「国光君は?」

「外見はほんと嫌い。取り替えてほしい」

「そっかあ」

 人間開き直るとこうも醜悪な存在と堕すのか、とヘルマは苦笑いを浮かべた。このクラスは外れであろう。大半の男子が彼と同じ姿勢を取っていたから。

 人間、異種族問わず、男子は軒並み外れである。心が、醜い。

「はい静かに。まずは皆で自己紹介をしようと思っているんだけど、その前に遅刻しちゃった子が入り辛そうにしているから、先に仲間に入れてほしい」

 イケメン外国人教師クロス先生が指し示した先には――

「う、うう、すいません」

 一人の女の子がいた。一二三はピクリと反応する。

 どこかで見た顔、いや、胸。

「席はどうしようか。まだ暫定だから空いている場所を――」

 クロス先生が見回す中、一二三は堂々としつつも身体を縮こませる。

 何も悪いことはしていない。覗いてしまったのは不可抗力だし、事件を第三者的視点から見ればむしろ被害者。ここで縮こまる方が裁判ではきっと悪印象になってしまう、と彼は考えた。

 負けんぞ。家族もいるんだ、と強気な姿勢である。

 まあそれはそれとして、目立たずやり過ごしたい、という思惑は隠し切れない態度で明らかであったが。

「おい、羽佐間ァ。その倒れてる机直せ」

 だが――

(……ぐ、ぐぬ。元はと言えば先生がチョークを投げたから倒れただけなのに)

「姫島ァ。遅刻の罰だ。羽佐間の隣に座れ」

「は、はい!」

 副担任黒木の差配により、一二三渾身のそ知らぬふりが、崩れ去った。

「あ」

「…………」

 運命のいたずら。何とも陳腐な筋書きだと一二三は思う。

「け、今朝の⁉」

「しィ! しー!」

 一二三にやましいことは何もない。だが、やましいものは見たので出来れば内密にしてほしい。そんなやましい心が表に出てしまったのだろう。

「おい、あいつ、姫島さんに何かしたのか?」

「何会話してんだよ陰キャのくせに」

「殺すぞ羽佐間ァ」

 何故かモテないダメンズどもの憎しみが一二三に集った。

 新学期早々、何故こんなにしょうもない憎しみを背負わねばならないのか、今日の運勢を見てから家を出ればよかったと一二三は後悔する。きっと良くなかっただろうし心積もりもできたはず。

 加えて、少しでも時間がずれたならぶつかることもなかった。

 こんなに目立つことなんてなかったはずなのに。

(なんて日だ)

 ちなみにあとで姫島には今朝のこと謝ってもらった。その際にRINEで友達になれたので轢かれてラッキーと内心小躍りしていたのは内緒である。


     〇


 世界に異種族の存在が知れ渡ったのはつい最近の話。

 オリンピックの女子マラソン競技での出来事であった。熾烈で過酷なレース終盤、全てを賭して駆け抜けた選手から尻尾と耳が生えてきたのだ。世界中に中継されている中、ゴールテープを切った瞬間の出来事である。

 大勢が見た。

 隠ぺいしようがないほどまざまざと人々は目撃してしまった。異種族を怪異と呼び闇の中で戦い続けていた秘密組織や各国の暗部が愕然と見守る中、身体能力が人と変わりなく血が薄かったため身バレしなかった女性は気づかずにはしゃぎまわる。

 おそるおそる問いかけるレポーター。耳を触り、尻尾を振り振り、喜色から一変、茫然自失となってぽつりと言葉をこぼした。

『やっちゃった』

 世界がひっくり返った瞬間である。

 そこから何とか隠ぺいしようと色々な組織が動き回ったが、一度拡散された情報が絶えることはなかった。情報化社会の弊害である。

 加えて身バレした彼女がとても美人だったことが事態の混迷に拍車をかけることとなる。元々美少女ランナーとして有名だった彼女に獣耳と可愛らしい尻尾がついたのだ。世界中の男が必然的に擁護側に立った。

 身体能力に違いがないなら金メダルが剥奪されるのはおかしい。彼女と人に何の違いがある。連絡先が知りたい。どこ住み、RINEやってる、等々。

 人権派団体(大半が男)が立ち上がったり、他の異種族団体がこの機に乗じて声を上げたり、私もそうだと有名人がカミングアウトしたり、五輪そっちのけで瞬く間に燃え広がった『やっちゃった事件』はお偉方たちを大いに悩ませ、最後には――

『えー、まあ、一定数の、そのー、人とは異なる特徴を持つ種族はかねてから少数ですが、確かに確認されており、我々は認識を改めまして、えー可及的速やかに法制度を整える次第であり、つきましては――』

 お偉方にさじを投げさせた。

 秘密結社も、闇の機関も、魔を断つ騎士団、陰陽師も、インターネットに群がる不特定多数の数の暴力の前では無力だったのだ。

 そうして世界がひっくり返り、改めて行われた身体調査の結果、悲劇のアイドルと化した獣耳の女性に金メダルは返還された、のは割とどうでもいい話。

 世界中で予想以上にいた異種族の存在が明るみになり、数が把握されるにつれて世界情勢が揺れることは容易に想像がつき、各国政府はいち早く先手を打った。

 特区を制定することである。特区に指定された都市を建前上共生のためとして異種族の皆を積極的に誘致した。結果として世界で十三か所の『特区』に八割近くの異種族が集まることになった。住み分け、色分け、体の良い隔離である。

 それでも常に隠れ潜んでいた異種族にとって姿を隠す必要がない特区の存在はありがたく、皆、思い思いに生活をしているのが特区の現状であった。

 そして、そこから一歩進めようとする革新的な都市がここ、海に浮かぶメガフロート都市コンコルド・シティである。

 目的は人と異種族の共生。

 あえて交わることを目的とした都市であり、最終的には全ての垣根を越えて全種族が融和可能な場所づくりを理想とした未来型の都市である。

 様々な軋轢はあり、世界中から賛否が飛び交い、一挙手一投足が世界中から注目され、その先行きに人と異種族の未来があると言っても過言ではない。

 これはそんな時代に生まれ、今まで一度たりとも交わることのなかった、人も含めたあらゆる種族の融和を目指す者たちの物語である。

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