第15話:エピローグ

 羽佐間一二三は現在休学中である。

 定期テストに狙いを定めたかのようなタイミングに友情厚きクラスメイトたちから罵詈雑言が飛んだのはつい先日の事。一年次からの友人であるトリプルウッド、木林、八木田、佐々木たちなどテストを受けたくないから腕をもいだに違いない、逆の手か口でテストを受けろと温かい言葉を投げかけてくれたらしい。

 あいつらの窮地は放っておこうと心に誓う一二三であった。

「手、治んねえな」

「あー、まあ、古い時代の純銀だし、仕方ないかなー。彼女が他種族に与えていたハンデ、彼女自身を屠れるアイテムだから。ゆーて唾つけとけばいつか治るよ」

 風にたなびく袖、その下には焼け爛れた腕があった。手を欠損したそれは衆目にさらせるような状態ではなかった。通常であれば数秒で生えてくるものだが、純銀の効能と、あの技を使ったことで血を失い過ぎたのだ。

 しばらく死神も休業であろう。

「ハハ、感想が吸血鬼だなぁ」

「物語の吸血鬼はこんな太陽燦々の真昼間っから人のチャリに無賃乗車してないよ」

「二人乗りは犯罪だぞ? 捕まるの俺だからな」

 困り顔の国光の背後で、足をプラプラさせながら景色を眺める一二三。何とも間の抜けた顔であった。とてもあの戦いに興じた怪物とは思えなかった。

「大丈夫大丈夫。黒木さんが何とかしてくれるよ」

「あの人絶対しないだろ。正義感とかじゃなくて、面倒だから」

「あー」

 黒木はクロス先生が急な転勤、ということでいなくなったことで正担任へと昇格を果たした。クロス(イケメン)大好きなクラスの女子たちからは黒木先生が毒を盛ったに違いない、とあらぬ嫌疑をかけられている、らしい。

 男子も女子もろくな人材がいない。

 まあ担任が担任なので致し方ないが。

「で、蛇ノ目さんとはその後どうなんだ?」

「ん? 腕見せたら卒倒してたけど」

「いやいや、そうじゃなくてさ。話は聞いたぜ。大活躍だったみたいじゃん。あんなの愛がなければ絶対無理だって。ほんと、凄いよな」

「どこで聞いたんだよ、機密だろ機密」

「お前に内緒で死神のコネ使ってメダイ機関に出入りしてるんだな、これが」

「……初耳なんだけど?」

「そりゃあ言ったら反対するだろ? 一応、研修生扱いでお手伝いはさせてもらってる。正式配属は機関が協賛している大学で特別カリキュラムを終えた後、だけど」

「大卒じゃないと入れないのか……大変だな、メダイ機関」

「大卒でもトップクラスじゃないと入れないっての。協賛している大学って国内だと東大と京大だけだぞ、確か。そこが、最低条件ってわけ!」

「……はえー」

「と、誤魔化そうとしてもダメだぜ。さあ、どんな塩梅よ!?」

「あー、すっごく恥ずかしい話なんだけどさ」

「うんうん」

「彼女、俺のピアノがすごく好きだったらしいんだよ」

「うんうん、んん?」

「気持ちは嬉しいし光栄なんだけど、今は弾く気にならないんだよなぁ。あれだけやってもらったのに申し訳ないんだけどさ」

「……え、と、まさか、好意がピアノだけだと?」

「そりゃあそうだろ。だってそれ以外の接点がなかったんだから」

「……そうかー、大変だなー」

「でも、最近は部員総出で彼女を鍛えてるよ。RORでね。刹那先輩がもうすぐ戻ってくるみたいだし、それまでにチームランク潜れるようにして見せる」

「俺も前教えてもらったけど合わなかったなぁ。難しいんだって。あと全員言ってることがバラバラだったし。轟さんはピールしろ、ひすいちゃんはCS喰え、阿僧祇先輩はとにかくキル、で、一二三は死んで覚えろ、だもんなぁ」

「タンクは死ぬのが役目みたいなとこあるから。最初に死んだら集団戦は勝ちだ」

「じゃあ蛇ノ目さん、大変だ。皆あのゲームにはストイックだからさ」

「でも見込みあるよ。彼女もピアノやっていただけあってトライアンドエラーは得意だし、すぐ上手くなるタイプだ。抜かれないように俺も頑張らないと」

「そっか、まあ手治さないとゲームできないけどな」

「それなー」

 快速、話しながらも国光はきっちりと自転車を漕いでいた。こんな小さな頼みであっても一二三から何かを頼まれるなどそうあることではない。面倒くさがりではあるが頼りたがらないところがあり、吸血鬼故一人で大体完結してしまう。

 この状況は腕一本を失い、消耗しきった状態だからこそ、であろう。

 自分も含め、あの日、彼が敗北しそうになった瞬間、動いていたのは『彼女』一人だった。自分も、轟も、翡翠も、黒木ですら、彼の強さを信じ切ってしまっていたのだ。『彼女』だけが一二三を強いと思っていなかった。

 だから、『彼女』だけがあの日届いたのだ。

「信頼と依存は違う、か」

「ん?」

「いや、俺も強くならないとなって」

「別にいいのに」

 この都市は良くも悪くも現在、個に依存している。世界で唯一、特異なる都市として対怪異の武力を羽佐間一二三に依存している状況があった。集団を捌ける羽佐間翡翠が欠けても機能停止し、黒木史崇がいなければ現場が回らない。

 足りていないのだ、人材が。

 だからこそ、必要なのはスペシャルな人材ではなく普通に優秀な者たち。彼らが全部を回せるようになれば都市は健全化、安定したと言えるだろう。組織運営において属人化している現状は不健全で、標準化を目指さねばならない。

 その一助になるため国光は勉強をしていた。

「い、つ、か、タクシーじゃなくても頼らせてやる」

「タクシー、助かってるけど」

「ハッハ、この国光隼人を侮るなよっと。ほい、到着! 帰りは?」

「歩いて帰るよ。時間、かかるかもだから」

「おっけ。俺はちょっと、複雑だからさ。でも、嫌いじゃないし、理解もしてる。納得は出来ないけど、許さないのは、違うと思うから」

「……悪いな、親友」

「気にすんなよ、親友」

 そう言って国光はせっせと自転車を漕いで去って行った。

 羽佐間一二三が国光に依頼して訪れたのは、コンコルド・シティ唯一の刑務所であった。この先に、彼女がいるのだ。

「じゃ、行きますか」

 蒼の光教団にて三人しかいない『聖者』の一人、姫島さつきが収監されている場所である。ただし居場所は目に見えている施設ではなく、地下であるが。


     〇


「やっほー、ひふみん。久しぶり、ってほど久しぶりでもないか」

「意外と元気そうだな、姫島」

 再会はとてもあっさりとしたものであった。

 あの日、一二三はクロスの剣を打ち砕き、十字架にて騎士を貫いた。崩落するグランシティタワーから姫島さつきを助け出した上で、骨の手錠をかけたのは他ならぬ一二三本人であった。それにしてはあっさりし過ぎであるが。

「似合うな、囚人服」

「相変わらず乙女心がわかってないね。褒めるところが違います」

「どこを褒めるのが正解?」

「すっぴんが可愛いってとこ」

「盲点だった。元々そんなに化粧してなかったじゃん」

「わずかでも手入れしているのとしてないのとでは天地なの。これだからひふみんは。彼女獲得の道は果てしなく遠くて険しいね」

「へいへい、申し訳ございませんね」

 刑務所の地下は、学校同様そのままマリス・ステラに繋がっていた。その先にあるのが本当の、表に出せない存在を封じておく施設である。

 彼女のような影響力の高い人物などもそう。

「拷問、出来ないみたいだね」

「あはは、ほんと、ただの女子高生に皆過保護なんだよ。そのおかげで色々話す必要なくて助かってるけど。まあでも、話しても意味ないと思うよ。教団本部なんてホームページのまんまだし、他の『聖者』はほとんど其処にいるし」

 彼女に危害を加えようとすると、呪詛が発動し行動が反転してしまう。つまり、拷問しようとした者が自らに拷問をしてしまうのだ。

 仕事として仕方なくやっている者であれば『出来ない』だけで済むが、望んでその職に就いた者にとっては地獄が待つ。

 自らの嗜虐性がそのまま跳ね返ってしまうから。

 相当金と人脈を使わねばここまでの呪詛は刻めないはず。それだけ蒼の光教団にとって彼女は重要人物、ということなのだろう。

「堂々としてるなあ」

「悪いことしてると思ってないから。私もそうだよ。もちろん、今回の、根本の件は止められなかった私たちに責任の一端はある。それでも一端。裏で手を引いていたのは『道化王』。なら、今の私たちじゃどうしようもなかった。まだ、届かないから。わかるよね、『超人薬』自体は悪いものじゃない。人が自衛のために持つべきもの。『道化王』のような悪意から自らを守るために。まだまだ力不足だけど」

「……それは否定しない。でも、裏でこそこそとやる必要はなかっただろ? きちんと申請して正しい手順で研究をしていれば――」

「無理だよ。それを望まない人が多すぎる。わかる? 『人』なんだよ。本当の問題は。普通の人に力を持ってほしくない『人』、それが私たちの道を阻む。裏でやるしかないの、そうじゃないと容易く潰されてしまうから」

 一二三は言葉に詰まる。決して彼女の言っていることは荒唐無稽な話ではない。いや、最初から表立ってやれるなら彼女たちはそうしていたはずなのだ。何しろ彼女たちは正真正銘それを良いことだと思っているし、隠す必要がなければ隠さない。

 それは現在の教団のスタンスとも合致する。

「でも、私たちは諦めない。本当は仲間であるべきの『人』が阻もうと、私たちは私たちの『普通』を求め続ける。それが私の生き方なの」

 姫島さつきの表情に欠片の迷いもなかった。

 獄中に至ってなお、彼女は自らの道に何の疑問も抱いていない。

「君の『普通』に異種族は、入る余地がないのかな?」

「異種族である限りは、そうなるね」

「彼女たちは弱かったよ。君たちが思うよりもずっと」

「弱いって違いも、軋轢の要素だよ。むしろ長期的に見れば弱い種族の方が怖いとすら思っている人もいるね、教団には。私はそこまで先のことは考えてないけど、違うことがコミュニティを壊すことに関しては同意見。私の『普通』はコミュニティ内での話で、異種族のコミュニティにまで干渉する気はないの」

「ユーロの施策が正しいって考え、か」

「住み分けだね。私はそうすべきだと思う。人間はさ、たかが肌の色、異種族との差に比べれば微々たるものの身体能力の格差、そんなもので大昔から差別してきた。争いの元になったし、それを是正した後は行き過ぎておかしなことにもなった。異種族って別の存在が明らかになってからは皆そっちのけだけど、それも人」

 指導者としての一面、彼女には確固たる信念がある。

 それを理屈で揺らすことは、おそらく羽佐間一二三では出来ない。

「皆の『普通』が妨げられない世界になればいい。それだけなの。たったそれだけのことなのに、どうしてこんなにも難しいのかな?」

「……皆の『普通』が違うから、難しいんじゃないかな。俺は君の『普通』を肯定できないよ。俺はもう、どうしたって異種族だし、人であった時代もある。狭間にいるから、どっちも仲良くなって欲しい、そう思う」

「もし、魔法の薬があったとして、ひふみんがただの人に戻ったとしたら、どう? 私の『普通』に共感してくれる? 一緒に手を繋いでくれる?」

 羽佐間一二三は迷うことなく首を横に振った。

「それでも俺は皆の間に立つと思う。だから、ハザマ、なんだ」

「あっは、駄洒落じゃん」

「黒木さんが名付け親だからね。あの人、もうおっさんだし」

「ひすいちゃん聞いたら泣きそう」

「この前知って駄々こねてたよ。もっとポップな理由が良かったって」

「たまに意味不明になるよね、ひすいちゃん」

「かわいいだろ?」

「超かわいい」

 二人は笑い合う。良い友達になれたと思う。いや、今でも友達なのだ。

 ただ、信念だけは重なることがない。

 ゆえに、道は交わらない。

「また会いに来るよ。何度でも話そう、姫島さつき」

「ふふ、楽しみ。なら、私もいつか、私の足で会いに行くね」

 その言葉の意味するところを察し、一二三は複雑そうな苦笑を浮かべる。

「……しばらくは無理だよ」

「それは明日のみぞ知る、じゃあね、羽佐間一二三くん」

 強化ガラス越しの投げキッス。去り行く姿も一切の引け目がない。

 その背は語る。双方の立ち位置にさほど大きな違いはない、と。望むのなら、容易く踏み越えて見せると、そう言っているように思えた。

「……女の子は怖いなぁ」

 羽佐間一二三もまたこの場所を去る。

 ここの厳重さは一二三も知っている所であるが、それでも何故か理屈とは別のところで彼女と再会する気がしていた。しかも、塀の外で、堂々と。

 今の状況からするとありえない話なのだが。

 あの『普通』の少女にはそういう圧があったのだ。


     〇


「いーんかよ、あいつおっぱいに激弱だぞ?」

「強化ガラスと呪詛防壁十層、破れるものならば破ってみろ、です。まあ、わたしもさすがに空気は読みます。それに、わたし、あの人のこと嫌いじゃないのです」

「服奢ってもらったからか?」

「それもありますが、より私的な部分ですね。彼女は彼女の『理想』を貫いています。真っ直ぐです。そこに不純物がないから、分かりやすくてわたし、好きです。逆にこの都市は、あまりにも不純物が多すぎて、たまに嫌いになるのです」

「まあ、わからなくもねえわな」

「ゆえに、まあ、たまーに、ひふみさんをお貸しするのはやぶさかではない、ということですね。もちろん、強化ガラス越しですが」

「独占欲強いな、ポップガール」

「家族なので、当然かと思いますが? 乙女さんには正道さんがいます」

「……この歳でガキみたいに接されても恥ずかしいっつーの。ロックじゃねー」

 年の離れた義理の父の話を振られて不貞腐れる轟乙女。それを見て羽佐間翡翠は微笑んでいた。部室に穏やかな空気が流れていた。

 事件が終わり、もうすぐ定期テストも終わる。

 春が終わり、夏が来るのだ。まあ、その前に梅雨があるのだが。

「ふぐ、ぐひ、もう、無理ィ」

 とても穏やかな放課後である。

『もっと熱くなれよ! 熱い血燃やしていけよ! 人間熱くなった時がホントの自分に出会えるんだ! 一番になるって言ったよな!? 日本一になるっつたよな!? ぬるま湯なんか浸かってんじゃねえよお前!』

 出典、某熱血テニスプレーヤー。

「ひすいちゃんズ、また色物作ったな」

「ふふ、今度のは自信作です。せっちゃんさん帰還前に蛇ノ目さんを一流のRORプレイヤーとするため、熱血指導モードを搭載しております」

「あーあ、かわいそ」

「何故ですか? とても可愛いのに」

 部室の隅っこで泣きながら熱血指導を受ける蛇ノ目式。画面の中でAIにボロクソ言われながらゲームをプレイするという地獄に彼女はいた。

 ミスする度に――

『苦しいか、蛇ノ目、笑え!』

 よくわからない言葉が飛び交うのだ。泣きたくもなる。

 世界一という鉢巻をした燃える闘魂を滾らせ、ひすいちゃんは愛の鞭を振るっていた。何度も言うがこれはゲームである。

 まあ、ゲームだが遊びではない、というのはこの場全員の共通認識であったが。一二三など欠片でもこのゲームに対する熱意が勉強に向けば、と思わざるを得ない。

 罪深いゲームである。とても面白いよ。人間観察に向いています。


     〇


 黒木史崇は禁煙、火気厳禁なんのその、ある男の前で煙草を吸っていた。

 眼前にいるのはクロスであった。幾重にも鎖で拘束され、マリス・ステラが抱える呪術師が数日かけて構築した呪符、術式によって完全に封印されていた。

 動かせるのは口だけという徹底ぶりである。

「おや、このわざとらしい足音は黒木先生ですか?」

「鼻は利かねえか」

「つまり、貴方は今煙草を吸っている、と。好きですねえ」

「余裕だな」

「吐けることは全て吐きましたから。出がらし故の開き直りです」

 あっけらかんとした様子だが、黒木は一切警戒を解いていなかった。蛇ノ目の血を取り込んだ一二三は戦闘後、眼の変化は消えた。だが、クロスは未だに変化が解けていないのだ。騎士と超人、混ざり合ったまま彼はそこにいる。

「貴方は強い。私など恐れるほどではないでしょう」

「あいつは万全なら、中堅の純正吸血鬼ぐらいの戦闘力を持っている。それとほぼ互角、いや、少し強い、か。テメエ相手に警戒すんなってのが無理だ」

 それゆえに殺すことも出来ない。すでに『上』からも経過観察すべし、という命令が発せられていた。ある意味で現在マリス・ステラで最もビップ扱いな存在が彼であった。希少性、独自性、全てが他を隔絶した存在ゆえに。

「それはご苦労さまです」

「超人薬と違って騎士の秘薬は定着するらしいからな。そっちの影響か知らねえが、お前さんの存在を創世騎士団に知られるわけにはいかねえよ」

「……情報、封鎖出来ましたか?」

「おう。出来たぜ」

「ふふ、やはり貴方は素晴らしい武人だ。鼓動音すら完全に制御している。しかし、私は仲間を信じています。若輩の私を支えてくれた仲間たちを」

「ふーん、まあ好きにすりゃあいいさ」

 クロスの発言は的を射ていた。そう、情報は漏れていたのだ。人狼部隊が珍しく漏らしてしまった。本土で突破した騎士は拘束されたが、その手に超人薬は存在しなかった。すでに受け渡しは済んでいると見るべきだろう。

 創世教会もとい創世騎士団はともかく、蒼の光教団には届いていたのだ。

 騎士の決死が岩をも通した。

「ちなみに事件だが、まるっとクラウン・クラウンに擦り付けてやったぜ。あながち間違いじゃねえし、其処しか落としどころがなかった」

「そうなるでしょうね。蒼の光教団に擦り付けるには生徒姫島と先生である私がネックになる。それよりも私たち二人の存在を消して、根本と『道化王』を結び付ければ、学校関係者、ひいては市長のメンツも多少の傷で済む」

「お前さんはお国に帰って、姫島は転校って話になってる」

「承知しました。いずれ外に出た時はきっちり口裏を合わせましょう」

「出られねーよ」

 クロスの不穏な発言を煙に巻き、黒木は紫煙を燻らせる。

「くだんの、クラウン・クラウン、彼には警戒しておくべきです。あの男は必ず、この地に根を張っている。それがあの怪物のやり口でしょうから」

「根を張るのは無理だ」

「何故?」

「あいつよりも格上の吸血鬼が縄張りにしているから、だ。別に機密でもなんでもねえ、何なら広めてくれてもいい話だがな」

「……まさか、ヴァンヘルシング、ですか?」

 空気がひりつく。本当に拘束されているのか疑いたくなるほどに。

 彼が主と定めた存在の『普通』を奪ったもの。そもそも欧州で怪異と戦っていた者であれば誰もが知っているビッグネームである。

「そいつは死んだよ。完膚なきまでに、な。やったのは羽佐間一二三だ」

「ありえない。今の彼では到底届かないレベルです」

「お前さんはまだ、本当のダブルって奴を知らねえだけだ。そもそも、吸血鬼の血ってのは両立しないように出来ている。無理やり合わせて、死にかけて、一方が薄まっているから今のあいつは最強の眷属って括りに収まっている」

「相反しているものが両立している状態なら、ヴァンヘルシングにも届き得る、と。なるほど、それは大変興味深い。で、もう片方はどなたですか?」

「序列四位『鉄血』のヴィルヘルム」

「……く、はは、それは、くく、確かにクラウン・クラウンでは届きようがない。安心しましたよ。かの伝説、戦闘狂が高じて同族を殺し続けた怪物。何しろ吸血鬼、本気で戦うなら同族とやり合うしかない。イカれた怪物だ」

「たまーに羽佐間の奴も殺されかけているぜ。なかなか複雑な主従関係でな」

「難儀ですね。ただ、直接見ていなくとも、何かを中継している可能性は十分にありますよ。戦闘力は本当の上位に届かずとも、厄介さはその上を行く」

「ま、わかってるさ。多少の当たりも、つけてるからな」

 黒木の眼がギラリと光る。あくまで今は泳がせている、そういった雰囲気。どちらにせよ、外側のクロスですら理解しているコンコルド・シティ自体の欠陥、内側に敵を抱え込み過ぎている状況では戦うに戦えないだろう。

 今はまだ力を蓄える時、といったところか。

「また会いに来るぜ、騎士様よォ」

「お待ちしてますよ。我が剣、振るう時が来ましたらお呼びください」

「ハッ、ありえねえな」

「さて、どうなるかは、明日のみぞ知る、ですよ」

 怪物の仲間入りを果たしたクロス。人間であり続ける黒木には届かない存在、今の彼に勝てる拳士は、おそらくいないだろう。

 秘薬によって強化した騎士でも、おそらくロイヤル・パラディンでは届かず、グランド・マスターでようやく、と言ったところか。

 化学反応一つで、と言うわけではない。

 少なくともクロス以外の騎士は同じ実験をして、全員死んでしまったのだから。

 何故、クロスだけが、それを知り再現性を得るために彼は殺せない。

 こうして封じておくしかないのだ。

 再現性を得るか、剣を必要とする時が来るか、何かが起きぬ限り彼は此処にいる。

 マリス・ステラの深奥にて騎士クロスは静かに眠る。


     〇


「と、言うわけっす。これで蒼の光教団も少しは動くんじゃないすか?」

『報告ご苦労さまでーす。ワタクシ、感動しておりますよォ』

「バレないように逃がすの超難しかったんすから、もう勘弁っすよ。ま、しばらくは長兄殿が気になるってんでこっちにいますんで、はい」

『いやー、ワタクシも何とか入ろうと画策しているのですが、ちょっと厳しそうですね。睨み合っているだけでお小水が漏れそうです』

「怪物同士の戦いに巻き込まれたくないっす。お大事にー」

『んもう、仲間は助け合ってこそデショー』

「ハッハ、貴方がそれ言いますかいって感じっす。ではでは」

 クラウン・クラウンが所有する衛星を介した電話を切る、人狼族の男。

 そしてその前には彼の言う仲間、がいた。

「しばらく座長殿は来れないそうっす」

「相変わらずだなぁ。まあ、それだけ『鉄血』がヤバいんでしょうけど」

 隅で微笑むのは羽佐間一二三の同級生、ヘルマ。

「ちゃんと血、薄めとかないとすぐバレそう。しんどいなぁ。あんたらは良いよね。そもそも元が強い怪異だし、私らみたいに血ィ、薄めたらただの人間、とはわけが違うじゃん。いいなぁ、体交換しない?」

「勘弁っすよ」

「ごめんだね。僕、この身体気に入っているから。あと、一二三君に手ェ出したらテメエら全部殺すからな。彼は僕担当って決まってるから」

「鉄血のせいで手ェ出せねえっつの」

「担当言う前にボランティア部は入り込みなよ。蛇ノ眼とか一個欲しいんだけどさ。弄り倒してェ。つーか阿僧祇、ほんと垂涎ものだろ」

「俺は超人の生き残りがいい。研究途中だったし」

「興味あるのは生体コンピュータかな? 他、頭悪そうだし。俺、頭いい奴馬鹿にするの好きなんだよね。最後は廃人にして台無しにするのが味あるんだよ」

「結局パーにするなら一緒じゃん」

「うっせ、殺すぞ」

「おうやってみろ、バラしてキメラにしてやんよ」

 一癖も二癖もある連中、彼らの名を――

「まあまあ、とりあえず、座長がこっち来るまで面白くしておけばいいんじゃないすか? 黙っていてもここ、面白さしかない気がするっすけど」

「だな」

「阿僧祇も戻ってくる」

「血の匂いにつられて『レインメーカー』も動いたそうだよ。ソースは欧州」

「あっは、超面白いじゃーん」

 『道化王』クラウン・クラウン率いる『フリーク・ショー』の面々であった。潰れたはずの彼らが現存し、すでにコンコルド・シティに入り込んでいる事実。それは彼らを招いた者以外知る由もないことであった。

「ほいじゃ、面白き世に」

「面白き世に」

 純粋なる悪意、害意、彼らにとっては非道徳こそが生きがい。

 闇に笑う、怪物たちが動き出すのはまだ先の話。


     〇


 渇いた血の如し純黒の鎧を纏いし怪物が宙に浮いていた。

 巨大な双翼をはためかせている。

「……嗚呼、思い出しますねェ」

 じわり、と遠く離れた山中に潜むクラウン・クラウンは胸に滲む血をぬぐった。未だ、癒えぬ傷。かつて彼に挑み、傷つけることなく殺されかけた苦い記憶であった。防がないはずの吸血鬼が防ぐ、守る、固める。

 ゆえに最強。誰も彼に挑まない。

 戦う相手を喪失した第四位、彼があの『鉄血』を編み出して三百年、齢五百歳と決して高くない年齢の彼は一度として手傷すら負っていない。

 三百年前、『鮮血女王』に敗れ去って以来、不敗神話を築いている。

 己も、ヴァンヘルシングも敗北を喫した目の上のタンコブ。

「ワタクシも工夫を凝らして、次は勝たせて頂きますよォ」

『無理だよ、雑ァ魚』

 ゾクリ、届くはずのない言葉。だが、間違いなく一瞬、遠く離れているはずの視線が絡まった。今はまだ隙の欠片もない。

 だが、己もそれなりの準備をしてきた。

 次は勝つ、その言葉に偽りは、ない。


     〇


「あう、じゃ、蛇ノ目式、です。よろしく、お願いします」

 ぺこりと頭を下げる『普通』ではない女子高生の登場に、

「……はい原石キマシタワー」

 会場、もといクラスが沸き立った。

「なっ!? かつてアイドル事務所のスカウトにスカウトされたことがある佐々木が、何かを感じ取っただと!? た、確かに小顔だが」

「キテます」

「足も長い。猫背だが、しかし、眼が見えん」

「ちょっと男子ィ、蛇ノ目さんなんだからそこは気ぃ使いなって。何も分かんない素人じゃないんだからさ」

「いや、俺何も知らんけど。俺、木林ね」

「どさくさで自己紹介入れやがった!? 俺、八木田!」

「このクラス木関連の苗字は全部外れだ。全部無視しとけ」

「「「黒木さァん!?」」」

(それ自分も含まれちゃうんじゃ)

 担任に舞い戻った黒木は相変わらずのやる気ゼロ。頭の中は放課後学校を抜け出してどの台を打つか、それだけである。ちなみに黒木、目押しのある台、というかパチスロはあまりやらない。完全に運要素で勝負したいとイカれた思想の持主であった。

「み、皆さんのこと、沢山、知りたいと、思い、ます」

「よろしく、蛇ノ目さん。ちなみにあたしたち機関でお茶汲みやってるから」

「そ、そうなの?」

「そそ。だから今後ともよろしくね!」

「機関て何? 俺、木林だけどさ。電話教えて? メアドどんなの? どこ住み? RINEやってる? スリーサイズは?」

「欲望が留まるところを知らねえな。あいつやべーわ」

「ほんっとこのクラスの男子外れ過ぎ」

「俺は紳士だぞ!」

「じゃあそのワンチャンふるふるで拾えないかなって高速移動してる腕千切ってこいや、八木田ァ。異種族の恥部なんだよ、テメエ」

「キレすぎやん!?」

 ざわつくクラスメイト達におろおろする蛇ノ目。

 全てに対して意に介すことなく、黒木はノールックでチョークを投げる。

「ふぎゃ!?」

 倒れ伏す羽佐間一二三。昨日も自発的なパトロールでお眠であった様子。

「蛇ノ目は羽佐間の隣だ。教科書とか見せてもらえ。持ってきてるなら――」

 蛇ノ目、迷うことなくバッグを外に捨てた。

 そしてキラキラした目で、

「ぜ、全教科忘れました。くひ」

 堂々と答える。さすがの黒木も唖然とするしかなかった。

「チィ!? また羽佐間、だと!? 何が起きてんだ? 天変地異か?」

「人生には一度モテ期が来るというが」

「俺来たことねえぞ」

「俺も」「俺も」「俺ら来たことある奴いるのか?」

「とりあえず今度闇討ちしようぜ。どうせ死なないし」

「ゾンビって便利だよなぁ」

「サンドバックだサンドバック」

 あまりにも酷い異種族差別である。場所が場所なら許されない暴言に、一二三は顔をしかめながら倒れ伏していた。起きると厄介な連中を活気づけてしまうとの判断である。冷静沈着、これぞコンコルドの死神である。

「パーカーのフード千切ろうぜ」

「殺すぞオラァ!」

 羽佐間一二三、漢の単騎駆け。

「もー、一二三君、暴れちゃダメだって」

 友人ヘルマ君が止めるも効果なし。

 愛するパーカーを千切ろうなど、しかもフード、一二三は激怒した。

「……ま、あれだ。仲良くやれや」

「は、はい!」

 季節外れの初教室、不登校であった蛇ノ目式が黒木組に参入する。

 ちなみに――

「あ、羽佐間ァ。お前放課後定期テスト受けろよー」

「え?」

「当たり前だろうが。何でなくなると思ってたんだ」

「え?」

 羽佐間一二三、涙の赤点、補修までのフルコースが刹那で見えた。

 崩れ落ちる一二三。それを見てクラスメイトは優しく肩を叩き、

「ザマーミロ!」

 心の底から嘲笑ったとさ。

 めでたしめでたし。

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