番外編:誰にとってもの居場所【前編】
五時間目、四時間の授業による疲労の蓄積、昼食でお腹も満たされ、睡魔が押し寄せて来る時間帯。クラス全体が締まりのない顔をしていた。
爆睡している少年の名は羽佐間一二三、十五歳。この都市、異種族との融和を目指すメガフロートにおいてはごくごく普通の高校一年生である。周りを見渡しても尻尾が垂れていたり、角が生えていたり、牙が見えているのもいる中で、少し青白いだけで人間と変わらない見た目の、戸籍上ゾンビな自分はまあまあ普通寄りであろう。
この都市は実験都市で、この学校はその象徴。異種族と人間が共存する世界で唯一の学校である。今日も暢気に全員平和ボケしている。
もちろん彼もそう。のんびりと平穏を満喫していた。
「八木田君」
「ふぁい!」
「次の段落から続けて読め」
「……昔々ある所に――」
「わからないならわからないと言え。教科書のどこだ、それ」
「いやぁ、ついテロリストが襲ってきて、それを颯爽と打ち倒す妄想をしてまして」
「嫌に具体的だな、おい」
八木田の言葉に男子生徒一同、わかる、と思ったことだろう。もちろん一二三も思った。男子ならば一度は妄想するテロリスト襲撃。まあ実際にそんなこと起こるわけもなく、そもそも現れたところで一般人が颯爽と捌けるわけがな――
「Hello, everyone!」
パリーン、と窓ガラスが割れ、颯爽と飛び込んでくる女性。ゴロゴロと転がりながら立ち上がり、おもむろに黒光りするそれをクラスメイトに向けた。
「無政府主義組織、アナーキストでーす!」
「……え?」
「と言うわけで、全員動かないでくだサーイ」
クラス全員悲鳴を上げることも出来ず、とりあえず手を上げた。こういう状況だと何されるかわからな過ぎて悲鳴すら上げられないのだな、と皆しみじみ思う。
男八木田は冷静に状況を分析する。中学時代、今も含め幾度となく妄想した状況である。テロリストと思しき女性は武器を持っているとはいえ一人。身のこなしは素人臭いが、その実とても細かく周囲を観察しており隙が無い。銃も口径からして当たったらその辺の異種族でも死ぬ。つまり、どうしようもない。
妄想は妄想なのだなぁ、と男八木田は思った。
なので素直に全力で手を挙げ続ける。無害な羊だよ、と必死のアピール。こういうところがダサいのだ、とクラスの女子筆頭格の花ケ崎は思ったとさ。
眼がもうゴミを見るそれである。
「国際テロ組織アナーキスト代表、アナーキーか」
「おや、博識ですねえ先生」
「有名人だろ……で、要求は何だ?」
「んふー、話しが早くてよろしい。要求は一つ、私の組織が出資していた研究物が、研究者ごとこちらへ逃げ込んだそうで、その引き渡しを要求しまーす」
「それで何故、学校を?」
「要人のお子さん、いっぱいいますからねえ。特に異種族の。この子たちを人質にするのが一番手っ取り早いでしょう?」
「……なるほど。で、お一人様?」
「んふぅ、その問いに、意味がありますかァ?」
よれよれのスーツを着た男は笑みを浮かべる。それと同時に、教壇の下から突如煙が噴出し始めた。さすがに生徒も混乱し始める。
ただ、当の本人たちは至って冷静なまま。
「おおう」
「要人がいるんだ。それなりの警備は、いるさ」
クラス担任黒木は軽い構えを取る。見ただけでわかる。素人の動きではない。
「異種族には、見えませんがねェ」
「そりゃそうだ」
緩やかな動きから放たれた拳は、アナーキーの頬をかすめる。黒木はかわされたことに驚き、アナーキーは頬の肉が削られたことに驚く。
「俺は純粋な人間様だ」
「信じられませんが、嘘とも思えませんので、素直に称賛しておきます。以前、殺した拳士よりか強いデスよォ、貴方の方が」
「ハッ」
視界の悪さは黒木にとって特に問題はない。五感を研ぎ澄まし、眼を瞑ってでも戦えるのが拳士と言う生き物。だが、問題は相手も同じ、と言うこと。
(どうなっている、何故、ここまで俺の動きが見えている?)
「ふふふ、驚いていますねェ」
「……ふっ」
とにかく今は生徒の安全が第一優先。疑問はあれど勝負は即決める。
「ッ⁉」
「あはァ、痛い、デスねえ」
「なんだ、この、手応えは⁉」
鍛え抜いたワンインチパンチ。確実に相手を射貫いたはずであったが、返ってきた手応えは人間のそれではない、まるで鉄の塊でも殴ったかのような――
「割に合わないので引かせてもらいマス」
アナーキーはおもむろにポケットから手りゅう弾を取り出す。滑らかな動きでピンを引き抜き、生徒に向かって放り投げた。咄嗟に反応した黒木がそれを窓の外に蹴り飛ばす。間一髪、それはブラフではなく本当に爆発した。
視界はないが、爆発音によって生徒たちから悲鳴が上がる。
「きさ――」
隙あり、アナーキーは笑みを浮かべ、黒木に向かって銃を構えた。
だが――
「……んん?」
次の瞬間、銃を持つ手に何かが突き刺さり落としてしまう。
(……白い、骨?)
何かいる。黒木も健在。アナーキーは形勢悪し、と逃げを打つ。黒木だけならばどうにでもなるが、別に何かがいるのなら話は別。
「まあ、今回は挨拶みたいなものですし」
アナーキーの直感が不味い相手だと告げる。煙の隙間からアナーキーは見る。顔は見えないが明らかなる、怪異を。真紅の眼、輝く真紅は怪異の証。異種族の中でも血が濃く、かつては人類の敵とみなされていた存在。
(怪異が一匹、もう一匹、二匹ほどいますかァ)
「んふぅ、怖いですねえ」
追ってはこない。追い切れぬと判断したのか、それとも――
○
「と言うわけで、この子の世話を頼むわ」
「は?」
羽佐間一二三の前に、無表情で立つ銀髪と翡翠色の眼が目立つ少女。外見は特徴的だが、表情も含め無機質のような存在感である。
「いや、その、俺ですか?」
「そ。お前」
「なんでですか⁉」
「仕方ないだろ。相手は国際テロ組織、世界各国を相手取り好き放題暴れ回る怪物だ。本部に置いとくわけにはいかねーんだよ。職員の命が危ないだろ」
「俺の命も危ないでしょうに。と言うか、なんで国際テロ組織がこんな子を狙うんですか? 異種族じゃなくてこの子、人間ですよね?」
「うなじ、見てみろ」
男に言われ、髪をかき上げて少女のうなじを見る。
そこには、
「……っ⁉」
電子機器と繋げるような端子が設けられていたのだ。
「生体コンピューター。クソ科学者がスパコンを超える人間を、ってクソみたいなコンセプトで設計した改造人間なんだよ、この子は」
「……そんな」
感情のない眼。知らない人、二人に囲まれているにもかかわらず、彼女の中から起伏を感じることはない。ただ、そこに在るだけ。
「ボランティア部の領分だろ、な」
「それはそうですけど……先生の部屋じゃダメなんですか?」
「タバコが吸えなくなるだろうが」
「……は?」
「部長の阿僧祇が不在、なら副部長が代わりに職務を遂行するのが筋だろ?」
「それはまあ、そうですが」
羽佐間は現在部員二名のボランティア部に所属していた。役職は副部長、まあ今は部長と二人しかいないため、ただの下っ端であるが。
「ま、頑張れ。俺は連中の足取りを追う」
奥の手を使えば一二三の方が調べるのは早いが、正直人間相手に奥の手を使う気は起きない。何か人間離れしたものはあるようだが――
「……わかりました」
「頼むわ。たぶん、その子にはお前さんが必要だよ。その逆もまたしかり、だ」
そう言ってよれたスーツを着ている先生、クラス担任である黒木は少女を置き去りにして去っていく。
少女を押し付けられた一二三は、
「え、と、初めまして、羽佐間一二三です」
とりあえず交流しようと手を差し出すも、意図が伝わっていないのかそもそも知らないのか、首を傾げる様子すらなく微動だにしない。
「あの、お名前は?」
「第六世代コンピューター、製造番号β0261です」
無表情で問いに答える彼女の貌には何もなかった。自身が実験体として扱われたことへの悲哀も、怒りも、苦しみも、疑問を抱くことすら出来ていない。
疑問を抱くには、普通を知らねばいけないのだ。
「……そう、か」
一二三は沈痛な面持ちで少女の手を握る。
「行こう」
「はい」
命令を遂行するだけ。そこに何の感情もないのは一二三でもわかる。
(確かにこれは、ボランティア部の領分だ)
一二三は自身が所属する特殊な部活の、存在意義と共に彼女を保護する。
○
だが、ここからが本当の山場であった。
羽佐間一二三は一人暮らしのアパート住まい。男一人の生活ゆえにどうしても掃除を後回しにしてしまい、結果として汚い部屋となってしまう。
それでも普段はもう少しマシ。ただ――
(……散乱しているトマトジュース、先生め、ここで何したんだよ)
今日はどうにも色々あって凄まじく散らかっていた。鍵も持たずにふらりと現れ、この家で遊び倒す厄介な存在のせいである。
「……ちょっとそこで待っていて」
「はい」
猛烈な勢いで掃除を開始し、少しでも小さな女の子が住んでも問題ないような空間作りに専念する。まあ所詮大雑把な一二三の仕事、汚くはない、ぐらいの環境に落ち着いた。そこら中にうずたかく積まれているカップめんの容器は、まさに業の塔と呼ぶにふさわしい代物である。少し、匂う。
「そこに座って」
「はい」
お次は料理。自慢ではないが羽佐間一二三は料理などしない。基本はコンビニで済ませているし、冷蔵庫の中には牛乳しかない。たまに隣室の部長に作ってもらうことはあったが、彼女も今はこの都市にいない。ゆえに八方塞がり。
「よかった。まだ残ってた」
取り置きのカップ麺を取り出し、せっせとお湯を沸かす。すぐさまできるのがカップ麺の良いところである。彼女は静止しているかのように座り続けている。
微動だにもしていない。
「明日はきちんとしたもの用意するから、今日はこれで許してね」
「何を許せばよいのでしょうか?」
「いや、ほら、カップ麺は手抜き料理だから、お客様に出すものじゃないんだよ」
「カップ麺は手抜き料理、把握しました」
「でも美味しいよ」
一二三は彼女の前にカップ麺を置いてやる。だが、彼女は一向に動かない。
「お腹空いてない?」
「これは食事なのですか?」
「あ、うん。食べ物だけど」
「カップ麺は食事、把握しました」
そして、把握と同時にカップ麺へ手を突っ込もうとする。慌てて一二三がそれを止めた。何をするんだ、そう叫び出しそうになるも、何故止められたのか理解していない彼女を見て、言葉に詰まる。
(この子は、食事も――)
一二三は首を振り、穏やかな手つきで少女にはしを握らせてやる。握り方がわからないのだろう。そもそも何をさせられているのかもわからないかもしれない。
「こう握るんだ」
自分の握りを彼女に見せる。それを見て彼女は即座に持ち方を理解する。
「うん、上手」
そして一二三は彼女に見せるよう、自身のカップ麺の麵を持ち上げ、すする。
彼女も即座にそれを真似して――
「……⁉」
麵を吐き出し、口を手で覆った。
「だ、大丈夫⁉」
一二三の問いに対し、
「……熱源を探知、これは食事に適しません」
熱い、と言う言葉を難しく述べる。それを聞いて一二三は苦笑した。この子が普通の子どもみたいな反応をしたから。少し、ホッとしたのだ。
「はい、水」
「……冷却効果を確認」
「それはよかった。よし、じゃあ食事を再開しよう」
「……ご命令とあらば」
ほんのりと滲む拒絶。それは彼女の確かな意思で、ほんのひとかけらでもそれが其処に在るのは彼女が人である証左でもある。
一二三は麵を持ち上げ、ふーふーと息を吹きかける。
「はい、口を開けて」
「…………」
命令には逆らわない。口を開け、一二三が持ち上げた麺を咥内に入れる。先ほどのような勢いの良さはない。それでも彼女は食事を口に含み、
「……⁉」
目を、僅かに見開いた。
「美味しい?」
「……美味しいという言語は理解不能です。が、また食べたいとは、思います」
「それはよかった」
一二三は微笑み、また同じように麺をフーフーして彼女の口に持っていく。今度はそれを少しだけ勢いよく、彼女は咀嚼する。その繰り返し。
自分の分がすっかり伸びきってしまった頃に彼女は食べ終えた。
「また食べたいと思うのが、美味しい、だよ」
「美味しい、把握しました。カップ麺は、美味しい、です」
「あはは」
まあ、何とかなるだろう、とこの時の一二三は思えた。
しかし、世の中そんなに甘くはない。
「え、身体、洗ったことないの⁉」
「培養液に浸かっていたので洗体は不要でした」
「洗い方は?」
「不明です。皆目見当がつきません」
小学生ほどの少女の体を洗う方法、自分の子どもならいざ知らず、これは色々と不味いのでは、と思うも自分がやらねば誰がやる、とばかりに実行する。
眼は半分瞑りながら、後は気合で。
「いだ、うぐ、これは危険行為に当たります」
「……シャンプーハットが必要、か。何処で売ってるんだろ?」
が、早速足りぬものを発見したり、
「料理をやるぞ!」
カップ麺ばかりではまずいと思って料理に挑戦する。料理本片手に奮闘。普段隣室の部長に作ってもらっていたが、図々しい行為だったと実感。
修練不足。
「小学生ぐらいだし勉強を教えてあげよう」
「鉛筆で出力する行為は無駄ばかりですが、出来ました」
「……全部できている」
勉強も教えようとしたが、小学生どころか高校生レベルの問題でもすらすら解かれ、今時の少女はこんなにも頭が良いのか、と一二三は戦慄していた。
この辺りで少女が生体コンピューターである意識は消えていた。
一緒にゲームをしたり、散歩で外に出たり、外食をしてみたり、その後に食事の判断基準が上がり不味いを理解されたり、その全てでフーフーを強要されたり、など色々なことがあった。ダイジェストのように過ぎゆく経験、記憶。
色々を積み重ね、いつしか少女の頬は、小さく、緩む。
○
黒木たちは周囲の環境に融け込む迷彩服をまとい、アナーキーを追いかけていた。シティに潜り込んだ怪物、取り除かねば安寧などない。
まあ、そんな殊勝なことを考えているわけではなく、あくまで彼女を追うのは仕事である。シティのお偉方から課せられた、ただのお仕事。
「禁煙ですよ、先生」
「任務中は隊長って呼べ」
隠密行動中の喫煙に部下が苦言を呈すも、黒木に反省の色はない。
「こういうのもな、使いようなんだよ」
地下道の曲がり角、そこに向かって黒木は煙草をぷっ、と飛ばす。曲がり角、彼らから見て死角、そこからわずかに気配が零れた。
「これが」
黒木は紫煙を吐き出しながら、死角に回る。
「虚を突くってこった」
そのまま相手の頭を掴み、ぐるりと回す。敵を待ち構えていた相手は煙草を見て動き出そうとするも、それが煙草であると認識し、惑う。
その一瞬が勝負を分けるのだ。
「対象がいるのわかっていたら、煙草のワンアクション要らないでしょ」
「馬鹿たれ。俺はわかっていたが、お前らはわかっていなかっただろ。だからお前たち向けに探知方法を教えてやったんだ。俺は先生、だからな」
「はいはい」
彼らはアナーキーやその一味、アナーキストを追う実働部隊である。
(ここも外れ、か。どんだけ人員を仕込んでいることやら。こりゃあ本部も安泰じゃねえな。最悪、研究者は持っていかれる、か)
シティ側の要望はアナーキストの排除であるが、果たして国際指名手配されつつも悠々暴れ回る彼女を、シティの戦力だけで追い詰めることが出来るか否か。
黒木は難しいのではないか、と考える。
そして、その予想は的中してしまう。
○
この作戦行動の翌日、突如アナーキストにより地下本部が急襲され、
「お迎えに来ましたよォ、同志ィ」
「は、はひ」
生体コンピューターを生み出した研究者が奪取されてしまう。護衛も手練れの元怪異をつけていたのだが、挨拶代わりにロケットランチャーを叩き込み、実力を発揮する前に五体が吹き飛ばされ、絶命していた。
これがテロリストのやり口、容赦がない。
「さあ、おうちに帰って研究を続けましょうかァ」
最悪のテロリストからは――逃げられない。
この件はシティ側を激怒させたが、黒木らにとっては犠牲が増す前に相手が去ってくれたのはマシな結果であった。実験体の保護には成功しており、得たものは大きい。アナーキストたちも大元である研究者を取り戻した以上、これ以上長居をすることもないだろう。その読みは間違っていない。
実際にアナーキーはそのつもりであった。如何に歴戦のテロリストでも、いや、歴戦のテロリストだからこそ、一所に留まるのは愚であると理解している、極力居場所は不明な方が良い。だから、ここで手打ち。
敵も味方も、誰もがそう思っていた。
「――出来ないんだ!」
「はァん?」
彼女が、彼の言葉を聞くまでは。
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