番外編:誰にとってもの居場所【後編】



 都市最大の複合商業施設、イズミオン。

 ここで羽佐間一二三と少女は買い物をしていた。

「大勢人がいますね」

「日曜日だからね。都市中からここに人が集まるんだ」

「異種族も混じっています」

「それがこの都市の存在理由なんだ」

「存在、理由?」

 羽佐間は誇らしそうな、嬉しそうな顔でこの景色を見つめる。少女にはそれが何故かわからない。わからないことはたくさんあるけれど、

「…………」

 わからないことで胸の奥がギュッとなるのは、初めてだった。

「あっちにフードコートがあるから行こうか。美味しいたこ焼きがあるんだ」

「たこ焼き、詳細不明。後学のため是非」

「よし、行こう」

 手を繋ぎ、歩む。自分よりも大きな手、包み込むようなそれを握り返すと、何故か胸が安らぐのだ。こっちのわからないは、心地よくて『美味しい』、だと思う。

 彼女は少しずつ、普通を学び始めていた。


     ○


 だから、気になってしまう。

 何故、羽佐間一二三は深夜になると家からいなくなってしまうのか、と。少女が訪れてから彼はソファーで睡眠をとっているが、夜中に目を覚ますと大体いなくなっている。一度問いかけた時は散歩とはぐらかされたが、頻度的にもおかしい。

 何か理由があるのだ。それも少女には言えぬ理由が。

 このわからないは、胸がギュッとする。

 解決したいと思う。知りたいと、思う。

 今まで何も思わなかったし、感じたこともなかったけれど、夜の世界に一人はとても寂しいから。だから、知りたい。


     ○


 深夜二時、妖しげな灯りだけが揺らめく真夜中の都市、その暗がりと光の境界線で一人の男が煙草を燻らせる。

「……路上喫煙禁止区画ですよ」

「うるせえ。深夜に徘徊する不良少年には言われたくねえわ」

 光の際に立つ男は闇の中に潜む怪異に声をかける。怪異と異種族の違いは色々な意見があるものの、おおむね二つの分け方がある。一つは単純に人に対し害を成す者。もう一つは人の制御叶わぬ者。この影は、後者である。

「アナーキーは?」

「足取りは掴めてねえ。研究者が奪取されたからな、もう都市にはいないかもしれない。で、どうすんだ、あの子は?」

「確証が得られるまでは俺が預かります。彼女はもう、この都市の、全ての存在を受け入れるために生まれた都市の、一部ですから」

「……そうか」

「では、行きます」

 そう言って影は闇の中に消える。この都市には敵が多い。内包する問題も山積している。それらと彼はただ一人、戦い続けている。

「……この都市を、『彼女』の願いを、託された人間――」

 人間も異種族も、誰もが自由に往来を歩ける、融和の都市、コンコルド・シティ。彼の、そして彼にその願いを託した者の、全てがここに詰まっている。

 彼はこの都市を守るためなら何でもする。どれだけ傷ついても、どれだけ苦しもうとも、彼女亡き今、彼はそれだけのために生き続けていた。

「コンコルドの、『死神』、か」

 悪潜む闇を駆ける、『死神』として。


     ○


 その闇の一角で、

「本当にそんなので取り戻せるのですか?」

「あ、あれを利用しようと思えば、必ず何らかの電子機器に繋げるはず。その際、外部情報にアクセスすれば、逆探知で捕まえられます」

「ふぅん、頼みますよぉ」

「お、お任せを。あれは、私の最高傑作ですので」

 悪意が、蠢く。


     ○


「あ、牛乳が切れた。買い物行くけど、どうする?」

「見たいテレビがあるので遠慮しておきます」

「そっか。了解」

「羽佐間さんは学校に行かないのですか?」

「ん、ああ、先週までは休校で、今週からは休んでいるよ」

「それは、私のせいですか?」

「違う違う。俺はそもそも真面目な生徒じゃないし、他の生徒だって意外と肝が据わってて、休校も楽しんでいたと思うよ。この都市の人間は慣れっこなんだ。色々あるのが当たり前の環境だから。じゃ、買い物行ってくるよ」

 そう言って羽佐間一二三は買い物へ行く。残された少女は一人、テレビを見ながらトーストをかじっていた。正直テレビには興味がない。彼女は人生で初めて、嘘をついたのだ。昨日、牛乳を切らしていたのは確認済み。

 朝、彼は必ず牛乳を飲む。切らせば買い物へ行く。時間は把握できている。

 しばらくして、ピンポンと家のチャイムが鳴る。

「お届けものです」

「どうも」

「サインをお願いします」

 少女は少し迷い、そこに嘘の羽佐間と記載する。またしても嘘をついてしまい、僅かに心が痛むが、知りたいという欲求の方が勝る。

 羽佐間一二三を調べる。そのために彼女は昨日、こっそりと彼のPCから注文していたのだ。自分と電子機器を繋げるためのコードを。

「……知り得た情報は口外しません。あくまで、その」

 自分の行動を正当化しようとするが、何も思い浮かばない。だけど、手が止まらない。合理的ではない行動である。道具である自分がすべき行動でもない。

 ここに来るまでの自分なら絶対にしない行動。

 それを彼女は、

「……申し訳、ありません」

 自分の意思で行った。自身と電子の海が接続する。羽佐間一二三の情報を調べる。瞬く間に情報が集まってきた。中学時代にゾンビ化したこと。元はただの人間であったこと。だけど、夜徘徊する理由が出てこない。

 だから彼女はさらに深掘りしようとする。

 そして――

「あっ」

 何かが、自分の中に入り込み、瞳から光が、消えた。

 がくんと、力なく目を伏せ、コードを引き抜き立ち上がる。

 そのまま意思無き足取りで、動き出す。


     ○


 アパートに戻ると少女がいなくなっていた。羽佐間は顔をしかめ、電話をかける。

「あの子がいなくなりました」

『心当たりは?』

「たぶん、ないと思います」

『本部に都市の監視カメラを調べさせる。お前さんは待機しておけ』

「…………」

『無駄なこと考えるなよ。今、奥の手を使っても、こっちで調べるのと大差ねえ。少しは組織を信頼しろ。いいからテメエは『牛乳』でも飲んで準備しておけ』

「……わかりました」

 電話が切られ、羽佐間一二三は静かにうな垂れる。彼女が自らの意思で出て行ったのなら、それはそれでいい。ここはそういう都市である。

 誰が来てもいい。誰が出て行っても、それもまた自由。

 だけどもし、彼女が誰かの意思で連れさらわれたのであれば――

「……ふぅ」

 羽佐間一二三は大きく息を吐き、買ってきた牛乳に口をつける。今自分にできることを、準備を、しておく。


     ○


 少女が意識を取り戻した時、そこは見知らぬ場所であった。

「Guten Morgen!」

 そんな彼女に挨拶をしたのは、元々彼女の製造開発に対してスポンサードをしていたアナーキスト代表のアナーキー。そして隣には、自分の生みの親。

「……なぜ?」

 少女が浮かべた疑問符にアナーキーは少し驚く。

「これはこれは、なるほど、自我を獲得したのですね。実に興味深いことです。疑問を抱くなど、研究室にいた当時では考えられませんでした。日本ではかわいい子には旅をさせろと言うそうですが、まさにまさに、素晴らしい成長です」

 そして、アナーキーは少女の頬を撫でる。びくりとたじろぐ姿を見て、尚更彼女は笑みを浮かべた。この成長、上手くすれば使い道が格段に跳ね上がる。

「さ、では参りましょうか」

 大きなシャッターが開くと、目の前には海が広がっていた。ここはメガフロート都市の港、その倉庫に彼女たちはいたのだ。

「わ、私は、その」

 少女は知っている。自分が道具として生み出されたことを。自由など無く、意思など必要がない。装置の一部でしかないことを、少女は知っている。

 だけど、

「ここに、いたい、です」

 少女は知ってしまった。そうではない道が、あるかもしれないと。だから少女は口にした。自由が欲しい、と。

「……あはァ」

 アナーキーはそれを成長と取る。ゆえに笑みを深めた。

 だが、

「β0261!」

 生みの親である研究者は彼女を殴打する。

「貴様、私の顔に泥を塗って、道具の分際で使用者に逆らうとは何たる不具合! 記憶を書き換えねばならないな。そうでなければ売り物にならん!」

「やめ、記憶は、お願いします。言うことを、聞きますから」

「コンピューターが言うことを聞くのは当たり前だ! ふざけたことをぬかして、貴様にどれだけの手間をかけたと思っている! 造り替えてやる。私の、私に従順な、私のためのコンピュッ⁉」

 研究者が叫んでいる最中、おもむろにアナーキーが銃で頭をぶち抜く。突然の展開に、少女は呆然としてしまう。

「いやぁ、どうやら彼、同じモノを造ろうとしても出来なかったようで、貴方をおびき出せたら用済みだなぁ、と思っていたんですよ。裏切りはいけません。貴女を高く買い取るから、といたいけな少女を売りつけるなど言語道断デス」

「…………」

「自我を獲得したことにより、さらにスペシャルな存在になりました。これからは私が丹精込めて育て上げ、立派な無政府主義者(アナーキスト)にして差し上げます」

 アナーキーの眼に浮かぶ狂気、それを覗き込み、少女は俯く。一緒にいたくない。これは『美味しい』ではない。でも、もし自分が断ったら、きっと彼女は今みたいな暴力をあの人にも向けてしまう。それは、駄目だ。

「……いっしょに、行きます」

 ゆえに少女は嘘をつく。

「素晴らしいッ! その素直さ、私は好ましく思います。では、私たちの本部を紹介致しましょう。普段は公海上を遊泳する――」

 アナーキーは海に向かって両手を広げる。

 そこから急浮上してくるのは、

「私たちの本部、超弩級潜水艦でェす!」

「……⁉」

 巨大な潜水艦。これが彼女たち、国際テロリストの拠点であり本丸、これがあるからこそ彼女たちは何処にでも現れ、破壊に限りを尽くすことが出来るのだ。

「さ、帰りましょうねェ」

「……は、い」

 そこから現れる構成員、見るからに強そうな異種族、怪異も混じった無政府主義者たちの中心戦力、それがこの都市に上陸してしまう。

 逃げ出す選択肢などない。彼女たちに暴れられたら、きっとこの都市は沈む。テロリストとしての実績が違うのだ。たかが一都市でどうにか出来る相手じゃない。

「…………」

 もう自由はない。元に戻るだけ。それなのに何故か、胸が痛い。


     ○


「潜水艦だと⁉ くそ、テロリストなら空って相場が決まってんだろうが!」

 船ならば容易く捕捉出来る。空と陸を固めておけばいい。その固定観念を、思考の穴を無政府主義者たちはついてきたのだ。これでは逃げられる。

 港に戦力を向かわせているが、おそらく間に合わない。よしんば間に合ったとして、現有戦力で連中の本隊と戦えるかと言えば、かなり難しい。都市のお偉方は手を出すな、と日和ること間違いなしである。

 だが、

『ただ、先ほど監視カメラから割り出した位置は伝えてあります。潜水艦が浮上したポイントも……おそらく、彼なら間に合うかと』

「本当か⁉」

『はい。相変わらず、化け物のような速さで移動しています』

「よし、なら全部隊に通達。港周辺を封鎖、そのまま待機」

『待機、ですか?』

「手出し無用だ。あいつが真正面から当たるなら、同種でない限り負けねえよ」

 命令を終え、黒木は通話を切る。

 これで終わり。どうやら連中は、死神に魅入られてしまったようである。

 この都市の創設者、『彼女』の想いを継ぐ『死神』が、征く。


     ○


 アナーキーは目的を達成して大変機嫌が良かった。必要なものを回収し、くだらない理念を掲げる檻、コンコルド・シティを散々虚仮にも出来た。

 さあ次はどの国で暴れてやろうか、そんなことを考えていると――

「……は?」

 何かが、巨大な潜水艦を貫き、ひしゃげ、明らかに航行不能な状態に追いやられる。爆発していないことから機関は外しているのだろうが、内圧を保たねばならない潜水艦にとっては、この時点で破壊されたも同然となる。

「白い、骨の十字架?」

 さしものアナーキーからも笑みが消える。そして悪寒が、全身を包んだ。彼女の感性が、培ってきた経験が、告げている。

 何かが来た、と。

「いやぁ、よかった。探したよ」

 来たのは学校指定のジャージにパーカーを着た少年であった。へらへらと、まるで迷子でも見つけたかのようにホッとした様子である。

 まだ、この場にはテロリストの戦力が全て残っているにもかかわらず――

「は、ざま、さん、なんで?」

「そりゃあ小さな子を預かる以上、迷子になったら探すよ。さ、家に帰ろう。今日は帰りに贅沢してガストンでも行こうか」

「来ちゃ駄目です! この人たちはとても悪い人たちなのです!」

「うん、知ってる」

 少年、羽佐間一二三は、微笑む。別になんてことない、とでも言わんばかりに堂々歩む。その足取りに揺らぎはない。

「Freeze(動くな)!」

 平静を取り戻したテロリストたちは全員、羽佐間一二三に向かって銃を構えた。全員、所持しているのは対怪異用の威力を持つ大口径の銃である。脆さは人と変わらないゾンビ相手では過剰な火力である。

「でもね、大したことじゃないんだ。この都市では、残念だけどこれぐらいのことは日常茶飯事だから。とても悪い人たちだとは思う。けどね――」

 警告に従わなかった少年に対し、彼らは躊躇せず銃の引き金を引く。

「ひふみさん!」

 少女の悲鳴がかき消されるほど、轟音の連続。硝煙の香りが充満する。あれだけ撃ち込んだのだ、原形すら残るまいと彼らは笑みを浮かべる。

 だが、

「やっぱり、大したことはない」

 羽佐間一二三は無傷であった。いや、もっと言うと、銃弾は全て白き壁が、骨で出来た壁が防いでいたのだ。歪なる壁が、羽佐間一二三の足元より生えてくる。

 ばき、ばき、と音を立てながら、

「俺は君に一つ、嘘をついていた」

 骨が、顔を半分覆う。髑髏の奥、眼窩より覗くは真紅の眼。

 血のように紅く、どろりと覗く。

「俺はゾンビじゃないんだ。俺はね――」

 ぱき、ぱき、音を立て、全身の皮膚を突き破り、骨が飛び出す。

「吸血鬼だ」

 全身から飛び出た骨が、アナーキー以外の戦力全てを無力化する。腹を貫かれた者、足を千切られた者、利き腕をもがれた者、様々である。

 たった一瞬で、形勢が覆った。

「最強の異形、怪異の王、吸血鬼。さすがに、相手が悪いですねェ」

 この都市に吸血鬼がいる、そんな情報アナーキーは持っていない。持っていれば手など出さなかった。出せるはずもない。

 今の一瞬が全てを表している。

「この前は寝坊して牛乳を飲み忘れていたし、みんなの眼があったから逃した。だけど今回は逃がさない。逃がす理由がない」

 骨が、全身の皮膚を突き破り、鎧と化す。これを見て吸血鬼と思う者はいないだろう。骨の鎧をまとった異形、まさに『死神』である。

「牛乳、なるほど、はは、牛の血、ですかァ。涙ぐましいですねえ。血の代替品に頼らねば、人の中で生きていくことすら出来ぬ、哀れなる吸血鬼」

 牛乳は血とほぼ同じ成分である。人も異種族も守るために彼は生きる糧である血を吸うこともなく、牛乳などで飢えと渇きを癒していた。

 そんなもので癒えぬことは、吸血種を知る者なら誰でも知っている。彼らにとっての吸血とは、人にとっての食事、欠かすことの出来ぬ生存行為。

 古今東西、それを代替物で我慢できた吸血種など、いない。ゆえに彼らは人類の敵であり、怪異の王として恐れられているのだから。

「それなら、少しは勝ち目がありそうデェス!」

 コートをはためかせ、その奥より出でるは機械交じりの身体。身体が反転し、剣を、銃を、内包した姿が露になる。これが彼女の本当の姿。

「……改造人間、か」

「ご明察。結構、強いですよォ」

「そのようだね。化け物じみている」

 全身の銃口が一斉に火を噴いた。

「あっ」

 その一部が、少女の下へ殺到する。死を覚悟した少女は眼を瞑った。

 だが、少女に弾が届くことはない。骨が足元より生え、彼女を守る盾となっていたのだ。その上で羽佐間一二三はやはり無傷。

 鉄壁の盾であり、鎧。

「……本当に吸血鬼ですかァ?」

「俺は元人間でね。本物のような美意識は、無い」

「それは……実に厄介デス!」

 吸血鬼は最強の怪異である。特に年月を経た吸血鬼は生物の頂点と言っても差し支えないだろう。そんな彼らに欠点があるとすれば、絶対的な能力差による慢心。彼らはそれを持つことを誇りとし、同種以外に慢心を持たぬことを恥とする。

 ゆえに彼らは守らない。如何なる攻撃も自身に届くのであれば受けるし、かわすことすらしない。その慢心だけが彼らに付け入る唯一の隙なのだ。

 例外はただひと柱だけ。

 そのひと柱に倣い、羽佐間一二三は守る。全身をガチガチに固める。

 吸血鬼唯一の隙が、無い。

(後天的? では眷属? ありえませんねェ。眷属であれば強過ぎます。私も八百位ほどの下位の吸血鬼との交戦経験ぐらいはありますが――)

 銃撃しながらの近接、それに対し一二三は腕を組んだまま、微動だにもしない。枝分かれした腕で剣を振るうも、逆に剣がへし折れてしまう。

(こいつ、その吸血鬼より、よほど強い!)

 圧倒的な防御力。何発も撃ち込めば骨も砕けるが、それぐらいの損傷はすぐに再生し、結果として傷一つ与えられぬまま弾を消費するだけ。

 攻撃が肉にすら届かない。

「何故、血を扱わないので?」

「不器用でね。だから、こんなにも不細工な戦い方になる」

(肉体の再生、骨だけを異常再生させて操る。実に厄介です)

 だが、アナーキーもまた百戦錬磨、備えあれば患いなし、先ほどと同じような剣を振るい、一二三は一瞥もせずに受ける。

 だが、

「あはァ!」

 骨の鎧、突破。骨ごと肉を断ち、片腕が刎ね飛ぶ。先ほどと同じような剣に見えるが、超振動ブレードを搭載した高性能な剣であったのだ。

 そのまま特注の剣で追撃を加えようとするが――

「ッ⁉」

 足元から骨の串が幾重にも伸び、彼女の身体を破壊しながら攻撃も防いだ。圧倒的な物量、質量による攻撃。どう考えても眷属の域ではない。

 怪異の王、吸血鬼の戦い方ですら、ない。

 距離を作られ、冷や汗を流すアナーキー。何せ、自分は一つ手札を晒し、リスクを負って突っ込んだにもかかわらず、代償は腕一本。

 それも――

「……隙無し、ですか」

 腕が自ずと主人へ近づき、勝手に接続してしまった。

 これで、無傷。

「そういうことだ」

 再生力も本物の吸血鬼なみ。

「んふゥ、私、捕まりたくありません」

「なら、悪いことをすべきじゃないな」

「でもォ、お利口さんになるぐらいなら死んだ方がマシ、ですゥ」

 アナーキーは自身のうなじに触れ、あるトリガーを作動させる。それは、改造人間である己の、リミッターを解除するトリガーであった。

 さらに膨れ上がる機械の身体。

 黒田の拳を撃ち込んだ感触がおかしかった、と言う感覚は正しかったのだ。あれは巨大な鉄の、兵器の塊、それを内包する人間火薬庫であった。

「混沌こそ、我が人生!」

「充分君も化け物だよ、アナーキー。だけど――」

 銃声が幾重にも轟く。大きな倉庫が崩れ落ちるほどの戦闘。周辺を封鎖し、遠巻きに様子を窺う者たちにとってはまるで戦争でも起きているかのように聞こえた。最強最悪のテロリスト対コンコルド・シティの守護者。

 改造人間対吸血鬼。

 その戦いは、

「俺はもっと化け物だ」

 砕け、折れた骨の、機械の残骸の上に、骨で磔にされたアナーキー。全身を骨で貫かれ、完全に無力化されていた。対する羽佐間一二三は、やはり無傷。

 骨の鎧を解き、少女の下へ歩み寄る。

 彼女を守っていた骨の壁も、緩やかに解かれていく。

「君は自由だ。この都市は君に強制しない。させない。ここにいてもいい、ここから出てもいい。それを選ぶのは、君自身だ」

「私は、迷惑を、かけます」

「この程度なら迷惑の内に入らないよ。大したことじゃない。たかがテロリスト、この都市にとっては日常茶飯事だ。もっと厄介なことはいくらでもある」

「……私は、改造人間です。普通じゃ、ありません」

「俺なんて吸血鬼だ。自ら望んで眷属になった、変わり者だよ」

「私、は」

 少女は震えながら、顔を上げた。そこには感情が渦巻いて、本当に、とても普通な、小さな女の子が其処にいた。

「ここに、いたいです」

「なら、俺が君を守ろう。全力で」

 少年は少女を抱きしめる。わんわんと、普通の女の子のように泣く彼女を、彼は愛おしげに見つめていた。守るべき者がまた増えたのだ。

 それはきっと、この都市にとって素晴らしいことである。

(君の願いに、また一歩近づいたよ。マイマスター)

 すでに亡くなった愛する『主人』を想い、少年は天を仰ぐ。

 彼女の好きだった蒼空。吸血鬼ゆえ日の光は苦手であったが、それでも『彼女』は空の下に、太陽の下にいたがった。空を見るのが好きだった。

 羽佐間一二三はそんな『彼女』を見るのが、好きだった。

 今日も空は晴れ渡り、蒼く澄んでいる。


     ○


「と言うわけでアナーキスト共は全員ブタ箱にぶち込んだ。都市のお偉方も大喜び、世界に誇れる大偉業だとよ。今なら勲章貰えるかもよ」

「要りませんよ」

 学校のボランティア部部室、黒木が顧問であり現在部員二名のさびしい環境にもかかわらず、さらに一名不在と言う侘しさしかない空間に彼らはいた。

「まあお前さんはそう言うわな。で、彼女の正式な扱いを決めるために、色んな手続きがあるんだが、とにかくまずはこれがないと始まらない」

「何ですか?」

「名前だよ名前。二週間ほど一緒にいて、呼ぶの困らなかったのか?」

「……確かに」

「お前さんも結構変わりもんだよな。まあ、変わりもんじゃなけりゃ眷属になんぞならんか。序列第二位、『鮮血女王』の、なァ」

「黒木先生にだけは言われたくないですけどね。で、彼女は何て?」

「名前は何でもいいとさ。でも、苗字は羽佐間じゃないと嫌、だとよ」

「……そうですか」

 羽佐間一二三は嬉しそうに微笑む。それを見て黒木も笑みを浮かべた。

「ま、ついでだ。名前もお前さんがつけてやれ」

「む、難しいですね」

「へっへっへ。名前はその子の一生を決める。重大な仕事だぜ。よく考えてやれ。考え抜いたものなら、あの子は嫌と言うまいよ」

「……わかりました」

「決まったら教えてくれ。その他手続きは、大人の俺がやっておいてやる」

 これから色々大変だろう。彼女の力はネット社会において凄まじい力を発揮する。彼女を上手く使いたい者はごまんといるだろう。そこから彼女を守り、彼女の意思を尊重して成長させることはとても難しい。

 だけど今は、その重みが心地よいのだ。心の底から、そう思う。


     ○


 アパートに戻ると、テレビでアニメを見ていた少女が近寄って来る。

「ただいまぁ。今日の夜は何が食べたい?」

「ガストンのハンバーグです」

 少女、迷わず即答。

「……舌が肥えてきたね」

「成長期ですので」

 口も上手くなってきたようで、このままでは早晩言い負かされる日も近いのではないか、と羽佐間一二三は危惧する。それはそれで喜ばしいことではあるが。

「あと、さ。名前の件、黒木先生から聞いた?」

「はい。駄目そうな雰囲気のおじさんから名前が必要だと話を受けました」

「それで、その、あんまり自信がないけど、考えてきたんだ」

「ひふみさんが、ですか?」

「うん。ほら、君って眼が緑色でとても綺麗だから、翡翠ってどうかな、と思って」

「ひすい、ひすい、とても、とても良い響きです」

 少女は微笑む。ぎゅっと胸を押さえ、大事なモノが零れ落ちないようにする。

「気に入ってくれたなら良かった。じゃあ、君は今日から――」

 少女の名は、

「羽佐間翡翠、だ」

「はい!」

 羽佐間翡翠。笑顔がとても素敵な、この都市では普通の女の子である。

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