第7話:ここで生きる者たち

 メダイ機関日本支部の制服に袖を通した蛇ノ目式は大きなスクリーンがある部屋に通されていた。中央にはちょこんと羽佐間翡翠が座っており、他は全員知らない人物ばかりである。と言うよりも子供は翡翠と自分しかいない。

「彼女が噂の蛇ノ目さんです。これから先、わたしたちの不完全だった眼、その補完として協力していただきます。今後ともよろしくお願いいたします」

「「「よろしくお願いしまーす」」」

 大勢から歓迎されてあたふたしている蛇ノ目。

「こ、こちらこそ、お、お願いします」

 ぺこりと頭を下げる蛇ノ目に盛大な拍手が送られる。全員、自分の仕事をやりながら、であるが。なかなか器用な者が集っていた。

「今更、説明の必要はないでしょうが、一応、メダイ機関について触れておきます。前身は聖心機関。創世教会ほど苛烈ではありませんが、人が怪異と抗するための組織でした。先の世界的露見以降、方針を転換しメダイ機関と名を変え、異種族との住み分け、共存共栄を目指し活動をしています」

 むしろこの件に関しては、怪異側である蛇ノ目家出身の彼女の方が、組織の変遷も含め詳しいかもしれない。実際、ノリで頷いているが全て知っている様子。

「メダイ機関は現在、ここ日本に一つ、欧州スイスに一つ、アフリカ、北米、南米、オーストラリア、六ケ所の支部があります。それぞれ共通項はありますが、基本的に別の組織と考えていただいて結構です」

「日本支部が一番異端って言われてますね。まあ、人間と怪異をごちゃまぜにしようってんだから当然ですけど。あ、蛇ノ目さんがどうこうってわけじゃないですよ。純血の、本当の怪物連中のことです」

 作業をしながら職員が私見を述べる。それに対して反対意見が出ない時点で、全員が理想を共有しているわけではないのだと見えてしまう。

「と、職員でもこんなものです。なかなか共存共栄の道は険しいのです」

「わ、私も難しいと思う。お、同じ混血の中でも、差別、あるし」

「そうですね。でも、目指さなければ永遠に届かないのが理想です。それに、わたしは天才少女なので、皆さんが思うより難しいとは思いません。わたしがこうして意思を持っている、その奇跡に比べたら、大したことではないのです」

 翡翠はいつもの表情で、それでも少しだけ相好を崩す。

「ひ、ひすいちゃん?」

「いえ、少し思い出していただけです。あの時のわたしはポップ感が欠如していたので、とても、ええ、無表情だったと思います」

 今も無表情だとこの場全員が思う、も誰も口に出さなかった。

「今も無表情だろうが、羽佐間妹ォ」

 この男を除いて。

「黒木先生」

「こっちじゃ黒木中佐だ」

「そちらも羽佐間特任少佐と呼ぶべきです。ですが、羽佐間妹の方が響きいいです」

「ハッ、お人形さんが随分変わったもんだ」

「天才少女は常に変わり続けます。よりポップに。あと、羽佐間姓の件でちょっとお聞きしたいことがあるのですが」

「……この案件を片付けたらな」

「わかりました。さっさと片付けましょう」

 羽佐間翡翠は瞳を閉じ、ヘッドセットを装着、うなじの端子にケーブルを接続する。これは彼女のために用意された装置であった。

 そして、彼女が眼を開ける。

 大スクリーン上、そして他の職員が操作する装置のモニター全てに緑のランプが点灯する。それは、彼女が正常に作動しているという証。

「……こ、れは?」

「羽佐間翡翠は改造人間なんだよ。スーパーコンピュータに比肩するバイオコンピュータを、って考えたクソ野郎が作った、生体コンピュータ唯一の生存体があの子だ。奇跡の存在だわな。人間、異種族、全ての生命、スパコンすら上回る演算能力を誇る。彼女と接続することでこの都市は完成するんだよ、胸糞悪い話だがな」

「……ひすいちゃんが」

 各画面で個別の指示を同時に飛ばす翡翠。指示を出しているのは自身をデフォルメ化したアバターである。本体は微動だにしていないが、的確な指示と並行して行われる情報処理。各データを彼女に提出するだけで最適化され、全員にわかりやすく共有されていく。一瞬で、何十人、何百人のタスクを彼女一人の力で無理やり終わらせていくのだ。

 まさに超人、異種族とは別の人の理を超えた存在。

「ポップさを出してみました」

「……すいません。ポップなデフォルメ羽佐間特任少佐に厳しい指示を出されると死にたくなります。せめて本人映像にしてください」

「……自信作だったのですが、残念です」

 可愛いデフォルメひすいちゃんによってケツを叩かれて、泣き出しそうな職員一同はデフォルメひすいちゃんが悪魔に見えた、らしい。

「根本克也の監視は皆さん交代でお願いします。わたしは、それ以外を見ます」

「く、黒木先生、ほ、他に容疑者がいるの?」

「いねえよ。言葉通りだ。監視カメラに映っている分は全部、羽佐間妹一人で捌くって言ってるんだ。精度は一人に注力するより少しばかり劣るがな」

「少し、だけ?」

「監視者が手を抜かなければ少し、だ。手ェ抜いたら速攻ぶち抜かれる」

「く、くひ」

 微動だにせず映像に映った人物とそれらの戸籍などの個人情報を結び付けていく。凄まじい速度で列記されていくリスト。小さな挙動一つ、彼女は見逃さない。

「まあ、スパコンに画像認識させてるようなもんだ。速度も量も、相当リソースは割いているがあれで全力じゃあない。他の事務作業も並行してやってるからな」

「くひひ」

「気持ち悪い驚き方だな」

「う、うるさい、です」

 身も蓋もない言い方、良くも悪くもこの黒木という男は包んだ言い方をしない。

「とりあえずお前さん専用のデバイスを用意させてる。羽佐間妹のと同じ脳波を感知するタイプで、こっちは視界を共有するデバイスだな」

「……く、くひ、その、とても言いにくいんだけど」

「なんだ?」

「たぶん、こ、此処まで地下だと、くひ、地上まで『蛇ノ眼』、届かないと思う」

 蛇ノ目がぽつりと漏らした一言で全員の視線が一斉に彼女へと向けられた。

「ま、まさか」

「い、一応、試してみるけど」

「あ、ああ」

 蛇ノ目式が鬱蒼と生い茂った髪をかき上げる。

 思った以上にパッチリ二重である。そばかすと言う人によっては好感度が高まるマイナスファクターを背負ってなお、有り余る美女スペック。客観的に見ると相当な美人力だが、本人の性根と卑屈さ、姿勢、何よりも髪型が良くない。

 まあ、それはさておき――蛇ノ目の両目が紅く、瞳が金色に変色していく。金色の瞳が変形し、十字架のような模様を象った。

「これが、『蛇ノ眼』、か」

「魔眼でも相当上位の能力だと聞いています。索敵に関しては蛇ノ眼が最高の性能を誇る、とか。どんな効果なんでしょうか?」

「さあ、ただ――」

 メダイ機関日本支部職員一同の視線が集う中――

 蛇ノ目式は静かに、息を吐き、そして、目を瞑った。

「……マリス・ステラは、全部見えた」

「意味なァい!」

「いや、それはそれで不味くないか!?」

「一応、色々機密ありますし、彼女の権限じゃ入れない区画も」

「……ぜ、全部は、嘘、ぴょん」

「めっちゃ白々しい! あれ完全に見ちゃいけないものまで見てるよ!」

「み、見てない」

「……どっちにしてもマリス・ステラじゃ使わせられなかったわけか。つーか黒木中佐きちんと調査してんですかね? そもそもデバイスまで用意させた後に試させることじゃないでしょ。その辺、どう思います?」

「……俺、ちょっと用を思い出した。お前ら、『蛇ノ眼』の効果範囲、地上で使ってどれだけ見えるのか、精度含めて調査しとけ!」

「だからそれ先にやっとくもんでしょって――」

「それじゃあさようなら!」

 颯爽と駆け出していく黒木。杜撰な仕事の振り方に一同、ため息をつく。

「ご、ごめんなさい」

「蛇ノ目ちゃんが謝ることじゃないよ。段取りするのが佐官の主な仕事、折衝できない方が悪いんだから。まあ、あの人現場担当だし佐官なのが間違ってるんだけど。とりあえず色々試させてもらってもいい? 今更だけど」

「あい! あ、噛ん、ご、ごめんなさい」

「あっはっは。あい! でも良いよ。君の上司になる人は常時そんな感じ。そっちの現場担当がいてくれたら気が楽なんだけどね」

「は、はあ」

「阿僧祇大尉ね」

「あそ!? あ、うう、その、恐れ多い、です」

「あー、やっぱり怪異系だと阿僧祇は大きいよねぇ。わかるわかる。私もここ入る前は怖くて仕方なかったもん。良い子よ、阿僧祇大尉」

「そうですね。だいぶイメージ変わりましたし、阿僧祇に対して。それに、今はもっと怖いのがいますから、麻痺しちゃってますよ」

「それそれ」

「皆さん、私語は慎んでください」

「あ、また各画面にデフォルメ翡翠少佐が!? めっちゃ怒ってる!?」

「こ、細かいことをねちねち、と」

「蛇ノ目さん、とりあえず出来ること出来ないこと、調べさせていただきます。今の戯言はお気になさらず。どちらにせよ、対象が動くまで出番はありませんから」

「わ、わかった。指示、くれたら、やってみる」

 職員一同に気に入られた蛇ノ目。何故か少し不機嫌な翡翠は横に置き、彼女の眼に対しての実証実験がようやく行われた。本当にひどい段取りである。

 全ては指揮官が盆暗ゆえ。

「い、忙しいんだよ、色々と」

 誰に向けるでもない言い訳をつぶやきながら、黒木は走っていた。


     〇


 コンコルド・シティ唯一の高等学校。短期間に二人の死者を出したことで、さすがに危機感が募り嫌な空気が全体を覆っていた。

 人間と異種族間で嫌でも広がる溝。

 公式発表がない以上、人は怪異の仕業と思い、異種族は人によって殺されたと考えてしまうもの。普段見え難いそれも、切羽詰まってくると浮かび上がってくる。

 まるでそれは表向きの融和など何の意味もない、そう突き付けてくるかのようであった。誰もが誰かを疑っている。級友を、教師を、学内のすべてを。

 親友、恋人ですら。

 そんな中――

「なあ、ひふみん君よ。何故姫島さんが休んでるか知ってる?」

 ぐったりと机の上で死体の如く倒れ伏す一二三の隣に、八木田君が現れた。

「いや、知らないけど」

「良かった。知ってたら殺してるところだった」

「……んん?」

 一二三のクラスにはほんの少しも変わらぬ空気が流れていた。

「俺たち、友達だもんな」

「いや、クラスメイト以上でも以下でもないけど」

「照れるなよ、馬鹿野郎」

 級友が懐から、ちらりとピンク色の冊子を見せつける。

 その瞬間、一二三は見逃さなかった。

「悪い。照れてたわ。俺たち、親友だったな」

「だよな、俺たち親友だもんな!」

「おう!」

 スケベには勝てない男の子、羽佐間一二三、高校二年生。

「じゃあ、この件についても質問、いいか?」

 別のクラスメイトがまたもや懐から一枚の写真を取り出す。そこには姫島さつきに一口やたらおしゃれ度の高い食べ物をあーんしてもらっている絵。

「……?」

 首をかしげながら逃げ出そうとした一二三の肩を多数の手が、掴む。

「どーいうことだオラ」

「戦争か、オオン!?」

「まあまて皆、何で普段ほとんど絡んでない奴まで俺を囲んでいるんだよ!?」

「嫉妬やない」「そうそう」「どこまでいった? いたしたのか!?」

 クラスメイトの憎悪を一身に背負い、羽佐間一二三はかつてない窮地に自らが立っていることを認識した。彼らは殺る、眼がそう言っている。

「ひ、姫島はこういう勘違いさせるようなことをよくやってくるんだ」

「殺すぞゴラ。この中でテメエ以外、誰もそんなことされたことねえんだよ。一年の時、同じクラスだった木林なんて目すら合ったことねェんだぞ!」

「それは木林が悪いだろ!?」

「俺は常に見てるのに」

「だからだろーが。怖いよ、俺はお前らが」

「俺たちはテメエが羨ましいんだよォ!」

 本音を全身で語る彼らの醜悪さに女子陣営は「このクラスの男子マジ終わってる」とつぶやいていた。頼みの綱のヘルマ君は笑顔のまま、動く気配がない。

「姫島さんの好きなものは何なんだよ!?」

「いや、知らないけど」

「じゃあ誕生日!」

「知らない」

「家族構成」

「ひ、一人っ子だった、っけ? あ、両親はいるって言ってた気が」

「当たり前だろクソ! じゃあ姫島さんとの出会いはいつだよ!? 一年の時は噂すらなかったのに。春休みか? 春休みなのかオォン!?」

「いや、二年の始業式だよ」

「……あの日、だと!? 俺たちにとって悪しき記憶、まるで運命の再会とでも言わんばかりの、あれか!? あの匂わせの日に何をしたァ!?」

「姫島が食パンを咥えて走ってきて、ぶつかった」

「……ハァ!? んだ、それ、お前、今、西暦何年だよ! そんなシチュ、物語の中にすらねえよ! 家で食って来いよォ!」

「姫島さんの食パンになりたい」

「佐々木ィ、お前、もう――」

 すでに手遅れになったクラスメイトを介錯してやる級友たちの眼は一様に優しかった。彼らは同じ眼を、一二三に向ける。

 静かなる殺意がそこに漂っていた。

「そしたら、トラックに轢かれた」

「くっそ、吊り橋効果かよ! 汚ェ、汚ェよ! そんなんしたら俺ら死んじゃうじゃねえか! 畜生、くそ、俺らは、弱い!」

「俺、逝ってくるわ」

「木林、お前」

 誰一人トラックに轢かれた一二三の心配をしていない彼らはとてもよく出来たクラスメイトであった。何とも切ない光景に一二三は心の中で男泣きをする。

 そんな中――

「騒がしいな、何だよこのクラス。同学年の花ケ前さんが死んだんだぞ。不謹慎だろうが! ふざけんなよ!」

 突然、別のクラスの生徒が怒鳴り込んできた。

 きょとんとするクラスメイトたち。その反応が癪に障ったのか、期せずクラスの中心にいた一二三の襟元を掴んで引き上げる。

「おいおい、気に障ったなら謝るよ。別にそいつはぶっ殺してもいいけど落ち着けって。暴力反対、非武装非暴力のガンジー見習おうぜ」

「んだ、テメエ」

「八木田だよ。知らんだろうけど、俺も一応去年花ケ前のクラスメイトだったぞ。会ってすぐに告白して轟沈したけどさ。そりゃあ国光には勝てんよ。あと、沢谷博美は幼馴染。最近疎遠だったけど実は初恋、いやー、淡い思い出だったなあ。怪異系って世間狭いのよ」

「……な、何で、それでそんな平気な顔してんだよ!?」

「二回ともめっちゃ泣いたよ? でも、泣きっぱなしじゃダメだろ? そいつらを利用して変な空気にするなんてさ、あいつらへの侮辱じゃん。つーかどーでもいい俺らが泣いたって供養にもならんぜ。沢谷は知らないけど、花ケ前なら国光が悲しんでやればそれでいいの。モブの涙なんてクソの意味にもならねー」

「そーそー」「俺も黒木クラスだったし」「俺も轟沈した」

「な、何なんだよ、お前ら」

「ただの生徒だろ? このコンコルド・シティ唯一の高等学校の。ボーダーフリーのな。別にお前らがお悔やみしようが、人族と俺らを分けようが、知ったこっちゃねえけど、俺らにまでそれを押し付けるな。俺らは勝手に仲良くやってるからさ」

「……っ。空気の読めねえ連中だぜ!」

 一二三の襟元を手放して「ふん」と鼻を鳴らして去って行く生徒。それを見て八木田たちも鼻を鳴らす。そして、八木田はにっこりと一二三に視線を向け――

「じゃあ話の続きな」

「今のお前結構格好良かったのに台無しだよ!」

「うるせえ! 俺らにとっちゃあ一大事なんだよ!」

「そーだそーだ!」「クラスの一大事だぞ!」「ちゅ、ちゅーまでいったのか?」

 嫉妬深く、馬鹿ばかり。

 それでも彼らはあえてそう振舞う。無論、本当に馬鹿なところもあるが、この都市に漂う空気感に気付いていないわけではない。彼らの両親、親族の多くはこの都市建設に何らかの関与をした者がほとんどである。

 だから彼らは知っている。世界中で唯一、垣根が設けられていないことの難しさを、その設立に至るまでの苦難の道を。幼少期から、彼らはその背を見て育った。そしていずれは自分も彼らと同じ道を行くのだと思っている。

 どれだけ悲しくとも、怖くとも、人前では彼らはいつも通り振舞う。そう務める。この都市の価値を知るがゆえに。

 それが子供の自分たちに出来る精一杯の抵抗。

「あと、さ、この妖精みたいな子、紹介してくんね?」

「殺すぞアア?」

「うわ、パーカーゾンビが切れた!?」

 暗雲漂うコンコルド・シティ、事件の中心である高等学校のいくつかのクラスで見られた世論への抵抗。ささやかな、それでいて、それを眺める者にとって救いにもなっていた。自分だけではないと思えたから。

 だから、口には出さないが少しだけ感謝しているのだ。

「ゾンビ菌が移るぞ!」

「それほんとやめて!?」

 ほんの少しだけ。ちょっとだけだが。

 先の『交渉』で弱り切った身体に、彼らの想いが沁みる。

 今夜、ことが動き出す。彼らの想いに報いるためにも、問題を解決して日常を取り戻さねばならない。そのための情報は、得たのだから。

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