第6話:コンコルド・シティの裏側
痛いほどの沈黙が支配するボランティア部の部室。
カーテンが閉ざされ、珍しいことに顧問である黒木がきっちりした格好でホワイトボードの前に立つ。その顔にいつものへらへらした感じは皆無。
「先日の花ケ前リリス殺害事件に関してボランティア部に正式依頼が来た。一週間で解決しろ。出来なければ怪異の仕業として世に公表する」
「何故?」
「このコンコルド・シティにおいても大多数は人だ。スポンサーもな。彼らには早急に説明をする必要がある。花ケ前は異種族だが、上得意様だ。親族である彼らも宥めねばならない。わかるだろ? 真実でなくとも納得させる必要があるんだ」
「人の仕業だとわかっているのに?」
「羽佐間。それに説明をつけられねえなら、んな真実にクソほどの価値もねえんだよ。一週間後、対怪異として対策チームを組み、ことに当たる。これは決定事項だ。ご丁寧にユーロからも支援の準備があると連絡が入った」
轟の眉間にしわが刻まれる。
「お偉方のメンツが傷ものになったってか?」
「そうだ。何としてもこの国だけで収束させろ、出来なければ都市そのものの解体も視野に入れるとよ。制限時間付きだが、まあ、何とかなるだろ。さすがに二度同じ手で仕掛けてきた。なら、目星はついている」
ドゴン、壁に轟の拳が突き立つ。へこみ、ひびが天井まで伝うほどの破壊力。彼女は戸籍上、ただの人間である。それなのにこの怪力。
「大人しくしろ。お前たちボランティア部員には『アリバイ』があるから省いているが、人という前提で考えればお前も十分に容疑者だ。襟を正せ、感情を消せ、こっからはクラブ活動じゃねえ、仕事だ。誰が死のうと生きようと関係ない。お前らが死のうと生きようと、仕事は完遂しろ。お前に言ってんだぞ、羽佐間ァ」
黒木がまとう空気が重く、どす黒い圧を帯びる。
しかし、一二三はそれにひるむ様子すら見せない。先ほどから廊下側の壁に寄りかかりフードを目深に被るだけ。誰にも表情は見せていない。
「容疑者は根本克也。この学校の教諭だ」
轟は目を剥く。それもそのはず、その名は彼女のクラス担任の名であったから。
「まあ、奴のクラスから二名も死者が出てるんだ。分りやす過ぎて裏を読みたくなるわな。が、唯一の容疑者でもある。たまたま、で済ませるわけにもいかん」
「あの先公はそれこそただの人、だぜ」
「そんなことは雇った俺たちが一番わかっているさ。経歴もシロ、犯罪歴はない。正真正銘の人、だ。何かトリックがあるのか、わからないしそれを調べるのが俺たちの役目。何度でも言うが俺たちの仕事は敵討ちじゃない。上に説明するための材料を手に入れる、だ。勘違いするなよ。死んだ奴のことは、どうでもいい」
今にも殴り掛からんばかりの轟。
だが――
「補足情報があります。コンコルド・シティには各ポイントごとに監視カメラを設置し、極力死角を少なくするよう努めています。しかし、死角がないわけではありません。他の都市に比べたら多くはありませんが、存在します。犯行は二度ともこの死角を突かれました。逃走経路もそうです。針の穴を突くような、初めから知っていなければ不可能な犯行だと断定できます。カメラの配置は見えているもの、擬態させているもの、全台の配置情報は極秘です。ですが、漏れています」
「は、犯人は、そ、組織的に動いている?」
蛇ノ目の問いに翡翠は頷く。
「それなりに力のある組織が後ろにあると考えた方がいいかもしれません。下手をすれば身内に敵がいる可能性も高いです。内ゲバ、ですね」
「ま、コンコルド・シティには敵が多い。日本国内でも賛否はばっさり分かれているからな。その可能性もあるだろう。だが、これは逆にチャンスだ。実行犯を捕まえて、理由を引き出せば、政争が一変する可能性もある。励めよ」
そう言って黒木は退出していった。
再度、轟が壁を殴ろうとするも――
「落ち着いてください。無駄なエネルギーです」
「……随分落ち着いてるんだな、天才」
「わたし、そういう風に造られていますので。落ち着いて、論理的に考えてください。猶予はそう多くありません。根本先生に関してはすでに彼が以前いた学校の裏サイトに入り込み情報収集中です。表向きには特に問題がない方ですので」
「あたしは、そこまで冷静にはなれない」
「ひすいちゃんは昨日散々泣いた。今朝もだ。少しは強がってみたらどうだ? 『超人』が聞いて呆れるな。子供以下だ」
「売ってんのか?」
「頭に血が上ったお前にその価値があるのか?」
「……テメエ」
轟の怒気を受けてなお、一二三の眼は冷たく、何の感情も浮かべていなかった。
眼が言っている。
「俺は一人で動く。悠長が過ぎた」
もういい、と。
「ひふみさん!」
「チームワークは任せるよ。俺は俺のやり方で、追いつく」
そう言って一二三も部室を出ていく。残ったのは轟と翡翠、蛇ノ目だけであった。
荒れた雰囲気に終始オドオドする蛇ノ目。
「皆さんに死角の配置をお教えします。頭に叩き込んでください。その後、本部に行きましょう。この件に蛇ノ目さんを絡めた以上、正式なメンバーと考えて良いと考えます。こういうなし崩し的なのは好きではありませんが」
「わかった。従うぜ、ポップガール」
「蛇ノ目さんもよろしいですか?」
「う、うん。よくわからないけど、わ、私が、役に立てるなら」
「大いに立ってもらいます」
「そういや蛇ノ目は何が出来るんだ?」
「彼女は眼、です」
「目ェ?」
素っ頓狂な声を上げる轟に翡翠は微笑む。
「とても便利な能力ですよ。さすが黒木先生、素晴らしい補強と言えるでしょう」
色々な経緯を経て彼女の能力を知る翡翠は好戦的な笑みを浮かべていた。珍しく表情を表に出していることからも、本件に関する熱が窺い知れる。
彼女の死が翡翠たちにも火をつけていたのだ。
〇
一人、放課後の学校を歩く羽佐間一二三。
やるべきことは初めから決まっていたのだ。リスクを負ってでも一人目の時に自分『だけ』を信じて動くべきだった。黒木たちの動きを待っていたから二人目を失った。しかも、親友の恋人である。自分への当たりは強かったが、翡翠との接し方を見る限り根はとてもいい子だったのだろう。
それを失ったのは自分のせい、一二三はそう考える。
「一二三! 待ってくれ!」
「……国光か? 今ちょっと立て込んでて」
「この前は悪かった! 取り乱しちまって、言うべきじゃないことを言ってしまったんだ。本当にすまない。本当に、すまなかった!」
いきなり全速力でやってきて頭を下げる国光。
突然のことに驚きながらも一二三は首を横に振る。
「いや、お前の言う通りだった。俺がリスクを背負ってでも動くべきだった。俺さえ腹を括れば、二人目はなかったんだ」
一二三は気の良い親友が取り乱す様を思い浮かべていた。
『なんで、なんで、お前がいたのに、なんでェ!』
『……すまない』
自分に縋りつくように泣いていた親友の弱々しい姿。自分のせいで彼女は死んで、自分のせいで友は嘆き悲しんでいる。
あの遺体が存在しない葬儀会場で痛感した。
まだこの都市は、『彼ら』は、信頼するに値しないと。
「違うって言いたい。そのために俺は足掻いてるんだけど、やっぱりさ、歩み、遅くて。まだ、俺はお前の力になれない。そんな自分が心底嫌になる」
「国光は何も――」
「俺はお前の、お前たちの夢の役に立ちたいんだ。今の俺には、こんなものしか用意できないけど。いつか、必ず追いついて見せる」
国光は生乳一〇〇%、低温殺菌の牛乳、ちょっと洒落た包装が施された瓶タイプのものと、同じく高価に見受けられる瓶タイプのトマトジュースを手渡した。
それは今、学校を出て一二三が用意しようと思っていたもので、そんじょそこらに売っているものでもなく、これによって多少、時間が短縮されることになる。
「……ありがとう。これがあれば何とかなりそうだ」
「死ぬなよ」
「楽観はしてないけど、まあ、何とかして見せるさ。一応、義理の兄だから」
「お前にばかり背負わせて、すまない」
「謝るなよ。俺が、俺『たち』が、勝手に始めたことだ」
一二三の眼が一瞬、朱に染まる。
フードを目深に被り、一二三は気だるげに手を振りながら学校の外へと足を向けた。国光は知っている。彼がどこに向かっているか。彼が今からどういう賭けをするのか。知っているからこそ、胸が痛いのだ。
一二三は最悪死ぬ。彼らと交わるということは常にそのリスクを孕むのだ。『彼女』が例外であっただけ。それだって所詮上辺だけしか見えていない。
この世界には怪異と呼ばれる存在がいる。異種族の中でも巨大な力を持ち、世界における圧倒的マジョリティの人を脅かす存在。
そのトップオブトップ、そんな種がこの都市には存在しているのだ。
彼のさじ加減一つで、都市一つが消えかねない。当然、一二三の命一つ、吹けば飛ぶ。それが怪異と触れ合うということ。人と違う存在と交わるということ。
それがこの都市のテーマであり、最も難しい問題であったのだ。
〇
「く、くひ、す、すごい。この都市、本当に造り込まれている」
「さすが、蛇ノ目さん。もう把握されましたか。ちなみにいつでも閲覧できたはずの乙女さんは、覚える気がありませんね。いつものことです」
「考えるのはあたしの担当じゃねえ」
愛用のヘッドフォンで大好きなロックを聞きながら、ソファーに寝転ぶ轟乙女。先ほどまで激怒していた人間と同一人物とは思えない。
「あれはあれで問題ありません。彼女なりのルーティーンです」
「そ、そうなの?」
「では参りましょうか。乙女さんはどうします?」
「行かねえ。いつでも動ける準備しとくから、用が出来たら声かけろ」
「わかりました。勝ちましょう、乙女さん」
「ったりめえだ。頼むぜポップガール、新人」
「う、うん」
そのまま眠りにつく乙女。こんな時間から寝てしまえば夜眠れなくなるし、何よりも学校が閉まる時間も一眠りしている間に過ぎてしまう。
「い、いいの?」
「問題ありません。わたしたちは出入り自由ですので」
使っていない教室。以前、蛇ノ目を問い詰めた際に使っていた部屋に訪れた二人。ただ使っていないだけの教室であるように見えるが――
「この部屋の扉は指紋認証です。ボランティア部のメンバー、顧問の黒木先生以外開けることは出来ません。一般の生徒は使用していない教室に鍵が掛かっている、それだけ思い浮かべて去って行きます。なので以前、此処でお話させて頂きました」
「く、くひ。う、噂以上、だね」
「いえ、これはあくまで、玄関ですので」
空の掃除用具入れ。両開きのそれの前に立つ。
「最大人数二名です」
「な、何の話?」
「これ、乗り物なので」
「……?」
「入ってください。すぐに分かります」
「う、うん」
二人は掃除用具入れに足を踏み入れる。扉を閉め、暗がりが生まれた。
「目を開けておいてください。虹彩認証です」
「こ、虹彩認証!?」
翡翠は慣れた様子で目を見開き、蛇ノ目はおどおどしながら髪を上げて瞳が認証できる状態を作る。その体勢で数秒もしない内に――
『羽佐間翡翠、認証完了。蛇ノ目式、認証完了。起動開始致します』
足場がゆっくりと動き出す。
下に――
「……こ、これ」
明かりが射した瞬間、前髪を下ろす蛇ノ目。驚愕の光景を前にしても優先してしまうのは彼女の能力とそれに起因するトラウマゆえ。
「はい。これがコンコルド・シティのもう一つの側面、地下都市マリス・ステラ。設計時よりも巨大化したフロート部の空間を使って建造した半海中都市、ですね。コンコルド・シティの主要機能の大半がこの地下都市にあります。ちなみに閲覧権限者は限られておりますが、全てのネット回線も経由しておりますので、怪しい動きをすれば一発でわかります。わたしが貴女を突き止めた理由、です」
人工の明かりと共に現れたのは、巨大な一つの都市。
「ひ、ひすいちゃん、権限者、なの?」
「わたし、天才少女なので。そういう用途で造られましたから」
一瞬、いつも以上に生気のない、無機質な表情になる翡翠。
「このエレベーターが繋がっているのはマリス・ステラの中枢部、我らがボランティア部の母体であるメダイ機関の本部です。これはご存じでしょうが」
「う、うん。メダイ機関に所属するって話は、お父様から聞いてたから、くひ」
「厳密にはメダイ機関日本支部、ですね。さあ、働きましょう」
エレベーターの終点。そこには統一された制服を着こむ職員が整列していた。
「羽佐間特任少佐、お帰りなさいませ」
「ご苦労様です」
「都市内監視カメラの映像は全て解析済みですが、ルートを絞り込むまでには至りませんでした。相当の精度で情報を得ているものと思われます」
「そうですか。想定内ですが残念です」
「現状、根本の足跡は把握できております」
「了解しました。では、引き続き監視を続けてください。見えなくなりましたら、わたしたちの出番です。全く、都市建造の際、内ゲバさえなければこのような事件、起こりようがなかったのに。本当に愚かです、人も異種族も」
「監視社会を毛嫌いする方々も多いですから」
「誰彼のスポンサードを受けるからこうなるのです。お金欲しさに、都市の理念にケチをつけてしまえば本末転倒でしょうに。彼女の制服は?」
「用意済みです。お部屋に案内いたします」
「はい。蛇ノ目さんも向かいましょう。飾りっけはありませんが、一応、ボランティア部の面々には個室が与えられています。よく使っているのは乙女さんぐらいですけど。まあ、作業場として使って、シンナー臭いので近づかない方がいいです」
「わ、わかった、いえ、わかりました」
「敬語は結構ですよ。平時、特任少佐にあまり意味はありません。その代わり有事にはそれなりの権限は頂いておりますが。ちなみに蛇ノ目さんは少尉待遇です」
「わ、私が、少尉。くひ、アニメみたい」
「乙女さんが中尉待遇、部長であるせっちゃんさん、阿僧祇さんは大尉、私たちの部隊長です。現場では彼女の判断が優先されます。今はいませんが」
「その、ひふみくんは?」
「ひふみさんに階級はありません。あの人はフリーマンです。私や黒木先生と一緒でなければマリス・ステラに踏み入ることもできません。まあ、あの人は滅多に来ませんし、来られないようにしている側面もあるのですが」
「……どういう、こと?」
「いずれ分かります。では、参りましょうか」
案内されている翡翠の堂々たる振舞いに、蛇ノ目は改めて思う。とんでもないところに来てしまったと。自分の仕事は理解しているが、それにしても――
「……とりあえず、くひ、ベッドの録音だけにしておこうっと」
面倒な思考は横に置いて、悪いことはやめておこうと蛇ノ目は思った。
盗聴を完全にやめるという発想は彼女には――ない。
○
羽佐間一二三はゾンビである。
戸籍、住民票、学校の名簿、全ての記録が彼をゾンビだと示している。
中学二年のある日、ある地方都市の一角で彼は後天的にゾンビ化した。
それが真実である。
それに反するデータは公に一つとして存在しない。
まだ日が暮れるには早い時間なのに、この公園にはすでに闇の帳が下りている。本当にここが現世なのか、疑いたくなるほどに此処は、冷たい。
「あの子と一緒に住み始めてから、こんな頻度で会うのは久しぶりだね、義兄さん」
「……お納めください、先生」
一二三は国光から譲り受けたトマトジュースを放る。
「へえ、義兄さんのセンスじゃないね。なかなか、良い」
それを受け取った少年は発達した犬歯で瓶の蓋をこじ開ける。
「義兄さんも飲みなよ」
「はい」
一人はトマトジュースを、一人は牛乳を、一気に飲み干す。
「「ぷはっ」」
互いに口の端をぬぐい、同時に瓶を放り捨てた。
「で?」
「沢谷博美、花ケ前リリス、両名を殺害した犯人を教えて欲しい」
「……それは、知ってるんじゃないのォ?」
妖しげな笑みを浮かべる少年。
「殺害方法も含めて」
黒いジャケットがふわりとめくれ上がる。半ズボンから延びる艶めかしい両足もまた、宙に浮いていた。絹の如し白髪は逆立ち、真紅の双眸がぱっちりと見開かれている。二言はないな、その眼が問う。
「全て、教えて頂きたい」
一二三もまた黒かった眼が、少年と同じ色に変化する。発達した犬歯を噛み締め、自重で足元が、アスファルトが、へこむ。
「些事だよ。確かに、僕はそう言ったね。答えても答えなくてもどっちでもいい。本当にどっちでもいいし、どうでもいい」
黒いジャケットが翼のようなカタチと成る。
「どうでもいいんだ。どうでもいいからさ――」
一二三の双眸が見開かれる。油断はなかった。集中していた。臨戦態勢だった。
それでも、見えなかった。
「――気まぐれで死ぬことも、あるよね?」
一二三の腕を引きちぎり、微笑みながらそれを食す、怪物が。
挙動も、殺意も、敵意すら。
「さあ、どう死ぬ? 義姉さんはいないぜ、コンコルドの死神ィ」
それでも抗わない理由はない。
羽佐間一二三はゾンビである。
だが、この姿は、この異形は、それで説明できる枠を超越していた。千切られた腕から白い何かが幾重にも伸び、彼自身を飲み込む。
白き獣が咆哮する。
「相変わらず、ぶっさいくだなァ、義兄さァん」
白き何かが入り組む怪物を前にして、少年は臆するどころか笑った。
「頑張れ頑張れ、生き残ったら褒めてあげるよ」
否、嗤った。
闇に飲まれたコンコルド・シティの死角、誰もが観測不能な空間で白き怪物と白髪の少年が衝突する。片方は死力を尽くして、片方は気まぐれ、久しぶりの『遊び』に浮かれて。絶叫とも悲鳴ともつかない声が、誰にも届かずに虚空に消える。
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