第5話:悲劇
皆で夕食を食べるため、一行はイズミオンの中にあるフードコートまで足を延ばしていた。フードコートと侮ることなかれ、洒落た空間造りとステージでの演奏、ハイランクな店も招致し、ワンランク上のフードコートなっていた。
が、各々安めの店で食事を購入する。学生に贅沢するムダ金はなかった。
「たこ焼き、ですか。苦い記憶があります。何も知らぬわたしはこの丸い球体にとてつもない辱めを受けたのです。しかし、わたしは天才少女。対策は、済み、です」
さっと翡翠は一二三にたこ焼きを手渡す。すかさず一二三はたこ焼きに息を吹きかけた、俗に言う『ふーふー』である。このコンビネーションによりたこ焼きの温度低下を早め、高熱による火傷を大きく抑制する効果が期待できる。
「へいお待ち」
「ありがとうございます」
颯爽と手渡されたそれを口に含みご満悦の翡翠。表情には出ていないため素人に判別はつかないが、翡翠検定準一級の一二三にかかればお茶の子さいさいである。
「一二三はたこ焼き派だっけ?」
「昔はね。国光はお好み焼き派だよな」
かつて二人の間を二分した『たこ焼き対お好み焼き』の屋台界の大戦争。散々言い争った結果、ついに決着つかずとなった幻の一戦である。
「今は?」
「まあ、牛乳、かなぁ」
「そっかぁ」
またも一二三と国光しかわからない空間が形成され、彼女であるサキュバスっ娘のリリスはぷんぷんと頬を膨らませていた。今にも角で一二三を突き殺しかねない雰囲気をまとっているが、おそらく最低限の理性は働いている、はず。
「あれ、式ちん何見てるの?」
「う、うぐ、その、演奏を、聞いてた。と、とても上手だから」
「そう? なんか耳に残らない演奏だなぁって思うけど」
「耳に残さないように心掛けているんだよ。こういう場所ではそういう演奏が求められるから。引っ張られない演奏、これもプロさ」
何気なくつぶやく一二三。それに全員が目を剥いていた。
「……あんた音楽やってたの?」
「い、いや、ただの聞きかじり。漫画で見たんだよ」
「なーんだ、やっぱりね。音楽センスなさそうな顔してるもん。その点私、歌鬼上手いから。今度の学祭で天下取るつもりだし」
一二三に音楽センスがないとリリスが言った瞬間、前髪で隠れた蛇ノ目の瞳が鈍く輝く。それをたまたま見ていた姫島が驚いた表情を浮かべていた。
「すでにドラムは乙女ちゃんに依頼済み。ギターは愛しの国光担当。あとはベースがいればなぁ。私歌うのは得意だけど楽器が全然ダメでさ」
「轟と仲良いよな、意外に」
「乙女ちゃんとはマブよマブ。一年の前半はすっごい尖ってて怖かったけど、ほら、いつからか結構大人しくなったじゃん? そこからかなぁ。あの子多趣味だし一緒にいて楽しいもん。あとお洒落だしね。結構重要よ、そういうの」
「あいつお洒落か?」
「お洒落って極論すると自分に合う服装をしているかって話だからね。乙女ちゃんのガタイならミリタリー系とかスポーツ系はお洒落。あんただとオタク」
「真理だなぁ」
「そこは辛辣、だろ」
納得する一二三に突っ込む国光。
「へえ、リリっちってボランティア部の皆とも面識あるんだ」
「同じクラスだったしね。こいつゾンビだからって席替えも日の当たらない廊下側でさ、体育も免除されてるわ、良くサボるわで和を乱しまくりだったの」
「仕方ないだろ、体質なんだから」
「サボりは?」
「えへへ」
「キモ、死んで」
「辛辣だなぁ」
言い訳のしようがない成績と欠席率。問題児というよりも出来が悪い生徒、である。誰にも迷惑はかけていないし――
「蛇ノ目さんは何か楽器やってたの?」
「く、くひゃ!? あ、うう、す、少しだけ、ピアノを」
「ピアノ!? 嘘、弾けるの?」
「う、あ、い、一応、ふ、普通だけど」
「いよーし! これで学祭でブラスの連中に一泡吹かせてやれるわ。あいつら、さんざん私たちを馬鹿にしてきた報いを受けさせてやる!」
「ギター、ドラム、ピアノ、か」
「ベース募集!」
「ふふ、ならばわたしが一肌脱ぎましょう。靴をいただいたお礼をせねば」
「靴!? い、いつの間に。り、リリス、金は払うから」
「いいのよ。うち金持ちだし」
ずどんと一二三の脳髄を貫いた格差社会の一撃。
「それよりもひすいちゃんベース弾けるの?」
「今は弾けませんが練習すれば問題ありません。わたし天才ですし、リズム隊ならばなおのこと。メトロームの如し正確さで弾いて見せましょう」
「え、えと……いえ、いけるわ! いけるビジョンしか見えない! ラストピースが揃った私たちに隙はない! ひすいちゃん、早速練習したいから近日中に私の家に来てね。この前パパに頼んで防音室造ってもらったから」
「……は?」
「だから本人が言っただろ? 金持ちなんだって、洒落にならないレベルの」
「よーし今日は決起集会! ひすいちゃん、蛇ノ目さん、好きなものを食べていいわよ。私のおごりだから。ついでにさつきちゃんもいいわ。おまけ」
「リリスさん、男連中は?」
「愛する国光とはそんな関係になりたくないの。あ、こいつは論外」
「……辛辣だ」
ぱーっと贅沢を始めた女性陣を横目に一二三と国光はたこ焼きとお好み焼きを仲良く食べていた。少ししょっぱい気がしたが気のせいであろう。
〇
「意外と面倒見がいいんだな」
「妹想いのいいお姉ちゃんだからな。いい子だろ?」
「俺に当たりが強いことを除けば」
「そいつは申し訳ないね」
「もっと申し訳なさそうにしろ」
普段よりも高いテンションで一日を過ごした結果、翡翠は突如すやすや眠り始め、仕方ないから解散する流れになった。しかし、保護者である一二三が何故か翡翠から引き剥がされ、女性陣がかわりばんこにおんぶするという構図が誕生していた。
一二三が代わって欲しいと思ったのは内緒である。
「実はこの前、家に御呼ばれしてさ」
「……不純異性交遊」
「うっせ。で、ご家族に挨拶してきた」
「印象は?」
「たぶん、良かったと思う。たぶんだけど」
「良かったじゃないか。昔の国光なら絶対に拒絶されてただろうに」
「む、昔の話はやめてくれよ。彼女には絶対ダメだからな!」
「国光? 何の話してるの?」
「何も。気にしないで」
イケメンスマイルでさらりと流す国光をニヤニヤと陰キャスマイルで見つめる一二三。このコンコルド・シティにやってくる前からの知り合い。お互いだけなのだ、かつての自分を知っている人物は。
「……良かったな」
「ああ、一二三もさ、いつか――」
言葉を続けようとした国光はぐっとそれを飲み込んだ。本音としては言い切りたかった。それでもかつての彼を知り、今の彼がこう成った理由も知るが故――
それが禁句であることも彼は知っていた。
「ひすいちゃんウチくる? 妹と友達になってあげてよ」
「むにゃ、あい、いいれす、よ」
「あーん、カワイイ!」
「こらこらリリっち。お疲れみたいだし寝かせてあげようよ」
「そ、そうね。あまりにも可愛すぎてつい。ほ、本当にあいつの親戚なの? 遺伝子がかすりもしてない気がするんだけど」
「んー、それは、確かに」
リリスとさつきは首をかしげる。まあ、実際に遺伝子的にはかすりもしていないので彼女たちの疑問は尤もであるが。
「蛇ノ目さんもお疲れみたいだね。さっきから一言も発してない」
「彼女は俺と同じでインドア派っぽいからなぁ。ちょっと悪いことしたかも」
「ってか、俺、蛇ノ目さんどこかで見た記憶があるんだけど?」
「俺はない、と思うけど」
「一二三は昔から人の顔覚えるの苦手だったしな。案外幼馴染だったりして」
「さすがにないでしょ、それは」
精も根もつき果て、幽霊のように女性陣の背後にゆらゆら揺らめく陽炎のような存在感。そんな蛇ノ目を見て国光がうんうんと唸る。
「俺の勘では姫島さんと蛇ノ目さんは行けると思うぜ」
「……一方はからかわれてるだけ、もう一方はこの前会ったばかりだよ」
「どっちも今日、ずっと一二三のことチラチラ見てたからさ」
「またそうやってからかう」
「俺、その手の冗談はあんまり言わないよ」
これが国光の精一杯。これ以上は踏み込めない。
「あ、私こっちだから」
「ひすいちゃんは?」
「ん」
寝ぼけ眼をごしごしこする少女が指さした先を見て、国光の彼女であるサキュバスっ娘リリスはがくりと肩を落とした。
「私たちはこっち。もう、お別れしなきゃなの?」
「また、いっしょに、おかいもの、しま、しょう」
「あああああああああああああああああ」
翡翠をぎゅっと抱きしめ頬擦りするリリスに国光はため息を吐いて苦笑した。
「んじゃこの馬鹿回収して俺らも帰るわ。またね、姫島さん」
「じゃあねーイケメン君! ひふみんもまた来週!」
「あーい」
颯爽と去って行く姫島さつきと、未練がましく翡翠を狙うリリスを引きずり国光が帰って行った。去り際も絵になる連中である。
「ひふみさん、かえりましょう」
「ああ、そうだね。蛇ノ目さんはどっち方向?」
「…………」
「蛇ノ目さん?」
「……もう、駄目」
ばたりと倒れ伏した蛇ノ目。それに応じる形でおやすみ値が限界を迎えた翡翠も意識を落とす。結果、二人の意識不明者と大量の荷物を抱えた哀れな少年が立ち尽くす哀しい絵が誕生していた。少年は世の不条理さを憎む。
〇
「おや、蛇ノ目さん、起きましたか」
「……ここは?」
「羽佐間家のおうちです。厳密にはマンションですし羽佐間家が借りているお部屋ですね。滅多に他の人は入れません。特別ですよ」
「ふ、ふぐう。ひ、ひふみくんの、おうち!」
「鼻息を荒くするのやめてください! セクハラです!」
「う、うう。あれ、その、ひふみくんは?」
「今、少し外に出ています」
「時間は?」
「深夜一時を回ったところです。わたしも先ほど起きました」
「……こんな時間に?」
「ええ、少し立て込んでいるみたいなので。わたしたちもそろそろ忙しくなると思いますよ。ボランティア部が動くべき案件になりそうですし」
「その、なんで、ひふみくんが副部長なの? 彼はゾンビで、こういった活動に役立てる能力があるとは思えない。彼の才能が生かせる場所じゃない」
「……まだ、蛇ノ目さんは正式なボランティア部のメンバーではありません。なので、その件に関してわたしは守秘義務を負います」
翡翠はほんの少しだけ、ほんの僅かに顔を歪め、
「一つだけ言えることがあるとすれば、貴女の知るひふみさんと今のひふみさんはおそらく、全然違うということだけです」
悲しげに目を伏せる。
「わたしは早く大きくなりたい。大きくなって、あの人と、肩を並べたいのです」
蛇ノ目の知らない一二三。何があったのか、気になって仕方がない。
彼女は彼の全部を知りたいのに、彼女はまだ彼を何も知らないのだ。
〇
月光の下、一人の騎士が電波塔の上に立つ。
コンクリートジャングルには似つかわしくない白銀の鎧と深紅のマント。背負うは人が振るうものとは思えない大きな両刃の剣である。
「……なるほど、強い」
仮面を被った騎士は大剣を抜き放つ。
ぎゅん、夜闇を切り裂き、騎士の眼前に現れたのは夜色の外套をまとう死神。髑髏の貌を持ち、ずんぐりとした見た目から背丈以外の体格が読めない。
電波塔の上に二人の異質が立つ。
仮面越しに、彼らは互いを超至近で観察し――
「怪異滅すべし」
「拘束する」
刹那の邂逅の後、幾重にも火花が散った。
「これがコンコルドの死神、か」
「一介の騎士じゃ、ないな」
謎の死神と騎士は攻防の衝撃で互いに電波塔からはじき出された。
「もう少し戦ってみたいところだが、あいにく、我を通せる状況ではない。ここは退かせてもらおう。さあ、ついてこい」
それを利用して撤退する騎士。その背を死神は追う。
ビル群を凄まじい速度で移動する二つの影。
「何の真似だ?」
「鬼ごっこだ。日本人は好きなのだろう?」
追いつき、火花が散り、また離れる。
「ぐっ」
追いきれずに歯噛みする死神。
「……この私が逃げに徹してもついてくる、か。底知れんな」
逃げ切る気はなくとも、逃げないのと逃げられないのでは天地の差がある。容易くは逃げられない事実に騎士は苦笑いを浮かべていた。
死神が指を向ける。
「何の真似、ッ!?」
騎士は咄嗟の判断で剣の腹を指と自分の射線上に置く。
まるで銃に撃たれたかのような衝撃が騎士の手に伝わる。
「飛び道具もあるのか。しかも、種がわからん」
死神は指を銃の形にして、両手で構えた。先ほどよりも分かりやすく、撃つぞという意思表示。躊躇いなく異音と共に放たれたそれは、騎士を穿つために奔る。
「だが、初見でなければ、容易い!」
ほぼ同時に見えるほどの剣速で放たれた何かを十字に両断する騎士。凄まじい技量と速さ。二つの何かが共に四等分され背後のビルの外壁に着弾した。
コンクリートが破砕した男、窓ガラスが割れた音。
断ち切り、四等分してなお、この威力。
「白い破片、骨、か?」
死神が放った何かを骨と判別し、騎士は警戒を強める。骨の操作をする種族など怪異を狩るスペシャリストである騎士団の歴史でもそうあることではない。
今の体格が、身長が、正とも限らなくなった。
「……心当たりがないわけでもない。さて、いくつか問いたいことが出てきたが、答えてはくれまい。ゆえに、問うまい。私も――」
死神の耳元で何かが鳴る。
紅き眼が、揺れた。
「――何も答えぬのだから」
死神は騎士に背を向け、ビルを駆け上り、屋上を足場に高速でこの場を離脱した。騎士もまた身を翻し夜闇に紛れる。
〇
ビルとビルの間、光差さぬ其処に歪なオブジェが在った。
手を足が点在し、曲がらぬ方向に折り曲げられたそれらは、一様に捩じり、引き千切られていた。肉、骨、臓腑、凄惨を極めた光景に常人ならば吐き気を催すことだろう。どんな精神状態であればこのような所業が成せるのか。
成したモノの精神状態を表したかのような混沌。
「…………」
モノ言わぬ躯であることに違いはない。
それでも、何故、ここまで――
髑髏面の死神はふわりとその場に降り立つ。凄惨なる悲劇の痕。見たこともないほど絶望に満ちた彼女の双眸を優しく撫で、閉じてやる。
「痛かったろう。大丈夫だ、もう少しで、君のヒーローが駆けつけてくる。だから、少しだけ待っていてやってくれ。間に合わなくて、すまない」
黒き外套の下から幾重にも骨が飛び出し、うねり、彼女だったものを拾い集め、骨を接ぎ、人の形に、相当歪ではあるが、戻す。
そして死神は自分の外套を死体に被せてやる。
「必ず、罪は雪がせる」
黒き外套の下には骨の鎧をまとった異形の怪物がいた。全身を覆うそれは殺意の塊。戦うためだけのフォルム。人を抱くことも、誰かを守ることも想定されていない。ただ戦い、ただ奪い、ただ殺すためだけの姿。
形は常に変化する。一定ではなく、骨が蠢く。
まるで溢れ出る怒りを体現するかのように――
仮面の一部が砕ける。
真紅の眼がてらてらと輝く。鋭い犬歯が重苦しい音を奏でる。
「必ず」
憤怒に塗れるは――
仮面を修復し、体を安定化させ、白き異形はどこかへ飛び去って行った。
死神が去った後、しばらくしてパトカーのサイレン音と共に一人の少年が駆け寄ってきた。肩で息を切らせて、せっかく端正な顔に生まれたのに、それを絶望色に歪めながら、少年はゆっくりと黒き外套を、めくって――
「なんでだよ、なんで、君なんだ、リリス!」
叫び、泣く。
濁流のような感情と共に。
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