第4話:ガストンとイズミオン

 学校裏のベンチに腰掛ける一二三と乙女。

 体格的には乙女の方が遥かに勝る乙女と男の中では小柄な一二三でははた目に勝負は見えていた。実際に本気でやり合っていない。

「蛇ノ目さん、使えるの?」

「らしいぜ。由緒ある家柄なんだと。あたしも知らねえけど」

 二人は二人で誰も立ち入らぬところで話したい事柄があったのだ。

 まあ多少はやり合ったが。

「じゃあ刹那さんと同じだ」

「系統としてはそうだろな。あたしみたいな突然変異じゃなくて、長い歴史の中で怪異を取り込んだ人間って感じか? 他人事だけどテメエもそっちだろ、歴史は短いけどな、よっ、ゾンビマン」

 けたけたといたずらっぽく笑う乙女。

「笑いたきゃ笑え」

「そう言われると笑う気なくすわ」

「にゃろう」

「つーか日も暮れてきたんだしフード外せや」

「閉ざされている感じが好きなんだよ、ほっとけ」

「根暗」

「ゴリラ」

「あん!?」

「そっちが先に仕掛けたんだろうが。ったく。ちなみに沢谷博美と同じクラスだったよな? 知ってる話があったら聞きたいんだけど」

 話題を聞き、乙女は天を仰ぎながら顔をしかめる。

「学年変わったばっかりだぞ、知らねえよ。ただ、一年の時同じクラスだった奴は皆いい子だったって言ってたぜ。掃除とか花への水やりとか、進んでやる子だったってよ。そんくらいだ。たぶん、学校での交友関係は、希薄だったんじゃねえか」

「黒木さんが調べた範囲でも非行は見受けられなかったそうだ。直行直帰、寄り道の一つもしない真面目な少女。変わっている点は――」

「狸交じり、か。でもよ、変化の術の一つでも使ってたわけじゃねえんだよな」

「ああ、親がその辺り厳格だったらしい。たぶん、まともに使えもしなかったんじゃないかな。少なくとも両親は彼女に術の継承をしなかったそうだ」

「尚更わかんねえ、か」

「……異種族であること自体を咎めるためなら」

「蒼の光教団ってやつ?」

「一番有名なのはね。たぶん、今、黒木さんが探っていると思う。過激派がコンコルド・シティに入ったって噂もあるし」

「だったらお手上げだな。範囲が広すぎて守り切れねえ」

「そうだね、今は、そうだ」

「あン?」

 すっと立ち上がる一二三。目深に被ったフードが、影が、表情を隠していた。

「俺ももう少し探ってみるよ。こんなのでも一応副部長だし」

「……その顔やめろ。全部背負ってます、なんて面は吐き気がする。刹那さんの代わりはあたしだ。もう少しあたしを頼れよ、ナァ」

「もちろん頼りにしてるさ、じゃあ先に戻ってるよ」

 歩き去って行く一二三の背中を見て、悔しそうに髪をかき上げる乙女。表情を窺うまでもないのだ。彼が自分を頼ることなんてない。

 わかり切っている、話。

「テメエに会ってからだ。クソ、焦るぜ」

 信頼というものは――


      〇


 全てのファミリーのために。

 ファミリーレストランの帝王ガストンは安価で安全、子供も大人も楽しめる空間づくりを提供していた。全世代向けの、温かく優しい思い出の場所。

 それが――

(何故だ、何故、こうなる?)

 この机だけ冷え切った空気が流れていたのだ。

「バ、バカな。ガストン店長一筋二十年、ガストンの伝説と謳われるこの私が店長をしているのに、何だ、あの空間は。目も当てられない」

 カップルの修羅場、家族の喧嘩、辛い現場はいくらでもあった。

 だが、これほど噛み合っていない、居た堪れない空間は初めてであったのだ。

「う、うあ、そ、その、おっぱい、大きい、ね」

「え、えと、あ、ありがとう蛇ノ目さん」

「ずず、わたしはドリンクバーに行って参ります」

「う、ああ、行ってらっしゃい」

 ただ一人だけ、羽佐間翡翠だけはいつも通り泰然とガストンを楽しんでいた。

 それもそのはず、この絵図を仕組んだのは彼女なのだから。

「でも蛇ノ目さん、すっごくスタイルいいよ。足も長いし、私なんて、ね」

「でも、ひふみ君はおっぱいが」

「せいせいせーい! 何を言ってるんだよ蛇ノ目さん。ぼかぁあれだよ、女性をおっぱいだけで判断しないさ。総合的観点でね、いや、何言ってんだ俺」

「ま、まあまあ、男の子は皆おっぱいが」

「だ、だから羨ましい」

「そ、そんなつもりは。あれ、おかしいな、私、上手く」

 羽佐間翡翠は策士である。保護者である一二三のことはもちろん、短い時間であるが女性陣二人の特性も把握していた。ここまで姫島さつきがポンコツ化するとは想定外であったが、これは嬉しい計算外である。

「ふふ、メロンソーダと何を混ぜましょうか」

 女性の扱いがとことんへたくそな一二三と、対人に置いて空気を読めない特級陰キャの蛇ノ目式と、八方美人のおっぱい陽キャ姫島さつきをぶつけて、この世の地獄を演出した演出家のなんと悪逆非道なことであろうか。

「そ、そう言えば、蛇ノ目さんは何かの、異種族なの?」

「え、う、うん。せ、正確には混じっているだけだけど。蛇姫様っていう怪異の血が混じってる。ぐ、ググったらすぐ、出てくることだし」

「そ、そうなんだ、すごいね」

「べ、別に凄く、ない。わ、私は、この血で、得したこと、ないから」

「…………」

(なんて居心地だ。話せば話すほど軋んでいく空気がきつい。誰もそんなこと望んでいないのが、なおのこときつい。誰か、助けてくれ)

 ひょっこり戻ってきた翡翠は静観に徹する。

 ここは心を鬼にして破局の時を待つのが吉なのだ。悪いのは家族の団欒に踏み込もうとした姫島さつきである。翡翠個人に恨みはないが。

(ここまでひふみさんが困っているのはそうないですね。少し心が痛んできました。しかし、わたしは鬼になります! すべてはおっぱいからひふみさんを救うため)

 私心はないのです、と翡翠は心の中で言い切る。

 客観的には私心しかないが彼女の主観には存在しないので仕方がない。

「い、異種族は、き、きらい?」

 蛇ノ目が放った唐突な問いに対して――

「ううん。そんなことないよ」

 姫島の澱みない答え。満面の笑みは完璧だった。

 今までの空気を塗り潰すような『普通』の顔、受け答え。

「でね、私、式ちんはおしゃれが足りないんだと思うの。スタイル良いし、私にコーディネイトさせてくれたらぜーったい可愛くなる。ひふみんもそう思うでしょ?」

「あ、ああ。たぶん」

「あと美容室行こうよ。私の行きつけ結構腕良いよ」

「う、あ、でも、その、私なんかが」

「私にまっかせなさーい!」

「う、うう」

(あれ?)

 気づけば姫島さつきのペースに飲み込まれた蛇ノ目式と羽佐間一二三。

 想定外の事態に一人おたおたする翡翠であったが――

「よーし、面白くなってきたー!」

 一度乗った姫島のノリには何人も止められなかった。

 策士策に溺れる。

「じゃあ今週の土曜、学校集合ね!」

「え?」

「蛇ノ目さんは大丈夫?」

「う、うん。全然、これっぽっちも、大丈夫!」

「そ、そうかぁ」

 蛇ノ目から取引条件として色々聞いた翡翠は深くうな垂れる。一二三を引き出された時点で詰んでいたのだ。おっぱいからもストーカーからも守れなかった。

 天才少女に大きな挫折が刻まれた日となった。

「ご来店ありがとうございまっしたぁ!」

 終わり良ければ総て良し、店長の嬉しそうな声に後押しされ一行は帰路につく。


     〇


 コンコルド・シティには大型ショッピングモールが存在する。

 経営はなんと全国百か所以上に大型店舗を構えるかの株式会社イズミオン。かつて西と東で戦争を繰り広げていた二社が合併してできた最強の会社である。

 イズミオンモール。何でもある、がコンセプトのショッピングモール。衣食、住まで網羅しているのだから恐れ入る話。屋上など空きスペースには畑なども設置され、最終目標は世界が滅んでもイズミオンは滅びない、らしい。

「ひ、人混みは苦手だ」

 早速げんなりしている一二三の横で蛇ノ目もまた普段より三割増しで表情が暗い。根暗同士語らずともわかる。彼女もまたこういう空間を不得手としていた。

 片や――

「さー、みんなぁ! 気合い入れてこー!」

「おー!」

 姫島と翡翠はむしろテンションが上がっていた。

「姫島さん、すごくおしゃれです。憧れます」

「大丈夫。ひすいちゃんならすぐに私なんて超えられるよ。なんたって素材が違うもの。見てて、このイズミオンに天使を降臨させてやるから!」

「……ま、まさか、あの伝説のポップガールに」

「なれる!」

「お、おおお」

 本日、皆と合流する前は一二三よりも不機嫌だったはずの翡翠だったが、姫島の格好を見た瞬間、テンションが急変してしまった。

 ポップガールという謎のおしゃれ女子を目指す翡翠にとって、おしゃれでかわいい姫島はそれだけで尊敬に値したのだ。昨日まではあんなにおっぱいだけは信用できない、あんなのおっぱいだけです、などと愚痴っていたのに。

「式ちんも私に任せてね!」

「う、うん」

「ひふみんは?」

「服を買う金がない」

「おごってあげよっか?」

「……さすがにダサいので勘弁してください。前のは冗談です」

「あっはっは。よきかなよきかな。じゃあみんなぁ、レッツゴー!」

 姫島さつきをリーダーとした一団が最強ショッピングモールイズミオンに乗り込んだ。ハピネスとゆめがいっぱい詰まった楽園に彼らは足を踏み込んだのだ。


     〇


「きゃー! カワイイ! カワイイが詰まってる!」

「……まあ、わたし、美少女ですので」

 ほんのり照れながら満更でもない様子の翡翠。感情の変化はあれど、あまり表情には出さない、出せない彼女にしては破格の変化である。

「次はこの帽子ね。白のワンピースに合わせて、清楚系目指しちゃおうか!」

「清楚系ポップガール、何故でしょう、炎と氷が合わさって極大魔術が生まれそうです。試してみましょう。知的好奇心のために」

「オッケー!」

 またもお着換えタイムに入る翡翠。試着室にじゃんじゃん服を投げ入れる姫島はさながら熟練の補給兵が如しであった。

「むむ、美少女センサーに反応在り! 式ちん、開けるよ!」

「ま、待って、まだ、準備が」

「えいやー! ま、まあ!? なんということでしょう! 私、原石見つけちゃった。頭小さいし足も長いなぁって思ってたんだけど、こんなのデルモにならなきゃダメ! パリがあなたを待っている! 私、今、ランウェイ視えちゃった」

「へえ。服で印象って変わるもんだなぁ」

「お、ひふみん的にも好印象頂きました!」

「う、うう、ふぐぅ」

「あとは髪型と猫背さえ、あ、この服も試してみようそうしよう」

「わ、私これでいい」

「ダメダメダメェ! もっと沢山試すの! 普通の学生はお金がない。でも普通の女子高生たる者おしゃれには気を遣わなきゃいけない。だから沢山試着して、自分に合う最高の一着を探すの。さっさと購入なんて神が許しても私が許さない!」

 胸に手を当てて敬虔なる神の使途が如しキラキラした雰囲気を放つ姫島。蛇ノ目は非常に困り顔であるが、そんなもの彼女の勢いの前では無力。

「どーですか、ひふみさん!」

 負けじと早着替えで登場した翡翠は若干息を切らせている。

「憎い、憎いね、ひふみーん。やきもち焼かれてるよ。バシッと褒めてあげなきゃ」

「あ、ああ、可愛いと思う」

「ふふ、実に当然でしょう。これも控えに入れておきます」

「ノリノリだねひすいちゃん!」

「次の服を所望します!」

 怒涛の勢いで試着しまくる二人とさせまくる一人。

 そんな勢いが何店舗も続けば――

「……つ、疲れた。信じ難い精神的疲労だ。何故、二人は意外と平然としている? 何故、姫島はさらに勢いが増すんだ? 俺がおかしいのか、俺が」

 店前のベンチに腰掛け、天を仰ぐ屍の完成である。

「おー、一二三。珍しいな、こんなところで」

「……あー、国光の幻が見える」

「残念、幻じゃありませんでしたーっと。横いいか?」

「おう。つーか外出は控えろって通達あったろ?」

「守ってる学生はいないさ。特別な友達でもない限り、深刻そうにするのは精々当日くらいだろ。それだって先生の眼がある内くらいだ。かわいそうだけどさ」

「まあ、そもそも俺もこうしているしな。ってか改めてみるとイケメンでスタイル良いって何なんだよお前。横に座られると非常に不愉快だ」

「これまた残念。俺は親友がいて非常に愉快だ。気が合うな、親友」

 暖簾に腕押し、何を言っても揺らがないのはそこそこの付き合いでわかり切っている。なので一二三はちらりと視線を移し話題を切り替えた。

「……買い物袋ってことは?」

「そ、彼女と一緒」

「ここで俺といるとまた怒り出すだろ」

「んー、そろそろ親睦深めたいと思ってさ。親友と恋人が険悪じゃ辛いじゃん」

「……俺が去る」

「残念賞」

「ぬ?」

「あー、またあんた! なんでイズミオンなんかにいるのよゾンビマン!」

「まあまあ、リリス。一応俺の親友なんだしさ」

「人の付き添いだよ、きゃんきゃんうるさいなぁ、もう」

「あんたに付き添う相手なんているわけないじゃん!」

「……いや、それは」

「そう言えば誰と来たんだ?」

「こいつ、やはり私と国光の恋路を邪魔しようと」

「するかバカ!」

「ひふみーん、この帽子おしゃれだと思わない? 私も買っちゃおう、か、な」

「「……ひ、姫島、さつき、だと!?」」

 愕然とする国光と代々サキュバス憑きの家系として有名なリリス嬢は顎が外れるくらい驚いていた。それだけ有名であったのだ。

 難攻不落の巨乳要塞として――

「弱みでも握ったの?」

「……一二三、まさか力で無理やりとか」

「ひでーなおい。国光、お前まで!」

「いやだって彼女、ガード緩そうに見えてめちゃくちゃ固いって有名だぞ? あの胸につられて玉砕した男は数知れず、だ」

「私も顔は勝ってるかもだけど、総合力じゃ微妙なライン。つまりあんたじゃ超分不相応ってことよ! ねえ、姫島さん、どうしたの、何かされた?」

「あっはっは。何にもされてないよー。むしろしたの私だし、ね、ひふみん」

「「なっ!?」」

「……何かしたっけ?」

「えー、あんなことしちゃったのにもう忘れたの?」

「は、破廉恥よ、破廉恥! ほんと、やんなっちゃう!」

「……そっか、一二三、とうとう過去を振り切ったんだな、親友、嬉しい」

「ち、ちが、何にやにやしてんだよ姫島ァ! きちんと話せきちんと! 匂わせと話の切り取りはダメだってこの前テレビでやってたぞ!」

 ちなみにしちゃったこととは冒頭トラックに轢かれた件である。

 すでに一二三の記憶からは消えているので噛み合わなかったのだ。まあ姫島がそれを察していじわるにも噛み合わせなかった、という説もあるが。


     ○


「女子がこれだけ揃うとかしましいな」

「ああ、なんだろ、すげえ疲れる」

「さすがに俺も疲れてきたわ」

 男二人、荷物持ちとして店先に座り込む。中ではキャッキャウフフと服を選ぶ女性陣が何店舗目かわからない店で同じ行動を繰り返していた。

「服なんて何でもいいよぉ」

「俺も個人的には安物でいいタイプ」

「国光が着れば何でも格好良くて、俺が着ると大概ミスマッチなのが服だ。俺は知っているんだ。あんなのスタイルが全てだって」

「それは卑屈過ぎると思うけど」

「じゃあ俺に似合う服って何さ?」

「……パーカー」

「ほーら馬鹿にして! 俺泣くよ、号泣しちゃうよ!」

「いや、ほんとだって。マジで」

「いいよ、まあ、パーカー、好きだし。フードは機能的だから」

「拗ねるなよ、ヒーロー」

「それ、やめろって」

「いいじゃないか、俺にとっては本当のことなんだから」

 誰からも憧れられる男が親友のみに見せる逆の貌。

「何よこのカワイイ生き物は! 私の妹の次にカワイイ! 国光もこっち来なさいよ! このカワイイ生き物を一緒に愛でましょう!」

「ああ、わかったよ」

 国光がよっこいしょと腰を上げる。

「なあ、俺さ、今結構幸せだよ。全部、お前たちのおかげなんだぜ」

「……今のお前なら当然だよ」

 フードを引っ張り視線を隠す一二三に苦笑する国光。

 皆の輪に入っていく国光を見送り、フードの奥でほほ笑む一二三。人と異種族の融和、決して夢物語では終わらない、そんな可能性があそこにはある。

「君の望んだ明日があるよ」

 ぽつりとつぶやいた一言。誰にも聞かせる気のなかった独り言であったが――

「君って誰?」

「……姫島?」

 油断していたのか、姫島さつきには聞かれてしまう。

「お疲れ。ひすいちゃんたちリリっちに任せちゃった。はい、ミルク」

 国光の座っていた場所に座り込む姫島。躊躇がないし妙に距離感が近いでドギマギしてしまうのは一二三が健全な男子高校生である証拠だろう。

 照れ隠しに貰った牛乳を一口飲んで――

「あれ、好物言ってたっけ?」

「ひすいちゃんと取引して教えてもらっちゃった。今被っている帽子と交換ね」

「まったく、あとでちゃんと支払うよ」

「良いって。着てほしくて買ったんだから。それに、前にも言ったけど私ひとりっ子だしバイトもしてるから、お金はそこそこあるんだ」

「……バイトって何してるの?」

「んー、知りたい?」

「言いたくなかったら良いよ」

「あー、押し引き上手いね、ひふみん。そう言われたら言いたくなっちゃう。どうしよっかなぁ。どう言ったら、君に伝わるかなぁ」

 今まで見たことがないような姫島さつきの貌。どこか物悲しくて、それでも真っ直ぐで、力強い色があった。少しだけ、『彼女』に似ているかもしれない。

「ひふみんはさ、後天的に異種族になっちゃったんだよね?」

「そうだね。ゾンビにガブリ、一発アウトだ」

「あっはっは、超軽いじゃん。嫌じゃなかった?」

「俺、そのゾンビに恋してたから。うん、俺が望んでこうなったんだ。だから、嫌じゃないよ。こうならない方が、きっと俺は後悔してたし」

 一二三の表情はフードに隠されて見えない。

 逆もまたしかり。

「ふーん、そのゾンビの人は?」

「もう死んだよ。ゾンビなのにって思うけど、ゾンビも死ぬからね」

「そっかぁ。じゃあ、手強いなぁ。死ってさ、ずるいよね。なかなか消えてくれないし、こびりついて離れない。私が忘れちゃったら、世界から消えちゃうって思うと、忘れることもできない。呪いだよ、自分が望んでいるから、余計に」

「姫島も誰か死んだのか?」

「うん、とっても大切な人が」

「ごめん。軽々しく触れていい話題じゃなかった」

「先に触れたの私だし。いいの、似た者同士だと思ったから話したし、もしかしたら一緒に歩けるかな、って思っただけだから」

 そう言って姫島は立ち上がった。

「よーし、ラストスパート! 姫島さつきの名に懸けて二人をおしゃれさんにして見せる! ひふみんも見ててね、度肝抜いてあげるから」

「……度肝抜き疲れたよ、今日は十分だ」

「まだまだ!」

 駆け出す姫島の背中に視線を向ける一二三。彼女が入ると笑顔の花が深まるのが見える。自分は輪の外、それで良いのだとこうしていると思えてくる。

「楽しそうだな、羽佐間」

「黒木さん?」

 きっちりとした髪型とスーツ姿の黒木が音もなく一二三の背後に立っていた。

「いつから?」

「国光といた辺りだな。話は聞いていないから安心しろ」

 ベンチに座る一二三は視線すら向けずに背後の黒木と話す。黒木もまた携帯を耳に当てながら口を開いていたため、傍目には会話に見えない。

「もう一度確認だ。本当に今回、怪異絡みじゃないのか?」

「先生を信じるなら、ですが。無意味な嘘をつく御方じゃないですよ」

「……大体の部位が集まって順次解剖を進めていたんだが、奇妙な結果が出た」

「どんな?」

「殺しの方法だ。当初は刃物などで解体した、と見られていた。だが、断面を調査していく内に刃物が使われていないことが分かった。爪でも、牙でもない。手だ、手で、力ずく、引き千切ったんだよ。上は、怪異以外ありえないと見ている」

「……それは」

「だが、彼が怪異ではないと言ったことも伝えてある。それに、怪異でなくともそれぐらいは不可能ではないからな。かなり絞られてしまうが」

「それこそ轟くらいでしょうね。あとは騎士か、拳士か。クロス先生は?」

「調査中だ。ただ、今のところ経歴含めおかしな点はない。騎士団のリストも調査済みだが該当者はなし。まあ、上級騎士以上だとお手上げだが。いくら何でもこんなチンケな山でそんなの出てこないだろ」

「……ですね」

「今は動くな。現状チンケな殺しだが、もしかすると背景はそれなりに入り組んでいる可能性が出てきた。下手をすると利用される可能性もある」

「わかってます」

「俺も古巣辺りを探ってみる。随分時間も経ったし、新人がいてもおかしくない。まあ、凶悪な怪異絡みじゃなければテコでも動かん連中だがな」

「こういう時、子供って何もできないなって思いますよ」

「馬鹿野郎。テメエがそれを言うな」

 捨て台詞を残して黒木はこの場を去って行く。

 怪異絡みではなく、人の枠を超えた犯行。ただの猟奇的殺人かと思っていたが、事件は思った以上に入り組んでいるのだろう。

「ひふみさん! 蛇ノ目さん、髪を上げると実は――」

「原石!」

「うっそ! うわ、スタイルも相まって、超羨ましいんだけど」

「あ、う、やめ、あう」

 だが、今はどうしようもない。大人が、専門家が動いている以上、素人の子供が手を出す領分ではないだろう。

「お、見たい見たい!」

「い、いや、ひふみ君、こな、いで」

「あ、嫌われてるぞ、一二三」

「ち、ちが、ちがわなくて、いや、ちが、あうあう」

「……?」

「このこのー、色男は辛いですなぁ。さつきちゃん嫉妬しちゃう」

「一人だけ場違いな奴がいるんですけど、ねえ、ひすいちゃん」

「顔面偏差値ということであれば、残念ながら」

「ひすいちゃん!?」

「私は好きな顔立ちですが。客観的評価というものもありますので」

「全然フォローになってないんだが!?」

 皆が笑う。一二三も笑う。

 とても幸せだった。希望に満ち溢れていた。

 明日はきっと良い日になる。良い日にしなきゃいけない。

 そう、思った。

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