第11話:姫島さつき

 本日、五本目の牛乳パックを飲み干し、日陰でのんびりとくつろぐ羽佐間一二三くん。今が授業中で、持久走という苦行を強いられている同級生から怨嗟の如し視線が送られているが、すやすや寝息を立て始めた一二三にはノーダメージである。

 今更ではあるが、羽佐間一二三はゾンビではない。コンコルド・シティにボランティア部副部長として雇われた際、公的な記録をすべて便宜的にゾンビとしただけである。ただし、何の理由もない、というわけでもない。

 まず、日の光を避けるべき、というのは両種族の相似点であろう。ゾンビも吸血鬼も肌が弱いため、日の光で焼けてしまうのだ。

「ふわぁ」

 とはいえ、それが致命傷になるわけではない。ゾンビはそもそも人よりも日に弱い程度であり、吸血鬼も日に当たると死ぬ、というのは迷信であった。もちろん人よりもずっと弱いし極力避けたいのは本音である。

 それも個人差があり、日光浴をする吸血鬼もいれば日に当たるだけで火傷をしてしまう者もいる、らしい。一二三はマスターも含めてそれほど日に弱い系譜でなかったため、実はさほど問題なく授業に出ることが出来る。

 出来るが、しない。

「あー、すごい回復してる気がする。めっちゃ来てる」

 そう、何を隠そう羽佐間一二三、実は体育が嫌いであったのだ。否、正確には学校の授業が嫌いであった。一切受験勉強をせず、文字通り裏口入学を果たした一二三にとって高校の授業は難易度が高すぎた。

 だが、一年次ならまだ取り戻せたはずだったのだ。しかし、其処は初等教育を音楽漬けで回避し、中等教育を人助けに費やした男にとって、そこで取り戻すという発想自体がなかった。轟に罵倒されても、花ケ前にボロクソにけなされても、国光が、ヘルマ君が、一緒に勉強しようと言ってくれてもかたくなに断ってきた。

 それほどに固い決意があったのだ。

 授業は寝る時間、という目も当てられない酷い決意が。

「嗚呼、良い天気だなぁ」

 空、快晴也。一二三、惰眠を貪る。

「「「あいつぶっ殺す」」」

 クラスの殺意を一身に背負いながら――


     〇


「ひっふみーん。良い感じにダレてたねー」

「おお、姫島、おはよう」

「授業中でも寝て、お昼休みも寝て、これは大層育ちそうですねえ」

「そう、寝る子は育つ」

「ちなみに今どきの屋上は立ち入り禁止なんだよ、知ってた?」

 空、快晴、広い屋上には羽佐間一二三と姫島さつきだけがいた。

「黒木先生に軍資金を貸したら合鍵をもらいました」

「……なんという裏取引か」

「で、姫島は何で屋上に?」

「ひふみんをつけてきました!」

「なんで?」

「理由、いる?」

「あー、うあー、これワンチャン的な奴?」

「そうだって言ったら、どうする?」

 妖艶に、いたずらっぽく微笑む姫島を見て、一二三は苦笑する。

「釣り合いが取れそうにないからなぁ。あらゆる偏差値が姫島に届いていない」

「なんと、最も重要な私の好感度が届いているようですよ」

「思い当たる節がなさ過ぎてね。裏がありそうだ」

「あはは、ひっどーい」

 ちなみに先ほどからパンツが見えているが一二三は黙秘を貫く。かつて、初めて遭遇した際、彼女の胸とパンツを凝視したことでトラックにまで注意が払えなかった。吸血鬼のスペックをフル活用してチラリズムに全てを注いでいたのだ。

 種族の能力を存分に無駄遣いしていた。

 寝転がる一二三に覆い被さるような彼女はこちらを覗き込む。そうするとあら不思議、重力によって彼女の胸がさらなる主張を見せるのだ。

 青少年にはあまりにも酷。吸血鬼の力を使わねば危ないところであった。

 主に股間付近が――

「ねえ、私さ、転校することになっちゃった」

「仕方ないよ。まだ犯人捕まってないし、根本先生、クロス先生も行方不明だからさ。今は、そうするのが正解だと思う。寂しいけどね」

「ひふみんは転校する気なし?」

「知ってる? 転校にもテストがあるのだ。馬鹿な俺は、しがみつくしかない」

「私の怪しいコネで一緒の学校に転校できる権利があるとしたら?」

「怪しいから遠慮する」

「ひっどーい」

 笑い合う二人。こんな情勢下、選択肢がある子供は少なからずこの都市を後にしていた。それに文句を言うことなど一二三には出来ない。

「いつか、落ち着いたら遊びに来なよ。ひすいちゃんも喜ぶ」

「お、親戚を出汁に私を召喚するおつもり?」

「策士なもので」

「やりおる。致し方なし」

「それは、良かった」

「私にまた会えること?」

「うん。この街でまた会えるかもしれないことが、嬉しい」

「そっかぁ」

 空を仰ぐ姫島の表情を一二三は窺い知ることが出来ない。

 それでもきっと、また会える。そんな気がした。

「私は普通の女子高生だから、普通になったこの都市でまた、君に会う。一目惚れって信じる? 私は信じてなかった。でも、今は信じてる」

「…………」

 それって俺のこと、と喉まで出かかった言葉をごくりと飲み込む一二三。この場合、早とちりして否定の言葉をもらったらたぶん立ち直れない。ここは再会の日まで取っておこう、希望は儚くとも繋いだ方が良い、と情けない考えを浮かべていた。

「君の眼、好きだなぁ。私たち、たぶん、似てると思う」

「そ、それって」

 ワンチャン、ある。どう考えてもフルチャンだろ、と一二三は内心ガッツポーズした。羽佐間一二三も男の子、女の子は大好きだし、可愛い子はもっと好き、おっぱいが大きいとなればもはや恐れ多くて眼をそらすほどである。

「またね、ひふみん」

 とても普通で、とても可愛い女の子、姫島さつきは惜別の笑みを浮かべていた。いつか、また会える。その時、彼女に彼氏がいてもいい。自分のことを覚えていなくてもいい。いつか彼女がこうして笑って、この都市に戻ってきてくれるなら。

「ああ、またね、姫島」

 一二三は目を瞑り、しばらくして目を開けた。

 その時には、広い屋上には自分一人だけが取り残されていた。

「頑張るよ。ここが、いつか君が戻ってこられる場所であるためにも」

 むくりと起き上がり、購買へ向かう一二三。目的は牛乳、回復の追い込みをかけるために血を補給する必要がある。加熱し、劣化した牛の血でもあるとないとでは雲泥の差。それで十分勝てる、彼の中で冷静な目算がある。

 あの騎士と戦う準備は整いつつあった。


     〇


 蒼の光教団、もぬけの殻と成った集会場に黒木は足を運んでいた。

(足跡、埃の状態、空気の澱み具合、直近まで使われていた、か。追い込んでいる感覚はある。追い詰めるのは時間の問題だろうに、何故逃げる?)

 ここが地続きの場所であればまだしも、メガフロート、海上都市なのだ。検問に力を注いで蓋をしている状態で、逃げ延びられる可能性は皆無。

 時間稼ぎをする理由もないはず。

『黒木中佐、ご報告があります』

「おう、なんだ?」

『くだんの騎士、ようやく本人と思しき人物を特定できました。創世騎士団は関与を否定していますが、上級騎士アークナイツの一角、クリス・クロス、です。姓とはいえ本名を使っているとは、堂々としてますね』

「上級騎士、か。万全ではなかったとはいえ、あいつと渡り合えるわけだ」

『まあ連中、仮面で素顔を隠していますし、上級騎士ともなれば機密は万全。こちらも羽佐間特任少佐がいなければ打つ手なし、でした』

「あと、本名じゃなくて洗礼名だぞ。正騎士と成った時点で奴らは本名を捨てている。神のしもべであり、怪異を断つ剣。それが騎士、だ」

『あ、そうでした』

「他にはあるか?」

『クリス・クロスですが、見習い時代にあの戦いに参戦しています。『道化王』率いるフリーク・ショーとの一戦。彼は直属の上級騎士を目の前で奪われております。そこから、あの若さで上級騎士と考えれば――』

「まあ、強ェわな」

 黒木は我慢しきれず煙草に火をつけ口にくわえた。

「んで、怪異に対して並々ならぬ想いがある、と。ハッ、珍しい話じゃねェ」

 傷の一つや二つ、自分にもある。誰にだってある。

 それが怪異と触れ合うということなのだから。

『しかしなぜ、蒼の光教団に?』

「いや、それはわからねえな。欧州を基本的な拠点とする創世騎士団だ。まあ、世界中に拠点を持つ以上、どこかしらで――」

 ふと、頭の中で記憶がフラッシュバックする。

 凄絶な戦い。血みどろの、自分の仲間も大勢、死んだ。忘れたくても忘れられない、悪夢。外様の、若い自分に初めてできた弟子も、そこで失っている。

『黒木中佐?』

 曇天、雨降りだった。クラウン・クラウンを取り逃がし、『超人薬』の元となった少女を回収しただけで、ほとんど戦果はなかったことを鮮明に覚えている。

 誰もが絶望に、己が無力に、頭を垂れていた。

 きっと彼も同じであっただろう。

 人間の底を否応なく突き付けられた形。所詮、お前らはそこまでだ、あの心底人を馬鹿にした目つきがそう言っていたから。

 そんな中、フリーク・ショーの被災者を救うためにある組織が絶望の地にやって来ていた。何の意味もないと黒木は一笑に付していた記憶がある。

 全てが徒労だった、そんな中でも彼らは声を出していた。ある者は彼らに掴みかかっていた。嘲笑い、役立たずだと揶揄する者もいた。心が摩耗していたのだ。皆平時では立派な人物ばかりであったが、全てを否定されたばかりでは無理からぬこと。

 それでも彼らは慈愛に満ちた目で温かな配給を、言葉を、施していた。

 その中心にいた小さな少女。

「俺は、馬鹿か」

『どうしたんですか? 黒木中佐?』

「すぐにある人物を調べろ。羽佐間妹も使え。名前は――」

 黒木は己を呪う。如何に時が経っていたとはいえ、自分は答えを持っていたのだ。彼らの慈愛は憎しみの裏返しであることを。元は怪異に愛する者を奪われた、奪われながらも声すら上げることが許されなかった被害者の集い。

 彼らには幾人かの旗印がいた。同じように奪われながらも立ち上がった者。

 彼らの信仰は力に捧げられるわけではない。力に挫かれながらも立ち上がり、手を差し伸べる心の強さにのみ、彼らは心を捧げるのだ。

 忘れていた、あの絶望の中で唯一、己が足で立っていた者を。

 忘れたかったから。あの日そのものを。

 それが、仇となった。


     〇


「お待ちしておりました」

 騎士、クリス・クロスは正装に身を包み恭しく跪く。

「もう、やめてって。私、普通の女の子なんだから」

「その普通の女の子が立ち上がったからこそ、意味があるのです。それは力持つ者が抗うのとは意味が違う。最も尊き人の輝きであるのだから」

 大勢が彼女に頭を垂れていた。

 困り顔の少女は皆の前に立つ。少し躊躇しながらも、彼らを真っ直ぐに見つめる。自分はただの人間、普通極まる存在。だからこそ、頼らねばならない。

「被験者であった信徒、根本克也はかの『道化王』が手の者でした」

 信徒の一部から悲鳴が上がる。

「ただ、蒼の秘薬、『超人薬』自体は未だ不完全ながら、完成へ大きく前進したと言えるでしょう。私たちはまた一歩、勝利に近づいたのです」

 皆の顔がぱぁっと晴れる。

「聖者様。我らはとうに覚悟が出来ております。異種族とはいえ弱き者を巻き込まざるを得なかった、その咎、此処にいる皆で背負う所存です!」

 信徒の中でも異質な、白衣の者たちが訴える。

「もちろん。私も、ここのクロスも、同じ気持ちです。秘薬完成にはどうしても融和都市の特異性を利用するしかなかった。献血、協力機関による身体検査、此処以上に大量の有効データが取れる場所はありませんでした」

「聖者様は違います! 元は私たちが勝手にやったこと」

「同じ仲間の罪です。一緒に背負わずして何の役職でしょうか。それに、私は責任者である以上に皆さんの同胞、友達であるつもりです」

 壇上から降りて、皆と同じ地平に立つ少女。蒼き衣に身を包み、その貌には慈愛に満ちた笑みが湛えられていた。

「役職など何の意味がありましょう。私の名は姫島さつき。貴方たちと同じ、ただの、普通の、か弱き人なのですから」

 ふわりとフードが垂れ、その下には彼女が名乗った通りの顔があった。

 姫島さつき。普通の女子高生、であるはずの少女が其処にいたのだ。

「クロス」

「はい。薬の実物は私や他の騎士が散開し、本部へと届けます。データの送信はこの都市の構造上不可能であると結論が出ている以上、物理的突破しか道はありません。根本の暴走により戦力は半減、現段階では突破の可能性は限りなく、低い」

「私に、皆さんのお力をお貸しください。大願成就のため」

 信徒が一斉に立ち上がる。彼らが掲げるは蒼き『超人薬』である。

「全ては蒼き明日のため」

「紅き世界を打ち砕かん」

 蒼は人を指し、紅は異種族、特に強力な怪異に多い瞳の色を指す。彼らに対抗するために、雪辱を、復讐心を、晴らすために彼らは活動している。

 皆、怪異によって蹂躙された過去を持つ。

 ゆえに、彼らに躊躇いはない。明日に繋がるならば容易く命を差し出すだろう。それだけのことをされたのだ。彼らは友を、恋人を、妻を、息子を、父を、母を、兄弟を、家族を、奪われた者たちの群れなのだから。

 各自、自らの配置に向かう。その背を見送る少女の眼は苦渋に満ちていた。

「これしかありません」

「……わかっています」

 少女、姫島さつきは嘆息し、真っ直ぐ視線を前へと向けた。

「私、ろくな死に方しませんね」

「貴女がそうならぬように私がいるのです。絶望如き、私が切り伏せて見せましょう。あの時、貴女が絶望の淵で見せた強さに比べれば、容易いこと」

「必ず、取り戻して見せる。私の、いえ、私たちの『普通』を」

「その『普通』を切り開いて見せましょう。それが私の騎士道ですので」

 そして彼らは、歩み出す。


     〇


『姫島さつきは本名だが、経歴が全て、お前と同じように作られたものだった。こんだけ完璧に公的データを偽装出来るってことは、教団には相当なバックがいるな。それこそコンコルド・シティの市議会連中みたい、な』

 羽佐間一二三は、生活感に溢れたマンションの一室でうな垂れていた。

『姫島さつきは三人家族、だった。とうの昔に両親を殺されている。やったのはヴァンヘルシング、だ。お前がかつて倒した、上位の吸血鬼。時期と場所を考えて、おそらくお前とブラッディ・マリーが協力して撃退した、一次侵攻の際、その回復のために彼女の両親は致死量の血を奪われた、と思われる』

「……間接的に、俺のせい、か」

『違う。偶然だ。仕方ないことだった』

「ハハ、世界は狭いですね、黒木さん。俺たちの失態が何も知らない彼女から大事なものを奪った。その彼女が今、俺たちの大事なものを失わせようとしている」

『部屋の様子はどうだ?』

 一人暮らしが使うには大き過ぎる机。三つの椅子のうち一つに一二三は座っていた。コップも皿も全て三の倍数。食事も、いつも三人分用意していたのだろう。明らかにすべての量が多い。廃棄物も、冷蔵庫の材料も。

 一人暮らしのそれではなかった。

「三人分、あります。全部、家族の分すべてが」

 マリス・ステラ本部にいるであろう黒木のそばですすり泣く声が聞こえた。きっと、あの子は泣いているのだろう。感受性の強い子だから、全ての情報を手に入れて、其処に刻まれた哀しい生き方に、心が揺らされてしまったのだ。

 仕方ないことである。覚悟を決めたはずの己が、揺れているのだから。

 時が止まった両親の部屋。唯一時が進んでいる彼女自身の部屋。彼女らしい小洒落た空間には家族の写真がたくさんあった。

 最も新しい写真は、イズミオンで撮った集合写真。

『……やれるか?』

「やります。情報をください。俺が、俺がやらなきゃ、いけないでしょ!」

 この空間には彼女の悲鳴が満ちていた。

 自分たちは出会ったばかりでしかない。所詮、その程度の関係性しか結んでいなかった。しかし、彼女の言うことはとても的を射ていた。自分たちは似ているのだろう。二人とも大事なものを失っていたのだ。

 彼女は家族を、自分は愛する人を。

 羽佐間一二三は懐から銀のロザリオを取り出す。

「僕らは分かり合えると思うかい? ただ、出会う順番が違っただけなんだ。致命的なほどに。僕は君に、先生に、出会えた。それはとても幸運なことだったんだね。僕は、君になれるかな、彼女にとっての君に」

 彼は祈る。平和を、理想を、青き空の下で口ずさんでいた彼女を想い。

 きっと、分かり合える日は来るのだと、彼は信じる。

 そして――

「征こう」

 髑髏の仮面をまといて、コンコルドの死神は動き出す。

 三人家族の幻想を残して――

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