第13話:『普通』を求めて

 私の名前は姫島さつき。十六歳で高校二年生。

「あー、ちょっと遅刻しちゃったかな」

 どこにでもいる『普通』の女子高生です。

「定刻通りです、聖者様」

 今は何故か変に祭り上げられちゃっているけど、本当にただの女の子。昔はもっと『普通』でおっぱいも小さかった。実はコンプレックスなのです。『普通』とは程遠いし、スケベな目で見てくるから。ひふみんとか会うたびに見てくるもん。

 バレバレだって。

 昔はとても『普通』で幸せだった。家族三人、別に裕福ではなかったけど貧しくもなかった。転勤族で、マンション暮らしが多かったなあ。転校の度にパパに怒っていた気がする。今なら全然良いのに、三人一緒ならどこでも。

 あの日、塾から帰ったらパパとママが死んでいた。とても綺麗な男の人が血を滴らせながら私を一瞥して、去って行った。私はね、あの時よくわからずに、ただただ綺麗だって思ってしまったの。そんな自分が今でも許せない。

 誰に本当のことを伝えても吸血鬼が日本にいるはずがない、の一点張り。言い張るのも疲れちゃった頃、今の教団に拾われた。同じ境遇の人たちとお話して、なお許せなくなった。どうして私たちの『普通』が奪われなくちゃならなかったのか。

 教団の活動を通して色んなものを見た。いろんな話を聞いた。

 そして私はね、結論に至ったの。

「コンコルド・シティはどうでしたか?」

「私の思い描く、『普通』とはかけ離れていました。行きましょう」

「ハッ、聖者様を回収。即時撤退!」

 みんなの当たり前だった『普通』こそが在るべき姿だったのだと。私だったら三人家族で旅行に行って、卒業式でママが泣いて、パパが行きたかったなぁってぼやいて、入学式は三人一緒。そしてまた節目に旅行に行く。

 そんな当たり前こそが理想だった。

 一日の始まりには朝ごはんは必須。急いでいても必ず食べるのが私流、ううん、私の家族流。共働きで朝は余裕ないけど、でもみんなで食べるの。

 夜も帰りの時間はバラバラだけど、終わりは出来るだけ皆に合わせて一緒に食べる。ごちそうさま、おやすみなさい、それが幸せ。

 だからね――

「何だ、あの、速過ぎる!? 白い、死神」

 邪魔をしないで、ひふみん。

「失礼!」

 クロスさんが私を抱きかかえて脱出してくれた。してくれなきゃ、今頃はブレードを引きちぎられて墜落するヘリと心中だったかもしれない。

 それでも良かったのかもしれないけれど。

 下の道路に墜落したみたいだけど、普通の人は大丈夫かな? ケガしてなきゃいいんだけど。あ、でも、運転手さんは死んじゃったよね。ごめんなさい。

 嗚呼、もう自分のことじゃ涙なんて出ないのに、人のことだとどうして涙が出るんだろう。不思議だ。とても不思議だ。

 隣のビルに着地して、ヘリのブレードを投げ捨てるひふみんは全然、ひふみんっぽくない。あれは演じているだけ。仮面の下はきっと泣きそうな顔をしてる。私にはわかるもの。君はとても弱い人、私と同じ、演じなきゃ耐えられないほどの、弱い人。

 君はとても『普通』、だから好き。

 とても素晴らしい出会いだった。きっとこれが私の初恋だったから。人に比べて随分遅かったけど、それでも胸を張って言える。

 君は私と支え合うべきなんだって。

「クロス、お願いします」

「承知」

 君なら私をパパとママから解放してくれるかもしれない。私なら君をその女から解放してあげられる。安心して、ひふみん、私たちが君を『普通』に戻してあげるから。だから、ちょっとだけ我慢してね。


     〇 


 黒木は戦闘が始まったであろう方向にちらりと視線を向けた。

 そして、目を伏せる。

「よそ見とは、余裕だな、黒木史崇」

「ああ、余裕だよ。悪いが素人が多少強くなろうと大したことねえんだわ」

「そのようだ。残念ながら、多少のリスク程度でどうにかなる力の差ではない。私たちは所詮素人だが、さすがにその程度は理解しているつもりだ」

「なら、何で俺の前に立つ?」

 白衣の男たちは笑みを浮かべていた。

「多少でなければ、可能性は、ある!」

 そして同時に、両の手を使って蒼き秘薬を自らに投与した。彼らは自分たちが咎人であることを認識し、その上でこの薬を作り上げたのだ。

 どうしても力が必要だったから。

 人の手による力が、必要だったから。

「……大馬鹿だな」

 肥大した筋肉は白衣を突き破り、別の筋肉と結合していく。怪異よりもよほど怪異らしい、怪物が生まれ出でようとしていた。

 頭が五つ、五人分の限界を超えた『超人』が結合した化け物。

「「「「「我々ハ普通ヲ取リ戻ス」」」」」

「もう、其処には普通なんてあるまいに」

「黒木中佐、一旦後退しましょう! さすがにそいつ、やばいです!」

 巨大な肉塊が腕を一振りする。車両が百メートル近く吹き飛び、黒木の背後で火を噴いた。いくら何でも、これは強すぎる。人の手に負えるものじゃない。

 誰もがそう思っていた。

 警察も、メダイ機関に入ってからの部下も、撤退しか浮かんでいない。

「無理だ」

「「「「「ムゥリィ?」」」」」

「そう。お前らは所詮、どこまでいっても人間止まりなんだよ。俺が教えてやる。俺は弱い。怪異を前にして弟子一人救えなかった。未だに、傷が疼くんだ。人は怪異に勝てない、そう言われているような、痛みが」

 黒木は煙草をぷっと噴き出し、腕まくりをする。

「俺に勝てねえなら、それまでだ」

 そして、静かに構えた。

「「「「「ナラバ、勝ツマデ!」」」」」

 怪物の怪腕が迫る。黒木は静かに息を吸い、吐いて――

「禁軍奥義、無手武芸十八般、天拳!」

 一呼吸で、拳を突いた。巨大な拳に比べればあまりにも小さな人の拳。されどそれは人の身で人を超え、怪異を降さんと磨いた至高の突きである。

 衝突から一呼吸おいて、轟音が辺り一帯に響き渡る。

 黒木史崇の足元には巨大なクレーターが発生していた。よれよれだったスーツも吹き飛ぶ。されど、黒木は二つの足で立っていた。

 拳を突き出したままの姿勢で。

「残念だが、お前らは『普通』だよ」

 怪物もまた二つの足で立っている。だが、足が立っているだけなのだ。上半身は完全に欠損していた。正面、T字路の突き当り、遠くのビルに巨大な肉片が付着する。それは黒木の突きによって絶命した怪物の上半身であった。

 悠然と立つ黒木の背中には傷ついた九紋竜が描かれていた。見る者が見ればハッとする造形である。黒木が常人でないことの証。

 そして打ち砕かれた事実を示す傷もまた其処に刻まれていた。

「……やっぱすげえや。梁山泊第二十三位、『史進』の名を冠していた拳士は。外国人では初の名前持ち。実力は序列よりもずっと――」

 ただの人間を極めた先にこの男がいる。

 逆に言えばこの男よりも弱い者は人止まりなのだ。

「スーツって経費で落ちたっけか?」

 引き締まった上半身をさらけ出しながら、普段通りの抜けた口調で次の地点に向かう黒木。付き従う部下はこの背を見てついていく。

 拳士とは人の憧れであり、同時に限界でもある。

 前者に焦がれるのが今嬉々としている者たち。後者に思いを馳せるのが届かなかったことに嘆き続ける黒木のような人種。

 黒木は再度、あちらに視線を向けた。

「残念だが、人止まりじゃそいつには勝てねえよ」

 コンコルド・シティ最強の『人間』は苦笑いしながら、吐露した。


     〇


 クリス・クロスは将来を嘱望された騎士であった。見習い時点から突出した輝きを見せ、直属の上級騎士からとても可愛がられていた。いつか自分も彼らのようになれる。迷いなど皆無だったのだ。

 あの日、絶望を知るまでは。

『逃げろ、クリ――』

 あれほど強かった先輩騎士がまるで雑草でも刈り取るかのように殺された。才能があると皆に褒め称えられていた自分は刃が折られ、致命傷一歩手前の傷を負い、脇で倒れ伏している。立ち上がることは出来た。

 でも、立ち上がる意味を見出せなかった。

 自分が立ち上がったところで何の意味もない。そんな力の差ではないのだ。肉壁にすらならないだろう。だから、全てが終わるまで立ち上がることが出来なかった。

『ふっふー、やりますねェ』

『テメエは、絶対に、ぶち殺す。絶対だッ!』

『落ち着け、若ェ『史進』。これ以上は無理だ。俺以外、立っている奴すらいねえんだぞ! 追い詰めただけでも上等だ』

『こいつを逃がしたら、何の意味もねえだろうがッ!』

『そうですねェ、無意味ですねェ、ワタクシ、そういう貌が見たくてこのフリーク・ショーを造ったんですよォ。ふっふ、本当に、素晴らしいィ!』

『あんまりからかうな、『道化王』。俺ァ歳だからよ、死ぬまで付き合ってもいいんだぜ? 吸血鬼にしちゃ若ェテメエはそんな気分にゃなれんだろうが』

『さすがのワタクシも伝説、轟正道相手では形無しですねェ。まあ、此処で手打ちでしょう。楽しませて頂きました。またお会いしましょう!』

『くそ、ったれがァ!』

 何で彼は悔しがれるのだろう。とても強いが、自分と同じで立ち上がることすら出来ていない。偉大なる選ばれし騎士、ロイヤル・パラディンですら膝をついているではないか。勝てないのだ、人間では。勝てるはずがないのだ。

 だってほら、立っているのは同じ怪異だけではないか。

「……あの日と同じ絶望が、私の前にある、か」

 白き死神は以前とは比較にならぬほどの強さでクロスを追い詰めていた。あの時対峙した時点で相当弱っていたのだろう。

 そうでなければ説明がつかないほどの戦力差。パーカーを着て、ポケットに手を突っ込みながら、骨の操作だけで彼はビルの外壁を登ってくる。叩き付けられ、一瞬意識が飛んでいた己に対して、とどめを刺すために。

 努力した。経験も積んだ。上級騎士にもなった。

 おそらく現段階でロイヤル・パラディンの近くにまで到達しただろう。いずれはグランド・マスターにも届いたかもしれない。

 しかし、そんなもの、何の意味もないのだ。

「終わりだ、クロス」

「君は強いな。ありえない強さだ。眷属じゃ、ない。今日、確信したよ。如何に元の主が強くとも、眷属では限界がある。君はその限界を、大きく超えている」

「……いいや、俺は眷属だ」

「ありえない」

 クロスの眼を見て、何故かコンコルド・シティの死神、羽佐間一二三は口を開いてしまった。何故だろう、何故か、知らせずに倒すのは卑怯な気がしたのだ。

「二人の、主がいる。俺は、ダブルだ」

 クロスの眼が大きく見開かれた。

「吸血鬼の、禁忌中の禁忌だね。なるほど、普通なら絶対に彼らはそうしない。眷属如きが二つの主を掲げるなど、あってはならないことだから」

 この都市に相応しい特異なる存在。人でありながら人ではなく、吸血鬼でありながら吸血鬼でもない。眷属であり、眷属でもないのだ。

 新種の怪異が其処にいた。

「君は、何のために力を得た?」

「この都市を守るためにだ。ここが彼女の夢だから」

「君は随分とこの都市を評価しているようだね。でも、私から見るとこの都市は退行しただけにしか見えんよ。かつて、一部を除いて人が異種族を認識していなかった世界に、ただ戻っただけだ」

「どこが同じだ? まるで違う」

「同じさ。知っているか知らぬかの違い。君、猛獣の檻の中で人は生きた心地がするかな? 普段仲良くしていても、腹を空かせたなら、いや、ちょっとした戯れで、人は壊れる。そんな彼らと手を繋げると思うかい?」

「……それは」

「私はメダイ機関の、住み分けという考えには賛同の立場だ。怪異全てを屠れとは思わない。だが、この都市は駄目だ。違うものを一緒にして、上手くいくと思うか?」

「現に俺たちは上手くやっている」

「本当に、そうかな? ちょっとしたさざ波一つで、軋轢が浮き彫りになる。そんな薄氷を、私は安定しているとは思わないがね」

 クロスはビルの外壁、側面に剣を支えに立つ。

「それをさざ波を起こした方が言うのか」

「それについては謝罪しよう。私たちも根本がそうだとは掴むのが遅れた。だが、あれも元を糺せば『道化王』の差し金だったそうじゃないか? 果たしてさざ波を起こしたのはどちら側かな? 人か、怪異か」

「その分け方をする者と、語る口は、持たない」

 クロスの太ももをビル側面から生えてきた骨が貫く。一二三は骨を操作して死角から攻撃を仕掛けたのだ。だが、クロスは姿勢を変えない。

「私は怪異の本場である欧州で、沢山の悲劇を見てきたよ。歴史が動く前も、後も、だ。住み分けが最大限の譲歩だ。混ざらねば、間違いは生まれない。それでもあえて混ざろうとする者は、害意があるとみなす。それを断つ剣が、私だ」

「お前は俺に勝てない」

「勝たねばならない。あの日、零してしまったものを、あの日、彼女から与えてもらった光を、今度こそ零さぬために! 私の指針は彼女だ、彼女が掲げる当たり前の『普通』こそが私の理想だ。それに殉じる覚悟は、ある!」

 クロスは懐から蒼き秘薬を取り出す。

「待て、騎士のあんたがそれを使ったら!」

「言っただろう? 殉じる覚悟は、ある、と!」

 それを自らに突き立てた。騎士は人ではない。騎士になるための秘薬を用いて、彼らは騎士と成る。ゆえに彼らは厳密には人ではないのだ。そんな彼らが人用に造られた薬を服用して、何が起きるのかなど想像もつかない。

「ぐ、がァ、あああああああああああああああああッ!」

 衝撃、膨れ上がったオーラのようなものが一二三を吹き飛ばした。

 それは騎士たちが用いる術理である。生命力をエネルギーに変換して剣や己の五体に付与する。彼らが用いる秘薬の効果は五体を変化させることもそうだが、生命力の拡張こそ真の効能であり、蒼き秘薬『超人薬』とは根が違うはず。

 地面に落ちた一二三は見上げた。壁面に立つであろう何かを。

「……どうなる?」

 一二三にも想像がつかない、化学反応。

 それは――

「悠長だな、どこを見ている?」

「なッ!?」

 一二三のダブル同様、新たなる力を生んだ。

 気づかぬうちに背後を取られ、切り裂かれた一二三はビルの強化ガラスをぶち破りながらもう一つ先の大通りに出る。両断され、此処まで吹き飛ばされた。明らかに先ほどまでとは根本的な出力が違う。これではもう、怪異であろう。

 吸血鬼と同じ、人間を超越してしまった。

「神が言っている。私に理想のための剣たれ、と」

 万全に近い一二三の速度域に悠々とついてくる。出力は、一気に上回られた。手足を剣とし、尻尾を用いてなお、手数は互角なのだ。

 あちらは慣れているとはいえ、剣一振りしかないにも関わらず。

「力が、溢れてくるぞ。彼女の『普通』を叶える力がッ!」

 骨が断ち切られる。再生が、追いつかない。

「く、そッ!」

 地面に手を突き、掌から大量の骨を放出する。そして、地面の下から無数の骨を生やして相手を貫く技、というよりもスペックのごり押しで距離を取る。

「それはこの前、見たよ」

 以前よりも遥かに速く、有効打すべてを断ち切り、一二三の眼前に現れたクロス。元々蒼い瞳であったが、今は眼全体が蒼く染まっていた。

「それよりも先ほどから、少し動きが遅いな」

 ぎゅん、と旋回しクロスが背後を取る。

「背中は、死角じゃねえよッ!」

 あばらを操作し、反転させて伸ばす。相手を喰らうかのような巨大な牙と化す。

「やはり、悠長」

 かわし、断ち、ほぼゼロ距離で一二三の奇襲を、捌き切る。

「こ、のォ!」

 回し蹴り、かかとには相手を断ち切るための骨の剣を備える。異常成長させ、硬度も飛躍的に高めている己が骨は、鉄をも両断するのに。

「それとも、私が速くなり過ぎたかな?」

 それを受けるどころか足ごと断ち切って、騎士は悠然と微笑んでいた。完全に、凌駕されている。力関係が、逆転してしまった。

 体を無理やり捩じり、残った足で蹴りを敢行する一二三。

 しかしそれもまたクロスに断ち切られてしまう。奇襲、奇策、トリッキーな動きがまるで通じない。それは、対怪異専門家として学び、高めた騎士としての強さ。

 あらゆる局面、相手に対応する柔軟さがなければ騎士になどなれるはず、ない。

 両足の再生、とてもではないが間に合わない。

 クロスは剣を担ぎ、静かに呼吸を整えた。何かが剣に宿る。

 先ほど受けた衝撃を、もっと練り上げた、何か。

「理想の礎と成れ。クルス・セイバー」

 それが羽佐間一二三を十字に断つ。

「あっ」

 十字に切り裂かれた一二三はビル二つほど突き抜けて吹き飛んでいった。ビルに刻まれた傷跡もまた、十字である。これが騎士を超えた騎士の強さ。

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