第9話:救い無き結果

「……見えていないはずの騎士がやられていると思えば、なるほど、そこにいたか、『スネークアイ』。悪いが断たせてもらう!」

 以前、死神と交戦していた騎士が豪速で蛇ノ目に迫る。見えているが、彼女には何か抗する術はない。ちょっとした抵抗で止まるほど、創世騎士団の騎士は甘くない。欧州にいた彼女は知っている。怪異にとっての天敵。

 極限まで鍛えた肉体に怪異の血を取り入れ、怪異と戦うための力を手に入れた戦闘集団、創世騎士団。遥か昔より連綿と受け継がれてきた対怪異への執念。

 その熱情が、蛇ノ目式を――

「させない」

 別方向から同じく凄まじい速度で割って入る影。

 漆黒の外套をはためかせ、夜闇を切り裂く、コンコルドの死神。

「また君か」

「…………」

 蛇ノ目の眼前で爆ぜる火花。身の丈ほどもある大剣と白き尾が拮抗していた。

「骨使い。該当する怪異が思い浮かばんよ。怪異スケルトンの突然変異、ではないのは刃を合わせてみればわかる。君には、肉がある。君は何者だ!?」

「……答える義務はない」

 騎士の剣に、尻尾を器用に使い対抗する死神。

「撤退しろ。下に黒木先生が迎えに来ている」

 後退と同時に蛇ノ目の耳元でささやく死神、その声色は普段と異なるが、彼女にはわかる。彼は、羽佐間一二三なのだと。

「ど、どうして?」

「今度、話そう。今は、邪魔だ」

 そしてまた、死神は騎士と衝突する。

「密談は終わったかい?」

「……」

「つれないな、私とも話そう」

 返事は指先から放たれた骨の弾丸。それを巧みにさばき、騎士は踊るように空を駆ける。ビルの屋上で繰り広げられる、怪物同士の戦い。

「この前より、少し弱っているな?」

「……貴様を討つのに支障は、ない」

「ハハ、図星だ」

 死神の骨が乱れ舞う。騎士の剣が巧みに踊る。

「君の強さは実に興味深い」

「貴様こそ、ただの騎士じゃないな」

「さて、どうかな?」

 明らかに他の騎士とは格別の戦闘能力を誇る、男が微笑んだ。

「良いのかな? 下、私の部下が間に合ってしまうみたいだが」

「その前にあの人が間に合う。何の問題もない」

「あの人?」

 騎士の感覚に、部下を妨げる何かは映っていない。

 誰かが迎えに来たのはわかるが、ただの人では何もできないはず。


     〇


 蛇ノ目がエレベーターで屋上から降りてきて、ビルから外に出た瞬間、一人の騎士がビルの外壁を駆けながら彼女の元へ向かってきていた。

 逃げようとする彼女の横を一人の男が通り過ぎる。

 煙草をくわえ、着崩したスーツに、ネクタイを緩める。飾り気のない真っ黒なスーツに身を包む冴えない男は、接近してきた騎士に向かって煙草をぷっと吹き出した。騎士はそれに意に介さず、衝突してそれは天に舞い上がる。

「ただの人間か。相当鍛えこんでいるように見えるが、それでは――」

「テメエらの理屈で語るな、三下ァ」

「えっ?」

 敵とすら認識していなかった男が、構えた瞬間、騎士の背に怪異と対峙した時と同じ怖気が走る。完全に、見立て違いだったのだ。

「貴様、拳士――」

 すれ違いざま、瞬く間の出来事であった。

 騎士の理解が追いつく前に、『拳士』黒木史崇は破壊を終えていた。人体の駆動部である関節を最小の力で破壊し、強制的に機能停止に追い込む技前。

「功夫が足りねえよ、ガキ」

 殺すことなく刹那に無力化を終える黒木。上を向いて口を開けると、舞い上がった煙草が丁度そこに回転しながら落ちてくる。それを咥え、何事もなかったように蛇ノ目へと振り返って、はたと気づく。

「俺の車、めちゃくちゃヤニ臭いけど我慢してくれや」

「あ、は、い」

「お仕事ご苦労。いい仕事だったぜ。あとは、あいつらに任せとけ」

 黒木は一瞬だけ空に目を向け、そして蛇ノ目と騎士を回収してこの場を去る。

 完璧な仕事を刹那にこなして見せたのだ。


     〇


 騎士は苦笑していた。

「……梁山泊の拳士、それも名前持ちクラスだね、あれは。部下では勝てないわけだ。私でも条件次第では敗れることもあろうに」

 創世教会、メダイ機関、あらゆる組織が世界中にある世の中であるが、ある一国だけ国際的な組織は存在しない。否、立ち入ることが出来ていなかった。

 絶対的な組織がそこに在るから。

 中国最強の武闘派集団であり、対怪異のスペシャリストたちが集う梁山泊。彼らの特徴はただの人間であること。他の組織が諦めた道をひた走り、武によって唯一無二の純人間による戦闘集団を形成していた。

 人は彼らを『拳士』と呼ぶ。

「日本人が拳士になったなど聞いたことはないが、存在する以上、詮無い事」

 広大な土地と莫大な人口から選りすぐられた純中国人の集団であるとも騎士は認識していたが、『彼』は日本人であろう。自分とは違い純正の。

 ならば、例外であるのか、特別であるのか、秘されている理由も込みでなかなか興味深い案件である。が、今はもっと優先すべき事項がある。

「まったく、ここは魔境だな」

 騎士は嘆息し、死神に全神経を集中した。

「俺は、お前を捕獲するだけで良い。それだけで、終わる」

「心外だな。今の君にそれが出来ると思われているなんて、侮られているね」

 死神は懐から牛乳を取り出す。そして、戦闘中にもかかわらず、それを飲んだ。

「……牛乳? ああ、そういうことか。くく、なるほど。本当に此処は魔境だな。しかし、いじらしいことだ。そんなもので君の怪異は癒せまいに」

 騎士の眼が怜悧に、鋭くなった。

「どうやら、私も君に負けられぬ理由が出来たようだ。至極、私的な感傷、無視してくれて構わない。だが、もう少しだけ、強くなるよ」

 速度が上がり、剣が鋭さを増す。

 騎士の眼、躊躇いなく怪異を断つ、対怪異の専門家がそこにいた。

「……っ」

 反応が間に合わず、死神の右足が切り裂かれる。

 すぐさま再生を開始するも、騎士に驚きも一欠けらほどの惑いすらなかった。逆袈裟の一撃、それが死神の背を断つ。

「なめ、るなァ!」

 その傷口から歪な形状の骨が飛び出し、騎士に襲い掛かってきた。それを断ち切り、かわしながら後退を余儀なくされる騎士であったが、その眼は冷静そのもの。

 戦いなれている。わからないものに対して。

 精神に毛ほどの乱れはない。

「薬の回収は諦めよう。根本から足がつくことも受け入れねばなるまい。だが、君は断つ。どうやら、好機であるようだからね」

 騎士は凄絶な笑みを浮かべた。

「覚悟せよ、人心乱せし、怪異の輩よ!」

 騎士の剣が変形し、十字を象る。その切っ先に生命エネルギーが宿る。

 怪異を断つための力、怪異に抗するために怪異を取り込んだ執念のひと振り。

「……ちっ」

 死神もまた体を変質させる。

 歪なる骨が、広範囲に射出される。

「そんなもので、私が倒せると!?」

 まるで存在しないとでも言うように、伸びてくるとてつもない量の骨を断ち切りながら進む騎士。鎧袖一触、こんな児戯で彼は止まらない。

「……なるほど、存外、クレバーだな」

 そんなことは彼も分かっていたのだろう。

 骨の森を抜けた先に、死神の存在はなかった。形勢悪しと見て撤退したのだ。ここで死力を尽くして自分に負けるよりも、恥を負ってでも撤退し、こちらに何も与えない冷静な判断。これで騎士たちは今宵、何も得ずに多くを失った。

 死神の首一つ取ることも出来ず。

「借りは返そう。なに、再会はそれほど遠くあるまいよ」

 そう言って騎士もまた夜闇に消える。

 短い間であったが、凄まじい戦いの痕を遺して。


     〇


 骨が砕け、肉が潰れ、変形し、心折れ、気絶した根本に腰掛け、轟乙女は迎えを待っていた。女生徒には内緒にしてくれ、と念押して帰したし、あとはこの息する肉塊を回収するだけなのだが、迎えが遅いのだ。

「ほんと、ただのクズだったぜ、花ケ前。何の理屈もねえ、信念もねえ、ただ欲望に飲まれただけの男。自分の欲望を満たしたいだけの、芯のない言葉だから誰にも響かねえ。テメエは何があっても、誰の心にも残らねえよ。通り過ぎるだけの、モブだ」

 轟はそう断言する。聞こえていないだろうが、言いたくて仕方がなかったのだ。どんな御託を並べようと、自らの欲望を解放した時点で、それはただの自慰。

 自慰に他者を巻き込んだ。命を散らせた。

 薄っぺらく、それゆえに万死に値する。

「ファ〇ク・ユー」

 遠くからサイレンの音が聞こえてきた。中指を立て、轟はそれを蹴飛ばして身を翻す。その顔は悲哀に満ちていた。せめて、美しいもののために死んだなら、多少の救いもあった。だが、彼から出てきたのは詰まらない言葉ばかり。

 救いが無さすぎる。


     〇


「くそ! 俺が負けちゃ、何の意味もねえだろうが!」

 悔し気に、吐露する死神。

 砕けていく白き髑髏の仮面。その下には苦渋に歪んだ羽佐間一二三の顔があった。

「ごめん、マリー。僕は、弱いままだ」

 胸元から銀のロザリオを取り出す一二三。それは特殊な術式により彼でも触れることが出来るようになっているが、本来、それは純銀の十字架であり、彼にとっては致命となる弱点であった。かつて彼女が肌身離さず持っていたもの。

 いつでも死ねるように、と。

「もっと、力が、要る。僕一人でも、君の夢を守れる、力が」

 弱い自分を憎みながら、羽佐間一二三もまた夜中のコンコルド・シティに溶けて、消える。次は絶対に負けない、そう胸に誓いながら。


     ○


「――えー、以上が本件のご報告になります」

 黒木の眼前には立体映像に映し出されたコンコルド・シティの代表者、市議会議員のお歴々がいた。この都市の議員は普通の議員とは異なり、シティに常駐していない者でも貢献度次第では議員に選任されることがある。

 尋常の手段では設立不可能だった都市。それゆえの歪みが今この場にある。

 権力者の魔窟であった。

 普段だらしない黒木もこのメンツを相手ではさすがに襟を正している。厳密にはメダイ機関日本支部の職員一同に手直しされただけで、気は抜けたままだが。本人はいつも通り内心「パチンコに行きてェ」としか考えていない。

「……これは、実に難しい案件だね」

「代理の犯人を仕立て上げた方が良いのではないか?」

「いち教員の人事に市長が絡んでいるわけではないが、建前としてコンコルド・シティの公務員は全て市長が選任したことになっている」

「市長の顔に泥はぬれまい」

「しかり」

(何がしかりだハゲ狸ども。この中の何人が方々に情報を横流ししてることか。まあ、知ったこっちゃねえけどな。精々頑張ってくださいや、市長殿)

 黒木は眠たそうな目をこする。実際に寝不足ではある。

「私の顔にならいくらでも泥を塗って下さって構わないですよ。そのための責任者でしょう? 責務から逃げるのであればそれこそ私がいる意味がない」

 議場の最奥、最も上座に位置する男が言葉を放つ。

「それでは根本克也の件、そのまま公表する、と?」

「ただでさえ増えない生徒数、激減しますぞ。いくら関係者で生徒数を水増ししているとはいえ、それも限界が近い。花ケ前君は残るようだが」

「…………」

 花ケ前リリスの父である男は沈黙を貫く。

「真実を語るつもりです。が、それは今じゃない。そうだろ、黒木君」

 市長の問いに黒木は面倒くさそうに挙手をした。

「あー、現在、根本克也と捕獲した騎士一人に自白剤の投与を行っております。当初は創世騎士団が絡んでいると思われていましたが、彼ら二人から別の組織が浮上してきまして、なので、ご報告前に少し突っついてみました」

「独断専行ではないかな?」

「申し訳ございません、はい」

 黒木が指を弾くと、スクリーン上に仰々しい設備が映し出された。

「組織の名は蒼の光教団。まあ、今世間を賑わせている反異種族の急先鋒、です。そして、この映像は彼らのラボラトリーになります」

 いくつかの影がぶれるのを黒木は見逃さない。

 映像越しでも、挙動は掴める。『拳士』であれば当然のこと。

「何の研究施設だ?」

「怪異、異種族の血を交えず、彼らに対抗する力を模索するための研究施設です。我らにとって馴染みの言葉で言えば、『超人薬』、でしょうか」

 ざわつく議場。さらに揺れる者、数名。

「……あの教団が、何故そこに行きつく?」

「五年前、吸血鬼クラウン・クラウンが遊興で作った組織、『フリーク・ショー』を創世騎士団、梁山泊、メダイ機関、ああ、当時は違う名でしたか。とにかく、三つの組織が協力して潰しました。多くの犠牲を払って」

「今思い出しても腹が立つ。あの道化師め」

 怪異の中でも最上位の力を持つ吸血鬼。彼らのほとんどは人とかかわりを持たない。勝手に繁殖する家畜に手を出す意味がないという思考回路であり、彼らがかかわりを持つのはそれこそ食事の時だけ。闇に紛れて、吸われた者すら気づかないのが彼らの食事である。

 下等種族に姿をさらすは恥。それが彼らの価値観。

 だが、何事にも例外というものは存在するのだ。

「その際、オリジナルの『超人』、轟乙女を我らは保護しました。当時、現場の指揮官だった轟正道元准将の庇護のもと、彼女自体はボランティア部として活動しております。しかし、彼女の研究データは漏れ出ていた」

「全て破棄したと報告を受けている」

「現場にあったデータは、です。そもそも首謀者であるクラウン・クラウンが生きている以上、情報の封鎖は不可能でしょう。あの怪物のことです、面白半分に教団へ情報を渡し、今頃はそれを肴に血を一杯ひっかけている頃でしょうか」

「……ぐぬ」

 彼を知る者であれば容易に想像がつく。例外中の例外、人と積極的にかかわり、好き放題荒らし回る吸血鬼が『道化王』クラウン・クラウン。

 吸血鬼内の序列は二十八位と言われている。

 総勢千鬼近くいるとされる吸血種の中での二桁前半と上位の怪物である。

「話を戻します。出所は何処であれ、蒼の光教団が薬を製造し、実際に使って異種族に手を出した。これは、使えるネタだと思いませんか?」

「……なるほど。教員、根本克也を裁くのではなく」

「教団員の奴を裁くのであれば、我らは騙された被害者、教団に全てを擦り付け、遺憾の言葉でも述べていればいい、か。悪くない落としどころでは?」

 議場の流れが変じる。ここで無理やり堰き止めようとする下手くそはこの場に存在しない。自らが関与していると言っているようなもの。

 黒木らが先手を打った時点でこの場は――

「ならば黒木君。君たちの期限を延長しよう。速やかに教団を調査、必要であれば実力行使も辞さず、彼らに不利な情報を集めてくれ。その結果如何によって我らのスタンスを決めましょう。さあ、大掃除と行きましょうか」

 市長サイドが勝っていたのだ。

 全て、メダイ機関日本支部、支部長と市長を兼務する男の掌の上。

(全員狸だ。ったく、あー、くそ、またパチンコが遠のく)

 同時に黒木の休暇が遠のくことも、とうの昔に決まっていたのだった。

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