[6] 既視感

 三月二十八日の黄昏時――ペトルグルージュ区のクイントバーンという町の歓楽街を居心地悪そうに歩いている者がいた。


 ペトルグルージュ区はウォール・ツヴァイ内の北東に位置し、国内最大の歓楽街を有する区だ。


 クイントバーンはペトルグルージュ区内で最も大きな町であり、区内の行政の中心で、区内最大の人口を誇る。国内最大の歓楽街を有するこの町は、夜になると人々が活気に溢れ賑わうのが特徴だ。


(場違いがすぎる……)


 黄昏時になり徐々に活動的になっている歓楽街を肩身が狭そうに歩く者は、余計なトラブルに巻き込まれない為に、行き違う人々と目線を合わせないように気をつけながら定まらない焦点で目的地へと向かっていた。


 慣れない場の雰囲気に場違い感が拭えず、一刻も早くこの場かた立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。


「――そこの君、これからどう?」


 まだ肌寒い季節にもかかわらず、露出の多い身形をしている街娼と思われる女性に声を掛けられる。


「――!? い、いえ、結構です」


 顔を赤らめて視線を逸らしながら断りを入れ、歩くペースを上げて逃げるように去っていく。

 女性慣れしていない初心な印象が窺える。


 夜の街とも言われるクイントバーンは欲望渦巻く場所だ。

 歓楽街を外れれば住宅街なども広がっているが、町の外からも多くの人が足を運ぶ歓楽街が何よりも目玉であり、強烈な存在感を放っている。


 居酒屋、バー、娼館、カジノ、はたまたどのようなコンセプトなのかわからない店など、様々な店舗が乱立している。


「――レアル・イングルスだな」


 店舗の照明や街灯が徐々に点灯し始めて街をいろどっていく中、娼館を通り過ぎたところで店舗脇の路地から突然声を掛けられる。れた男の声であった。


 声のした方に視線を向けると、そこには浮浪者のような身形をした男がいた。

 視線の先にいる男に無言のまま頷いて肯定する。


「ついて来い」


 男は間髪入れずにそう言うと、路地裏に消えていった。

 レアルは慌てて後を追い掛ける。

 路地裏の入り組んだ細い道を足早に進んでいくと、一層薄暗くて人目につかなくなっていく。

 歓楽街に足を踏み入れた時から不安でいっぱいだったレアルは、より一層不安と緊張で動悸が激しくなる。


 レアルにはとても長い時間に感じ、どこまでついて行けばいいのか、と思った時、前を歩く男が突然立ち止まった。


「これを」


 男が懐から封筒を取り出してレアルに手渡す。


「確認したら焼却するように」


 レアルは男の言葉に頷くと封を開け、中から一枚の便箋を取り出した。

 そして便箋に目を通す。


「……!?」


 記されていた内容に目を見張る。


「これは命令書だよね……?」


 平静を装いつつも内心は動揺が占めていた。


「知らん。俺は金を貰った見返りに人目のつかない場所でそれをお前に渡すよう言われただけだ」


 目の前にいる浮浪者は報酬として金を前払いで受け取り、その代わりに命令書を手渡すように命令されていただけだ。なので、事情は全く理解していない。面倒事に巻き込まれるのは御免なので、命令書には一切目を通していなかった。

 事前に知らされていたのはレアル・イングルスという名前と外見的特徴だけである。


 わざわざこんな場所にレアルを呼び出して浮浪者に命令書を渡させるように細工したのは、万が一を考慮してのことだろう。

 クイントバーンの歓楽街に巣食う浮浪者なら命令を出した者への足がつきにくいし、もしもの時は簡単に消せる。

 欲望渦巻き、善悪が混在する場所だからこそ、後ろ暗いことをするのにはうってつけであった。


 浮浪者の返答を耳にしたレアルは一度深呼吸をすると、再び命令書に目を通す。


(本当に僕がこれを……? こんなことが許されると?)


 自分に下された命令に葛藤する。

 眉間に皺を寄せながら考え込むが、考えれば考えるほど気が沈む。現実逃避したい気分だった。

 彼の気が沈んでいくのを表しているかのように日も沈んでいき、夜が深くなっていく。


(くっ、でも僕がやらないと……!!)


 レアルは考えれば考えるほど良心が痛んだ。

 歯を食いしばり葛藤する姿が痛々しいが、この場に彼を心配する者はいない。


 都合良く使われている事実だけでも勘弁願いたいのが彼の本音だ。

 その上、自身に下された不本意な命令を実行しろと言われれば全く気が進まない。

 そもそも良心的にも道徳的にも許されることではないので、ただただ嫌悪感が募るばかりだった。


(……駄目だ。一度帰って落ち着こう)


 とにかく一度冷静になる為にも落ち着ける場所に行きたかった。

 それも仕方がないだろう。彼は一般的な感性を持つ若人わこうどだ。

 嫌悪感でいっぱいな胸の内に蓋をしてでも実行に移さなくてはならない理由が彼にはある。覚悟を決めなくてはならない。その為の時間が必要だった。


 一層歯を食いしばったレアルは、命令書を焼却せずに異空間収納アイテム・ボックスにしまうと、逃げるように脇目も振らずに駆け出した。


 ◇ ◇ ◇


 三月二十九日――ネーフィス区のレイトナイトにはシズカ、レベッカ、ビアンカの姿があった。


 レイトナイトはネーフィス区の中心から南西方面のウォール・ツヴァイ寄りに位置する町だ。

 レイトナイトはあまり大きい町ではない。小さい町でもないが、長閑のどかさがあり地元民同士の距離感が近い印象を受ける。


 半木骨造の建築物が多く建ち並んでいる中、中心部から少し逸れた場所には一際広大な敷地を囲っている塀と、その内側にある東方式の寝殿造の建物が存在感を放っていた。

 広大な敷地の中には家主一族が暮らす住宅の他に、門下生が暮らす建物や道場、蔵に池などいくつもの施設がある。


 広大な敷地を有する土地の主はシノノメ家だ。

 地元の人々から慕われ、レイトナイトの顔とも言える存在になっている。


 東方から逃れてきた一族の末裔の中でも特に力のあった一族は、祖先が建てた立派な寝殿造の住宅で暮らしている者が多い。

 正にシノノメ家がそれに当てはまる。


 今回レベッカは幼馴染のビアンカと共にシズカの実家に遊びに来ていた。

 初めてシノノメ家を訪れた際は、想像以上に立派な邸宅に度肝抜かれたほどだ。


 そして現在は三人連れ立って街中を散策しているところであった。


 シズカは半端丈で足首が見え、華奢な印象で女性らしさを演出でき、スリムシルエットとセンターシームですっきりしている黒のクロップドパンツを穿いている。

 また、白のブラウスはタックインすることで、より一層美脚が映えるスタイルだ。

 清楚さとラフさを上手く融合させている。

 

 レベッカはデニム素材のショートパンツに、青、黄、黒、白の四色がいろどっていて大人な雰囲気を演出してくれるVネックシャツを合わせている。

 ダメージの入ったショートパンツと合わせることで、ほどよくカジュアルに見せることができている。

 ショートパンツから覗く美脚と、胸元が開いているVネックシャツからあわらになっている豊満な胸が視線を釘付けにしており魅力的だ。


 ビアンカはボディラインを強調するようなベージュのタイトなタートルネックのニットワンピースを着ており、丈の短いスリムなワンピースがフェミニンな印象を演出している。

 黒のロングブーツを履いて、太股は露出している。

 可愛らしさと色っぽさが魅力を引き立て、蠱惑的こわくてきで男性の心を掴んで放さない妖艶さがあった。


 この国は北に行けば行くほど寒くなり、南へ行けば行くほど暑くなる。

 レイトナイトは南寄りの町だ。

 現在、北方はまだ寒さが残っているが、レイトナイトは比較的過ごしやすい気候の時季である。なので、三人の服装でも問題なく過ごすことができていた。


 三人が連れ立って歩いていると場が華やかになり、男女問わず視線が集まってくる。

 

「レアルくん来られなくて残念だねぇ」

「そうね。少しでも休めているといいのだけれど」


 石畳の道を歩いている中、レベッカが残念そうに呟く。

 隣を歩くシズカが頷き、心配する言葉を漏らす。


 元々レベッカはレアルのことを誘っていた。

 本人は都合がつけば検討すると口にしていたが、生憎と外せない所用が入ってしまい断念している。


「せめて何かお土産でも渡してあげるといいよ~」


 来られなかった代わりに、何か労いになるお土産を贈るといいとビアンカが提案する。

 その提案にレベッカとシズカが頷く。


「何が良いかな~」


 レベッカが頬に手を当てて考え込む。


「この辺りの名産となると、食べ物ならうなぎ、工芸品なら焼き物ね」


 シズカがレイトナイト周辺の名産を挙げる。


 レイトナイト周辺には水質の綺麗な川がいくつも流れており、活きが良く栄養価の高い新鮮なうなぎが手に入る。

 周辺には鰻を使った名物が多々あり、近くを訪れた者なら必ずと言っていいほど食べていく代物だ。むしろうなぎを食べる為だけに来る者もいる。


 レイトナイトはシノノメ家が居を構えているだけあり、共に東方から逃れてきた東方人が多く根付いている。

 その中には代々焼き物を生業なりわいにしている一族もいた。その一族の名はイスルギ家という。


 イスルギ家が作った焼き物は現在では名産になるほど価値の高い物となり、イスルギ家及び暖簾のれん分けした者が作った焼き物はイスルギ焼きという銘柄で親しまれている。


うなぎは厳しいだろうし、焼き物がいいかな?」

「彼のイメージには合わないわね」

「ジルくんには合いそう」

「彼、雰囲気が落ち着いているものね」


 レベッカの言う通りうなぎは厳しいかもしれない。

 異空間収納アイテム・ボックスに収納しておけば品質を保てるとはいえ、感情的になまものは受けつけないだろう。そもそも調理が難しいので現実的ではない。

 加工品ならば問題ないかもしれないが、食べ物である以上は好き嫌いが存在する。好みを完全に把握していないのなら食べ物は避けた方が無難だろう。


 その点、焼き物なら問題はない。

 問題があるとすればレアルに送るのに相応しい焼き物があるのかということだ。

 なので、レベッカはシズカの指摘に頷くしかなかった。


 落ち着いた雰囲気を纏っているジルヴェスターには合うかもしれないと二人は思ったが、彼の場合は東方人の文化や歴史を調べる為の研究材料にしてしまうのではないか? という懸念が湧いてきて一抹の不安を覚えた。


「まあ、二人以外のみんなのお土産も用意しないとだし、ゆっくり考えようよ」


 後輩二人の会話を聞いていたビアンカが口を挟む。


 確かにジルヴェスターとレアルの分だけではない。

 ステラやオリヴィア、イザベラにリリアナなど他にもお土産を用意する対象はいる。クラスメイトの分だってある。

 もちろんビアンカも友人に渡すお土産を用意するつもりだ。


「レベッカはジルくんのことで頭がいっぱいかな?」

「――そ、そんなことないし……!」


 ビアンカの揶揄からかいにレベッカはどもりながら否定する。

 髪の隙間から見える耳が赤くなっているのがかわいらしい。


「ま、まあ……ちょっとだけ気合が入っているのは否定しないけど……」


 レベッカは二人には聞こえないほど小さな声量でポツリと呟く。


 実は他の人に渡すお土産よりも、ジルヴェスターに送る物だけはより厳選するつもりでいた。

 少しでも喜んでほしいと健気にも思っていたのだ。


「――と、とにかく!」


 恥ずかしさから逃れる為に話題転換しようと力の籠った声を発する。


「レアルくんは少しでもゆっくり過ごせていたらいいなって話だよ!」

「そうだね~」

「ふふ、そうね」


 ビアンカは慣れたものと軽く受け流し、シズカは微笑ましげに表情を緩める。


「――それじゃ、少しお店を見て回りましょうか」


 シズカが案内を買って出ていくつもの店を覗いて行くことになった。


 しかし三人の想いもむなしく、レアルは心身共に追い詰められていた。


 ◇ ◇ ◇


 この日、ジルヴェスターはフェルディナンドに貰った標的にされる可能性のある者のリストを参考に見回りに赴いていた。

 彼だけではなく、レイチェルやミハエルも見回りを行っている。


 現在ジルヴェスターはネーフィス区の第一の町であるリンドレイクにいた。

 レイチェルはプリム区、ミハエルはペトルグルージュ区にいる。ミハエルが率いる部隊の隊員も各地に散って見回りをしている。


 暗殺を未然に防ぐ為の労力は惜しまない。

 だが、政治家が暗殺されていることはおおやけにされておらず、魔法師であっても一部の者にしか情報をもたらされていない。

 混乱を避ける為に、確実に信用できる者にしか情報を流せないからだ。なので、割ける人員にも限りがあるのが辛いところである。


 ジルヴェスターやレイチェルたちが各地で見回りを行っているが、確実に犯人が姿を現すとは限らない。

 無駄足になる可能性もあるが、無駄になるに越したことはない。被害者が生まれなかったということなのだから。


 今日のジルヴェスターは特級魔法師の証である席次が記されているコートを羽織っている。

 魔法師の身分を証明する為の物なので、魔法師として活動する際はコートを羽織らずに私有地以外で魔法を行使することは認められていない。特級魔法師にとっては必須アイテムだ。特級魔法師以外の魔法師は記章を身に付ける決まりとなっている。


 コートの左腕の部分には一の字が入った腕章が縫い付けられており、背中には大きく一の字が刻まれている。

 大変目立つ身形だが、ジルヴェスターは人目に付かないように心掛けて行動していた。

 まるでアサシンと見紛うような隠形ぶりだ。


 暗殺対象になり得る者が住んでいる自宅が目視可能な、五十メートルほど離れた場所にある建物の上にジルヴェスターはいた。彼が見守っている暗殺対象になり得る人物はマーカス・ベインだ。


 ベインの自宅は一般的な邸宅だった。フェルディナンドの腹心に相応しく豪奢な暮らしを好まないタイプらしい。

 自宅の周囲を塀が囲っているということもなく、玄関は路地に面している。

 煉瓦造りの邸宅は一家族が暮らすには充分な広さだ。部屋を持て余したりするような広すぎる邸宅ではない。必要最低限といった印象だ。

 フェルディナンドの話では、質素倹約というほどではないが、普段から特別な日以外は贅沢をしない性分なのだそうだ。


 ジルヴェスターは現在、光学迷彩オプティカル・カムフラージュ消音の包容サイレント・インクルージョンの二つの魔法を用いて存在感を消している。


 光学的に術者自身を透明化する事ができる支援魔法――光学迷彩オプティカル・カムフラージュで姿を消し、指定範囲の音を消すことができる妨害魔法――消音の包容サイレント・インクルージョンで自身が発する音を消して完璧な隠形をこなしていた。


 ――『消音の包容サイレント・インクルージョン』は音属性の第三位階魔法であり、指定範囲の音を消す妨害魔法だ。範囲を広げるほど魔力を消費する。


 二種類の魔法を寸分の狂いもなく常時行使し続ける腕前はさすがだ。

 未熟な者ならば複数の魔法を同時に行使することすらできない。

 ジルヴェスターは片手間にやってのけているが、複数の魔法を同時に行使するのは高等テクニックだ。決して容易ではない。

 

 ベインの自宅を見つめていると、周囲を何度も行ったり来たりしている者がいることに気づく。

 自宅内の様子を窺うような仕草をする姿は如何いかにも怪しい。人目につく行動は明らかに不自然だ。


(素人か……?)


 不慣れな感じが犇々ひしひしと伝わって来るほど、くだんの人物の迂闊な行動には疑問が浮かぶ。まるで暗殺などとは無縁な素人なのかと疑うほどだ。


 しかし素人を装う意味などない。もしかしたら本当に素人なのかもしれないとジルヴェスターは思ったが、頭を振って考えを改める。

 油断していいことなど何一つとしてない。常に最悪を想定しておくべきだ。


 いくら怪しいとはいえ、その理由だけで拘束することはできない。

 当人が行動を起こすまで待つ必要がある。現行犯で捕らえるのが最も理想だ。もちろん未然に防いだ上でだ。


 その後、数分間怪しい人物の姿を眺めていたが、何もせずに退散してしまう。


(下見か?)


 もしかしたら今この時に暗殺に乗り出すのではなく、下見に赴いただけなのかもしれない。

 事前準備は重要だ。その辺は抜かりなくこなしているのだと思われる。――それにしては素人感丸出しであったが。


(そもそも全く関係ない可能性もあるが……)


 単に怪しいだけで、暗殺者とは全く関係ない人物の可能性もある。

 建築物マニアで気になった邸宅を見学していただけという線や、留守を狙った空き巣の線など、くだんの人物の正体についてはいくつもの可能性が考えられる。

 故に暗殺者と決めつけるのは時期尚早だ。


 ベインから目を離すわけにはいかないので追跡することはできない。

 いざ実行に移した時に阻止すればいいと割り切り、くだんの人物から視線を逸らす。


 暗殺される可能性のある者は他にもいる。全く別の場所で別の人物が暗殺されている可能性もある。

 別の場所で見回りしている者から連絡が来るかもしれない。

 今はただ待つのみだ。


 ◇ ◇ ◇


 二日後、ジルヴェスターは再びリンドレイクにいた。

 見回りを開始して三日目だ。もちろん途中で見回りを交代してもらっているので、しっかりと休憩を挟んでいる。

 二日前と同じ場所から暗殺対象になり得る人物の自宅を見張り様子を窺う。


 暗殺を実行するなら人目につきにくい夜が相応しいだろう。

 ジルヴェスターも日が沈んでからが勝負だと思っていた。

 しかし――


(奴は――)


 ジルヴェスターの視線の先には二日前と同じ格好の例の人物がいた。

 マントを羽織り、頭にフードを被せている。

 距離があるのでわかりにくいが、目元から下も布を被せて隠していると思われる。


(当たりか……?)


 二日前にも目撃した怪しい人物がベインの自宅の脇で立ち止まり、様子を窺うように見据えている。

 暗殺者の可能性が格段に上がった。

 少なくとも建築物マニアの線はなくなっただろう。空き巣の線は拭えないが、仮にそうであっても侵入したら捕らえるので問題はない。犯罪者だ。躊躇う必要など一切ない。


 ジルヴェスターは光学迷彩オプティカル・カムフラージュ消音の包容サイレント・インクルージョンを行使したままくだんの人物に近付いていく。

 数戸の建物を屋根伝いに飛び移っていき、くだんの人物の背後に位置する建物の屋根へと移動した。

 そして見下ろすように眼下へ視線を向ける。


 怪しい人物は眼前の邸宅を見上げたまま動こうとしない。

 ジルヴェスターはそのまま数分の間監視を続けることになった。

 右脚から小さく一歩踏み出すが、すぐに足を引いて立ち止まるのを何度も繰り返している。


(やはり素人か……?)


 ジルヴェスターは首を傾げる。

 確かに様子を観察する限りでは素人感が強い。迂闊な下見の仕方、煮え切らない態度。そのような様子を見て疑念が増々確信に変わっていく。


 その時、くだんの人物は葛藤を振り払うかのように突然頭を振った後、周囲の様子を探るように視線を彷徨わせる。そして人目がないのを確認し終わると、忽然こつぜんと姿を消した。

 突如姿を消したが、ジルヴェスターのはしっかりと捉えていた。

 ジルヴェスターと同じように光学迷彩オプティカル・カムフラージュで姿を消したのだ。


(あれは……)


 眼下で魔法を行使したのをていたジルヴェスターは違和感を抱いた。

 魔法の質に既視感を覚えたのだ。


 魔法の質は魔法師毎に異なる。

 所謂、癖というやつだ。


 どのように術式を解釈しているか、MACへの魔力の流し方、純粋な技量などによって魔法行使時に各々特徴が出る。

 とはいえ、普通は魔法行使の際に出る各人の特徴などわからない。

 行使者のことを熟知していて、魔法や術式に対する造詣ぞうけいが深く、尚且つ観察眼にも優れている極一部の者にしか見極めることは不可能な芸当だ。


 だが、ジルヴェスターには魔眼がある。

 彼は魔法や術式に対する知識があり、観察眼もある。そして彼の瞳に宿る魔眼が有する術式を読み取る能力、魔力そのものを視認するという能力。これらが合わされば魔法師の癖を見抜くなど容易いことだ。


 そのジルヴェスターが既視感を抱いた。

 つまり、眼下にいる人物は既知の者の可能性があるということだ。


 ジルヴェスターは一先ず考えるのをやめて目の前の人物の行動に意識を傾ける。


 怪しい人物は姿を消しているので一般人には視認できないが、ジルヴェスターにははっきりとている。

 だが、姿形をはっきりと視認しているわけではない。あくまでも人型の魔力が動いているようにているだけだ。


 いずれにしろ魔力を使って光学迷彩オプティカル・カムフラージュを行使している以上、ジルヴェスターの魔眼から逃れることはできない。


 謎の人物が姿を消した数秒後に邸宅の扉が開かれた。

 扉の先からマーカス・ベインが姿を現す。怪しい人物は家人が外出するのを察して姿を消したのだろう。


 扉を開けたマーカスは一度振り返った。

 ジルヴェスターは距離があるのではっきりとは聞き取れないが、どうやらベインは奥方に見送られているようだ。

 そして奥方と一言二言言葉を交わしたマーカスは自宅を後にした。


 マーカスには見えていないからか、怪しい人物の方へと歩み進めている。

 姿を消している人物は路地の端へと移動しており、マーカスは横を通り過ぎていく。


 二人の距離が五メートルほど離れると、怪しい人物は尾行を開始した。

 距離感を保ったまま尾行を続ける様子をジルヴェスターは頭上から確認していた。


(確定か)


 ジルヴェスターの疑念は確信に変わっていた。

 暗殺者か空き巣の線があったが、こそ泥ならマーカスのことを尾行したりなどしないだろう。

 ベインを襲い金品を奪うという線もあるが、それならベインを狙うよりも自宅に侵入する方がリスクが低い。


 魔法を抜きにしたらの話だが、身体的な能力上、大人の男よりも女性の方が対峙する際のハードルが低い。

 つまり、空き巣ならベインから金品を奪うよりも、自宅に侵入した方が効率がいいのだ。しかもマーカスは中級二等魔法師だ。彼が不在の隙に盗みを働くのが賢い判断だろう。


 これらの状況から察するに、怪しい人物の正体は空き巣ではなく暗殺者の可能性が格段に上がった。


 確信を得たジルヴェスターは二人の後を追跡する。

 マーカスが向かっている先は中心部の方だ。住宅街と中心部の間には鉄道の駅がある。

 フェルディナンドの情報では、マーカスは休日のはずだ。

 仕事なら中央政庁のあるセントラル区に向かう為に駅を目指すだろうが、休日なので判断が難しい。


 ベインはスーツを着用しているわけではないので、やはり仕事の線は消していいだろう。

 遠出するとも思えないラフな服装だ。ポロシャツの上にジャケットを羽織り、スラックスを穿いている。

 推測するに中心部まで買い物に出向いているというところであろうか。


 住宅街を歩いていたが、途中で若葉が芽吹く春の新緑が揺らめく木々が並ぶ公園を通過する。

 中心部へ赴くなら公園を通過する必要はない。近道にはなるのかもしれないが、それは地元民にしかわからないことだ。


 そして都合の悪いことに今日は人気ひとけがなかった。

 木々が視界を遮っているので周囲からの視線が届きにくく、住宅街のように建物が密集しているわけでもないので多少の音なら発しても問題はない。

 暗殺者にとっては好都合な環境だろう。


 公園の中心辺りまで進んでいくと、好機とみた暗殺者がマーカスとの距離を詰める。なるべく音を立てないように気をつけている。


 暗殺者が姿を消したままマーカスの背後に近寄ると、マントの内に隠したダガーを取り出して右腕を振り上げた!


 その時にマントをひるがえす音が鳴った。

 背後から音が聞こえたマーカスは驚きながら振り返ろうとするが、自衛する為にはタイミング的に間に合わない。


 だが、当然ジルヴェスターがただ傍観しているわけがない。

 二人に気づかれないようにそばまで近寄っていたジルヴェスターは、暗殺者が振り上げた右腕を自分の右手で掴んで止めた。


「――!?」


 暗殺者は突然自分の右腕を掴まれたことに驚き、小さく声を漏らす。

 そして不覚にも行使していた光学迷彩オプティカル・カムフラージュを解いてしまった。


「――何者だ!」


 突然背後に現れたにもかかわらず、自分が置かれている状況を瞬時に把握したマーカスはバックステップを踏んで距離を取り、戦闘態勢を整えた。

 魔法師として一線を退いていても、状況を瞬時に理解して冷静な判断を下せるのはさすがだ。


「……」


 右腕を掴まれて身動きできない暗殺者は押し黙るしかなかった。


 対して、ジルヴェスターは自ら光学迷彩オプティカル・カムフラージュ消音の包容サイレント・インクルージョンの行使を止めて姿を現す。


「――!!」


 暗殺者は姿を消した誰かが自分の右腕を掴んでいることは把握していた。

 しかし、目と鼻の先に姿を現した人物の顔を見て大いに動揺した。顔は隠れているが驚愕しているのだろうと容易に判別できるほどだ。

 ポーカーフェイスを保てないところも素人感丸出しである。


「貴方は……!」


 突如姿を現したジルヴェスターの存在に驚きながらも、自分のことを守ってくれたのだとマーカスは瞬時に判断した。

 だが、目の前の人物が羽織っているコートを見て、誰なのかを察したベインは失礼があってはならないと居住まいを正す。


「ここは俺が引き受ける。詳しい話はじじい――七賢人のフェルディナンドに訊いてくれ」

「はっ!」


 自分の呟きに答えるように返ってきたジルヴェスターの言葉に、マーカスは敬礼をして走り去っていく。

 詳しい話を追及することなく、ジルヴェスターの言葉に恭順するマーカスは終始冷静であった。


 マーカスは自分がこの場にいたら足手纏いになるということを理解していた。

 理解していても中々素直に応じられることでない。

 その点、マーカスは感情に作用されることなく、冷静に状況を判断できる大人であった。


 また、昨今自身が尊敬するフェルディナンドの腹心が立て続けに不審死していることを把握しており、それで今回は自分が狙われたのだろうと察していた。

 故に状況説明を求めることもなく、邪魔にならないように避難する選択を迷わず選んだ。

 それだけ特級魔法師第一席の肩書が他者に影響を与えるという証左でもある。


 自分たちの話し声が届かなくなる距離までマーカスが離れたのを確認したところで、ジルヴェスターが口を開く。


「――大変そうだな、レアル」

「――!?」


 ジルヴェスターが口にした言葉に暗殺者――レアルは一層驚きと動揺をあらわにする。

 ただでさえ自分の右腕を掴んでいるジルヴェスターの存在に動揺していたレアルは、自分の正体が見破られているという事実に焦りと困惑が合わさり、頭の中が真っ白になっていた。


 ジルヴェスターはレアルが魔法を行使した際の既視感と、身体を動かす際の所作、そして体格から暗殺者の正体はレアルではないかと当たりをつけていた。

 もちろん確証はなかったが、右腕を掴む為に近付いたら確証を得た。


 本来ならば、わざわざ近付いて右腕を掴むことなどせずに、魔法を使って対処すればいいことだ。

 だが、正体がレアルではないかと疑念を抱いていたので魔法を使わなかった。


 ジルヴェスターが知っているレアルなら暗殺などするわけがないと思ったからだ。

 やむを得ない状況に追い詰められているのではないか? 以前、体調が悪いにも拘わらず無理して壁外に赴いていた理由にも繋がるのではないか? と考えた。


 以上の理由により、レアルを傷つけずに止める選択を下した。


 そしてレアルが右腕を掴まれたまま抵抗しなかったのは、相手がジルヴェスターだったからだ。動揺していたのもあるが、単純に友人に危害を加えることができなかったからだ。


 レアルは真面目で誠実な人間だ。仮に自分が不利な状況になるとわかっていても、友人に危害を加えることなどできないだろう。


「すまんな」


 そう一言詫びを入れたジルヴェスターは、レアルが動揺した隙を見逃さずに魔法を行使する。

 左手首に装着している腕輪型の汎用型MACが光り、時間差を感じられないほどの速度で魔法が発動された。

 結果、眼前にいたレアルの姿が消失した。

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