[3] 不審死

 レアルが母と楽しく談笑している頃、ジルヴェスターはフェルディナンドに呼ばれて邸宅に赴いていた。

 フェルディナンドの執務室に備え付けられているソファに腰掛けている。


「それで本題は何だ?」


 ジルヴェスターがフェルディナンドに尋ねる。

 二人は世間話に興じていたが、そんなことの為にわざわざフェルディナンドが自分を呼ぶわけがないと思っていた。


「うむ。そろそろ本題に入ろうか」


 一度頷くとより一層真面目な表情に切り替える。

 海千山千で老練のフェルディナンドが表情を引き締めると、場の雰囲気をも変質させる異様さがある。慣れない者なら萎縮してしまうだろう。


「実はな、昨今有能な政治家が立て続けに亡くなっておる」

「みたいだな」


 偶然にも身近な人が連日亡くなってしまうことはある。病死、事故死、戦死など死因は様々あれど、不幸が重なることはあるものだ。

 政府は情報規制をしており、政治家が連日亡くなっているのは公にはなっていない。だが、ジルヴェスターの耳には届いていた。


「うむ。偶然ならば致し方ないが、どうやら暗殺の線が濃厚でな」

「それは確かか?」

「確証はない。だが、亡くなった者の遺体と現場を検分した結果、不自然な点が見つかった」

「不自然な点?」

「ああ」


 不自然なものとして挙げられた点をフェルディナンドは説明していく。


 元々持病を抱えていたわけでもないのに急死した者。

 三十代で健常者にもかかわらず病死として処理された者。

 巧妙に隠蔽しているが、争ったと思われる痕跡が残されていること。

 極めつけは、亡くなったのは揃ってフェルディナンドが目を掛けていた者たちであったことだ。


「要するに、まともな政治家が揃って処理されたわけか」

「誠に遺憾だがそうなるな」


 フェルディナンドが目を掛けている政治家は有能で清廉な者たちだ。彼等が揃って突然死しているのを偶然と処理するのは無理があった。

 何より、このまま見過ごしていては腐敗した者ばかりが政府中枢を占めることになる。それは到底許容できないことだ。


じじいが疎まれているんじゃないのか?」

「……」


 ジルヴェスターの言い様にフェルディナンドが押し黙る。


「耳の痛い指摘だな……」


 腕を組んで眉間に皺を寄せ、難しい表情をしながら絞り出した言葉は重々しかった。


 フェルディナンドが目の上のたん瘤だが、地位、権力、影響力、人脈、人望、そして魔法師としての実力を加味して、直接本人に手を出すことはできないと判断し、ならば周りから崩していけばいいと考える者がいたとしてもなんら不思議ではない。


 故に、もとを辿ればフェルディナンドが原因なのではないかとジルヴェスターは端的に指摘したのだ。そしてフェルディナンド本人も自覚があるだけに否定しがたかった。


「それで俺に対応をしろということか」

「単刀直入に言うとそうなる」

「だよな」


 フェルディナンドがジルヴェスターを呼んだ理由は、連日の不審死に対する対応を頼む為であった。


じじいの頼みだ。可能な限り尽くしてみよう」

「すまんな。助かる」


 ジルヴェスターとしてはフェルディナンドの頼みを断るつもりはなかった。

 フェルディナンドには普段から世話になっている。無理難題でもなければ断る理由はない。


 フェルディナンドはしっかりと頭を下げて感謝を告げる。

 親しき中にも礼儀ありだ。


「目星はついているのか?」

「いや、情けないことだが現状は何もわかっておらん」

「そうか……」


 少しでも手掛かりはないものかと尋ねてみたが、結果は空振りだ。思わずジルヴェスターは肩を竦める。


「だが、じじいの目を欺けるということは、相応の手練れが関与しているということだな」

「うむ。儂が耄碌もうろくしていなければだがな」


 フェルディナンドは政治家としてはもちろん、魔法師としても優秀で階級は上級一等魔法師だ。場数の豊富さと実績は申し分ない。

 そんな彼の目を欺くことができる者が関与している可能性があるとわかるだけでも収穫だろう。


「遺体には目立った外傷はなかったのか?」

「それは見当たらなかった。故に病死と判断された」

「なるほど。ということは精神系の魔法を用いた可能性が高いか」

「おそらくな。少なくとも表面に影響を及ぼすたぐいすべではないだろう」


 死因が人為的なものだとすれば、表面上に影響が表れない手段を用いたと推測できる。

 真っ先に思い浮かぶのは精神系の魔法だ。精神系の魔法は直接精神に影響を及ぼす為、外傷は生じない。


「いずれにしろ、一度現場をこの目で確認しないことにはなんとも言えんな」

「そうだな。それは手を回しておこう」


 問題の現場を自分の目で確認しないことには何も判断できないが、出先で亡くなったのならばともかく、自宅で亡くなった者の場合は勝手に押し入るのは憚れる。


「それと今後標的にされる可能性がある者のリストをくれ」

「承知した。すぐに用意する」


 既に亡くなった者の死因を調査することも重要だが、最も優先しなくてはならないのは今後狙われるであろう人物を守ることだ。ことが起こってから対処するよりも、未然に防ぐことが肝要だ。その為には事前に標的にされる可能性のある者を把握しておく必要がある。


「しばし待て」


 フェルディナンドはジルヴェスターの要望通りにリストの作成に取り掛かる。


 ジルヴェスターはリストの作成が終わるまで待機することになり、テーブルに置かれたカップを手に取りコーヒーを啜る。

 その後もリストの作成が終わるまでの間、ソファで寛ぐことになった。


 ◇ ◇ ◇


 母と談笑していたレアルは、家主が帰宅したので執務室に出向いていた。

 執務室には一目で富をつぎ込んだとわかる装飾品が設置されており、絵画やオブジェなどが一際存在感を放っている。

 

「遅かったな」

「申し訳ありません」


 執務室のデスクに腰掛けている壮年の男性が冷めた目で出迎えると、対面にいるレアルは頭を下げたまま微動だにしない。


 壮年の男は特筆すべき特徴のない男であった。大勢の中にいると埋没してしまいそうな印象を受ける。


「それで成果はどうだ?」

「ご満足頂けるかと。倉庫に運んでおきましたので後程ご確認ください」

「そうか」


 レアルの帰還が遅れた理由には然程も興味がないようだ。自分が命じていた件の成果にしか興味を示していない。


(あれで足りないと言われたらさすがに文句の一つでも言ってやる)


 レアルは能面を貼り付けたかのような、全く感情の籠っていない表情で頭を下げたまま悪態をつく。


(こっちは死にかけたんだ……)


 レアルは対面に座す男の命で魔晶石を集めていた。

 壁外に赴き魔物を討伐して魔晶石を回収する。最も効率良く一般的な手段で掻き集めた。


 その際に疲労と寝不足が原因で意識を失うという失態を犯し、運良くジルヴェスターが近くを通らなければ今頃魔物の胃の中にいたはずだ。


 集めさせた魔晶石をどうするのかは知らないが、おそらく金儲けにでも使うのだろうとレアルは勝手に思っていた。


(来る日も来る日もこき使われて……いい加減にしてくれ……)


 連日休む間がないほど働かされているレアルは疲労困憊だった。


「お前にはまたやってもらうことがある」


 だが、そんなレアルの状態など微塵も気に掛けていない男が次の仕事を命じようとしている。


(嘘でしょ……)


 レアルは顔だけ上げて男の方を向いたが、内心は愕然としていた。少しは労われよと。


「詳細が決まり次第動いてもらう。それまでは好きに過ごしていろ」

「……承知致しました」


 予想外の言葉に返事が一拍遅れてしまった。


(良かった……少しは休める時間あるかな)


 レアルは心底安堵した。

 まさか次の仕事までの空いた時間を自由に過ごさせてもらえるとは思っていなかったからだ。


 ここ最近は信じられない量の仕事を命じられて多忙な日々を送っていたが、普段はこんな毎日のようにこき使われているわけではない。

 連日の多忙さに感覚が麻痺しているが、今まではちゃんと休める日があった。なので、今回自由な時間を与えられたのは特別珍しいことではない。たまたま最近が異常だっただけだ。


「下がっていいぞ」

「畏まりました」


 男に退室を促されたレアルは振り返って扉へ歩を進めた。


「失礼致します」


 扉に辿り着くと、一度男の方へ向き直り礼をしてから退室する。

 そして丁寧に扉を閉めたレアルは、盛大に溜息を吐いた。


「はぁ~。よし、寝よう。眠れなくなるまで寝よう。絶対に」


 確固たる意志の宿った眼差しで惰眠を貪る決意をする。


(寮に戻ろう。今すぐ戻ろう)


 この屋敷では安眠などできない。彼が心から安眠できるのは寮の自室だけだ。なので、惰眠を貪る為に大急ぎで寮へ戻る。その前に母に会いに行くのを忘れない辺りはしっかりしていた。


 ◇ ◇ ◇


 翌日の三月二十三日――ジルヴェスターの姿はランチェスター学園にあった。


 ランチェスター学園内にある桜並木を歩いて通学していると、突然背後から声を掛けられた。


「おはよう、ジル」

「ああ、おはよう」


 声の主はレアルであった。

 レアルはジルヴェスターの横に並んで歩みを共にする。


 ちなみにジルヴェスターは突然声を掛けられても全く動じなかった。

 レアルが近付いてきているのは気配で感じ取っていたからだ。


「体調はどうだ?」

「快調とはいかないけど、少しゆっくりできそうだから大丈夫だよ」

「そうか」

「ジルには本当に世話になったね。ありがとう」


 レアルは心の底から感謝していた。

 一歩間違えば命が無かったのだから、いくら感謝してもしきれないだろう。


「体調が万全でない時は壁外には出向かないことだな」

「はは……耳が痛いよ」


 魔法師にとって体調管理は怠れない要素だ。義務と言ってもいい。

 体調次第で生死を分けることが多々ある。少しでも身体に違和感がある場合は素直に休むのが賢明な判断だ。


 事情が事情だったとはいえ、体調管理を怠った自覚があるレアルは苦笑するしかなかった。

「――ところでジルは壁外で何をしていたんだい? 答えられないなら言わなくてもいいけど」


 レアルは気になっていたことを率直に尋ねる。


 魔法師には極秘の任務があるので、その場合は答えられない。

 極秘ではなくても答えたくない場合もあるだろう。

 それに魔法師は自分の手の内を明かすのを忌避する傾向にある。故に、探られるのを嫌い自分の活動内容を口外しないことは良くあることだ。


「別に大したことではないぞ。ただ知的探求心を満たしに行っただけだ」

「そんな散歩にでも行くかのような気軽さで壁外に行くのは君くらいだよ……」

「そんなことはないだろ」

「そんなことあるよ」


 盛大に呆れるレアル。


(特級はみんなそんなものだと思うが……)


 ジルヴェスターは他の特級魔法師のことを脳裏に思い浮かべる。

 特級魔法師を基準に物事を考えては確実に齟齬そごが生じるのだが、そのことについて指摘できる者はこの場には不在であった。


(特級……?)


 特級魔法師のことを一人一人順に思い浮かべていると、記憶にあるとあることが引っ掛かった。


(深層で見つけた肖像画……あれはもしかすると――)


 思考に耽って黙り込んでしまった友人の姿に疑問を抱いたレアルが声を掛ける。


「ジル? どうかした?」

「――あ、いや、すまん。なんでもない。少し考え事をしていた」

「何か光明を見出したような表情だね」


 レアルはジルヴェスターの些細な表情の変化を読み取った。


「ああ。お陰様でな」

「そっか。それは良かったね」


 記憶の片隅で引っ掛かっていた疑問の真相に近付くことができ、胸のつかえが下りる気分だった。


(都合がついたら確認しに行ってみるか)


 ジルヴェスターは脳内で予定を確認する。


「今日を含めて後二日で春季休暇だね」

「そうだな」


 今日は二十三日だ。二十六日から春季休暇を迎える。


「とりあえず僕は寝まくるよ」

「ああ、それがいい。今度は壁外で倒れることがないようにな」

「はは、本当にね」


 ジルヴェスターの揶揄からかいにレアルは笑みを返す。

 彼の春季休暇の予定は、とにかく時間が許す限り寝ることだった。仕事を命じられるかもしれないが、それまでは惰眠を貪る気満々である。

 レベッカにシズカの実家に遊びに行かないかと誘われているが、満足するまで寝てから決めるつもりでいた。


 そうして並木道を通り抜けた二人は校舎に入っていく。


「僕はちょっと職員室に寄って行くからここで失礼するよ」

「そうか」

「改めて先生に謝罪してくる」

「真面目だな」


 レアルは、二十一日は欠席し、二十二日は遅刻している。

 欠席と遅刻をしたこともだが、担任に心配を掛けてしまった。遅刻した時に謝罪しているが簡易だったので、今から改めて話をしに行くつもりだった。真面目な彼らしい誠実さだ。


「それじゃまたね」

「ああ」


 別れの言葉を告げるとレアルは職員室を目指して歩みを再開する。対してジルヴェスターは自分の在籍するクラスの教室へ向けて歩を進めた。


 ◇ ◇ ◇


 同日の夕刻――壁内某所。


「姫、邪魔な輩は排除致しましたが、次は如何いかがなさいますか?」

「そうね……」


 背後に控えるフランコが尋ねると、ソファで寛ぐ女は手に持つカップをテーブルに置いた。


「トーマス卿にとって都合の悪い者は大方消せたかしら?」

「いえ、まだ残っています」

「そう……」


 女は顎に手を当てて考え込む。


「あまりやりすぎるのは問題よね」

「そうですね。過度に刺激してしまうと明らかに不自然になるかと」


 女は無意識に組んでいた足を組み替える。すると、ロングスカートが小さく靡く。


「対象者のリストをちょうだい」

「畏まりました」


 フランコはうやうやしく頭を下げると、資料がしまわれている棚の前に移動した。

 目当ての資料を手に取り、一度中身を確認する。紙を捲る音が室内に小さく響く。


 資料に間違いがないことを確認したフランコは女のもとに戻る。

 そして女の斜め前にひざまずいてうやうやしく差し出した。

 他にも周囲には複数の側仕えの男が控えているが、フランコは敬愛する主の世話は自分がする気満々であった。


「ありがとう」


 資料を受け取った女は記されている内容に目を通す。


(流石にグランクヴィスト卿は除外ね……オコギー卿も除外しましょう)


 資料に記されているのは人物名であった。

 上から順に目を通していくが、最初の二人は七賢人であった。さすがにこの二人には手出しできないと判断し候補から除外する。


(大物すぎるのは駄目。小物すぎるのは意味がない。狙うべきは中堅どころかしら……)


 大物だと人望や影響力などを考慮すると手を出すのは躊躇われる。

 逆に小物だと排除する意味がない。いてもいなくても変わらないからだ。

 大物すぎず、小物すぎず、尚且つ存在すると厄介な者。条件に当てはまる人物を探す。


(いないのならそれでも構わないのだけれど……)


 必ずしも誰かを排除する必要はない。

 条件に当てはまる者がいないのならば何もしないだけだ。


「マーカス・ベイン……」


 リストに目を通していた女の目が、ある一点で止まった。


「その者はグランクヴィスト卿の腹心の一人ですね」


 女の目に留まったのはマーカス・ベインという名の者であった。


「標的にするのならば条件に沿う人物かと」

「そうね……」


 女は名前を見つめたまま考え込む。


 マーカス・ベインはフェルディナンドの腹心の一人だ。

 フェルディナンドからの信頼が厚く、清廉潔白で真面目な性格をしており、政治家としての能力も優れている。


 年齢は四十歳で比較的若い部類に入るが、政府中枢にもそれなりに影響力を有しており、小物ではなく、大物すぎることもない。

 しかし、フェルディナンドの腹心であることからわかるように、後ろ暗いことを企む者にとっては目の上のたんこぶになる人物でもある。

 正に女が求める条件に合致する人物だった。


「ベイン卿は魔法師なので、派遣する者の人選には気をつけなければなりませんね」


 中級二等魔法師のベインを消すには、相応の相手を送らなければならない。


「なんなら私が赴いても構いませんが」

「いえ、あなたにはしばらくわたくしのそばにいてもらうわ」

「光栄の極みです」


 フランコに任せれば滞りなく役目を果たすだろう。

 だが、女はしばらくフランコを離す気がなかった。

 そのことを伝えられたフランコは、仰々しく片膝をついて恍惚こうこつとしている。


「――そういえば、トーマス卿は腕の立つ子飼いの魔法師がいると仰っていらしたわね」

「本人の弁が正しければ、中々できる者のようですね」

「今までは彼にとって都合が良くなるように手を回してあげていたけれど、今回は自分でやってもらいましょうか」

「自分でと言っても実行するのは子飼いの魔法師なのですがね」

「ふふ。トーマス卿は非魔法師なのだから仕方がないわよ」


 女は今まで何度もトーマスという名の人物にとって都合が良くなるように暗躍し、お膳立てをしてきた。トーマス自身が把握していることも把握していないことも含めてだ。


「彼とは相互利用する関係とはいえ、少し肩入れしすぎたかもしれないわね。今度はこっちが利用させてもらいましょう。彼の為にもなることなのだからちょうどいいでしょう」

「そうですね。それでよろしいかと。使いを出します」

「ええ、お願い」


 女とトーマスは互い利用し合う関係だ。都合のいい時に相手の地位、権力、人脈などを頼る。そうやって相互利用し、この国で好きなようにやってきた。

 女が話を持ち掛ければ余程のことでもない限りトーマスは断らないだろう。トーマスも必要な時は女を頼るのだから。


 フランコは代理で書をしたためると、派遣する使者の選別に取り掛かった。


「はてさて、どのような結末になるのかしら」


 女はこの先の顛末てんまつを想像して笑みを深める。


(成功しても失敗してもわたくしはどちらでも構わないのだけれど)


 今回の件の成否にこだわりはない。

 極論、面白くて暇潰しにさえなればそれで良かった。


 ◇ ◇ ◇


 同時刻、アークフェネフォール区のメルクカートリアという町にある邸宅の前に金髪の男がいた。邸宅は一般的な庶民が暮らす家屋よりも大きくて広いが、豪邸というほどではない。庶民でも少し無理をすれば暮らせる程度の邸宅だ。


 アークフェネフォール区は、ウォール・ツヴァイとウォール・トゥレスの間の北西に位置する区だ。

 この区は芸術が盛んであり、多くの芸術家が活動拠点にしている。劇場や美術館などもあり、芸術の都ならぬ芸術の区だ。


 メルクカートリアはアークフェネフォール区の中で最も大きく、人口の多い町でもあり、区内の行政の中心地でもある。無論、芸術も盛んだ。

 町そのものを芸術品として考えられており、区画整備や建物の建築段階から芸術家と相談して作られている徹底ぶりだ。また、自宅の壁に芸術家や芸術家の卵が絵をえがくことも頻繁に行われており、邸宅の持ち主も快く了承する文化がある。


「大変な時に申し訳ありません」


 家人が出迎えると、男が突然の訪問を詫びる。


「いえ、わざわざお越しくださりありがとうございます」


 男を出迎えたのは三十代くらいに見える女性だ。女性は丁寧な対応で出迎える。


「どうぞお上がりください」


 頭を上げた女性の顔色は傍目に見てもわかるほど悪い。


「早速ですが、ロバートさんの執務室に失礼してもよろしいですか?」

「はい。どうぞご自由になさってください」

「ありがとうございます」


 男は女性の案内のもと廊下を進む。

 質素になりすぎず、華美にもなりすぎないように調度品が廊下をいろどっており、家人のセンスの良さが窺える。だが、今は家中に沈んだ空気が充満していた。


「こちらです」


 目的の部屋の前に辿り着くと、女性は一歩引いて扉の前のスペースを空ける。


「失礼します」


 男が扉を開くと、部屋の主の性格が窺えるようにしっかりと整理整頓された書物や書類の数々が並んでいた。


「アナベルさんはご無理なさらずに」


 一度振り返って優しさの籠った声音で女性――アナベルに声を掛ける。


「お気遣い頂きありがとうございます。ですが、大丈夫ですのでお気になさらないでください」

「……そうですか。ご無理はなさらないでください」


 アナベルが気丈に振舞っているのが、男には心が痛むほど鮮明にわかった。


(可能な限り早急に終わらせよう)


 手早く済ませてアナベルが少しでも早く休めるようにしようと心に決めた男は、室内に視線を戻す。

 まずは部屋の主が腰を据えるデスクを注視して歩み寄る。


(ロバートさんは椅子に座ったまま亡くなっていたと聞いたが、争った形跡はないか……)


 デスク周りには傷などが見当たらないので、争いがあったとは思えない。

 引き出しを全て開けて中を確認するが、どこにも不自然な点は見当たらない。


 男は一先ずデスク周りを諦めて別の場所を調べることにした。

 壁際に並んでいる本棚に目を向ける。


(持病があったとは聞いていないが、本人が言っていなかっただけの可能性もあるか……)


 目についた書物を一つ一つ手に取って不自然な点がないか確認しながら思考に耽る。


「アナベルさん、ロバートさんは持病をわずらってはいませんでしたよね?」

「ええ。主人が持病を患っていたとは聞いていません」

「そうですよね」

「それに主人は普段から健康には気をつけていましたから」

「それは私も良く知っています」


 亡くなった部屋の主は普段から健康には気をつけていた。

 食事に気を配り、時間がある時は運動をしていたので、持病を患っていた可能性は低いと思われる。


(突然の心臓発作の線もあるが、遺体を検分した者の話によるとその線は薄いらしい。やはり暗殺の線が濃厚か……?)


 持病をわずらっておらず、普段から健康に気を使っている者が突然亡くなった。

 それだけならば、何か事故や突然の発作が原因という線もある。

 しかし、ここ最近は立て続けに不審死する者が出ている。明らかに不自然だ。


(明らかに不自然だが、かと言って確たる証拠があるわけでもない……)


 顎に手を立てて考え込む。


「しばらく調べてみるので、私のことは気にせずアナベルさんは休んでいてください」

「……そうですか、わかりました。では、お言葉に甘えさせて頂きます。何かありましたら遠慮なさらずにいつでもお呼びください」

「ええ。ありがとうございます」


 アナベルは丁寧にお辞儀をすると執務室を後にした。


 誰が見ても女性が疲労困憊の状態であることがわかる。化粧で誤魔化しているが、明らかに顔色が悪く、目の下には隈があった。

 それも仕方のないことだろう。第一発見者として夫が自宅で亡くなっているのを目の当たりし、葬儀の手配や子供たちの世話など忙しない日々を送っていたのだから。

 肉体的にも精神的にも疲弊してしまうだろう。いくら気丈に振舞っていても隠し切れるものではない。

 故に男はアナベルを気遣った。少しでも休むことができればいいと。


 アナベルが退室した後、男は部屋を隈無く見て回った。

 飾ってある絵画の裏、アンティーク調の調度品の隅々まで目につく場所を全て確認する。


(やはり確たるものは見つからないか……。だが、違和感が拭えない……)


 室内をいくら見回しても確たる証拠は見当たらない。だが、彼には拭い切れない違和感があった。しかし、その違和感の正体が掴めない。もどかしさが胸中を這いずり回る。


「仕方ない。申し訳ないがを頼るか」


 これ以上自分の力だけでは何も進展がないと判断し、溜息を吐いた後に考えていた選択肢を自然と呟いていた。


 善は急げと執務室を退室すると、休んでいるアナベルのもとへ向かう。

 男はこの邸宅には何度か足を運んでいる。客が足を踏み入れる範囲の間取りはしっかりと頭に入っていた。


 目的の場所であるリビングに辿り着くと、目当ての人物がソファで寛いでいたので声を掛ける。


「――アナベルさん、失礼します」

「あら? ミハエル様、何かありましたか? 呼んで頂ければ私が赴きましたのに」


 ソファで寛いでいた女性が立ち上がって出迎える。


「今、紅茶をご用意致しますね」

「いえ、お構いなく。アナベルさんはゆっくりなさっていてください」

「ミハエル様にそんな粗相は致せません」


 男こと――ミハエルは、アナベルのことを気遣って断りを入れたが、逆に気を遣わせてしまう羽目になった。


「本当にお構いなく。もうおいとましますので」

「……そうですか。わかりました」


 アナベルは不承不承ながらも引き下がる。


「その前に一つ伝えておくことがありまして」

「なんでしょうか?」


 首を傾げるアナベル。


「ロバートさんの死因はやはり不自然です。ですが、情けないことに私では違和感の正体を掴めませんでした」

「……そうですか」


 夫の死の謎が少しでも判明することを期待していたアナベルの表情に影が差す。


「なので、次は頼りになる友人を連れてきます」

「頼りになるご友人ですか?」

「ええ」


 続け様にミハエルが告げた言葉に、アナベルは再び首を傾げた。


「ミハエル様が頼りにされる御方ならきっとご立派な御方なのでしょう。私はミハエル様を信用していますので全てお任せ致します」

「アナベルさんもご存じのように、ロバートさんは私の恩人であり友人でもありました。本人に直接恩を返すことは叶いませんでしたが、少しでも彼の恩にむくいる為に誠心誠意応えてみせます」


 ミハエルよりロバートの方が年上だが、互いに気心の知れた友人同士だった。ミハエルにとってロバートは恩人でもある。ロバートは非魔法師だったが、お互いに尊敬し合える関係でもあった。


 ミハエルはロバートに招かれて自宅にお邪魔することが多々あり、その都度、妻であるアナベルとも顔を合わせている。

 彼女には良く手料理を振舞ってもらったし、子供たちの遊び相手にあることもあり、家族ぐるの付き合いがあった。


 アナベルはミハエルの肩書と為人ひととなりのことは、交流を重ねてきたので理解している。なので、夫であるロバートを除けば最も信頼している相手だった。子供たちも懐いているので尚更だ。


「ええ。ミハエル様のお気持ちは痛いほそ伝わっておりますよ。お心遣い感謝致します」

「友人に頼ろうとしている時点で説得力はありませんが……」


 ミハエルが自嘲交じりに冗談を言うと、女性は口元に手を当てて笑みを浮かべた。


「――では今日のところはこれで失礼致します」

「お手数をお掛け致しました」

「いえ、こちらこそお手間を取らせて申し訳ありません。また近いうちにお伺いします」

「わかりました。お待ちしております」


 互いに別れの挨拶を済ませると、ミハエルは玄関へ移動した。

 アナベルは一歩下がった位置から共に移動し、玄関先まで見送る。


「では、改めて失礼致します」

「はい。重ね重ねありがとうございました」


 ミハエルが邸宅を後にすると、アナベルは彼の姿が見えなくなるまで見送っていた。

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