[2] 責任

 七月中旬の某日。

 夏季休暇前に立ちはだかる試験が全て終了し、生徒たちは思い思いの休日を過ごしていた。

 試験の鬱憤を晴らす者、魔法の鍛錬に励む者、勉強する者など様々だ。


 そして休日明けの登校日。

 この日の放課後には試験結果が発表される。


 結果が気になって仕方がない者は、授業に集中できない一日を送る羽目になった。

 中には発表前から諦めムードを醸し出している者もおり、生徒それぞれ面持ちには差異がある。


 期待や不安を抱えて試験結果を確認した者たちは様々な反応を示した。

 喜びをあらわにする者、悲嘆に暮れる者、悔しくて歯を食いしばる者などが散見された。


 そんな中、カフェテラスに集まってテーブルを囲み、談笑している者たちがいた。


「みんな予想以上にいい結果だったね」

「そうね」


 足を組み替えたイザベラの言葉にオリヴィアが相槌を打つ。


「総合順位の上位四人は変わらずか」


 アレックスは頭を掻きながら呟くと、ジルヴェスター、レアル、イザベラ、シズカに視線を向けた。


「僕とジルの間にはアーガンス山脈よりも高い壁があると思うけどね……」


 苦笑しながらそう呟いたレアルは、グラスを手に取ってアイスコーヒーを啜る。

 

 アーガンス山脈はウェスペルシュタイン国内で最高峰の山脈だ。

 ウォール・ウーノ内の北東にあるユトント区と、同じくウォール・ウーノ内の東南東に位置するワンガンク区にかけて跨り、多くの鉱山を抱えている。


 つまり自分とジルヴェスターの間には歴然たる差がある、とレアルは言っているのだ。


 一旦ここで今回の期末試験の結果を確認しよう。


 実技

 一位・ジルヴェスター

 二位・レアル

 三位・シズカ

 四位・イザベラ

 六位・アレックス

 八位・ステラ

 十位・リリアナ

 十三位・オリヴィア

 十五位・レベッカ


 筆記

 一位・ジルヴェスター

 二位・オリヴィア

 三位・リリアナ

 五位・イザベラ

 七位・シズカ

 八位・レアル

 十一位・ステラ

 十七位・レベッカ

 二十四位・アレックス


 総合

 一位・ジルヴェスター

 二位・レアル

 三位・イザベラ

 四位・シズカ

 七位・ステラ

 八位・リリアナ

 十位・オリヴィア

 十五位・アレックス

 十八位・レベッカ


 ――以上だ。


 ジルヴェスター、レアル、イザベラ、シズカ以外は前回よりも順位が上がっている。

 努力の成果が発揮された証拠だろう。

 上位四人は順位を維持していることが素晴らしい。


「私とレアル君との間にも結構な差があると思うけどね」


 イザベラが肩を竦める。

 相変わらず仕草が一々凛々しくて、周囲にいる女性の視線を釘付けにしている。


「お二人は格が違いますもの」


 リリアナが同意を示す。


 ジルヴェスターは例外だとしても、実際レアルも一年生の中では飛び抜けて優秀だ。

 筆記はともかく、実技は格が違う。


 レアルは元から優れた魔法師だったが、ミハエルに弟子入りして以降、急激な成長を遂げている。

 正直ジルヴェスターとレアルは順位から除外した方がいいだろう。

 アマチュアの中にプロが交ざっているようなものだ。しかも特級魔法師第一席と特級魔法師になれるだけの才能を有している二人がである。


 ジルヴェスターとレアルがトップに君臨しているので、他の生徒は同級生故に必然的に順位が二つ下がってしまう。可哀想だが仕方がない。同い年なのは抗えない現実だ。

 実質イザベラが総合一位と考えても差し障りないかもしれない。


 筆記の結果で僅かに上回っているイザベラが総合順位で三位になっているが、実技で順位が上のシズカの方が魔法師としては優れていると言えるかもしれない。

 とはいえ、シズカの場合は剣術や身体能力の面で圧倒的に勝っているのであって、魔力量や魔法行使の技量に関してはイザベラの方が上回っている。

 故に、イザベラとシズカの間にはほとんど差がないと言っても過言ではない。


「わたし、やればできるじゃん」


 総合順位で二十位以内に入ったレベッカが自画自賛する。

 胸を張っているので彼女の豊満な胸が強調されていた。


「はいはい。良くできたね」


 そんなレベッカのことをシズカは軽く受け流す。


「シズカが冷たい……」


 肩を落とすレベッカのことを無視してアレックスが口を開く


「順当に行けば全員対抗戦の選手に選ばれるんじゃね?」


 今回の試験結果も対抗戦に出場する選手選考の参考資料になる。


「対抗戦に出られるのは三十人だよな?」

「ん」


 アレックスの問いにステラが無表情で頷く。


 対抗戦は新人戦と本戦にそれぞれ三十人ずつ出場できる。

 全学年合わせて六十人だ。


 一学年約三百人ずつおり、全校生徒は九百人近くいる。

 その中で対抗戦に出場できるのはたったの六十人だけだ。


 その点、今この場にいる面子は対抗戦の選手に選出される可能性が高い。

 試験の結果、クラブでの実績、実技科目での成績などをかんがみれば、余程のことがない限りは選出されるだろう。

 それでも絶対はないので確信を持てるわけではない。


「楽しみ」

「新人戦だけでも優勝できるといいわね」

「ん」


 わかる人にしかわからない些細な表情の変化でステラが微笑むと、釣られるようにオリヴィアも笑みを零す。


「そうだね。正直、本戦優勝と総合優勝は厳しいだろうし……」


 眉間に皺を寄せるイザベラ。


「まあ、今年と来年はプリム女学院が本命だろうな」


 アレックスの顔には諦めの色が浮かぶ。


ランチェスター学園うちの主力も手練れなんだが、さすがにプリム女学院には勝てないだろ……」

「正確には『紅蓮ぐれん』様一人なんだけどね」

「だな」


 クラウディアを筆頭にランチェスター学園も精鋭揃いだ。

 しかし、それでもイザベラが指摘したように『紅蓮ぐれん』がいる限り厳しいと言わざるを得ない。


「反則と言いたいところだけれど、『紅蓮ぐれん』様も生徒である以上は出場資格があるものね」

「そうですね」


 オリヴィアが肩を竦めると、リリアナが苦笑しながら相槌を打つ。


 黙って話を聞いていたジルヴェスターは、『紅蓮ぐれん』という単語に引っ掛かりを覚えていた。


(どこかで聞き覚えがあったような気がするが……)


 手掛かりを探る為に思考を巡らす。


(そういえば、アーデルとレイが話していたか……?)


 無意識に首を傾げるジルヴェスター。


「ジルくん? 何か気になることでもあったのかしら?」


 ジルヴェスターが首を傾げたのを視界に捉えたオリヴィアが、風で靡く前髪を左手で押さえながら尋ねる。


「いや、『紅蓮ぐれん』という単語に聞き覚えがあったんだが、なんのことだったかと思ってな」

「……」


 ジルヴェスターがそう言うと、全員が瞠目して言葉に詰まり沈黙した。


 アレックスはちょうどアイスコーヒーを飲んでいるところだったので、驚きのあまり口から吹き出しそうになっていた。

 なんとか吹き出さずに飲み込んだがむせている。


「本気で言ってる?」

「ああ」


 いち早く沈黙から復活したオリヴィアが確認すると、ジルヴェスターはすかさず頷いた。


「本当にジルくんは興味を引かれないことに関しては無頓着よね」


 オリヴィアが深々と溜息を吐く。


「はは、ジルらしいね」


 苦笑したレアルが表情を引き締めて説明する。


「『紅蓮ぐれん』というのは、特級魔法師第十五席のエレオノーラ・フェトファシディス様のことだよ」


 レアル、オリヴィア、ステラの三人は他の面々とは驚きの意味が異なる。

 三人はジルヴェスターが特級魔法師第一席だということを知っているからだ。


 ジルヴェスターは同じ特級魔法師のことを把握していなかった。

 しかも第一席は、非常時に際して同格であるはずの他の特級魔法師に対する命令権を有する。上司と部下の関係と言っても差し支えない。


 だからこそ、『紅蓮ぐれん』のことを把握していなかったジルヴェスターに対する驚きと呆れが胸中を占めていた。

 他の面々は純粋に驚いているだけだ。


「なるほど」


 ジルヴェスターが頷く。

 彼は以前、アーデルとレイチェルが新しい特級魔法師が誕生した、と話していたのを耳にしていたが、興味がなかったので記憶の片隅に追いやっていた。


「昨年の対抗戦では圧倒的だった」


 ステラは昨年の対抗戦を現地で観戦していた。

 なので、当時の記憶は鮮明に残っている。


「対抗戦で鮮烈なデビューを飾って、そのまま特級魔法師の地位を与えられたんだよね」

「本当に凄いですよね」


 イザベラの言葉にリリアナが続く。


 昨年の対抗戦で当時一年生だったエレオノーラは新人戦に出場した。

 そこで圧倒的な力で他校の生徒を蹴散らし、プリム女学院に新人戦優勝の栄誉をもたらした。


 本戦優勝と総合優勝はランチェスター学園が死守したが、新人戦はエレオノーラの独壇場であり、彼女の為に用意された舞台と化していた。


 そのエレオノーラは現在二年生なので、何事もなければ今年からは本戦に出場してくる。

 本戦の方が新人戦よりも獲得ポイントの割合が多い。なので、他校にとっては本戦だけでなく、総合優勝も厳しいのが現実だ。


「会長たちでも厳しいのかな?」


 クラウディアを筆頭に精鋭が連携を組んで挑めば勝機があるのではないか、と思ったレベッカが首を傾げる。


「さすがに一人では太刀打ちできないと思うけど、複数人で立ち向かえば一矢報いることはできるかな? ジルはどう思う?」


 レアルは推測を立てるが、実際にエレオノーラと相対したことがないので曖昧にしか答えられない。

 そこでジルヴェスターに意見を求めることにした。

 特級魔法師のことは同じ特級魔法師に尋ねるのが一番だ。


「俺はクラウディアの実力しか知らないからなんとも言えんな」

「そうだよね」


 いくらジルヴェスターでもわからないことはある。

 対面すればある程度相手の力量を推し量れるが、完全に見極められるわけではない。

 そもそもエレオノーラのことは全く知らないので比較のしようがなかった。


「新人戦を優勝して本戦に勢いを持って行ければいいかもね」

「だな」


 レアルの言葉にアレックスが頷く。


「その前に出場選手に選ばれないと意味ないけどな」

「正論ね」


 ジルヴェスターのツッコミにオリヴィアが相槌を打つ。

 

 確かに気が早い。

 まずは出場できるか否かを気に掛けるべきだろう。


「今は鍛錬に励むのが一番よ」

「シズカにとっては日課だもんね~」

「『十年一剣じゅうねんいっけんを磨く』がシノノメ家の家訓だもの」


 まだ選ばれるかはわからないが、対抗戦に向けて鍛錬に励むべきだ。

 仮に出場選手に選ばれなかったとしても糧にはなる。


 とはいえ、レベッカが言うようにシズカにとっては努力するのが当たり前だとしても、誰もが毎日頑張れるわけではない。


「シノノメ家らしい家訓だな。俺には無理だわ」


 アレックスが顔を顰める。

 彼は必要以上の努力はしない主義だ。何事も程々が一番だと思っている。

 もちろん必要に駆られればいくらでも努力するが、できることなら遠慮したいのが本音だった。


「うわ、クズじゃん」


 レベッカがアレックスにジト目を向ける。


「うるせ」

「なによ」


 二人は火花が散っているかのように錯覚するほど睨み合う。


「ほんと二人は仲いいわね」


 オリヴィアが微笑む。


 喧嘩するほど仲がいいではないが、二人は良くいがみ合っている。

 最早もはや、恒例行事と言っても過言ではない。


「仲良くねえっての!」「仲良くないってば!」


 否定するタイミングが見事に合致する。


 全く説得力がない二人の様子に、場が笑いに包まれた。




 一方その頃、会議室では生徒会、風紀委員会、統轄連、監査局の面々が集まって対抗戦に出場する選手の選考を行っていた。

 ランチェスター学園は生徒の自主性を重んじているので選考も生徒主導で行われる。――その分、選考に関わった者には責任が伴うが。


 果たして対抗戦に出場する選手は誰が選ばれるのであろうか。


 ◇ ◇ ◇


 二日後、遂に対抗戦に出場する六十人が発表され、校内は騒然としていた。

 出場選手に選ばれて喜ぶ者や、落選して肩を落とす者、選ばれた友人を祝福する者など様々だが、騒然としている最大の理由は別にある。

 それは――


「何故、俺が本戦のメンバーに選ばれている?」


 学園長室で眉間に皺を寄せたジルヴェスターが苦言を呈していた。

 対面のソファにはレティとクラウディアが腰を下ろしている。


 実は一年生のジルヴェスターが本戦のメンバーに選ばれていたのだ。

 その件が校内を騒然とさせている最大の要因であった。


 そしてジルヴェスターは自分が本戦の出場選手に選ばれている理由を問い質す為に、クラウディアに声を掛けた。

 すると、学園長室で話をしようと言われて今の状況に至っている。


「新人戦ならともかく、本戦は反感を買うだろ」


 学年一位のジルヴェスターが新人戦のメンバーに選ばれても全く不思議ではない。むしろ選ばれて当然だ。

 しかし本戦だと話は変わってくる。


 新人戦には一年生が三十人出場できるが、本戦は二年生と三年生合わせて三十人だ。

 ただでさえ狭き門である。一年生のジルヴェスターが本戦に出場するとなれば、二、三年生からしたら不満が出てもおかしくはない。


 そもそもジルヴェスターは新人戦でも乗り気ではなかったのだ。

 特級魔法師である自分が出場してもいいのかという思いと、単純にあまり目立ちたくないという思いがある。

 出場者は否が応でも注目されてしまう。平穏な学園生活を気に入っているからこそ気が進まなかった。


「申し訳ありません」


 クラウディアが慌てて頭を下げる。


「私が頼んだのよ。ジェニングスさんを責めないであげて」

「お前が介入したのか?」


 クラウディアを庇うレティの姿に、ジルヴェスターは一層疑問を深めた。


 ランチェスター学園は生徒の自主性を重んじているので、対抗戦に出場する選手の選考は生徒会、風紀委員会、統轄連、監査局が中心になって行われる。

 生徒が教師に助言を求めることはあるが、本来教師の方から介入することはない。


「我が校が優勝する為にはあなたの力が必要なのよ」


 プリム女学院に特級魔法師であるエレオノーラがいる限り、他の学校が本戦優勝と総合優勝を手にするのは厳しいと言わざるを得ない。


 対抗戦は政治的要素を含んでいるので、レティが学園長としてランチェスター学園を優勝させたいという気持ちは理解できる。

 優勝すれば十二校ある国立魔法教育高等学校の中で発言権と影響力が増すからだ。

 そういった思惑を抜きにしても、レティは純粋に生徒たちを優勝させてあげたかった。


「だからと言って俺は一年だぞ?」


 ジルヴェスターが二、三年生から反感を買いかねない。完全にとばっちりだ。


「それは大丈夫だと思います」

「何故だ?」


 クラウディアはそう言うが、ジルヴェスターにしてみたら心配無用の根拠がわからない。


「私、カオル、ヴェスターゴーア君、ルクレツィアが推薦したので反対意見は出ませんでした」


 ランチェスター学園の頂点に君臨する四人の影響力と人望は校内で無視できないものがある。

 その四人が認めた以上、表立った不満は出なかった。――陰で不満を漏らしている者はいるかもしれないが。


「お前と委員長はわかるが、総長と局長もか?」

「はい」


 クラウディアとは付き合いが長いので理解できる。ジルヴェスターの実力と正体を知っているからだ。

 カオルはクラウディアと親しいので、ジルヴェスターに関することは話せる範囲で伝えている。

 そもそもカオルはクラウディアの味方をする傾向にあるので、話を聞いていなくても賛同していたかもしれない。


 だが、オスヴァルドとルクレツィアは接点がない。

 一方的に姿を見掛けたことがあるだけだ。


「ヴェスターゴーア君は、ジルヴェスター様のことを見掛けた際に実力を理解したそうです」


 優れた魔法師は実力を見極めることにも長けている。

 オスヴァルドは自分では推し量りきれないほど、底知れない実力があるとジルヴェスターのことを評した。

 普段からクラウディアが絶賛していることに納得し、優勝を目指す以上は推薦するべきだと判断したそうだ。


 ちなみに今、学園長室にはジルヴェスターが特級魔法師第一席だと知っている者しかいない。なので、クラウディアはジルヴェスターのことを君ではなく様付けで呼んでいる。


「ルクレツィアは学年に関係なく実力のある者を選ぶべきだと言っていました」


 厳格で公正なルクレツィアらしい言葉だ。


「彼女もヴェスターゴーア君ほどではありませんが、実力を見抜く目がありますから」


 ルクレツィアもジルヴェスターのことを見掛けた際に実力を見極めていた。

 実技科目での成績や、実技試験の結果をかんがみても推薦するに足ると判断している。

 あくまでも公正に判断した上での推薦だ。


「それにプリム女学院の学園長からお願いされたのよ」

「……何故プリム女学院の学園長が出てくる?」


 ジルヴェスターが首を傾げる。

 プリム女学院の学園長がレティにお願いする意味がわからなかった。


「ジョアンナさんと言うのだけれど、私が昔お世話になった人なのよ」


 レティがことの経緯を説明する。


 ジョアンナはレティのもとを訪ねて、相談も兼ねた愚痴を零したそうだ。

 彼女は約一年間頭を抱える日々を送っていた。

 その原因となっているのはプリム女学院の二年生で、特級魔法師第十五席のエレオノーラ・フェトファシディスであった。


 何故エレオノーラのことで頭を抱えているのか、それは単純な理由だ。

 エレオノーラは幼い頃から魔法師としての才能に恵まれ、なんの努力もせずに順風満帆な人生を送ってきた。

 他人より優れており、尚且つ苦労を知らない故か、プリム女学院に入学した時点で既に生意気な上に他者を見下す傲慢な人格が形成されていたのだ。


 当時から問題児であったエレオノーラだが、事態が更に悪化したのは昨年のこと。

 彼女が特級魔法師になったことだ。

 特級魔法師になったことで一段と調子に乗り、手が付けられないほど傲慢な性格になってしまった。


 今では先輩の言葉に耳を傾けないどころか、教師のことすら見下している。

 同級生や後輩に対しての接し方は人を人とも思わない態度だ。先輩に対しての態度は多少柔らかいが、それでも酷いと言わざるを得ない。

 学園長であるジョアンナの言葉にすら耳を傾けない始末だ。

 いくら注意しても全く聞く耳を持たない。


「そこで同性であり、準特級魔法師でもある私が注意することになったのよ」


 ジョアンナは中級一等魔法師だ。

 魔法師としての階級がエレオノーラよりも下だから見下しているのかもしれない。

 故に、元特級魔法師第六席であり、現在は準特級魔法師であるレティに一度注意してほしいと頼み込んだのだ。

 同性でエレオノーラよりも実績と実力のある者の言葉なら耳を傾けると思ったのだろう。


「でも、あれは私でも手が付けられなかったわ」


 深々と溜息を吐いたレティは、頭が痛いと言いたげに悩ましげな表情になる。


「まるで世界は自分を中心に回っていると疑いもせずに本気で信じ込んでいるようだったわ」


 レティの言葉には溜め込んだ物を吐き出したかのような重々しさがあった。


「痛々しい奴だな」


 ジルヴェスターが棘のある感想を漏らす。


「勘違いして調子に乗るのは幼稚以外の何物でもない」


 大人でも調子に乗ってしまい至らない態度を取ってしまうことはある。

 それでも自分のことを客観視できる理性があれば反省して改める。


 しかし、エレオノーラは何度注意されても歯茎にもかけない。

 まるで自分は何をしても許されると思っているかのような態度だ。


「本当に困りものよ。特級魔法師の地位を貶めかねないもの」


 特級魔法師には相応しい振る舞いがある。

 憧れの的になるからこそ、特級魔法師として自覚のある態度でいなくてはならない。

 私生活までとやかく言われることはないが、他者を重んじることのできない者は特級魔法師として相応しくない。


「ご両親からも持てはやされていて、それが余計に彼女を勘違いさせているわ」


 エレオノーラの父は中級四等魔法師で、母は下級一等魔法師だ。

 魔法の才能は遺伝的な要素が大きい。もちろん例外はあるが、優れた魔法師からは才能のある子が生まれやすい。その逆も然りだ。

 つまりエレオノーラは、とんびたかを生む、の実例というわけだ。


 魔法師として平凡な自分たちから特級魔法師にまで成り上がれるほどの才能を持った娘が生まれて歓喜した両親は、エレオノーラのことを殊更甘やかしてきた。

 その結果、自己中の塊のようなエレオノーラが誕生したのだ。


「両親にも問題があるのか……」

「そうなのよ」


 ジルヴェスターは溜息を吐いて肩を竦める。


 子の人格形成には親の教育が影響を及ぼす。

 時には子を甘やかすことも大事だが、飴と鞭の使い方を見誤ってはいけない。――もっとも、エレオノーラの両親は飴しか与えていないようだが。


「俺は見掛けたことも会ったこともないが、魔法師としてそれほど優れているのか?」

「そうね――」


 ジルヴェスターの問いにレティは顎に手を当てて考え込む。

 少しの間だけ沈黙が場を支配するが、すぐに考えが纏まっておもむろに口を開く。


「特級魔法師として相応しい才能があるのは確かよ。ただ、現状は才能に胡坐あぐらをかいて、力任せに魔法を行使しているってところかしらね」


 エレオノーラは恵まれた魔力量とセンスだけで特級魔法師になった。

 なんの努力も苦労もしていない。

 故に技量は乏しい。


「お前と相対したらどうなる?」

「あのは手も足も出ないわよ」

「そうか」

「いくら私が一線を退しりぞいているとはいえ、まだ耄碌もうろくしていないわ」


 レティは考える間もなく即答した。


 同じ特級魔法師でも実力差が存在する。

 少なくともエレオノーラではレティに敵わない。


「いろいろ話したけれど、あなたにフェトファシディスさんの鼻っ柱を圧し折ってほしいのよ」


 レティは真剣な表情でジルヴェスターのことを見つめているが、どこか申し訳なさそうにしているのが垣間見える。

 世話になったジョアンナの為にできることをしたいという想いと、あまり目立ちたくないというジルヴェスターの気持ちを天秤に掛けて葛藤しているのだろう。


「自分より優れた者はいないと勘違いしているフェトファシディスさんが、年下のジル君に敗れたら考えを改めるのではないかと思ったのよ」

「なるほど。事情は理解した」


 ジルヴェスターは眉間に皺を寄せて考え込む。

 レティの頼みなら叶えてやりたいが、できることなら波風を立てるようなことはしたくない。

 非常に悩ましい問題であった。


「ジョアンナさんにも提案したら賛同してくれたわ」

「プリム女学院の学園長としていいのかそれは……」


 ジルヴェスターが出場するということは、ランチェスター学園の優勝が現実味を帯びる。

 ジョアンナは学園長としてプリム女学院の優勝を願うところだろう。

 しかし、優勝を逃してでもエレオノーラに冷水を浴びせてやりたいのかもしれない。


「ジョアンナさんには、まだ若いフェトファシディスさんを預かっている責任があるのよ」


 十代で将来性しかないエレオノーラを生徒として預かっているジョアンナには責任がある。

 彼女を心身共に一人前の魔法師に養成する責任だ。


 エレオノーラは魔法師界だけではなく、国中から期待を寄せられている。

 国を守護する要の特級魔法師だからだ。それも若いとなれば、今後長期的に国を壁外の脅威から守ってくれる。


 ジョアンナは現在プリム女学院に通っている生徒から対抗戦優勝という栄誉を奪ってでも、エレオノーラを矯正しなくてはならないと判断した。

 非情だが、エレオノーラ一人の価値をかんがみれば仕方がない決断だろう。

 それがエレオノーラのことを預かる学園長としての責任だ。


「その際にあなたの正体を明かしてしまったのはごめんなさいね」

「それは別に構わん。お前が必要だと思ったのならな」


 正体を勝手に明かしたことを申し訳なく思っていたレティが頭を下げるが、ジルヴェスターは全く気にしていなかった。

 彼はレティのことを信頼しているので、彼女が必要だと思って明かしたことなら責める気は微塵もなかった。


「ふふ、ありがとう。ちゃんと内密にするよう釘を刺しておいたわ」


 ジルヴェスターの信頼が伝ってきたレティは嬉しそうに微笑む。


「それで、俺がエレオノーラそいつを叩きのめせばいいんだな?」


 ジルヴェスターは溜息を吐いてからレティに確認を取る。

 溜息には重たい物を吐き出すかのような重々しさがあった。


「ええ。お願いできるかしら?」

「ああ。気は進まないが、俺にも第一席としての責任があるからな」


 ジルヴェスターは苦虫を噛み潰したような顔つきで頭を掻く。


 平穏な学園生活を死守する為に目立ちたくはないが、第一席としてエレオノーラのことを野放しにはできなかった。

 特級魔法師であるエレオノーラが、反魔法主義者から反感を買うような事態になっては目も当てられない。魔法師界全体の問題に関わるからだ。


 特級魔法師の知名度、影響力、責任は馬鹿にできない。

 決して軽い地位ではないということを叩き込んでやり、特級魔法師としての自覚を持たせてやる。

 それが第一席であるジルヴェスターなりの責任の果たし方であった。


「だが、みんなの見せ場を奪う気はない。俺がやるのは勘違い娘の教育だけだ」

「もちろんそれで構わないわ」


 対抗戦の本戦に出場することは了承するが、それでも譲れない一線はある。

 ジルヴェスター一人で戦力バランスが崩壊するのは間違いない。

 彼一人で優勝を手にすることも不可能ではないだろう。


 しかし、それでは他の出場者がせっかくの晴れ舞台で活躍する機会を奪ってしまう。

 魔法協会や国に対するアピールも兼ねている場なのにだ。


 対抗戦に出場する為に日々努力を怠らないこと、出場して活躍する為に万全の準備を整えることで魔法師としての成長に繋がる。

 仲間やライバルと切磋琢磨することで向上心を養う。

 その貴重な晴れ舞台をジルヴェスター一人に台無しにされては、他の生徒のやる気を殺いでしまう恐れがある。


 そうなってしまっては魔法師を養成する機関としても、将来活躍する魔法師が数多く欲しい魔法協会や政府にとっても、意味のないイベントになってしまう。

 ジルヴェスターにとっても自分が楽をする為に優秀な魔法師はいくらでもいて欲しいので、生徒たちには是非とも頑張ってもらいたいところであった。

 故に、対抗戦ではエレオノーラの相手をする以外は手を出す気がなかった。


「ジェニングスさんもそれでいいかしら?」

「はい。ですが、ジルヴェスター様がどこまで介入するかは改めて検討しましょう」


 クラウディアは頷いた後に懸念点を提示する。


「出場しているのにチームの一員として動かなかったら不自然ですから」

「そうだな」


 ジルヴェスターがエレオノーラの鼻っ柱を圧し折る為に出場することを知っているのは、ジルヴェスター、オリヴィア、クラウディア、ジョアンナの四人だけだ。

 もしかしたらジルヴェスターの行動が仲間にも観客にも不自然に映るかもしれない。

 なので、チームの一員として最低限違和感のない行動を心掛けるべきだ。

 あくまでも対抗戦は生徒たちが真剣勝負を行う場なのだから。

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