対抗戦編

[1] 勉強会

 六月十五日――季節は夏になり、新緑の輝きが目立つようになった。段々と蒸し暑くなってきている。来月には更に気温が上昇し、辟易する日々を送ることになるだろう。


 外は蒸し暑いので室内で過ごすことが増える。

 例に漏れず、ランチェスター区のヴァストフェレッヒェンにあるジルヴェスター宅の訓練室には、ミハエルとレアルの姿があった。


「今日はこの辺にしよう」

「ありがとうございました」


 レアルはミハエルに頭を下げる。


「今日は早く切り上げてすまないね。この後、所用があるんだ」

「いえ、大丈夫です。師匠が悪いわけではありませんから」


 レアルはミハエルに認められ、無事、弟子にしてもらえていた。

 既に外弟子として約二カ月の間、指導してもらっている。


 ミハエルはレアルの実力と将来性を買っており、時間がある時は師匠として熱心に指導していた。その甲斐もあり、レアルは魔法師として著しく成長している。


 二人は日頃からジルヴェスター宅の訓練室を使わせてもらっている。


 魔法協会にも訓練室はあるが、ミハエルがいると注目の的になってしまう。

 ランチェスター学園の訓練室を利用しても同じだ。


 また、ミハエルは元々贅沢をする性分ではなく、独身でもあるので一般的なアパートで暮らしている。なので、当然個人所有の訓練室などは持っていない。


 以上の理由により、ジルヴェスター宅の訓練室を活用させてもらっていた。


「アナベルさんの様子を見に行くんですか?」

「そうだよ」


 レアルが質問するとミハエルが頷く。


「そうですか……すみません」

「君が謝ることではないさ。むしろ君も被害者なんだから」

「全く無関係と言うわけではありませんので……」


 ロバートが亡くなって以降、ミハエルは度々アナベルのもとを訪ねていた。

 彼女の心をケアする為でもあるが、子供たちの様子を見に行く目的もある。


 ロバートを暗殺した者はまだ捕まっていないので、彼女たちの心が晴れることはない。

 仮に捕らえても失った命が戻るわけではないので完全に心が晴れることはないのだが、多少なりとも溜飲りゅういんを下げることはできるだろう。


 レアルが暗殺したわけではないが、関係者であった事実は変わらない。

 その事実が彼の心に重く圧し掛かっていた。謝罪を口にする気持ちもわかる。

 だが、ロバートの件に関してはミハエルの言う通りレアルも被害者だ。


 暗殺の件でレアルに非があるとすれば、マーカス・ベイン暗殺未遂に関してだけだ。

 ビリー――正確にはビリーを利用した黒幕――に命じられて仕方なく行ったことだとしても、関与した事実は変えられない。

 それがレアルに罪悪感を与える要因となっていた。


「真面目だね。でも君のそういうところは好感が持てるよ」


 ミハエルも真面目な性分なので、レアルには親近感を抱いていた。


「犯人は私が必ず捕らえる」


 確固たる意志の宿った瞳で握り締めた拳に目を向ける。

 犯人を捕らえることでアナベルとその子供たちの無念を晴らすことができ、レアルの罪悪感も多少は薄れるだろう、とミハエルは思っていた。

 その為にも自分が犯人を捕らえてみせると心に誓っている。


「僕もお手伝いします」


 レアルが少しでも罪滅ぼしになるのならと協力を申し出る。


「ありがとう。だが、その為には今より強くなってもらわないとだね」


 ミハエルの足を引っ張らない為には確かな実力が必要だ。

 今のレアルではまだ相応しい実力を有していない。

 今後も鍛錬を重ね、ミハエルと肩を並べられるようにならなくてはお荷物になるだけだ。


「はい。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します」


 ミハエルは深く頭を下げるレアルの肩に手を置いて口を開く。


「あまり焦らないようにね。一歩一歩着実に進んでいこう」


 そう言うと、ミハエルは背を向けて歩き出す。


「はい!」


 レアルは顔を上げてミハエルの背に向けて覇気のある返事をした。


 ◇ ◇ ◇


 六月二十日――一年A組の教室には登校した生徒が続々と集まり、各々思い思いに時間を潰していた。


 ジルヴェスターは既に指定席同然になっている後方の席に腰掛ける。

 そのタイミングで前方の入口からステラとオリヴィアが入室してきた。

 二人は慣れて足取りで席へ向かう。


「おはよう」

「おはよう、ジルくん」


 ステラとオリヴィアはジルヴェスターに挨拶すると、一つ前の席に並んで腰を下ろす。


「おはよう」


 ジルヴェスターが挨拶を返すと、椅子に腰掛けたステラは後方に半身を向けて見上げる。階段状の席になっているので、顔を上向きにしなくてはならないからだ。

 そしていつも通りの無表情で口を開く。


「もうじき対抗戦だね」

「そうだな」


 対抗戦は七月に開催される。約一か月後だ。


「ふふ、ステラは楽しみで仕方ないみたいね」

「ん」


 ステラは傍目に見ると無表情にしか思えないが、姉妹同然に育ったオリヴィアには機微の変化がお見通しである。

 実際ステラは対抗戦が待ち遠しくて気が逸っていた。


「本当に好きなんだな」

「ん。好き」


 オリヴィアほどではないが、ジルヴェスターもステラの表情の変化を読み取れる。

 故にステラが対抗戦を心の底から楽しみにしているのを感じ取れた。


「新人戦の選手に選ばれるといいな」


 いくら好きだとしても、対抗戦の出場選手に選ばれるかはわからない。

 一年生の場合は新人戦に出場することになるので、同学年の中でも魔法師として優秀な者から順に選抜される。

 絶対ではないので断言はできないが、少なくとも戦力にならない者を選ぶ理由はないだろう。


「ん。オリヴィアとジルも一緒」


 ステラは三人一緒に対抗戦に出場したかった。

 その気持ちを表すかのように、二人に交互に視線を送っている。


「そうね。せっかくの機会だし選ばれると嬉しいわ」


 オリヴィアはどちらかと言えば研究者肌であり活発なタイプではない。

 だが、対抗戦は国立魔法教育高等学校にとっても国にとっても一大イベントなので、素直に楽しみたいと思っていた。

 それに魔法協会へのアピールの場でもある。将来のことを考えれば貴重な機会だ。――もっとも、オリヴィアはステラの側付きを辞める気がないので、進路を心配する必要はないのだが。


 アピール云々うんぬんを抜きにしても、対抗戦は在学中にしか経験できないことなので、出場選手として参加できれば代えがたい思い出になるだろう。


「俺はどうだろうな……正直遠慮したいところだが……」


 ジルヴェスターは特級魔法師である自分が出場してもいいのか、と気が引けてしまう。

 実際、彼が出場したら戦力バランスが崩壊するのは間違いない。他校にとっては勘弁願いたいだろう。


 それに単純にあまり目立ちたくないとも思っている。

 明らかに実力の違う者がいたら目立ってしまう上に不思議がられてしまう。


 別に自分の正体を何がなんでも隠したいわけではないが、無用なトラブルを避けるに越したことはない。

 ジルヴェスターは平穏な学園生活を送りたいだけなので、対抗戦に出場することが必ずしもいいことにはならなかった。


「それは……確かにそうね……」


 オリヴィアとステラはジルヴェスターの正体を知っている。

 故にオリヴィアは難しい顔になった。


「残念」


 乗り気でないジルヴェスターの様子に、相変わらず表情の変化が乏しいステラは落ち込んで肩を落とす。

 それでもジルヴェスターの気持ちを尊重したいので素直に受け入れている。健気で愛らしい。

 思わずジルヴェスターも笑みを零す。


「その前に期末試験があるが、大丈夫なのか?」

「……」


 ジルヴェスターの言葉に黙り込んでしまうステラ。


 国立魔法教育高等学校の全校は長期休暇に入る前の三月、七月、十二月に期末試験が実施される。


「実技は当然だが、筆記の結果が芳しくないと対抗戦の選手には選ばれないと聞いたぞ」


 対抗戦の出場選手は期末試験後に発表される。

 例外はあるが基本的に普段の実技科目の授業成績、クラブ活動での実績、期末試験の実技試験での結果を重視して選考されるが、筆記試験の結果があまりにも芳しくない場合は、選抜されなかった生徒に示しがつかないので選考対象から外されてしまう。


「せめて赤点は取らないようにしないとな」


 筆記試験の順位は学年全体が高得点を取ると必然的に上がりにくくなってしまうので、そこまで重視はされない。

 なので、赤点さえ取らなければ問題はないだろう。赤点は成績表に記録されてしまうので言いわけができないからだ。


「まあ、大丈夫だと思うわよ? 前回の試験結果も悪くなかったものね?」

「ん。それにオリヴィアが教えてくれる」


 ステラは普段からオリヴィアに勉強を見てもらっている。

 今回の試験も対策を練っているので、余程のことがない限りは大丈夫だと踏んでいた。


「そういえば、前回の試験結果はどうだったんだ?」


 試験毎に結果が発表される。

 総合順位、実技順位、筆記順位をそれぞれ発表して生徒間で競わせ、競争心と向上心を養うのが目的だ。


 ジルヴェスターは自分の順位に興味がなかったので、発表された順位に軽く目を通しただけで詳しくは確認していない。なので、他の人の順位は把握していなかった。


「私は実技九位、筆記十二位で総合は八位」


 ステラは首を傾げながら記憶を辿って順位を思い出す。


「それなら次の試験も大丈夫そうだな」

「ん」


 前回の成績をかんがみれば次の試験も余程のことがない限りは大丈夫だろう。――日頃から訓練と勉強を怠っていなければの話だが。


「お前は?」

「わたし?」


 ジルヴェスターに話しを振られたオリヴィアは首を傾げると、右手を頬に添えて記憶を辿る。


「わたしは実技十五位で筆記は二位、そして総合は十二位だったわ」


 筆記よりも実技の結果を重視する傾向にあるので、筆記の結果が良くても順位は上がりにくい。オリヴィアがわかりやすい例だ。


 二人とも学年上位の成績を残しており、順当に行けば対抗戦の代表選手に選抜されるだろう。――もちろん絶対ではないので断言はできないが。


「ジルくんは全て一位だったものね」

「ああ」


 オリヴィアの言う通り、ジルヴェスターは実技と筆記ともに一位だった。なので、当然総合でも一位だ。

 ジルヴェスターが大したことではないと言うかのように平然と頷くので、オリヴィアは肩を竦めながら苦笑する。


「ジルだから」

「そうね。ジルくんだものね」


 驚くことなくお決まりの台詞を呟くステラと、慣れた調子で相槌を打つオリヴィア。


「おい……」


 小さく溜息を吐いたジルヴェスターは二人に抗議の視線を送る。


 二人にとってジルヴェスターは、なんでも高水準でこなす完璧な人として認識されている。

 文武両道ぶんぶりょうどう眉目秀麗びもくしゅうれい冷静沈着れいせいちんちゃく博識多才はくしきたさい八面六臂はちめんろっぴ蓋世之材がいせいのざいを地で行くと思っているからこその反応だ。


「俺も普通の人間なんだが……」


 ジルヴェスターがそう愚痴を零すと――


「ふふ、そうね。ジルくんにも至らないところはあるものね」


 とオリヴィアが意味深な表情と声色でフォローする。


「……」


 だが、ジルヴェスターは黙り込んでしまう。

 実のところジルヴェスターはオリヴィアに対して後ろめたいことがある。

 それに関してオリヴィア自身は容認しているのだが、どうしても割り切れないのだ。


 沈黙が場を支配しようとした時、背後から声が掛かった。


「よっ。おはようさん」


 後方の入口からアレックスがやって来た。

 彼はジルヴェスターの隣に腰を下ろす。彼が座る席も既に指定席同然になっている。


 三人が挨拶を返すと、アレックスが口を開く。


「何を話していたんだ?」

「対抗戦について」「試験について」


 対抗戦を楽しみにしているステラと、試験に集中しているオリヴィアは同時に異なった返答をする。


「どっちだよ……」


 アレックスは呆れて溜息を吐くが、思い出したようにジルヴェスターに視線を向ける。


「そうだ。ジル、試験勉強見てくれないか? 主に筆記の方を」


 オリヴィアが言った試験という単語で思い出したのだろう。

 アレックスはジルヴェスターに頼み込むが、相変わらず態度と口調は軽い。


「意外だな」


 ジルヴェスターは意外感をあらわにする。

 アレックスがあまり真面目なタイプに見えないからだ。

 実技はともかく、筆記は二の次という印象がある。


「まあ、好き好んで勉強はしないが、俺も一応フィッツジェラルドの名を名乗っているからな。最低限の成績は残しておかないと家名に傷がついちまう」


 アレックスは名門――フィッツジェラルド家の直系だ。

 不甲斐ない成績を残すと家名を貶めることになりかねない。


「俺はどう思われても構わないが、家名に恥じない成績を残した兄たちと姉たちに申し訳ないし、何より下の兄弟たちに汚名を着させてしまうのはプライドが許さん」


 今まで上の兄弟が優秀な成績を残して家名を高めて来たのに、万が一自分の所為で貶めることになっては面目が立たなかった。

 最悪、下の兄弟に「自分たちが頑張らないと」と余計なプレッシャーを与えてしまうかもしれないし、兄の不甲斐なさを嘲笑あざわらわれたり、揶揄からかわれてしまったりする恐れもある。

 それだけはなんとしても避けたかった。


「お前も大変なんだな」

「まあな」

「そういうことなら協力しよう」

「助かるわ。恩に着る」


 友人の助けになるなら断る理由はないので、ジルヴェスターは協力することにした。


「せっかくだし、私たちもご一緒させてもらえないかしら?」


 オリヴィアも勉強会に参加を申し出る。

 いずれにしろ勉強はしないといけないし、ステラの勉強を見なくてはならないので渡りに船だった。


「構わんぞ」

「ありがとう」


 ジルヴェスターが了承するとオリヴィアは微笑んだが、ステラは無表情を貫いていた。

 おそらく対抗戦のことで頭の中が埋め尽くされているのだろう。


 そして見計らったかのように会話が一段落したタイミングで予鈴よれいが鳴り、前方の扉から担任のメルツェーデスが姿を現した。


 ◇ ◇ ◇


 放課後になると一年A組の教室で勉強会を開いた。

 参加メンバーはジルヴェスター、ステラ、オリヴィア、アレックス、イザベラ、リリアナ、レアル、レベッカ、シズカの九人だ。


 前回の試験では全員上位の成績を残している。


 一度前回の試験結果の順位を整理しよう。


 実技

 一位・ジルヴェスター

 二位・レアル

 三位・シズカ

 四位・イザベラ

 七位・アレックス

 九位・ステラ

 十一位・リリアナ

 十五位・オリヴィア

 十七位・レベッカ


 筆記

 一位・ジルヴェスター

 二位・オリヴィア

 三位・リリアナ

 五位・イザベラ

 七位・シズカ

 八位・レアル

 十二位・ステラ

 二十二位・レベッカ

 三十一位・アレックス


 総合

 一位・ジルヴェスター

 二位・レアル

 三位・イザベラ

 四位・シズカ

 八位・ステラ

 十位・リリアナ

 十二位・オリヴィア

 十七位・アレックス

 二十一位・レベッカ


 以上のように九人は学年でも上位の成績を残している。


 みんな元々優秀なので勉強は滞りなく進んでいた。

 時折わからない箇所をジルヴェスターやオリヴィアなどに尋ねるくらいだ。


「ジルは勉強しなくていいのか?」


 みんなが真面目に勉強している中、ジルヴェスターは一人だけ読書に興じていた。 

 それがアレックスは気になった。


「ああ。全て頭に入っているからな」


 ジルヴェスターは本から目を離さずに答える。


「マジかよ。さすが首席殿は違うな」


 余裕綽々としているジルヴェスターの態度にアレックスは溜息を吐く。


「ジルくんは一度見聞きすれば完璧に覚えてしまうのよ」

「――は?」


 オリヴィアが軽い調子で言うと、アレックスは呆気に取られてぽかんと口を開いた。


「なんか人として備わっているスペックが違うよね」


 話を聞いていたレアルが苦笑しながら呟く。


「完璧は言いすぎだ」


 ジルヴェスターは活字の羅列から目を離して顔を上げると、至極真面目な表情で訂正する。


 いくらジルヴェスターでも見聞きしたことを全て瞬時に記憶することは不可能だ。

 見聞きしたことを自分の意思に関係なく記憶してしまうと、さすがに脳の許容量を超えてパンクしてしまう。――それでも常人とは比較にならないほどの記憶力を有しているのだが。


「俺だって忘れることはあるし、興味のあることを優先的に覚える」


 脳は記憶領域が壊れないように、勝手に取捨選択して記憶を整理してくれている。なので、しっかりと覚えていることもあれば、忘れてしまっていることもある。


 本人が大事だと思っていることや興味のある事柄に関してはしっかりと覚えており、逆に切り捨ててもいいと判断したことは優先的に覚えないようにしてくれたり、忘れさせてくれたりするので、自分の脳は中々気が利くと思っていた。

 お陰でジルヴェスターの脳は壊れないで済んでいる。


「ジルくんにも人間味があって良かった」

「人間だからな」

「ふふ」


 レベッカが揶揄からかうような口調で言うと、ジルヴェスターは肩を竦めながら冗談交じりに答えた。


 確かにあまりにも完璧すぎると機械のようで不気味に感じるかもしれない。

 その点、自分の興味を優先したり欠点があったりすると人間味を感じられる。


「レベッカ、イチャついていないで手と頭を動かして」

「――イ、イチャついてないけど!?」


 隣に座っているシズカに指摘されて慌てふためく。


「勉強しないならもう教えないわよ」

「ひえ」


 レベッカは苦手科目をシズカに教えてもらっていた。

 シズカは前回の試験で筆記七位の成績を残しているので、教えを乞う相手としては申し分ない。


「見捨てないでよ~」

「はいはい」


 突き放すような言い方をされたレベッカは反射的にシズカにしがみつき、胸に顔をうずめる。

 当のシズカは溜息を吐くが、レベッカを引き剥がそうとはしない。


「ふふ、仲良しですね」

「そうだね」


 真面目に勉強していたリリアナが二人のやり取りを見て微笑むと、隣にいるイザベラも笑みを零した。


「ほら、二人を見習って」

「は~い」


 シズカは黙々と勉強しているリリアナとイザベラに視線を向けながらそう言い、レベッカを促す。


「飼い馴らされてるペットかよ」


 アレックスが率直に思ったことを口走ると――


「わたしより筆記の順位低いあんたはペット以下ね」


 間髪入れずにジト目を向けながら言い返すレベッカであった。

 

「……」


 正鵠せいこくる指摘にアレックスは何も言い返すことができず、顔を引き攣らせながら黙り込んでしまう。

 彼も友人に教えを乞う身だ。しかもレベッカより筆記の順位が下なのは偽らざる事実なので、否定も反撃もできなかった。

 

「アレックス……」


 あわれみの籠った眼差しを向けるレアル。


「その目はやめてくれ……」


 居た堪れなくなったアレックスは目を背けて肩を竦めた。


「レベッカならかわいいペットだな」

「ええ!?」


 様子を見守っていたジルヴェスターが唐突に呟く。

 単語だけ見ると中々に酷い言葉だが、言われた本人は赤面して照れていた。


(――キュンとした! わたし、もしかしたらマゾかもしれない……!)


 不意打ちを食らったレベッカは足腰の力が抜けてしまっている。

 ゾクゾクしている胸中に、自分の新たな性癖を垣間見た気がした。


「いや、他意はない。ただ純粋に愛らしいと思っただけだ」


 ジルヴェスターは言い方が悪かったと思い補足を口にする。


「ジルくん、レベッカのこと口説いてる?」

「そんなつもりはなかったんだが……」


 オリヴィアは呆れて溜息を吐き、若干棘のある口調で尋ねる。

 どうやら照れているレベッカの様子に思うところがあったようだ。


「天然ジゴロ」


 我関せずを貫いて勉強に集中していたステラは、視線を手元に固定したままぽつりと呟くと――


「オリヴィア、ここ教えて」

「んーと、ここはね――」


 興味を失くしたかのようにオリヴィアに教えを乞う。

 ステラの頭の中は対抗戦のことで埋め尽くされている。だが、勉強を終えれば実技の練習ができるとやる気に満ちていた。


 実技試験は対抗戦の選手選考に影響があるから練習を怠らずに結果を残したいのだろう。


「……」


 言った後は放置するステラの態度に、ジルヴェスターは肩を竦めるしかなかった。


 その後も照れるレベッカを茶化しながら勉強会は進んでいく。

 仲がいいのは微笑ましいが、果たして身になったのであろうか。


 ◇ ◇ ◇


 同時刻――生徒会室でも勉強会が開かれていた。


「会長とサラ先輩は試験勉強しなくてもよろしいのですか?」


 アンジェリーナが手元から顔を上げて質問する。

 みんなが勉強している中、クラウディアとサラだけは生徒会の業務を処理していたからだ。


「ええ、大丈夫よ。みんなは気にせず勉強していて」

「ですが……」


 クラウディアは微笑んでいるが、アンジェリーナとしては先輩に仕事を押しつけて自分たちだけ勉強していてもいいのだろうか、と気が引けていた。


「気にするな、気にするな」


 肘をデスクについて左手に顎を乗せているカオルが、右手を軽く振りながらそう言う。


 風紀委員長のカオルは良く生徒会室に入り浸っている。

 役職柄生徒会とやり取りすることが多いというのもあるが、単純に暇潰しに来ることも多い。

 なので、今日は彼女も一緒に試験勉強に励んでいた。


「二人に試験勉強は必要ない」

「そんなことないわよ」


 カオルの言い様にクラウディアが真面目な顔で否定する。


「いやいや、二人は筆記で一位と二位から落ちたことないだろ」


 クラウディアとサラは入学以来、筆記試験で一位と二位を独占していた。

 二人が一位と二位で入れ替わることはあるが、三位以下に落ちたことはない。


「さすがですね」


 素直に感嘆するアンジェリーナ。


「ちゃんと授業を聞いていればできることですよ」

「いやいやいやいや」


 サラにとっては、授業を真面目に受けていれば試験の度に焦る必要は微塵もないことだった。

 だが、納得がいかないカオルは顔を左右に二回ずつ振ると、呆れたように愚痴を零す。


「授業を真面目に聞いていたところで全て覚えられないだろ」


 確かに一から十まで覚えられたら誰も苦労はしない。もっともな指摘だ。


「覚えられなくても要点をまとめ、出題されるであろう箇所に焦点を絞って復習すれば済む話ですよ」

「出題される問題を予測できたら苦労しないんだよ……」


 カオルは深々と溜息を吐いて肩を竦める。

 サラにとっては簡単なことでも、カオルには真似できないことであった。


「私も完璧に予測しているわけではありませんよ」


 とはいえ、いくらサラでも出題される問題を完璧に予測することはできない。

 全てをピンポイントで予測するのは不可能だ。


「ある程度の範囲に絞っているだけです」


 おおよその範囲に限定してしまえば復習する負担は減る。


「その予測が外れたらどうするんだよ……」


 確かに予測が外れたら目も当てられない。


「今のところ予測が外れたことはありませんね。それにもし外れたとしても、普段から授業を聞いているので大体は答えられます」


 書類整理する手を止めないで答えるサラの姿には余裕が感じられる。焦る必要などないと言っているかのようだ。


「クラウディアはどうだ?」


 カオルは堪らず親友にも尋ねてみる。

 すると、クラウディアは困ったように眉尻を下げた。


「私はサラとは違うわよ」

「と言うと?」

「私は普段から欠かさずに勉強しているだけだもの」


 つまりは努力の賜物たまものというわけだ。


 努力だけではどうにもならないことはある。

 それでも一位と二位から落ちたことがないのだから、そもそも頭のできが違うのかもしれない、とカオルは思った。


「座学に関してはクラウディアが秀才型で、サラは天才型ってことだよ~」


 デスクに上半身をうつ伏せて脱力しているビアンカが述べる。


「なるほど。わかりやすい例えですね」


 得心したアンジェリーナが頷く。

 

「先輩はちゃんと勉強してくださいよ~」


 クラーラが涙目になりながらビアンカの身体を揺する。

 みんなが勉強する中、一人だけ焦る様子もなくのんびりと過ごしているビアンカが心配で、試験は大丈夫なのかと不安になっていた。


「まあ、大丈夫でしょ~」


 それでもビアンカはマイペースを保っている。

 表情にも態度にも焦り一つ見受けられない。ある意味肝が据わっていた。


「そんなお前が意外と筆記の成績いいから世の中理不尽だよな……」


 カオルが遠い目をして嘆く。


 余裕綽々よゆうしゃくしゃくとしているビアンカだが、これでも筆記の成績は悪くない。

 焦ることなくのんびりしているのは確たる自信故だった。


「先輩~」


 いくら成績がいいとはいえ、心配なのは変わらない。

 なので、クラーラは勉強させようと必死で身体を揺する。


「クラーラはかわいいな~」

「ふえ~」


 当のビアンカは、涙目のクラーラの頬を摘まんでふにふにともてあそぶ始末だ。


 もてあそばれても文句一つ言わないクラーラは、愛らしくていい後輩であった。かわいがられるのも納得だ。


 クラーラのお陰で場がなごみ、一同に笑みが零れた。


 その後も和気藹々わきあいあいと緊張感に欠けたまま勉強会が進んでいくが、果たして一同の試験結果はどうなるのであろうか。

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