[10] 侵入

 四月四日――レアルは前日から母と一緒にシズカの実家でお世話になっていた。


 シノノメ家の朝は早い。

 敷地内にある道場では複数の木刀が打ち合う音が響いていた。

 男女問わず住み込みの門下生が早朝から鍛錬に励んでいるからだ。


 レアルはせっかくの機会なので鍛錬に参加させてもらっていた。

 そして現在はシズカの兄であるマサハルに稽古をつけてもらっている。


「踏み込みが甘いぞ」

「はい!」


 レアルは対面するマサハルに木刀を打ち込む度に改善点を指摘されてしまう。


 シズカは七人兄弟であり、現在二十三歳のマサハルは長兄だ。

 誤解のないように説明すると、マサハルは兄弟の中で上から二番目だ。

 順に、長女、長男マサハル、次男、次女、三女シズカ、三男、四女となっている。


 マサハルはシノノメ流剣術の師範を務めており、腕前は家門でもトップクラスだ。

 師範として多くの弟子を抱えており、指導力には定評がある。

 東方人の末裔らしい黒髪を靡かせているマサハルは好青年といった印象だ。

 身長は百七十センチ後半で、そこまで大きくはないが、引き締まった身体と熟練者特有の存在感が実際の身長よりも大柄に錯覚させられる。


「力任せに振るな」

「はい!」


 気合を込めた一撃をマサハル目掛けて振り下ろしたが、余計な力が入っていたのか注意されてしまう。


 レアルは武装一体型MACである剣を愛用しているが、剣術を習ったことはない。全て独学で基礎がなっておらず、マサハルにとっては指導し甲斐があった。


 マサハルがレアルに指導しているのはあくまでも基礎の段階だ。

 何もシノノメ流剣術が剣術の正解でも完成形でもない。

 独学が悪いわけではなく、自分に合ってさえいればそれが正しい技術だ。


 レアルが正式にシノノメ家の門下生になるのならば、シノノメ流剣術の専門的な技術を指導するが、客人である以上は基礎を教えるにとどめる。

 未熟な者には危険な技術もあり、客人に危険の伴う鍛錬を課す無責任なことはできないからだ。


「よし、少し休憩にしよう」

「は、はい」


 肩で息をしているレアルの様子を見た上での判断だ。


「俺はみなの様子を見て回るが、気にせず休んでいなさい」

「わかりました」


 マサハルには師範としての役目がある。レアル一人に構っていはいられない。

 もちろん師範はマサハルだけではないので、決して門下生を疎かにしているわけではない。


 現に、シノノメ家の当主で総師範を務めるシズカの父――シゲヨシと、兄弟で上から三番目の次男――タケフミが指導を行っている。タケフミは師範代だ。


(マサハルさんは凄いな……)


 レアルは邪魔にならないように壁際に移動して腰を下ろすと、鍛錬に励む門下生の様子を見て回るマサハルの姿を目線で追い掛ける。

 マサハルは鍛錬が始まってからずっとレアルと打ち合っていた。だが、マサハルは呼吸一つ乱れていない。レアルは自分との格の違いを実感した。


(いい経験だ)


 マサハルに改善点を指導してもらう度に自分が成長していっているのがわかり、充足感に満ちて清々しい気分だった。

 近頃は気の沈む毎日を送っていたが、シノノメ家にお世話になって良かったと心の底から思った。


 ◇ ◇ ◇


 時同じくして、シノノメ家の台所では女性陣がせわしなくしながらも和気藹々と朝食の支度をしていた。


 シノノメ家の決まりで、娘たちは花嫁修業を兼ねて料理を担当することになっている。

 なので、現在台所にはシズカの母であるツキコはもちろん、姉たちもいた。


 ツキコは現在四十六歳。

 長女のアヤノは二十六歳。

 次女のミヤビは十九歳だ。


 ツキコは元々シノノメ家の門下生だったが、現当主のシゲヨシに見初められて妻になった。現在は師範としても、母親としても日々働いている。


 長子のアヤノは普段穏やかで優しくお淑やかな姉だが、師範を務めており、剣術の腕は兄弟随一だ。下の兄弟たちにとっては第二の母のような存在でもある。


 上から四番目のミヤビは兄弟の中でちょうど真ん中なので、中間管理職のような立場になっており、上と下、両方の兄弟の板挟みなってしまうことが多い。準師範の地位でもあり、門下生の指導もこなしている苦労人だ。


 女性陣が食事の用意を担当しているが、男性陣はその分門下生の指導を引き受け、力仕事も請け負っている。無論、まだ幼い下二人の兄妹は例外だ。


 門下生は自分たち用の生活区画にある厨房で食事の用意を行っている。当番制で役割を分担しており、性別は関係ない。


「お二人とも手伝わせてしまって申し訳ないわね」

「いえいえ、お世話になりっぱなしは申し訳ないですから」

「わたしは料理が趣味なのでむしろ嬉しいです!」


 台所で料理をしているのはシノノメ家の女性陣だけではない。

 ツキコは朝食の支度を手伝ってくれているレアルの母――カーラと、レベッカにお礼を述べた。


「それにしてもレベッカちゃんは手際がいいわね」


 慣れた手付きで食材を切っていくレベッカの姿に、カーラは感心したように呟く。


「息子のお嫁さんになってほしいわ」

「えぇっ!?」


 カーラの言葉にレベッカは驚き、危うく包丁を手放してしまうところだった。


「そうね。うちの息子とかどうかしら?」


 ツキコもカーラに賛同してしまう。

 次男か三男はどう? などと提案する始末だ。


「うちは姉さんが先でしょ」

「それもそうね……」


 ミヤビの指摘にツキコが難しい顔をして黙り込んでしまう。


 アヤノは現在二十六歳だが、未だ独身だ。

 これには理由がある。

 シノノメ家の方針上、娘の夫になる者は剣術の腕を当主に認められなくてはならないからだ。


 そもそもアヤノは師範である。

 彼女の夫になろうと意気込むのは自由だ。しかし、彼女より剣術の腕前が劣る者はアプローチする気概すら持たない。


 また、アヤノは魔法師としても優秀であり、上級一等魔法師の階級を得ている。

 剣士としても魔法師としても彼女に敵わないとなれば、情けないことに男は萎縮してしまう。

 アヤノの夫になる者は魔法師としても剣士としても彼女より優れていなければ認めない、と当主であるシゲヨシも公言しており、婚期を逃してしまっていた。


 アヤノ本人は男なら誰もが見惚れてしまうほどの美人であり、穏やかで面倒見がいいのも合わさって非常にモテるのだが、悲しいことに浮いた話は全く縁がなかった。


 自分が話題の中心になってしまったアヤノは困り顔になっている。


「駄目ですよ~、ママさん方」


 台所にはいなかったビアンカが襖の先から姿を現して口を挟む。まるで見計らったかのようなタイミングだ。


「レベッカには意中の相手がいますから」

「――ちょ! ビアンカ!!」

「あらあら」

「まあまあ」


 レベッカは顔を赤らめてビアンカに詰め寄る――包丁を持ったまま。

 カーラとツキコのご婦人二人組は興味深そうに微笑んでいる。


「ほ、包丁はヤバイって!」


 ビアンカはレベッカの形相に顔面を蒼白させて後退る。


「落ち着いて」


 ミヤビが横合いから包丁を掠め取ってくれたことにより事なきを得て、ビアンカはほっと息を吐いて安堵する。

 華麗な手際であった。さすがは準師範。――関係あるのかはわからないが。


「すみません……」


 冷静になったレベッカは包丁を返してもらい、食材を切る作業に戻る。

 包丁で俎板まないたを叩く音が小気味好こぎみよい。


「それで意中の相手はどんな子なの?」


 恐れ知らずにもカーラが尋ねる。


「いや、ちょっと気になるってだけなので……」


 実際にレベッカが好意を寄せている相手――ジルヴェスター――のことは、まだ好きという段階までは行っておらず、気になる人の範疇に収まっていた。


 カーラとツキコだけではなく、密かにアヤノとミヤビも聞き耳を立てている。

 女性はいくつになっても色恋の話に色めき立つものなのかもしれない。


 耳が赤らんでいるレベッカの姿に、ビアンカは微笑みを浮かべて見守っている。可愛い妹分の恥じらっている姿が愛おしくてならなかった。


 その後、レベッカは質問攻めにされて辟易してしまう。それでも手際よく調理を行っていたのはさすがの一言であった。

 なお、その間シズカは我関せずを貫き、藪蛇となるのを避けていた。


 レアルとカーラは、ビリーの屋敷にいる時よりも表情が柔らかく穏やかに過ごせている。

 二人にとっては久方振りに気を張らないで過ごせる貴重な時間になっていた。


 ◇ ◇ ◇


 夜が更けた頃、ジルヴェスターはプリム区のティシャンに赴いていた。

 現在は一際豪奢な屋敷の前にいる。ビリー・トーマスの屋敷だ。


「趣味が悪いな」


 屋敷を見回した第一印象がそれだった。如何いかにも金をふんだんに費やしたと思われる外観に目を逸らしたくなったほどだ。


 時間的に人気ひとけがないので、隠密行動には適している。

 その上、ジルヴェスターは光学迷彩オプティカル・カムフラージュ消音の包容サイレント・インクルージョン無臭オーダレスを同時に行使し、万全の態勢を整えていた。


 ――『無臭オーダレス』は無属性の第二位階魔法で、対象の臭いを消す生活魔法だ。


 魔法の効果で誰もジルヴェスターの存在には気づかない。


 趣味の悪い外観に辟易しながらも、目的を果たす為に足を踏み出す。

 身体強化フィジカル・ブーストも行使して屋敷を囲っている塀を飛び越える。


 敷地内に入ると、屋敷に侵入できそうな場所がないか見て回る。

 完全に不法侵入だが、ジルヴェスターは気にした様子もなく平然としていた。


(ん……?)


 明かりが漏れている窓を見上げると、カーテンが揺らめいていた。

 暗くて判別しにくいが、千里眼クレアボイヤンスを行使して確認する。

 すると僅かに窓が開いており、風でカーテンが揺れていたのだ。


 ――『千里眼クレアボイヤンス』は無属性魔法の第六位階魔法で、遠くを視ることができる支援魔法だ。より遠くを視るほど魔力を消費する。


 窓の場所は三階であり、普通は侵入口に使えない。だが、魔法師には関係ないことだ。

 魔法を行使できれば簡単に三階へ飛び移れる。


 ジルヴェスターは難なく窓がある外壁へ飛び移ると、窓の隙間から手を伸ばしてカーテンを捲り、室内の様子を窺う。

 窓の先は廊下だった。幸いなことに人の姿は見当たらない。


 室内の様子を確認したジルヴェスターは、窓を開けて侵入した。

 廊下に出ると、不法侵入しているにもかかわらず堂々と歩いていく。


 光学迷彩オプティカル・カムフラージュ消音の包容サイレント・インクルージョンで姿と音を消し、更に無臭オーダレスで匂いも消しているが、歩いた際に生じる空気の流れまでは消せない。なので、人とすれ違う際はさすがに足を止めている。


 目指す場所はビリーの執務室だ。

 どこが執務室なのかわからないので、手当たり次第部屋を確認していく。


 その最中さなか、途中でビリーが複数の女性と乱交している場面を目撃してしまう。

 乗り気な女性もいれば、諦念して表情が抜け落ちている女性もおり、様々な境遇の人がいることを物語っていた。


 堂々としながらも気づかれないように細心の注意を払い、いくつもの部屋に入って行くと、遂に目的の場所へと辿り着く。


(ここか)


 その場所はビリーの執務室だった。

 部屋に侵入すると、目当ての物がないか見て回る。


 今回ビリーの屋敷に侵入したのは、後ろ暗いことに手を染めている証拠を探る為だ。

 もちろん悪事を働いていない可能性もあるが、それは調べれば判明する。


 デスクの引き出しや、棚などを一通り探っていく。


(目ぼしい物はないか……)


 悪事の証拠になりかねない物を残しておくほど浅慮ではないのか、成果は芳しくなかった。


(仕方ない……できればこの手は使いたくなかったが……)


 証拠を見つけられなくても、取れる手段は他にもある。ただ、少々強引な手になってしまうので、可能なら避けたかったのが本音だ。


 強硬策に出るとしても、ビリーが一人の時を狙わなくてはならない。


(一先ず今日のところは退散すべきだな)


 乱交がいつ終わるのかわからない。

 いつまでも待ってなどいられないし、他人の行為を観察する趣味もないので、大人しく日を改めることにした。


 ◇ ◇ ◇


 同時刻の壁内某所。


 裸でベッドに俯せ、侍らせている男にマッサージをさせている女のもとへフランコが姿を現す。


「姫」

「あら? 何かあったの?」


 女は俯せの状態で器用に首を傾げる。


「はい。ご報告を」

「そう」

「トーマス卿から例の件、滞りなく済んだと連絡がありました」


 例の件とは、マーカス・ベイン暗殺のことだ。


「遺体は確認したのかしら?」

「二時間ほど前に住民が発見したそうです。被害者がベイン卿だと政府は内密にしているようですが、要人でなければ秘匿する理由はないかと」

「そうね」


 要人が暗殺されたなどと知られれば騒ぎになる。

 政府が秘匿するのは、おおやけにすると市井に不安や混乱を招く恐れがあるからだと推測できる。


「まあ、成否はどうでもいいわ。結果がどうであれ、わたくしには全く影響ないもの」


 マーカス暗殺の件に成功しようが失敗しようが、彼女にとっては大した影響はなかった。

 邪魔者が減って多少は動きやすくなるが、仮に失敗しても今と状況が変わるわけではない。


 不審死が立て続けに起こっている現状、政府は疑惑の目を向けるだろう。

 万が一原因を突き止められても、今回の件に関してはビリーに全責任が行くように仕向けている。

 なので、成否にかかわらず、彼女にとっては微塵も痛手にならなかった。


「姫のがある限り、トーマス卿は傀儡でしかありませんからね」

「その通りよ」


 女にとってビリーは操り人形でしかなかった。

 彼女のが働いている限りは逆らえない。いや、正確に言うと逆らいようがない。

 何故なら女に対してのだから。


「何も心配はいらないわ」


 女はマッサージが気持ち良くて時折吐息を漏らす。


「わたくしが楽しめればそれでいいのよ」


 顔を赤らめて悦に浸る女は自分の都合しか考慮していない。


「また何かあれば報告をお願いね」

「畏まりました」


 フランコはうやうやしく頭を下げてから退室した。


 ◇ ◇ ◇


「――カーラはどこだ!」


 複数の女性と乱交に興じていたビリーは、侍る女たちを無視して大声を上げる。


「ビリー様、カーラさんは不在ですよ」


 一人の女がなだめるように告げる。


「そう言えばそうだったな……」


 カーラはビリーに外出の許可を取ってからシノノメ家へ赴いている。息子がお世話になっているクラスメイトの親御さんに招待されたと偽ってだ。


 ビリーはお気に入りであるカーラの頼みを無下にはできず許可を出していた。――興奮の余り失念していたが。


「私では物足りませんか?」


 胸を押し付けて上目遣いする女が尋ねる。


 この女の年齢は二十代後半で、政界で出世する為の足掛かりとしてビリーに取り入っていた。

 七賢人のビリーが後ろ盾になってくれれば心強いのは間違いない。


「……」


 ビリーは女に目を向ける。


「興が冷めた。今日は一人で休む。お前らは出て行け」


 散々奉仕させ、愛情のない行為を強要していたにもかかわらず、自分の都合で女たちをぞんざいに追い出してしまう。機嫌が悪いのか荒々しい態度だ。


 女性たちは文句を言える立場ではないので、唯々諾々いいだくだくと従うしかなかった。

 残念がる者もいれば、解放されたと安堵する者もいるが、総じてビリーを怒らせないようにそそくさと退散していく。


 ビリーは女性を侍らせたまま眠ることが多いが、この日は一人で休みたい気分だった。

 お気に入りのカーラがいなくて苛立っている。自分で外泊の許可を出したが、今になって後悔していた。なんとも女々しい男だ。


 そして、つい先程まで乱交三昧だったこともあり、すぐさま眠りについた。


 ◇ ◇ ◇


「――ん?」


 ビリーの屋敷から立ち去ろうとしていたジルヴェスターは、複数人の気配に気づく。


 執務室から出て気配の正体を探る。

 探知魔法を使えば早いが、万が一優れた魔法師が屋敷内にいた場合は勘付かれてしまう恐れがある。なので、安易に探知魔法は使えなかった。


 光学迷彩オプティカル・カムフラージュ消音の包容サイレント・インクルージョン無臭オーダレスの三つの魔法を行使しているジルヴェスターは、堂々と気配のする方へと近付いていく。


 すると、同じ階にあるビリーの寝室から複数の女性が退室しているところに遭遇した。

 追い出されて慌てていたのか、衣服を着る暇もなく手に持って全裸のままの者や、下着だけ身に付けている者ばかりだ。


(ちょうどいい)


 ジルヴェスターは日を改めようと思っていたが、タイミング良くビリーが一人になってくれた。

 チャンスだと思い、女性たちが退散して扉が完全に締まる前に素早く室内に侵入する。


 室内は薄暗かった。

 近付かなくても寝息が聞こえてくる。


(熟睡しているな)


 ビリーに近付くと、良く確認するまでもなく深い眠りについているのがわかった。

 ジルヴェスターはビリーへ左手を翳す。

 そして――


精神干渉メンタル・インターフェアレンス


 魔法を発動した。


 魔法行使時にはMACが光るが、光学迷彩オプティカル・カムフラージュの効果で光っているのが周囲には見えなくなっている。そのお陰でビリーを起こしてしまう心配がない。


 ――『精神干渉メンタル・インターフェアレンス』は呪属性の第六位階魔法であり、対象者の精神に干渉する事ができる妨害魔法だ。


 ジルヴェスターはビリーの精神に干渉し、思考を誘導して必要な情報を自白させようと企てていた。

 しかし――


(ん? これは……弾かれた?)


 思考誘導しようとしたが、割り込む余地がないかのように魔法を弾かれてしまった。

 今度はより魔力を込めて割り込もうと試みる。

 しかし、再び弾かれてしまう。


 ジルヴェスターは一度魔法を解除し、顎に手を当てて思考するが、数秒後には結論に辿り着く。


(まさか……既に思考誘導されている?)


 既に思考誘導されている者を新たに思考誘導しようと試みても優先順位が発生し、後から割り込むのは厳しくなる。精神に刻み込まれた事象は基本的に上書きできないからだ。

 しかし、優れた技量と魔力量を有していれば割り込むことは決して不可能ではない。


(しかもこれは思考誘導より強力な代物だ。洗脳に近いか)


 ジルヴェスターですら割り込めなかった。

 これらのことから推測するに、彼よりも豊富な魔力量と技量を有する者が先に思考誘導を行っていることになる。

 しかし、その線は考えがたい。いや、むしろ不可能だ。


 ジルヴェスターは特級魔法師第一席である。

 魔法師によって得意な魔法の種類に違いがあるとはいえ、彼には得手不得手が存在しない。どのような魔法でも難なく行使できる。


 そもそもジルヴェスターより優れた魔法師が存在するとも考え辛い。

 ジルヴェスターは自分のことを過信していないが、周囲からの評価を鑑みても覆りようがない事実だとは理解していた。


 以上の理由から、残された可能性は思考誘導よりも強力な力が作用している線に絞られる。

 しかし、精神干渉メンタル・インターフェアレンスには洗脳する効果はない。

 また、洗脳の効力を持つ魔法そのものが現状存在しない。


(考えるのは後だ)


 ジルヴェスターは一度思考を放棄して、別の手段を試みる。


(できればこの手は用いたくなかったが、仕方ない)


 行使する魔法は先程と同じ精神干渉メンタル・インターフェアレンスだが、別の効力を用いる。


 ジルヴェスターはビリーの精神に深く侵入し、記憶領域にまで踏み込む。

 そしてビリーの記憶を覗き込む。


 精神干渉メンタル・インターフェアレンスには対象の記憶を覗くことができる能力もある。覗くことができるだけで、記憶を改竄かいざんしたりなどの介入はできない。

 また、記憶を覗くと対象の記憶を追体験することなる。対象に過酷な過去がある場合、術者も同じ出来事を追体験しなくてはならない。過酷な過去などなくとも、術者にとって不快な記憶を追体験してしまう恐れもある。


 それこそビリーの場合は、様々な女性と乱交している時の記憶などを追体験してしまう。なので、この手は避けたいのが本音だった。


 それからしばらくビリーの記憶を追体験する。

 一部洗脳の影響かもやが掛かっていてはっきりと見えない箇所があったが、概ね見ることはできた。


(黒か)


 その結果、ビリーは完全に黒であった。


 レアルの父がビリーに借金しているというのは全くの出鱈目でたらめであり、偽造の借用書であった。

 レアルの父が亡くなったのは完全に不幸な偶然だったようだが、元々カーラに目を付けていたビリーは絶好の機会だと思い工作に乗り出したようだ。


 また、別の女性にも様々な工作をして手籠めにしたようである。

 中には真っ当な件もあるが、ほとんどは非合法だ。


 そして七賢人の立場を利用して横領も行っていたようだ。

 基本的に大掛かりなことは行っておらず、小物感が漂っている。


 おそらくレアルに暗殺を命じたのは洗脳の件が関わっており、ビリー本人の意思は介在していない可能性が高い。


(最早遠慮はいらんな)


 ビリーが合法の上で行っていた場合を考慮して穏便にことを進めていたが、完全に黒だとわかった以上遠慮する必要はなくなった。


 ジルヴェスターは自身を対象にして発動している消音の包容サイレント・インクルージョンのみ解除し、改めて今いる部屋一帯を指定範囲にして消音の包容サイレント・インクルージョンを行使し直す。

 すると、包容力のあの魔力の幕が部屋全体を覆っていく。

 これでこの部屋で発生した音は室外へ漏れない。


 問題なく魔法が行使されたのを確認したジルヴェスターが口を開く。


「ビリー・トーマス」


 あまり声量は大きくないが、ジルヴェスターの低音ボイスが鮮明に響く。

 しかし、それでもビリーは目を覚まさない。

 二、三度名前を呼ぶが全く反応がない。


「……」


 いくら名を呼んでも埒が明かないと判断したジルヴェスターは、左耳の耳朶に装着している耳飾りピアス型の単一型MACに魔力を送る。

 そして魔法を行使した。


苦痛の行方ロード・オブ・ペイン


 ジルヴェスターがそう呟くと、彼を起点に禍々しい魔力の波動が発生し、ビリーへと降り注ぐ。

 すると――


「うぐ、ぐぁあああああああ」


 ビリーは胸を押さえて悶え苦しみ始め、段々と絶叫へと変わっていく。

 目からは涙が、口からは唾液が、身体中から汗が滂沱と流れ出していく。


 ――『苦痛の行方ロード・オブ・ペイン』は闇属性の第六位階魔法であり、対象者の精神に苦痛を与える攻撃魔法だ。身体的ダメージはないが、身体にダメージを受けたと錯覚させることも可能で、魔法抵抗力や精神耐性の弱い者ほど苦痛を味わう。


 今のビリーは精神に激痛が襲い、身体中が焼かれているような錯覚を身に受けていた。

 非魔法師であるビリーには当然魔法抵抗力がない。普通なら自我を保てず、精神が崩壊し廃人と化してしまう。

 しかし、ジルヴェスターはビリーが耐えられるギリギリのラインを保っていた。


「ビリー・トーマス」


 ジルヴェスターは苦しむビリーのことなど欠片も気にせずに声を掛ける。


「だ、ぐあ、誰だ!?」


 歯を食いしばり激痛と闘っている中、自身の名を呼ぶ声に反応するのは億劫だった。

 視線を向けても誰もおらず、苛立ちが募る。


「お前が口を割れば苦痛から解放してやる」

「な、何を言っている!」


 あまりの激痛にのた打ち回る気力すら湧かない。


「お前が今まで働いた悪事についてだ」

「か、隠れていないで姿を見せろ」


 口を割る気がないようで、息も絶え絶えながら話題を逸らしてくる。


「まあいい。お前の心が折れるまで苦痛から与え続けるだけだ」


 しらばっくれても構わない。

 心が折れて自ら話させてくれと懇願するまで激痛から解放させなければいいだけだ。


 精神が崩壊しないギリギリのラインを見極める必要があるので、ジルヴェスターはソファに腰掛け、ビリーが悶え苦しむ姿を興味なさげに眺める。


 それからどれほどの時間が経っただろうか。

 ビリーは既に意識を保てていない。

 身体が痙攣して脱力している。


「限界か」


 ジルヴェスターは一度苦痛の行方ロード・オブ・ペインを解除する。


 激痛から解放されたことにより、ビリーの意識が少しずつ戻っていく。

 呼吸が安定して来たところで、ジルヴェスターは再び苦痛の行方ロード・オブ・ペインを行使する。


「ぐぁぁぁあああああああああ」


 再び抗いようのない激痛が身体中を襲い、ビリーは絶叫する。


 その後、ビリーの心が折れるまで同じことを数度繰り返していく。

 ジルヴェスターが眉一つ動かすことなく淡々と行う姿は、見る人が見れば悪魔の所業と表現するだろう。

 やっていることは完全に違法行為だが、心は微塵も痛まない。


 そして遂にビリーの心が折れた。


「も、もう……やめてくれ」


 ベッドから転がり落ち、ジルヴェスターへ縋るように這い寄る。


 ジルヴェスターは異空間収納アイテム・ボックスを行使して、水筒を取り出す。

 そして水筒をビリーへ投げ渡した。


 ビリーは絶叫し続けた上に身体中の水分を放出してしまい水分不足だった。

 故に必死の形相で水筒に手を伸ばし、あっという間に飲み干してしまう。口からは勢いで溢れてしまった水が垂れている。


「――さあ、俺の質問に答えてもらおうか」


 瞳から光が消えたビリーはすっかり従順になり、素直に問いに答えていく。


(覗いた記憶との相違はないな)


 話しを聞き終えて、追体験した記憶との違いがないことを確認できた。


「俺の言う通りにするなら解放してやろう」


 ビリーは泣き喚きながら首がげるのでないかと思うほど何度も上下に振る。


「まずはおおやけの場で全ての罪を自白しろ」


 残念ながらビリーをこの場で処断することはできない。

 また、七賢人である彼には無視できない影響力と人脈がある。彼を安易に七賢人の地位から引き摺り降ろすと、政界へのダメージが甚大だ。


 悪事を働いてはいたが、七賢人としての職務はしっかりと全うしているので安易に切り捨てられない事情があった。

 少なくともビリーがいなくなっても問題なく世の中が回るようになってからでないと、処断はできない。

 故に罪を自白して市井からの信用を失墜させ、尚且つ自ら悪事から手を引かせることが現段階で選択できる最善手であった。


「そして騙して手籠めにした者らを解放しろ」


 自らビリーの元に身を寄せている者や、正規の手続きで身売りした者らを除いて、カーラなど違法な手段で手籠めにした者たちは解放させてやる必要がある。

 共に生活を送る上で情が芽生えた者もいるかもしれないので、もし自らの意思でビリーのもとに残ると決断した者は除外する。


「今後は清廉潔白に務めることだ」


 また同じことを繰り返しでもしたら意味がない。


「俺の目があることを常々忘れるな」


 しっかりと釘を刺す為に、常に監視していることを示唆しておく。


「最後に、被害者には今後一切関わらないことだ」


 今後の為にも不安の芽を絶やしておく必要がある。


「わ、わかった。命に代えて誓う!」


 ビリーは土下座をして必死に許しを請う。


「言質は取ったぞ。万が一違えた際は地獄に叩き落してやろう」


 約束を違えた際は、先程の苦痛が甘いと感じられるほどの地獄へと招待するつもりだ。


「では、日が空けたら直ちに行動に移れ」


 そう最後に言葉を残すと、ジルヴェスターはビリーのもとから音もなく立ち去る。

 そして、その場には裸のまま気絶したビリーだけが残された。

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