[6] 上級魔法師

 グレッグたちと別れて一人で行動し、逃走した反魔法主義者を探っていた魔法師は、目の前の光景に唖然としていた。


「これはいったい……?」


 アビーとビルが反魔法主義者と交戦していた現場から、一キロメートルほど離れた中心地と比べると閑散としている高層な建築物が減った場所には、複数の人間が倒れていた。


 地面にうつ伏せで倒れ伏している者、壁にめり込んで気を失っている者、氷漬けにされている者など様々いる。


「―――おや? これはちょうどいいところに」


 彼は一帯を見回していると、突然後方から声を掛けられた。


「――!?」


 突然のことに驚きながらも彼は瞬時に振返ると後方に飛び、声の主から距離を取って臨戦態勢の構えを取る。


「いい判断ですが、私は敵ではありませんよ」


 彼の視線の先には、女性としては長身で、主張の激しい肉体をスカートタイプのレディスーツに身を包んでいる美女が立っていた。

 白い肌で、緑がかった明るく薄い青色の髪をショートレイヤーにしており、黄色の瞳が典麗な印象を深めている。


 その姿を確認して敵ではないと判断したイヴァンは、臨戦態勢を解いて女性に声を掛ける。


「あなたは……?」


 女性の胸元を注視すると、そこには魔法技能師ライセンスの階級を示す胸章が無視できない存在感を放っていた。


「――!!」


 胸章が示す階級を確認した彼は一層驚いたが、慌てて敬礼をする。


 魔法師は軍隊ではないので、正式には軍隊的な格式は存在しない。だが、上位の階級の者には敬意を込め、礼節を持った態度で接する暗黙のルールが存在する。


「楽にして頂いて構いませんよ」

「はっ!」


 女性の言葉に彼は敬礼を解く。


「自分はイヴァンと申します。中級四等魔法師です」


 イヴァンは自分の階級を示す腕章を見せると、先程から疑問に思っていたことを辺り一帯を見回しながら尋ねる。


「あの、これはいったい何があったのでしょうか?」

「私がやりました」


 複数の人間が倒れ伏している状況を作り出したのは、目の前の女性の仕業であった。その事実を事も無げに自白する。


「あなたはアウグスティンソン隊の方ですよね?」

「は、はい」


 周囲の状態について尋ねていたにもかかわらず、突然話題を変えられてしまう。

 だが、幸いにもイヴァンはなんとか反応することができた。


「アウグスティンソン隊が連日各地を賑わせている、反魔法主義者について調査しているのは存じておりました」


 女性はそこまで口にすると、自分の目的を告げ始める。


「私も上司の命令で調査をしていたのですが、そうしたらちょうどくだんの者たちに遭遇したので、こうして対処をさせて頂いた次第なのですよ」

「なるほど。自分は――」


 話を聞いて納得したイヴァンは、自分がここに来た理由を説明する。


「――では、イヴァン殿はこの者たちを追って来たのですね」

「ええ。そうなります」

「それは尚のこと好都合です」

「と、申しますと?」

「昏倒させたはいいものの、この人数ですからどうしたものかと途方に暮れていたのですよ。よろしければ連行するのを手伝っては頂けませんか? もちろん、この人たちの扱いはアウグスティンソン隊に一任しますので。ただ、尋問には同席させて頂きますが」


 周囲には八人の人間が気を失って倒れ伏している。さすがに一人でこの人数を連行するのは現実的ではない。


「わかりました。隊長に確認するので念話テレパシーを飛ばします」

「よろしくお願いしますね」


 イヴァンがマイルズに念話テレパシーで連絡を取っている間、女性は侮ることなく周囲を警戒していた。


「――隊長から許可が出ました。隊員を数人寄越すそうなので、待機していてほしいそうです」

「そうですか。助かります。では、このまま待ちましょうか」

「はい」


 イヴァンがいるとはいえ、さすがに二人で八人を連行するのは厳しい。そこでイヴァンはマイルズに人員を出すように要請していた。


「――そういえば申し遅れていましたね」


 女性はすっかり忘れていたと申し訳なさそうに居住まいを正し、改めて自己紹介をする。


「私はレイチェル・コンスタンティノスと申します。階級は見た通り上級二等魔法師です」

「――!!」


 レイチェルの自己紹介を聞いたイヴァンは改めて驚愕をあらわにする。なんとか表に出さずに胸中で驚くことに成功し、醜態を晒さずに済んだ自分のことを褒めてやりたい気分になっていた。


 イヴァンが驚いたのはレイチェルの階級にではない。


「コンスタンティノス殿でありましたか」

「レイチェルで構いませんよ。コンスタンティノスだと、どのコンスタンティノスのことを言っているのかややこしいですからね」


 名前呼びを許すレイチェルは苦笑を浮かべる。


「確かにそうですね。では失礼してレイチェル殿と呼ばせて頂きます」


 魔法師界だけに留まらず、この国ではコンスタンティノスの姓は有名だ。知らぬ者はいないと言っても過言ではない。


「以前、聖女様にはお世話になりました」

「そうでしたか」

「イヴァンが感謝していたと代わりにお伝えして頂けませんでしょうか」

「構いませんよ。母には責任を持って伝えておきますね」

「ありがとうございます」


 イヴァンは頭を下げ、誠意を込めて感謝を示す。


 レイチェルの母は特級魔法師であり、『聖女』の異名を与えられている。

 治癒魔法や支援魔法を得意にしている為、普段はあまり壁外に赴くことはなく、壁内で活動していることが多い特級魔法師だ。


 おそらくイヴァンも治癒してもらったことがあるのだろう。


 そして『聖女』には五人の娘がいる。

 何よりも凄いのは、五人の娘が全員国内でも指折りの魔法師であるということだ。

 レイチェルも『疾風』という異名を与えられている。しかも他の姉妹も全員、異名持ちだ。


 異名は偉大な魔法師に敬意や畏怖を込めて与えられる名誉である。

 異名を与えられている人物というのは、それだけ特別な存在という証だ。


 レイチェルの母は魔法師としても偉大なら、母としても偉大な聖女であった。


「レイチェル殿は上司の命令で動いていると仰っておりましたが、やはり反魔法主義者のことは上層部も懸念しておられるのでしょうか?」


 レイチェルの上司は他の姉妹と異なりおおやけになっていない。

 彼女は普段一人で行動することが多く、魔法師界では不思議なことの一つになっている。


 元々部隊などに所属することはなく、魔法師としては単独で活動しているのではないかという噂もあるが、こうして本人の口から上司という単語が出た以上は、何かしらの組織に所属していえることが証明された。


 とはいえ、イヴァンがレイチェルの上司について直接尋ねることはない。

 何事も知らない方がいいことはあるものだ。


「そうですね。魔法師と非魔法師の共存はこの国が抱える至上命題ですから」


 魔法師と非魔法師の溝は国の根幹に関わる問題だ。

 この国は魔法師と非魔法師が共存しているからこそ成り立っている。


 しかし、非魔法師を見下す魔法師が一定数おり、魔法師を否定する非魔法師も存在するのが現実だ。

 魔法選民主義者と反魔法主義者の存在が、魔法師と非魔法師の対立構造を深刻化させている最大の要因であり、上層部が頭を痛めている原因でもある。


「難しい問題ですね」

「ええ。繊細な要素を抱えているので軽率なことはできませんし」


 難しい顔で相槌を打つイヴァンに、レイチェルは肩を竦めて言葉を返す。


 軽率な行動で国内に大混乱を招くわけにはいかない。

 最悪、暴動や現体制への反乱などが起こった場合は、大混乱どころでは済まない事態になる。


「今回は少しでも有益な情報を得られるといいのですが……」


 レイチェルは周辺で気を失っている反魔法主義者を見回しながら呟く。


 彼女は反魔法主義者について連日探っていた。

 その結果、有益、無益問わず多様な情報を得ることができている。だが、核心的な情報はまだ得られていない。故に、今回こそは核心を突き決定打となり得る情報を求めていた。


「そろそろ到着するそうです」

「わかりました」


 仲間からの念話テレパシーを受け取ったイヴァンが端的に伝える。


 その後、アウグスティンソン隊の協力のもと、何事もなく反魔法主義者を連行した。


 ◇ ◇ ◇


 アウグスティンソン隊が反魔法主義者を確保した日の夜。

 日が暮れているにもかかわらず、賑やかさを失わない大通りから一つ逸れた通りにある建物の一室には、怒りを爆発させている大柄な男がいた。


「また魔法師の野郎が邪魔をしやがった!」


 必要最低限の調度品のみが置かれている簡素な部屋でデスクに向き合っている大柄な男が、力強く握りしめた拳を机に振り下ろす姿は、まるで鬼が暴れているかのような錯覚を起こさせる。


「俺の可愛い部下たちを連れ去りやがって、絶対に許さん!!」


 怒り狂っていたかと思えば、今度は突然滂沱ぼうだする。

 情緒の変化が激しい姿は恐怖すら覚える。


「ヴォイチェフ、気持ちはわかるが少し落ち着け。お前が取り乱すとみなが不安になる」

「……そうだな。すまん」


 部屋の中にいる細身の男性が大男を宥めると、彼は少し冷静になった。

 大柄な男と一緒にいる所為で一見細身に見えるが、この男も良く鍛えられた肉体をしている。


「だが、魔法師の野郎どもには痛い目に遭ってもらわんと気が済まん」


 冷静になったとはいえ怒り冷めやらぬ大男は、今にも爆発しそうな感情を必死に抑えているようだ。


「そうだな。では、魔法師が最も嫌がることをしてやろうではないか」

「最も嫌がることだと?」


 細身の男が口元を歪ませながら告げると、大男は眉を顰めて疑問を浮かべる。


「ああ。魔法師は後進の育成に力を入れている。だったら、一生懸命育てている若人わこうどたちを潰してやればいい」


 魔法技能師は過酷な仕事だ。

 特に壁外遠征は体力的にも精神的にも多大な負担が掛かる。命の保証もない。

 優秀な魔法技能師の数が減ることは多々あれど、増えることは中々ないのが現実だ。


 育成の末に初級魔法師や下級魔法師の絶対数を増やすことはできても、中級以上の魔法師を生み出す為には相応の時間と労力が必要になる。莫大な資金の投資も必要になる。


 特に上級魔法師が誕生すれば、それは国の財産になる。安易に失うことは避けたいことだ。新たに上級魔法師が誕生する保証などないのだから。


 未来を担う魔法技能師の卵を潰されるのは、魔法師界にとって最も避けたいことなのは的を射ている事実だ。


「なるほど。確かにそうだな」


 細身の男の提案に納得した大男は暫し考え込む。


「なら魔法師の学校を襲撃するのがいいよな?」

「ああ。そうだな」

「よし、その案を採用しよう」


 細身の男の提案に魅力を感じた大男は決断する。

 そして細身の男に知恵を借りながら計画を練っていく。


「だが、魔法師の学校は十二校もある。どこを襲撃する?」

「ふむ……。最も困難だが大打撃を与えるのと、比較的容易だが与える損害も小規模になるものならどちらがいい?」

「前者だ!」


 細身の男の質問に大男は一瞬の迷いもなく即断する。

 どうやら大男は細身の男のことを信頼しているようだ。信頼しているからこそリスクの高いことでも即断即決できるのだろう。


「そうか。なら――」


 大男の決断を受けて、細身の男は自身の考えを述べていくのであった。


 ◇ ◇ ◇


 時同じくして、ランチェスター区内にあるヴァストフェレッヒェンという町の高級住宅街の中でも、一際広大な敷地を有する邸宅の前に一人の女性の姿があった。


 煉瓦の塀で囲まれた邸宅の門扉の前に立つ女性はインターホンを鳴らす。


 富裕層の邸宅には最新の呼び鈴が備わっている。最新の呼び鈴はインターホンという魔法具であり、住宅の玄関外部の脇に設置する送信子機と、室内に設置する受信親機とで構成され、門扉から室内に対して呼び出して通話ができる代物だ。


 仕組みは機械に専用の術式を刻んだ魔晶石と、魔力を溜めておくことができる魔有石を埋め込み、ボタンを押すことで魔力を溜め込んだ魔有石に振動による信号を送り、魔有石が魔晶石へと魔力を送ることで術式が発動する仕組みになっている。


 ちなみにこのインターホンはジルヴェスターが開発した物であり、メルヒオット・カンパニーで製造、販売を独占的に行っている。

 そして、その売り上げの一部が永久的にジルヴェスターに支払われる契約を結んでいる。


 インターホンを購入できない層は本体側に金属板をつけたノッカーを用いており、更に下のグレードになると直接ドア本体に打ちつけるノッカーが主流だ。


『――はい』


 インターホンの受信親機から呼び出しに対する返事がくる。返ってきたのは女性の声だ。


「夜分遅くに申し訳ありません。レイチェルです」

『レイかい? 今開けるよ』


 インターホンの先から聞こえる女性の声が途切れ、レイチェルが門扉の前で少々待っていると、独りでに門が開かれた。


 門扉が開かれると、レイチェルは慣れた足取りで門を潜っていく。


 門が独りでに開かれたのもインターホンと同じで魔法具による力だ。

 仕組みもインターホンとほとんど同じである。違いは送信機が室内にあり、受信機が門扉に設置されていることと、通話機能がないことだ。


 レイチェルは前庭を進み邸宅の前に辿り着くと、再びインターホンを鳴らした。


 すると、玄関の先で待機していたのか、すかさず扉が開かれる。


「やあ、いらっしゃい」

「失礼します」


 家人が微笑みを浮かべて歓迎の意を示すと、レイチェルは丁寧なお辞儀をしてから玄関の扉を潜る。


 レイチェルを出迎えたのは、女性としては長身で、引き締まっていながらも女らしさを備えた肢体に、褐色の肌に銀髪の美女だ。


 銀色の髪は襟足と前髪が特に長く、それら以外はショートになっており、凛々しさを際立たせている。銀髪から覗く碧眼は、見る物を引き込む力を備えているかのような不思議な魅力がある。


 女性から人気がありそうな容貌で、正しく『麗人』という言葉がピッタリと当てはまる人物だ。


「ジルでしょ?」

「はい」

「ジルなら調整室に籠っているよ」


 褐色肌の女性が要件を確認すると、レイチェルは肯定した。

 すると家人が苦笑を浮かべながら、レイチェルの目的の人物の居場所を伝える。


「いつも通り自由にしていいよ」

「ありがとうございます」


 レイチェルは何度もこの邸宅を訪れている。勝手知ったるものだ。


「では、お言葉に甘えて失礼致します」


 そう言うと、レイチェルは褐色肌の女性と別れて目的の部屋へと歩みを進めた。


 清潔さと清廉さを兼ね備えた華美にはならない程度にバランスの取れた調度品で彩られた廊下を進み、地下へと繋がる階段を下りて奥まった場所にある扉をノックする。


「――ジル、私です」


 ノックの後、一拍置いたタイミングで入室を促す声が返ってきた。

 レイチェルは慣れた様子で入室する。


 部屋の中は綺麗に整頓されているが、資料やMACなど、作業に必要な物が所狭しと埋め尽くしていた。レイチェルには見慣れたものだが、初めて見た人には眩暈を催す光景だろう。特に頭を使うことが苦手な者には尚更だ。


「少し待ってくれ」


 ジルヴェスターは作業の手を止めることなく、何かを紙に書き込むと、武装一体型MACの調整を行っていく。


 レイチェルは手近なところにあったソファに腰掛けて待つことにした。

 何もすることがないので、作業するジルヴェスターの後ろ姿を眺めて時間を潰す。


 そうしてのんびり過ごしていると、一段落したのかジルヴェスターが作業する手を止めた。


「――すまん。待たせた」


 ジルヴェスターは席を立ち、レイチェルの対面のソファに移動する。


「大丈夫よ」


 レイチェルが問題ないと告げると、ジルヴェスターは前置きなく本題に切り込む。


「それで、どうだった?」

「そうね――」


 レイチェルはジルヴェスターに命じられて反魔法主義者について探っていた。

 今日は今回得た情報を口頭で伝える為に足を運んだのだ。


 そして彼女は得た情報を精査しながら詳細をジルヴェスターに伝えていく。


「反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンの代表の名前がわかったわ」

「ほう」

「名前はヴォイチェフ・ケットゥネン。とても感情的な人物らしいわ」

「感情的か……」


 ジルヴェスターは少し眉間に皺を寄せる。


 感情的な人物は厄介極まりない。何を仕出かすか予測できない恐ろしさがあるからだ。


「仲間想いで人望があるみたいよ」

「なるほど。独裁的な人物ではないようだな」

「ええ。部下の言葉に耳を傾ける度量もあるみたいね」


 反社会的組織は総じて指導者による独裁で成り立っている例が多い。――それが暴力によるものなのか、弁舌によるものなのか、財力によるものなのか、権力によるものなのか、形は様々だが。


 だが反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンは、独裁的な構造で成り立っているわけではないようだ。


「ヴォイチェフの右腕なる人物はエックスと名乗っているらしく、残念ながら本名は不明のままよ。どうやら、このエックスが頭脳になっているみたいね」

「思っていたより厄介そうな連中だな」


 指導者による独裁の方が潰すのは容易い。優秀な者が下にいない限り、指導者を潰してしまえば後は勝手に崩壊していくからだ。


 仲間内の結束が固く、指導者に万が一のことがあっても後事を任せられる人物がいると、例え指導者を潰しても簡単に組織が崩壊することはない。指導者の人望が厚ければ尚のこと亡き指導者の為にという名目の元、結束を強めるだろう。


「拠点は国中にあるらしく、本拠地はわからなかったわ。今回捕らえた者の中に本拠地を知っている者はいなかったみたい」

「そうか。連中も用心深いことだ。その点も厄介だが」


 どうやら反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンは情報規制に抜かりがないようだ。

 全ての者に組織の弱点となりかねない重要な情報を与えないのは、組織として上手く統制されている証拠だ。


「でも、いくつかの拠点は判明したわよ。明日あすから順に回ってみるわ」

「無理のない範囲でな」

「ええ。もちろんよ」


 レイチェルは複数ある拠点をしらみ潰しに回りつつ、ヴァルタンについての情報を集めることにした。

 時間と労力を要するが、確実性は増すだろう。


 その後も情報共有をしていき、全てを話し終えたところで、ジルヴェスターは立ち上がって先ほど作業していたデスクへと歩を進めた。


「レイ、これを持って行け」


 ジルヴェスターそう言うと、先ほど調整していた武装一体型MACをレイチェルに手渡す。


「これは?」

「お前用に仕上げた武装一体型MACだ」

「へえ、短剣ダガーね」


 レイチェルが受け取ったのは短剣ダガーの武装一体型MACだった。

 

 シンプルな見た目だが、業物であることが一目でわかる代物だ。

 短剣ダガーとしてだけではなく、ジルヴェスターが設計、調整しただけありMACとしても一級品の代物だろうと容易に判断できる。


 今後の調査でも大いに役立つことだろう。


「既に問題なく使えるように仕上げてある。後はお前に合わせた調整をするだけだ」

「そう」


 MACを使用者用に調整する為には本人の協力が不可欠である。

 如何いかに優れた魔法工学技師であっても、一人で使用者に合わせた調整を施すのは不可能だ。


 ジルヴェスターが設計、開発したMACは『ガーディアン・モデル』と俗称されており、魔法師には根強いファンがいる。メルヒオット・カンパニーで量産、販売を請け負っている。


「せっかくだ。この後調整に付き合え」

「人使いが荒いわね」

「お前の為だ」


 ジルヴェスターとレイチェルは軽口を叩き合う。

 イヴァン相手には丁寧な言葉遣いをしていたレイチェルだが、ジルヴェスターには砕けた口調で接する。口調の変化も、今のやり取りも二人の関係性が窺える一幕だ。


 控え目に微笑むレイチェルは、その後文句を口にすることなくMACの調整に付き合うのであった。


 MACの調整を始めた一刻後、最終調整を終えたレイチェルはジルヴェスター宅を後にしようとしていた。


「レイ、いつでも協力するから遠慮せずに声を掛けてよ」


 見送りに来ていた褐色肌の女性に声を掛けられたレイチェルは、丁寧に頭を下げて謝意を述べる。


「ありがとうございます。その時は頼らせて頂きます」

「うん。無理はしないでね」

「もちろんです。ジルのことは放っておけませんし、無理のない範囲でやっていきます。倒れでもしたら元も子もないですから」

「そうだね。君には苦労を掛けるよ」

「いえ、アーデル様ほどではありませんよ」

「いやいや、君の方が大変でしょう」


 アーデルと呼ばれた褐色肌の女性とレイチェルは、互いに苦笑を浮かべながら言葉を交わし合う。


「アーデル様にご苦労を強いるくらいなら姉をこき使いますよ」

「グラディスかい? それなら私からもレイのことを手伝うように言っておくよ」

「助かります」


 グラディスとはレイチェルの姉で次女だ。

 二人のやり取りから、アーデルはグラディスに命令できる立場にあるということが窺い知れる。


「それでは失礼致します。お邪魔しました」

「必要ないと思うけど気をつけてね」

「はい」


 上級二等魔法師であるレイチェルには不要な心配かもしれないが、夜道の中帰宅することに変わりはない。


 アーデルとのやり取りを終えると、レイチェルは帰路に着いた。


 ◇ ◇ ◇


 プリム区のシャルテリアにある自宅に帰宅したレイチェルは自室で部屋着に着替えると、リビングのソファに腰掛けて一服していた。テーブルには紅茶と軽食が置いてある。


「――レイ」


 紅茶を飲んでいると、廊下からリビングへと入って来た女性から自身の名を呼ぶ声が掛かった。


「姉さん」

「さっき隊長から念話テレパシーが飛んで来たんだが、なんだか大変そうだな」


 声の主はレイチェルの姉―――グラディスであった。


 グラディスはレイチェルが座っているソファの斜め横にある一人掛けのソファに腰掛ける。


 グラディス・コンスタンティノスは、女性としては高めな身長であるレイチェルよりも更に高い身長で、凹凸の主張が激しい肉体をしている。

 白い肌に水浅葱みずあさぎ色のマニッシュショートヘアで、碧眼が凛々しさを際立たせている。


「ええ。ジルに色々と頼まれているのよ」


 肩を竦めるレイチェル。


「ほお。ジルにか。それなら私も手伝うぞ」

「姉さんは本当にジルのことになると協力的ね」


 呆れたように溜息を吐くレイチェルは苦笑しながら姉を見つめる。


「かわいいだからな」

「姉さんはジルのことを甘やかしすぎよ」

「む。お前と違っていつも一緒にいられるわけじゃないんだから少しくらいはいいだろう」

「私だっていつも一緒にいるわけじゃないけれど」


 グラディスは自分とレイチェルでは立場が違うと口にし、妹のことを羨ましがっているのを隠しきれていない。

 そんな姉の言い草に不満を抱いたレイチェルは否定の言葉を漏らした。


「とにかく甘やかしすぎないでね」

「そんなに甘やかしているつもりはないぞ」


 姉に注意を促すが、当の本人は全く気にした素振りを見せない。


「マリア姉さんに言いつけるわよ」


 聞く耳を持たない姉にジト目を向けて強力な手札を切り出す。


 マリアとは二人の姉で、長女のマリアンヌのことだ。


 すると――


「――なっ!? それは反則だろう!!」


 どうやら効果覿面だったようだ。

 長女には頭が上がらないのが如実にょじつにわかる。グラディスの慌てふたむく様を見れば一目瞭然だ。


 思わず脛をテーブルにぶつけてしまい、足を抱えて痛みに悶えている。

 その姿を見たレイチェルは諸々のやり取りに対する溜飲を下げた。


「わ、わかった。気をつけよう」


 痛みが引くまで悶えたグラディスは背凭れに体重を預けると、深く溜息を吐いてから両腕を掲げて降参の意を示す。


「それにしてもジルがうちに来た時からもう十年も経つのか……」

「そうね」


 感慨深そうに思い出に浸るグラディスの呟きに、レイチェルは紅茶を一口飲んでから頷いた。


「あの頃は私よりも小さかったのに、今や私が見上げなければならなくなった」


 昔のジルヴェスターの姿を脳裏に思い浮かべるグラディスは、寂しそうな表情を浮かべる。


 幼い頃は小さかったジルヴェスターも、今やグラディスより十センチほど背が高くなった。

 グラディスは女性としては背が高い部類であり、男性に交ざっても遜色のない身長なのだが、今やジルヴェスターのことを見上げなくてはならない身長差になってしまっていた。


「まあ、今でもかわいいのは変わらんが」

「姉馬鹿ね」


 弟がかわいくて仕方がない姉の様子に溜息を吐いたレイチェルは、頭を抱えたい気分になった。


「ジルのことがかわいいと思っているのはお前も同じだろう?」

「まあ、そうだけど」


 姉の切り返しに言葉を詰まらせながらもなんとか返事をする。


 ジルヴェスターは十年前に両親を亡くし、妹と一緒にコンスタンティノス家に引き取られた過去がある。

 故にジルヴェスター兄妹は、コンスタンティノス姉妹とは兄弟姉妹同然に育った。


 グラディスは三人の妹とジルヴェスター兄妹のことをかわいがっているが、歳の離れた末妹とジルヴェスター兄妹の三人のことを殊更溺愛している。


 レイチェルもジルヴェスターのことがかわいいと思っているのは偽りのない事実だ。


「――レイお義姉様、お帰りになられていたのですね」


 二人で話しているところに、突然少女の声が飛んできた。


 二人は声が聞こえた方へ視線を向けると、そこには白い肌に透き通るような白桃色の長い髪を垂らした、身長が一五〇センチほどの少女が立っていた。

 白桃色の髪から覗く碧眼は幼いながらも美しさを演出しているかのようだ。


「ルナ、こんな時間まで起きていたのかい?」

「ごめんなさい。起こしてしまったかしら?」


 グラディスとレイチェルが立て続けに声を掛ける。


 既に夜が更けてからだいぶ時間が経っている。子供は寝ている時間だろう。


「いえ、横になっていたのですが寝つけなくて……。そしたらレイお姉様のお声が聞こえてきたので、気になって来てしまいました」


 グラディスは席を立って少女に歩み寄る。

 そして目の前に辿り着くと、床に膝をついて目線の高さを合わせる。


「今、ジルの話をしていたんだ。眠くなるまで少し一緒に話をするかい?」

「お兄様のことですか?」


 グラディスの言葉に少女はコテンと小首を傾げた。

 その仕草に心をられたグラディスは頬を緩める。


「ああ。レイがジルに会いに行っていたんだ。ルナは最近ジルに会えていないだろう? せっかくだからジルがどんな様子だったか一緒に聞こうか」


 グラディスは少女の頭を優しく撫でる。


「はいっ!」


 ルナと呼ばれた少女――ルナリア・ヴェステンヴィルキスは、天真爛漫を体現しているかのような笑顔で頷いた。


 彼女はジルヴェスターの三歳下の実妹だ。

 コンスタンティノス家に引き取られて以来、現在もこの家で生活している。


 ジルヴェスターの家にもルナリアの部屋は用意されているが、普段はコンスタンティノス家で暮らしていた。


 そんなルナリアは最近ジルヴェスターに会えていない。


「よし。それじゃソファに移動しようか」


 グラディスは一度ルナリアのことを抱き締めると、腕に抱え上げてソファに連れて行く。


「ラディお義姉様、自分で歩けますっ!」

「まあ、いいじゃないか」

「もうっ!」


 恥ずかしそうに若干顔を赤らめるルナリアは頬を膨らませながら抗議したが、無情にも聞き入れられることはなかった。


 ルナリアは現在十二歳だ。誕生日を迎えたら今年で十三歳になる。

 抱っこされる年齢ではないだろう。彼女が恥ずかしがるのは無理もない。


 そんな二人の姿を微笑ましそうに眺めていたレイチェルは、二人の分の紅茶を用意する為に席を立つ。


 その後、女三人寄ればかしましいというが、うるさくならない程度に仲睦まじく話題に花を咲かせて楽しく過ごすのであった。

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