[7] 吐露

 翌日の四月二日――リンドレイクにある魔法協会支部の一室にジルヴェスターはいた。

 職員用の休憩室として用いられている部屋だが、建物の隅にあり利便性が悪く普段はあまり使われていない。それでもソファとテーブルはしっかりと設置されているので、休憩室としての役割は果たしている。


 ジルヴェスターは時間を潰す為に趣味の読書に勤しんでいた。

 テーブルにはコーヒーと菓子が置かれている。支部長が用意してくれた物だ。気を遣わせてしまい申し訳ない気持ちもあったが、厚意に甘えることにした。


 支部長としては特級魔法師第一席であるジルヴェスターに粗相のないようにと精一杯の歓待を心掛けていた。


「――んん……」


 ジルヴェスターの対面のソファから吐息が聞こえてくる。


「起きたか」

「ここは……?」


 対面のソファで横になったままレアルが目を覚ます。


「リンドレイクの魔法協会支部だ」

「――ジル!?」


 自分の独り言に対して言葉が返ってくるとは思っていなかったレアルが瞠目する。

 慌てて上半身を起こしてソファに座り直す。


 ジルヴェスターは本を異空間収納アイテム・ボックスにしまうと、テーブルに置いてあるティーポットを手に取り、中身が空の新しいカップにコーヒーを注ぐ。


「とりあえず落ち着け」


 そう言いながらコーヒーを注いだカップをレアルの手前に差し出す。


「あ、ありがとう」


 一先ずカップを手に取ってコーヒーを一口啜ると、ほっと一息吐いて落ち着きを取り戻す。


「昨日のことは覚えているか?」


 様子を見守っていたジルヴェスターがタイミングを見計らって尋ねる。


「うん……」


 レアルは相槌を打つと、顔を下げて悲壮感漂う表情になった。


「なんかデジャヴ……」


 つい最近にも同じような場面があったなと思い、自然と口から言葉が漏れた。


「そうだな。お前が壁外で倒れた時と重なるな」

「はは、それか……」


 レアルは既視感の正体がわかり苦笑する。


 以前レアルは体調不良にもかかわらず壁外に赴いた。

 その際に迂闊にも気を失うという失態を犯し、偶然出くわしたジルヴェスターが救助したお陰で事なきを得たが、非常に危険な状態だった。

 そして気がついた時には寮の自室におり、ジルヴェスターに事情を説明してもらった経緯がある。

 現在の状況は正にその時と酷似したシチュエーションであった。


「――まさかジルが『守護神ガーディアン』様だったなんて……」


 ジルヴェスターは本名を公表していないので世間には知られていないが、『守護神ガーディアン』という異名は国内に轟いている。この国には知らぬ者はいないと言っても過言ではないだろう。


 レアルは昨日さくじつ、特級魔法師の証であるコートを羽織ったジルヴェスターと対面している。その時の光景ははっきりと覚えていた。


「――それで、何故お前が暗殺などと柄にもないことをしていたんだ?」


 ジルヴェスターの目的とは別の話題になったので、本来の疑問を単刀直入に尋ねる。

 この為にレアルが起きるのを待っていた。


 昨日の光景を頭の中で思い浮かべていたレアルは、ジルヴェスターの質問に冷水を浴びせられたかのように頭が冴えて冷静になった。

 そして現在自分が置かれている状況を改めて理解した。


「それは……」


 レアルは唇を噛んで言い淀む。

 眉間に皺を寄せ、胸中で葛藤しているのが犇々ひしひしと伝わってくる。

 それも無理はないだろう。


 レアルも大勢の人と同じで特級魔法師には憧れを抱いている。それも第一席ともなれば憧憬しょうけいを抱くのも烏滸おこがましいと思ってしまうほどの存在だ。


 そのような人物に自分が暗殺という不道徳なことを行っていると知られてしまった。

 一魔法師として顔向けできず、恥じや情けなさなどの負の感情が胸中を占める。憧れの存在に軽蔑されてしまうのではないかと恐れを抱いてしまう。


 特級魔法師という肩書を抜きにしてもジルヴェスターは友人だ。

 単純に友人には軽蔑されたくない。

 何よりも友人を暗殺者の友人にはしたくなかった。


「お前のことだ。何か事情があるんだろ?」


 ジルヴェスターとレアルの付き合いはまだ短い。

 だが、その短い付き合いでもジルヴェスターはレアルの人柄を理解している。彼は真面目で誠実、そして努力家だ。

 そのレアルが暗殺という不道徳なことをするとは思えない。やむを得ない事情がない限りは。


 レアルはジルヴェスターの言葉に心が救われた気がした。

 罪悪感などの負の感情で心が押し潰されそうになっていたレアルには、軽蔑せずに寄り添おうとをしてくれていることが何よりも嬉しくて心が軽くなる。


「何も遠慮することはない。気にせず話せ」


 レアルは友人を厄介事に巻き込んでしまうと思い、口が重くなっていた。

 一度ジルヴェスターと視線を合わせてから深呼吸をして心を落ち着かせる。


 改めて考えると、特級魔法師であるジルヴェスターには大した障害にはならないのかもしれないと思い至り、観念したのか、覚悟を決めたのか、はたまた自棄やけになったのかはわからないが、重い口を開いた。


「――実は……」


 ぽつりぽつりと現在自分が置かれている状況を語り始めた。


 レアルは二年前まで家族四人で仲良く暮らしていた。

 しかし、魔法師である父が壁外で亡くなってしまったことにより環境が一変してしまう。


 魔法師である以上はいつ命を落とすかわからないので、家族はみな覚悟できていた。

 とはいえ、覚悟はできていてもすぐに切り替えられることではない。


 残された家族が消沈していた時に、父が亡くなったと耳にしたと一人の男が突然現れたのだ。


 男の話によると、父が男に借金をしていたというではないか。

 借金など身に覚えがない。母でさえ知らないことだった。

 だが、確かな証拠となる借用書があった。


 借用書には何度も目を通して確認した。

 確認はしたが、本物かどうかはわからない。


 いや、この際本物か偽物かはどうでも良かった。

 何故なら、借用書を持ってきた相手が最大の問題だったからだ。


 その男の正体は、この国の統治者たる七賢人が一人――ビリー・トーマスであった。


 反論したくても七賢人を相手に抵抗などできはしない。

 国で最も大きな権力を有する七人の内の一人だ。


 仮に借用書が本物であったら取り返しのつかないことになる。最悪この国で暮らせなくなる恐れすらある。

 一般的な魔法師の家系であるレアルの家族は、圧力を掛けられれば事実がどうであれ受け入れるしか選択肢は残されていなかった。


 受け入れるにしても多額の借金を返せる当てなどない。

 不本意ながら頭を下げることしかできなかった。


 そこでビリーがとある案を提示した。

 その案とは、レアルの母がビリーの妾になることであった。妾になれば借金はなかったことにすると言い出したのだ。


 この時レアルも、レアルの姉も眼前の男の正気を疑った。

 夫を亡くして未亡人になったばかりの母になんという仕打ちをするのかと。

 当然二人は猛反発した。


 当時国立魔法教育高等学校を卒業したばかりであった姉が一緒に借金を返済しようと母を必死に説得し、まだ十三歳であったレアルは魔法技能師ライセンスを取得しておらず金銭的な協力はできなかったが、家事全般の雑事を受け持つと提案した。もちろん魔法師としては働けなくても、別の働き口は探すつもりだった。


 しかし、母は自分の可愛い娘と息子に苦労を掛けさせたくはなかったのだろう。不承不承ながらビリーの妾になることを受け入れた。


 そして三人はビリーの屋敷に移り住むことになる。

 母は自分について来る必要はないと娘と息子に告げた。別の場所で二人一緒に暮らせばいいと。

 しかし二人は断固として受け入れず、母について行くことを決めた。二人の意志が固かったので、その想いを母は尊重してくれた。


 そうしてビリーの屋敷に移り住むと、そこには多くの女性がいた。

 自分たちに良くしてくれた女性に詳しい話を聞くと、全員ビリーに囲われているのだと言うではないか。

 五十代から十代の年齢層の女性が数多くいたのだ。開いた口が塞がらないほど驚いたのは記憶に新しい。


 レアルは未だに正確な人数を把握していない。把握している人数は三十人ほどだ。実際にはもっと多くの女性がおり、少なく見積もっても五十人はいるのではないかとレアルは思っていた。もしかすると百人近くいるかもしれないとまで思っている。


 母もこの数多くの女性の一員になるのかと思うと不憫ふびんでならなかった。

 仮に妾になるにしても、母だけを愛してくれるのならばまだ良かった。せめて数人くらいならまだ我慢もできたものだ。

 これほどの人数がいるのならおそらく愛のない関係なのだろうと思い、ただただ母が不憫になった。


 多くの女性たちには様々な境遇の者がいた。

 母と同じように借金のカタとして連れて来られた者。

 貧しい故に家族の為に自ら身売りした者。

 弱みに付け込まれて諦めるしかなかった者。

 金に困らない生活を得る為に自ら愛人になった者。

 政界での出世の足掛かりとしてビリーに取り入った者。

 純粋にビリーを愛しているという奇特な者など多岐に渡る。


 ビリーは現在五十一歳だ。いったい彼の下半身はどれほど元気なのだろうか。

 ちなみにレアルの母は四十二歳だ。


 ビリーは女たちとの間にできた子供は自分の子としてしっかり認知している。

 女たちの連れ子は自分の子として認知していないが、生活の面倒は見ている。

 そして女性たちがいくつ年を重ねても追い出さない辺りは、経緯や女癖などはともかく、甲斐性はあるのかもしれない。


 そんなこんなで三人は不本意ながらもビリーの屋敷で生活していた。

 お金に困ることがなく、レアルたちに良くしてくれる女性もいたので不便を感じたことはない。――母のことが心配な毎日ではあったが。


「母さんがどう思っていたのかはわからないけどね」


 夫を亡くしたばかりにもかかわらず、好きでもないスケベ親父の妾になったのだ。

 辛酸しんさんをなめていて自分が一番辛い立場だろうに、娘と息子に心配を掛けない為に気丈に振舞っているのだろうとレアルは思っていた。

 そんな環境でも家族三人寄り添って暮らしていた。

 しかし――


「一年くらい経った頃に状況が変わったんだ」

「と言うと?」


 沈んだ表情で語っていたレアルが一層悲壮感を深めると、怒りが籠った口調で話し出す。


「あいつ今度な姉さんに手を出そうとしたんだよ」


 姉が国立魔法教育高等学校を卒業してから約一年後の出来事だ。

 当時十九歳の姉は、魔法師としての道を本格的に歩み始めて順調に活動していた頃である。


「その時は母さんがあいつの気を自分に向けさせることで事なきを得たけど、こっちはあいつに迫られたら断れない立場なんだよ……」


 レアルは爪が食い込むほどの力で拳を握り締める。


「あの時の覚悟を決めた姉さんの顔は今でも脳裏に焼き付いているよ」


 現代ではフリーセックスは過去の遺物となっている。

 結婚まで純潔は守るものになっており、特に魔法師はその傾向が強い。


 魔法師としての才能は遺伝的な要因が強い。 

 より優れた魔法師を輩出したいなどの思惑が絡み、純潔を重視するのは名家になればなるほど多くみられる。魔法師の名家ともなると親や当主の決めた婚約者がいることも多い。


 そういった考えは風化していっているが、純潔を重視するという部分だけは徐々に一般層にも浸透していった。

 その結果、純潔を重視するという思想が一般的な常識になって今に至る。――無論そうではない奔放な者もいるが。


 純潔を重視するということは、生娘でないと結婚することが難しくなるということだ。

 もちろん初婚の場合に限る。再婚は例外だ。当然、後添いを迎える男性もいれば、新しい夫を作る女性もいる。


 つまり姉が覚悟を決めたのはビリーの女になって抱かれることだけではなく、結婚を諦めるということだ。

 ビリーに抱かれるのが一時のことならば、後添いの道は残されているかもしれない。

 もちろん、生娘ではないことを気にしない男性と結婚できる可能性は残されている。


 しかし、そもそも一時のことではなく、ずっとビリーに囲われるかもしれない。むしろ、そうなるのが現実的だった。


 未亡人や離婚歴のある女性でも辛いことだ。

 そのような逃げられない現実に生娘である若い娘が直面したら、相当な覚悟を決める必要があるだろう。それも悲壮な覚悟だ。――自ら望んでビリーの女になる者には無縁の覚悟だが。


 今となっては父の死もビリーが関与しているのではないかとレアルは疑っているが、真偽のほどはわかりようがなかった。


「――それで今は問題ないのか?」

「一応ね」


 ビリーがレアルの姉に手を出そうとしたのは約一年前の話だ。

 その時はなんとかスケベ親父の魔の手から逃れられたが、現在はどうなのかが最大の懸念点だ。


「今も母さんが自分に気を向けさせることでなんとかしのげているよ」

「そうか。手玉に取るとはお前の御母堂は中々やるな。きっとそれだけ魅力的な方なのだろうな」

「そうだね。母さんが一番辛いだろうに尊敬するよ」


 現在も母の献身で姉の身を守っている。

 母親の愛は偉大だ。


「姉さんは一年前から親友の家に居候させてもらっているから大丈夫」

「一先ずは安心か」


 姉の親友はレアル一家の境遇を知っている。当初から心配を掛けてもいた。

 姉の身に危険が及んだ際、ビリーの屋敷から離れた方がいいという結論に至り、そこで親友が「自分の家においで」と手を差し伸べてくれたのだ。


 以降、姉は親友のもとに身を寄せている。

 ビリーの屋敷とは別の区なのでレアルたちとは離れることになった。離れて暮らしていても、切っても切れないほど強い絆で三人は繋がっている。


「そして僕があいつの駒として動くことで憂さ晴らしをさせて、別のことに意識を向けさせているんだ」

「なるほど。それが今回の件に繋がるわけか」


 優秀で従順な駒を手に入れたビリーは悪巧みがしやすくなる。その影響で陰謀を企てることに意識が傾き、姉への興味を逸らさせることができた。


「でも冷静になった今改めて思うと、ジルに止められて良かったよ。暗殺なんて許されることじゃない」

「世の中綺麗事だけで回っているわけではないが、少なくともお前には向いていないな」

「そうだね。今回身に染みて実感したよ」


 レアルは重荷から解放され、深く安堵の溜息を吐く。

 彼は真面目で誠実な人間だ。良心に反することを行うことはできない。むしろ彼の心をむしばむ毒にしかならない。


 中には道徳に反することを行ってもなんとも思わない者もいるが、そのような人種はレアルとは対極に位置する存在だ。

 頼りなさを感じるかもしれないが、彼の感性は褒められこそすれ非難されることではない。

 彼のような人間の方が信頼でき、人間的な魅力があるだろう。


 その点、今まで後ろ暗いことを何度も行ってきて既に良心が麻痺してしまっているジルヴェスターには、レアルのことが眩しく見えた。


 世の中に蔓延はびこる闇の部分など普通は知らなくていいことだ。

 レアルもビリーの件がなければ一生関わることはなかったかもしれない。


「他に暗殺対象になっている者と、お前以外の実行犯はいるのか?」

「ごめん……それは僕にもわからないんだ」

「そうか」


 ジルヴェスターの問いにレアルは首を左右に振って答える。


 今回はジルヴェスターが暗殺を阻止できたが、そもそも暗殺対象にされているのがマーカス一人だとは限らない。また、実行犯がレアル一人だとも限らない。

 現在もレイチェルやミハエルたちが各地で見回りを行っているが、問題が解決するまでは引き続き警戒をする必要がありそうだ。


「事情は理解した。後は任せろ」

「え?」


 ジルヴェスターの言葉にレアルは驚きと疑問が混ざり合い、なんとも表現できない複雑な表情になる。


 幸い暗殺は未遂に防げた。

 また、事情が事情だ。

 今回暗殺対象にされたマーカスに話を通せば、レアルが罪に問われることはないだろう。

 マーカスは真っ当な政治家で信用できる立派な大人だ。レアルの事情を話せば訴えることはないと思われる。

 最悪フェルディナンドが説得すれば素直に首を縦に振るであろう。


 問題はビリーの件だ。

 ビリーが七賢人である以上は容易に解決できることではない。

 何かしらの悪事に関する確たる証拠を手に入れない限りは、問い詰めることすらできない。

 問い詰めたところで罪に問えるかは別問題だが、可能性がゼロではない以上やらない理由にはならない。


 特級魔法師であるジルヴェスターとミハエル、そして最古参の七賢人であるフェルディナンドの三人が動けば解決できる確率は格段に上昇する。

 ジルヴェスターは脳内で今後の行動方針を思い描いていく。


「お前には俺の言う通りに動いてもうことになるが、問題ないか?」

「う、うん。それで状況を打破できるのならなんでもするよ」


 ジルヴェスターの問い掛けにレアルは若干気圧されながら頷く。

 唐突な展開について行くので精一杯であったが、自分たちの為に手を差し伸べてくれているのだということはわかった。


「まず、お前は暗殺に成功したと報告してこい」

「わ、わかった」


 レアルは素直に頷くが、疑問があったので問い掛ける。


「でも、ベイン殿は健在だけど問題ないの?」


 ジルヴェスターが暗殺を阻止したのでマーカスは健在だ。

 なので、存命しているのに虚偽の報告をしても問題はないのかとレアルは思った。


「ああ。一度雲隠れしてもらう」


 ジルヴェスターは自分の考えを述べていく。


 まずはマーカスに事情を説明して協力を仰ぐ。

 説得はフェルディナンドに頼めば問題ないだろう。


 そして人相が判別できないマーカスに似た体型の遺体を用意する。

 遺体を用意するのには少々手古摺てこずるかもしれないが、用意することは可能だ。

 貧困街には死体が転がっていることも珍しくない。闇ブローカーに遺体の用意を依頼することも可能だ。なんなら死刑囚を使う手もある。


 偽物の遺体で誤魔化せれば最良だが、最悪一時凌ぎにさえなればいい。

 マーカスが表に姿を現さなくなれば信憑性が上がるはずだ。


 時間を稼げている間に可能な限りの手を打つ算段である。


「そしてお前は何食わぬ顔で過ごしていろ」

「ポーカーフェイスに努めるよ」

「手荒な事態にならないように最善を尽くすが、いつでも御母堂を連れて逃げられるようにしておけ」

「わかった」


 レアルの母には危険が及ばないように行動するつもりだが、何事も絶対は存在しない。

 最悪の事態を想定していつでも逃げられる心構えをしておいてもらう必要がある。


「えっと……姉さんはどうすれば?」


 母の身は自分が守れば問題ないが、万が一報告が虚偽だとバレた場合、姉の身にも危険が及ぶのではないかと思い至ったレアルが懸念点を口にした。


「そっちも抜かりはない。手を打つ」

「そっか。ジルを信じるよ」


 レアルはジルヴェスターを信じることにした。

 心配はあるが、任せると決めたからには最後までついて行くと覚悟を決める。


 ジルヴェスターには既に腹案があった。

 それで姉の身は守れるはずだ。

 ビリーが引き際を誤らない限りは。


 ジルヴェスターにはちょうど一週間前にレイチェルに頼まれたことにも応えられ、一石二鳥だろうと思った考えがある。


「一先ず代わりの死体を用意するまで待っていろ」


 行動を起こすにも偽装の為の死体を用意してからでなければ動けない。


「特に期限を指定されてはいないから、それは大丈夫だと思う」

「そうか。それは好都合だ」


 ベイン暗殺の命を下されたが、執行期限は設けられていない。

 あくまで実行犯であるレアルが暗殺できると踏んだ時で構わなかったようだ。とはいえ、あまりにも遅すぎるのはよろしくない。レアルもあまり引き延ばすのは良くないと思い早々に実行に移っていた。


 ジルヴェスターからすると期限がないのは好都合だ。

 あまり悠長にはしていられないが、猶予があるのは助かる。


「監視はされていないな?」

「うん。多分だけど……」


 レアルがしっかりと任務をこなすか監視している者がいた場合は、全て意味がなくなってしまう。

 ジルヴェスターは事前に監視の目がないか調査しているので問題はないと思っているが、いくら彼でも絶対はない。見落とすことも相手に上回れることもある。

 故にレアルに確認しておきたかった。


「少し待て」


 確認にしておかなければならないことを全て終えたジルヴェスターは、レアルに待つように告げる。

 頷いたレアルはカップを手に取り、既に温くなっているコーヒーを啜った。


 ジルヴェスターはレイチェル、ミハエル、フェルディナンドに順次念話テレパシーを飛ばして打合せを行う。

 その様子をレアルは漠然と眺めていた。


 ◇ ◇ ◇


 話を終えたジルヴェスターとレアルは魔法協会支部を後にして、リンドレイクの街中に繰り出していた。

 現在の時刻は正午を過ぎた辺りだ。


 レイチェル、ミハエル、フェルディナンドにそれぞれ頼み事をした。

 ミハエルには引き続き隊を率いて見回りを行ってもらうように頼み、フェルディナンドにはマーカスに事情を説明することと、偽装用の死体を用意することを頼んだ。

 レイチェルにはまた別の用件を命じている。


 ミハエルは現在進行形で行っていることなので何も問題はない。

 フェルディナンドには死体の用意を可能な限り急いでもらう必要があるが、彼に任せておけば何も心配はいらないだろう。

 レイチェルへの命令は何事もなければ明日には済ませられるはずだ。


 とにもかくにもジルヴェスターとレアルは時間が空いてしまった。

 レアルの心情をおもんぱかって気分転換でもさせてやろうと思い散策に赴いていたのだ。――効果があるかはわからないが。


 特にどこかの店に寄るでもなく、商業区のメイン通りを目的もなく散策していた。男二人なのでウィンドウショッピングを楽しむということもない。

 賑わっている雰囲気を味わうだけでも気が紛れるだろうという考えだ。


 リンドレイクは商業の中心地だけあり、近代的な建物が多い。

 旧商業区は昔ながらのおもむきがあり、建築物も煉瓦や石材を用いて建てられている。対して新商業区と呼ばれるエリアは、近代的なビルやショッピングモールが建ち並ぶ。


 居住区も旧居住区、新居住区と呼ばれるふたつのエリアに分かれており、邸宅の建築様式が異なっている。

 ちなみに、魔法協会支部は旧商業区と新商業区のちょうど中間地点にある。


 そして現在、ジルヴェスターとレアルの二人は新商業区にある最も高層な商業ビルにいた。

 シンボリックセンターという名の商業ビルには、様々な企業及びブランドの店舗が入っている。MAC関連の店、アパレル、雑貨屋、書店、飲食店、日用品を扱う店などだ。


 二人が書店から出て、自動階段エスカレーターに乗って下の階へ降りていく。


 ――『自動階段エスカレーター』は魔法具の一つである。

 仕組みは機械に専用の術式を刻んだ魔晶石と魔力を溜めておくことのできる魔有石を埋め込み、送信機をオンにすることで魔力を溜め込んだ魔有石に振動による信号を送り、自動階段エスカレーター本体が受信機となり内蔵されている魔有石が魔晶石へと魔力を送ることで術式が発動する仕組みだ。

 ビル内の自動階段エスカレーターの送信機は全て制御室に設置されている。


 この自動階段エスカレーターはジルヴェスターが開発したものだ。

 彼の収入源の一つであり、懐事情を豊かにしている。


「――あれ? ジルくん?」

「レアル君もいるわよ」


 階下に到着したところで、自動階段エスカレーターと店舗の間の通路から二人の名を呼ぶ声が聞こえた。

 ジルヴェスターとレアルが声のした方へ視線を向けると、そこにはレベッカ、シズカ、ビアンカの姿があった。――もっとも、ジルヴェスターは声を掛けられる前から三人の存在には気付いていたが。


 最初にレベッカがジルヴェスターの存在に気づき、遅れてシズカが反応していた。


「レベッカはジルくんのことで頭一杯だから」

「――ふ、二人は何しているの!?」


 ジルヴェスターのことしか目に入っていなかったレベッカにビアンカがツッコミを入れる。

 すると、レベッカは誤魔化すように慌てて男二人組に問い掛けた。


「レアルくんは忙しかったはずだよね?」


 レアルは春季休暇に入る前にレベッカに誘われていた。その際に多忙を理由に保留にしている。

 後日改めて断りを入れたが、普通なら自分の誘いを断ったはずなのに何故商業ビルにいるのか? という心情になる。しかも友人と一緒なら所用とも思えないだろう。嘘を吐いて誘いを断り、友人と遊びに来ていたのかと思われても仕方がないことだ。――レベッカ本人は、彼女の大きな器故に全くそのようなことは気にしていなかったが。


「奇遇だな」

「わたしたちはちょっと足を延ばして買い物にね」


 レベッカたちはシズカの実家に滞在している。シズカの実家があるレイトナイトはネーフィス区だ。

 そしてリンドレイクもネーフィス区にある。同区なので比較的近隣に位置する。

 三人は鉄道に乗ってリンドレイクまで買い物に訪れていた。


 レベッカは空色のオフショルダーシャツを着て肩を露出し、黒のハイウエストデニムスキニーパンツを合わせている。そして黒のショートブーツを履いており、派手すぎずない身形で自分の魅力を最大限生かしていた。


 シズカは黒のTシャツの上に同じく黒のジャケットを羽織り、白のスラックスを穿いている。黒のオープンバックパンプスを履き、仕事のできる大人な女性を思わせる装いだ。


 ビアンカは片方の肩が空いた黒のタイトワンピースを着て、紫のショートブーツを履いている。片方の肩のみ空いたアシンメトリーが色気を演出しており、落ち着いた雰囲気と色気を上手く両立させていた。


 三人とも自分の魅力を良く理解しているからこそ可能なコーディネートだ。


「ちょうどいい。少し頼まれてくれないか?」


 ジルヴェスターはレベッカの疑問に答えずにそう言った。


「いいけど、何かあったの?」


 女性陣三人は互いに目を見合せて疑問を浮かべる。


「少々事情があってな。数日こいつを預かってくれないか?」


 ジルヴェスターはレアルに視線を向ける。

 当のレアルは突然のことに驚いている。


「レアルくんを?」


 説明を省いたジルヴェスターの頼み事にレベッカは疑問を浮かべるしかなかった。


「構わないわよ」


 怪訝な顔をするレベッカを差し置いてシズカが了承の旨を告げる。


「助かる」


 シズカは雰囲気から詳しく説明できない事情があるのだろうと察した。

 しかもおそらく厄介事であり、説明しないのは自分たちは知らない方がいいことなのであろうと推測した。


 彼女は剣術の大家であるシノノメ家の令嬢だ。

 シノノメ家の一門として、世の中の綺麗な部分だけを見て生きていくことはできなかった。闇の部分に触れることも少なくない。

 また、門下生には様々な立場の者がいる。本人の意思に関係なく善にも悪にも触れざるを得ない環境で育った。

 故に、なんとなくだが雰囲気を察することができていた。


「シズカちゃんがいいなら私たちも問題ないよ~」


 ビアンカが間延びした口調で了承すると、レベッカも一拍遅れて頷いた。

 シズカの実家だ。確かにお邪魔している立場のレベッカとビアンカには、家人であるシズカが許可しているのに否を言う道理はなかった。


 その後はジルヴェスターもレアルも時間が余っていたので、女性陣と合流することになった。

 ジルヴェスターとレアルは親鳥の後を追う雛鳥のように女性陣について行くだけだったが、共にショッピングを楽しんだ。合間に昼食を済ませている。


 ジルヴェスターとしては同世代の友人と買い物することは滅多にないので、新鮮で楽しめた。――レアルは女性陣に気圧されて居心地悪そうにしていたが。


 女性陣が買い物に夢中になっている間に、ジルヴェスターとレアルは打合せをしていた。


 レアルはこの後一度ビリーの屋敷に戻って報告を済ませ、すぐに母を連れてシズカの実家に向かう手筈になっている。

 万が一ジルヴェスターたちの工作がビリーに勘付かれた場合は、レアルと彼の母の身に危険が及ぶ恐れがある。

 そこでシズカの実家に匿ってもらうことにしたのだ。


 そのことをシズカたちには説明していないが問題はない。

 シノノメ家道場には多くの腕利きがおり、心強い用心棒になる。

 シズカもジルヴェスターたちが厄介事に巻き込まれていると察してくれているので、不審者がいたら道場の者を率いて対応してくれるであろうと考えた。


 そうしてジルヴェスターはレイチェルから連絡が来るまでの間、四人と行動を共にしたのであった。

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