第14話 幼女の頼み事

 昼飯を終えると誠は電算室にいた。目の前の空間に浮かぶ画面は二分割され一つは先ほどの戦闘が、もう一つはランに提出を求められた戦闘時における対応のレポートが映し出されていた。


「神前、終わったか?」 


 そう言うと手にマックスコーヒーを持ったかなめが現れた。脂汗を流してじっとしている誠に向けてかなめは真っ直ぐ歩いてくる。


「ご苦労なことだな。カウラももうすぐ着替え終わるだろうからこれでも飲んでろよ」 


 そう言うとかなめは誠に缶コーヒーを手渡した。


「ああ、そう言えばアメリアの奴はパーラの車で出るって言ってたから待たねえで良いってさ」 


「それにしてもオメエ、結構がんばってるみてえだな」 


「はあ」 


 缶コーヒーを飲みながら誠は一息ついた。


「じゃあ行くか」 


 そう言ってかなめは立ち上がった。誠も苦笑いを浮かべて端末を終了させる。


「また飲むんですか……」 


 こういう時はいつも飲みと決まっていた。二人はそのまま実働部隊控え室に入った。


「遅かったな」 


 すでにカウラは席に座って携帯端末で先ほどの誠の戦いを繰り返し見ていた。


「飽きねえなあお前も。ちっちゃい姐御は隊長室か?」 


 そう言うとかなめもカウラの正面の席に座った。


「ああ、入ったまま出てこないな」 


 先ほどのシミュレータでの訓練を終えたままランが出てきていないのはカウラの言葉で明らかになった。


「それにしてもいつもいるんだな」


「なに?いちゃ悪いの?」


 この部屋の部外者であるアメリアが空いたパイプ椅子に座って周りを眺めている。


「まあお前の仕事をちゃんとしていればそれでいい」


「してるわよ……任せなさい」 


 ここまで言うとアメリアは扉の外に手を振った。誠が振り返るとそこにはパーラが手を振っている。


「じゃあ、先行ってるわね」


 そう言うとアメリアは小走りでパーラのところに向かった。


「アタシ等も出かけるか?」 


 かなめはそう言うと椅子をきしませながら立ち上がる。


 クバルカ・ラン副隊長の正式移籍に伴う飲み会。それがこれから待っている出来事だった。


「そう言えばクバルカ中佐の足はあるのか?あの人……飲むだろ?運転代行でも頼むのか?」 


 そうかなめに尋ねるカウラだが、かなめは無視してそのまま部屋を出ようとする。


「そのくらいの手配はできるだろ?見た目はああでも子供じゃねえんだ」 


 そう言うとかなめは静かに部屋を出て行った。


 かなめにつられるようにして誠は廊下に出て周りを見回した。もう秋も深くなろうとしている。すでに夕日は盛りを過ぎて、紺色の闇に対抗するべく蛍光灯の明かりが降り注ぐ


「あの、僕も着替えたほうが……」 


 勤務服姿の誠の問いに肩に手を当てるかなめ。


「いいんだよ、こいつだって制服以外の服はろくに無かったんだからな」 


 そう言ってかなめは後ろに立つカウラを親指手指した。


「借金があってな……パチンコで負けが込んで。その……」 


 そう言ってカウラは顔を赤らめる。かなめは今度はカウラの肩に手を乗せる。


「良かったな。姐御が正式配属になればちゃんと更生できるだろ」 


 そう言ってうつむくカウラにかなめは挑戦的な表情で絡みつく。そしてねちっこくカウラの頬を突く。そのタレ目はゆっくりと方向を変えて誠を見つめた。うつむいたカウラのエメラルドグリーンの髪が蛍光灯の明かりに照らされて輝いて見える。


「じゃあ着替えてきますね」 


 かなめにそう言うと誠は廊下を早足で歩いた。すれ違う技術部の男子隊員達を無視して更衣室に飛び込む。


「上がりですか。ご苦労様です!」 


 中にはつなぎを着込んだ西が立っていた。


「夜勤か?大変だね」 


 そんな誠の言葉に、西は軽く頷く。


「仕方ないですよ、島田先輩は出張中ですから仕事が結構たまっちゃうもので」 


 西は計算したように華奢な体を翻して飛び出していった。


 誠は大きくため息をつくと自分のロッカーを開き、指紋認証の保管庫を開く。そのままガンベルトを外して中に納めて扉を閉める。自動で鍵がかかる音がする。作業着のボタンを外す誠の後ろでドアが開く音がした。


「よう、上がりか?良い身分だねえ」 


 そう言うのは菰田主計曹長だった。誠は正直この先輩が苦手である。


 彼の唱える『ヒンヌー教』は部隊の一大勢力ともいえる非公然組織として司法局や他の軍や警察にすら知られていた。教義は『ほのかな胸のふくらみが萌えるだろ?』と言う非常にマニアックで感覚的な言葉である。スレンダー美女を崇拝し、彼らの定義する『萌え』を備えた女性をあがめ奉る宗教である。


 その生きた神がカウラだった。カウラは明らかに嫌がっているが、それを好意と勘違いするほどに彼らの思考回路は歪んでいた。


「そう言えば神前曹長は今日は月島屋に呼ばれているんだよねえ」 


 耳まで伸びた油ぎった髪を掻きあげる菰田の言葉に誠は仕方なくうなづく。


「うらやましいねえ、俺もパイロットになれば良かったよ」 


 そう言って上目遣いに見つめてくる態度は先輩のものとわかっていても誠の癪に障った。確かにかなめでなくてもそのまま襟首を締め上げたくなる、そんなことを考えながらズボンをはきかえる。


「まあ、今日はあのクバルカ中佐が主賓だからね。せいぜい失礼を……?」 


 そこまで言ったところで菰田の手が止まる。菰田の視線はドアに向かっている。誠の目に映る菰田が、跳ね上がるように背筋を伸ばすとブリーフ姿で敬礼をした。慌てて誠もドアに視線を移す。


「いいんだぜ、気にしなくてもよー」 


 そこに立っていたのはランだった。


 シャムよりもさらに小柄な、小学校に入ったばかりと言うような体格のランが腕組みをして誠を見つめている。とりあえずズボンのベルトを締めると敬礼をしようとした。


「だから、いいって言ってんだろ?それよか神前……」 


 そう言ってランはいかにも自然に男子更衣室に入ってくる。


「アメリアの奴がパーラの車に分乗する分、カウラの車の席空いてんだろ?乗せてくれるように頼んでくれよ」 


「は?」 


 いかにもばつが悪いと言うようにランは頭をかきながらつぶやく。


「別に良いですけど、直接頼んだらどうですか?」 


 そう言った誠にランは冷めた視線を浴びせる。


「そいつは正論だがなあ……アタシがアイツ等にものを頼むってのは借りを作るみてえで気持ち悪りーんだ。まあ、オメーになら頼みやすいからな」 


 そう言うランを後目に誠はジャケットを羽織ってバックを掴んでロッカーを閉める。


「なるほど、頼みやすいのか。ふうん」 


 突然の声にランは振り向いた。そこにはランをタレ目で見つめているかなめとブリーフ一丁の菰田に思わず目を押さえるカウラの姿があった。


「いやいや、中佐殿、教導官殿を乗せることには自分は全く反対しませんよ。なあカウラ」 


 とりあえず更衣室を出た誠とランにかなめは声をかける。


「まあ、そうだな。私の車でよければ」 


 そう言うと菰田に背を向けてカウラは車のキーを取り出して歩き始める。


「すまねーな。オメー等も疲れてんだろ?」 


 ランは弱みを握られたような引きつった笑みを浮かべる。それをいつものタレ目をさらにまなじりの下がった姿にしてかなめが見下ろしている。


「いえいえ、アタシ等は中佐殿と違って暇を持て余していますから。明日はご予定は?」 


 そう言うかなめに、ランは思わず釣られて携帯端末を取り出す。


「一応、今日じゃなく明日に嵯峨大佐に会うつもりでいたから明日の昼間はまるまる空いてるんだ。夜からは遼北陸軍第二十三混成特機連隊の夜間教導の予定が入ってるけどな」 


 そう言うとランはかなめの顔を見上げた。ランの顔は完全に『しまった』と言う顔をしている。


「それじゃあかなり付き合えそうですねえ」 


 まなじりが下がりっぱなしのかなめを見て、誠も不安を感じていた。だいたいこう言う表情をかなめが見せるときはろくなことが起きない。


 ランは頬を引きつらせながらハンガーの階段をカウラに続いており始める。西達夜勤組の整備班員がランの姿を見て敬礼する。軽く手を上げて答えるランだが、どこかしら不安そうな表情が口元に浮かんでいる。


 階段を下りてハンガーを抜けもうすでに闇夜に包まれようとするグラウンドに出る。空は隣接している菱川重工豊川の出す明かりで煌々と照らしだされていた。二人はそのまま本部前の駐車場に向かう。駐車場にはカウラのスポーツカーの他に茜の高級セダンが停められているのが見える。それに一回り大きいパーラの四輪駆動車が目についた。


「パーラの奴、まだ残ってるのか?さっきアメリアを連れて出ていったはずだが」 


 そう言うとカウラは自分のスポーツカーの鍵を開ける。


「あいつ等だろ。どっかで遊んでるんじゃねえの?」 


 かなめはそんなことを言いながらさも当然と言うように助手席のドアを開けると狭い後部座席に乗り込んだ。誠も気をきかせてそのあとに続いて後部座席に乗り込む。


「なんだよ。アタシじゃねーのか?そこは」 


「いえいえ、中佐殿にはこのような狭い場所はふさわしくないですから」 


 そう言って笑うかなめを見てカウラは思わずこめかみに手を当てた。


「じゃあ失礼して」


 小さなランが助手席に座った。明らかにその視界はダッシュボードに邪魔されて前が見える状況ではなかった。


「出しますよ」


「頼む」


 カウラの言葉に申し訳なさそうに呟くランを見てかなめが吹き出しそうになるのをぼんやりと見ながら誠は車が動き出すことで動き出す景色を眺めていた。

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