待ち受ける者

第19話 天誅

 甲武の首都鏡都最大の宇宙港『四條畷港』の入国ロビーから一番近い出入り口が見えるビルの屋上で『彼』は待ち続けていた。 


 『滅私奉公』と記された鉢巻。『彼』は黙ったまま静かにペットボトルの水を口に含む。五厘に刈りそろえた頭を一度なでると、『彼』は静かに手元のボルトアクションライフルのに手を伸ばした。


 『彼』は典型的な下級士族の家に生まれ、軍人家庭の長男として育った。幼い時の敗戦の屈辱が今でも思い出される。大人達が慟哭する有様が今の『彼』を支えていた。そして、その後の他の下級士族達と同じように父が軍を追われ失業すると職を転々としたことが思い出される。そんな転落の人生という言葉がちょうどぴったりくる甲武によく見られるお決まりの転落劇は自分のことながら笑いが出るほどのものだった。


 多くの下級士族の没落の原因を作ったと『彼』が信じる西園寺兄弟の遼州圏国家に対する妥協政策は彼をしてここにスナイパーライフルを持ってこさせるほどの怒りを呼び起こすものだった。


いついかなる時でも売国奴であるあのふざけた兄弟のことを口汚くののしる同志達の面差しが頭をよぎる。四年前の遼州同盟結成時に締結された軍縮条約で僅かな恩給を渡されてようやく入営できた軍を追われた時、『彼』は陸軍の狙撃訓練校の生徒だった。そんな経歴が『彼』に同志達に見込まれての今回の作戦だった。


 訓練場の沈黙と今目の前に広がる宇宙港の雑踏に違いなど無いと『彼』は思って手に力をこめる。


 ゆっくりとボルトアクションの狙撃銃のストックに頬を寄せ、静かに銃の真上に置かれたスコープをのぞき込む。予想した通りこの場所だけが甲武鏡都の玄関口、四条畷宇宙港の正面ゲートを見廻せる地点だった。ボルトエンドの突起が隆起していることで、すでに薬室に弾丸が装填されていることを示している。


 『彼』には大義を知らない宇宙港を笑顔で出入りする愚民を相手に安全装置などかけるつもりも無かった。


「私利に走る佞漢、嵯峨惟基……」 


 『彼』は一言、ぼそりとつぶやく。その言葉で自分に力がわいて来るような気がしていた。半年にわたる調査と工作活動が今、実ろうとしていた。同志の数名はすでに投獄されているが、彼等は死んでも今の自分の志を遂げる為に我慢して黙秘を続けてくれると信じていた。そしてこの今、引き金を引こうという指に彼等ばかりではなく甲武の志士達の誇りがかかっていると信じて再びスコープをのぞき込む。


『嵯峨大佐は紺の着流しだ。すぐわかる……今ドアを開けた!』 


 ターゲットに張り付いている同志の声が響く。


 見つめる先、確かに紺の着流し姿の男が現れた。腰には朱塗りの太刀。しかし、この太刀は振るわれることは無いだろう。『彼』は引き絞るように引き金を握り締めようとした。


 その時だった。国賊と彼の呼ぶ嵯峨惟基は明らかに青年の方に向き直った。そしてその瞳は明らかに『彼』の存在を理解しているように見えた。あまりのことに、青年は引き金を反射で引いてしまった。肩に強烈な火薬のエネルギーを受けて痛みが走る。弾丸は標的の数メートル手前に着弾した。すぐさま体に叩き込んだ習慣でボルトを開放して次弾を装填していたが、目の前に見える光景に『彼』は自分の顔が青ざめていくのを感じた。


 スコープの中の着流し姿の男が消えていた。扉の周りに立っていた常駐の警官隊が、突然響いた銃声にサブマシンガンを抱えて走り回っているのが見える。青年はすぐさま脱出のことを考えたが、振り向こうとする彼の頬に突きつけられた刃に体を凍らせた。


「腕は確かだねえ。惜しかった!実に惜しかった」 


 頬を伝うのは『彼』の血だった。『彼』にとっては敗北に等しい妥協と屈辱を遼州星系の民に強いた憎むべき敵。その敵の声が確かに後ろから響いていた。その突然の出来事に恐怖よりも怒りを感じつつ静かに『彼』は振り返った。


「国賊が……」 


 『彼』の言葉に背後の男は我慢することが精一杯とでも言うように笑いを漏らす。


「あんた等の言語のキャパシティーの無さには感服するよ。国賊、悪魔、殺人鬼、人斬り、卑怯者、破廉恥漢、奸物、化け物、売国奴。まあもう少しひねった言いかたをしてもらいたいものだねえ……」 


 そう言って男は剣を引いたが、『彼』はその機会を待っていた。


 すぐさま落とした銃を手にしよう手を伸ばした。しかし、背後の気配はすばやく『彼』の意図を察して前へと踏み出す。そして『彼』が見たのは手首を切り落とされた自分の両腕だった。


「うっ!」


 痛みが失われた両腕に走る中、『彼』は気力だけで悲鳴を上げるのこらえた。


 目の前の着流し姿の男は『彼』の失われた両の手首をじっと見つめて、刀に付いた人肉の油を手ぬぐいでぬぐう。そこには『彼』が憎んだ下卑た笑いを浮かべる奸賊の姿があった。そしてその濁った目にたどり着いたとき、焼けるような痛みが両腕に走りそのまま『彼』は崩れるように倒れた。


「ああ、痛かったかねえ。それに凄い血だ。一応警告しとくけど暴れない方が良いよ。警官隊が来るまでどのぐらいかかるか……その傷じゃあ……それまで持つかどうか……微妙だね」 


 着流し姿の男、嵯峨惟基は残酷にそう言うと感情の死んだような瞳で『彼』を見つめた。『彼』の命を助けるつもりなど嵯峨にはさらさら無い。そう言うことを証明するかのように腰の鞘に同田貫正国を戻すとすぐに帯からタバコを取り出して火をつけた。


「大公!」 


 警官隊が嵯峨に向かって走ってくる。だが、彼等の目の前には彼らの任務からすれば射殺すべきテロリストが両腕を失ってのた打ち回っている姿があるばかりだった。


「止血だ!急げ」 


 『港湾警備隊』という腕章をつけた駆けつけた警察部隊の隊長らしき男が部下に指示を出すと、部下は両腕を切り落とされた凶弾の射手に哀れみを顔に浮かべながらベストから止血セットを取り出して処置を始めた。


「こりゃあ運がいいみたいだ。まあ命は粗末にするもんじゃねえよ」


 そう言ってタバコをふかす嵯峨の姿を痛みに支配されていた『彼』は見ることができなかった。


「状況を説明していただけますか?」


 ヘルメットを脱いだ警察の部隊長が青ざめながら薄ら笑いを浮かべる着流し姿の男に声をかけている。『彼』はその光景を朧に見つめながら意識を失っていった。

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