飲み

第15話 月島屋

 月島屋のある豊川駅前商店街の時間貸しの駐車場に着いたときは、誠はようやく解放されたという感覚に囚われて危うく涙するところだった。


 予想したとおり、後部座席に引きずり込まれた誠はかなめにべたべたと触りまくられることになった。そしてそのたびにカウラの白い視線が顔を掠める。


 そして、明らかに取り残されて苛立っているランの貧乏ゆすりが振るわせる助手席の振動が誠の心を不安に染めた。生きた心地がしないとはこう言うことを言うんだと納得しながら、さっさと降りて軽く伸びをしているランに続いて車を降りた。


「おい、西園寺……」 


 カウラが車から降りようとするかなめに声をかけたが、ランのその雰囲気を察するところはさすがに階級にふさわしかった。手をかなめの肩に伸ばそうとするカウラの手を握りそのまま肩に手を当てた。


「カウラ。月島屋だったよな」 


 そのランの言葉でとりあえずの危機は回避されたと誠は安心した。


「つまんねえなあいつもあそこばかりじゃ。たまにはこのままばっくれてゲーセンでも行くか?」 


 そう言うかなめにちらりと振り返った鋭いランの視線が届く。かなめもその鋭い瞳に見つめられると背筋が寒くなったように黙って誠についてくる。


「相変わらず目つき悪いなあ……」 


「あんだって?」 


「いえ、なんでもございませんよ!副隊長殿!」 


 かなめが大げさに敬礼してみせる。すれ違うランと同じくらいの娘を連れたかなめと同じくらいに見える女性の奇妙なものを見るような瞳に、かなめは思わず舌打ちする。あまさき屋の前で、伸びをして客を待っていた自称看板娘の家村小夏が誠達を見つけた。


「あ、ベルガーの姐御と……クバルカの姐御に……ゴキブリ?」 


「おい!誰がゴキブリだ!」 


 そこまで言ったところでかなめの顔を射抜くような目で見つめているランがいた。


「お母さん!」 


 店ののれんをくぐった三人を招き入れると小夏はカウンターで仕込みをしていた母、家村春子に声をかけていた。振り返った春子は、軽く手を上げているランを見ると笑顔を浮かべた。


「ランさんついに本異動?」


「ええまあ、春子さんこれからもよろしく」


「ちっけえから気付かなかった……うげ!」 


 余計なことを言ったかなめが腹にランのストレートを食らって前のめりになる。


「それより叔父貴が来てるんじゃねえのか?叔父貴は車持ってねえからな……バスとモノレールで通ってるから」


 かなめはそう言うと入り口に目をやった。カウラは携帯端末を手に持ったポーチに入れようとする。


「隊長はもうすぐ着くそうだ。それと茜はパーラ達の車に便乗するはずだったけど車がないと面倒だから自分の車で来るそうだ」 


「それじゃー行くぞ」


 ランはそう言っていつもの月島屋に入った。彼女はそのまま奥まで行くと暖簾をくぐった。そこには古びた階段があった。


「この店二階もあったんですね」


 誠はそうつぶやいてランの後ろに続いた。たどり着いたのは十畳ほどの座敷だった。


「気のつかねー奴だな」 


 そう言ってランは誠を見上げる。


「何が……」


 誠の態度にため息をついたランはそのまま上座に上がっていった。


「神前は下座だな。姐御の隣が叔父貴で……アメリアと茜が隣のテーブルか?」


 かなめはそう言うと下座のテーブルに座った。


「私は誠ちゃんと一緒が良いなあ……」


 いつの間にか背後に気配を感じた誠が振り返るとそこにはアメリアの姿があった。


 隣にはパーラとサラが当然のように立っていた。


「少佐殿を下座に置くなんて……できませんねえ……」


「かなめちゃんと私の仲じゃない……代わってよ……」


 じゃれあう二人を無視してカウラが誠の隣に座った。


「何どさくさ紛れに座ってるのよ!」


「ベルガーテメエ!」


 誠の隣に座ったカウラを二人がにらみつける。


「いいじゃないのそんなこと。それより茜さんは?」


 パーラはそう言いながら上座から二番目のテーブルにサラと一緒に座り込んだ。


「茜、まだ来てねえんだ……」


 そう言いながら階段を上ってきたのが嵯峨だった。


「隊長、いつ隊を出たんですか?」


 誠はどう考えても本数の少ないバスで誠達とほぼ同じ時間に着ける嵯峨に呆れていた。


「いいじゃん別に。俺上座?面倒だな……」


 そう言いながらも嵯峨は猫背のままグラスを手にしているランの隣に腰かけた。


「遅れました!」


 そこにやってきたのは茜だった。


「いいよ、俺達もさっきついたとこだし……始める?」 


 嵯峨はそう言ってテーブルに置かれたグラスを手にした。


「神前、手伝いなよ」


 そんな嵯峨の言葉を聞いて下座の誠は階段を降りようとした。


「いいですよ、神前君。お客さんじゃないですか」


 そう言って春子はビールのケースを誠に手渡した。それを見たかなめが二本ビールを取ってカウラに手渡す。カウラはすぐさま栓を抜いてアメリアに手渡した。


「まずは主賓から」


 そう言うとアメリアはランの手にあるグラスにビールを注いだ。


「オメー等も座れよ。そんな儀式ばった集まりじゃねーんだからよ」 


 自然と上座に腰をかけたランがそう言って一同を見回した。


「それじゃあ、皆さんビールでいいかしら?ああ、カウラさんは烏龍茶だったわよね。それとかなめさんはいつものボトルで……」 


 そう言って春子はランを見た。


「いいんじゃねーの?」 


 そう言ってうなづく上座で腕組みをして座っている幼く見える上官をかなめとカウラは同じような生暖かい視線で見つめる。


「なんだよその目は」


「別に……」


 かなめの視線に明らかに不愉快そうにランはおしぼりで手をぬぐいながらそう言った。 


「しかし……茜。和服で運転は危ねえだろうが」


 とりあえず注がれたビールを飲んでいたかなめが茜にそう言った。


「ご心配おかけします。でもこちらの方が慣れていますの」 


 そう言うと茜はランの隣に座る。嵯峨もランが指差した上座に座って灰皿を手にするとタバコを取り出した。


「あの、隊長」 


 カウラが心配そうに声をかける。


「ああ、お子様の隣ってことか?わかったよ」 


 そう言うと嵯峨はタバコをしまった。ランはただ何も言わずにそのやり取りを見ている。


「もう空けましたか、中佐殿お注ぎしますね」 


 アメリアは満面の笑みを浮かべて、口元が引きつっているランのグラスにビールを注ぎ始める。


「おっ、おう。ありがとーな」 


 なみなみと注がれたビールをランは微妙な表情で眺める。気付けば茜やサラがビールを注いで回っている。


「オメエも気がつけよ」 


 そう言うとかなめは誠にグラスを向ける。気付いた誠は素早くかなめのボトルからラム酒を注ぐ。


「おう、じゃあなんだ。とにかく新体制の基盤ができたことに乾杯!」 


 挨拶は短く済ます主義の嵯峨の言葉で宴席が始まる。


「さあ、皆さん。こちらをどうぞ!」 


 階段を上がってきた春子と小夏が次々と煮物の入った小鉢を置いていく。


「焼鳥盛り合わせ!」 


「はい、いつも通りですね」 


 叫ぶアメリアに小夏が小鉢を渡す。


「そう言えばボンジリとか……行きたくねーか?」 


「じゃあ、砂肝はどう?」 


 メニューを見ながらランと茜が注文を始めるのを春子がメモしていく。


「ラン、地球はどうだった?」


 嵯峨の言葉でランが地球の会議に出席していたことを皆が思い出した。


「ああ、なんだか……人が多かったな。まあ東都と変わらないぐらいだが……人口が遼州の百倍だ。まあ結構疲れたよ」


「へえ……」


 感心しているようにそう言うとかなめは誠のグラスになみなみとラム酒を注いで誠の前に置いた。


「これ、飲まないと駄目なんですよね」 


 誠は沈んだ声を吐き出した。かなめとランの視線が誠に集まる。


「クバルカ中佐。ちょっと神前を苛めるのはやめた方がいいですよ」 


 カウラはそう言って烏龍茶を口に含む。店の一階から漂う香ばしい香りが室内に満ちていく。


「手羽先行こうかな……今日は」 


 その様子を見たかなめがそう言いながらラム酒を口に含んだ。


「あの、西園寺さん。どうしてもこれを飲まなければいけないんですか?」 


 さすがにこれから教導に来てくれる教官を前に無作法をするわけにはいかないと、誠はすがるような気持ちでかなめに尋ねる。


「ああ、じゃあ隣の下戸と一緒に烏龍茶でも飲んでろ」 


 そう言うとかなめは小鉢の煮物をつつく。


「地球のビールも良いがやっぱ東和のが一番だな」 


 ランはそう言って手酌でビールを飲み続ける。


「でもランちゃん顔が赤いわよ!疲れてるんじゃないの?」 


 ビールを傾けながらアメリアが突っ込みを入れた。


「後は烏龍茶にしたほうがいいんじゃないですか?中佐はお強いですけど疲れていたら……」 


 こういう時は頼りになるパーラの言葉に誠も同意するようにうなづいた。


「そうですよ、中佐。どこかの馬鹿に挑発されても乗っちゃダメですよ」 


 アメリアがそう言うが、ランはその言葉を無視してビールを開けては面白そうにグラスに注ぐ行動を続けている。小さなランが次第に顔に赤みを帯びていく様を楽しそうに見つめているかなめの隙を見つけると、誠は素早く小夏にかなめに注がれたラム酒のグラスを渡し、新しいグラスにビールを注ぎなおす。


「あー、いい気分」 


 ビール大瓶二瓶空けたころにはランはすっかりご満悦だった。嵯峨はさすがに言っても無駄だと分かったのかいつの間にか目の前に置かれていたホッピーの替え玉を飲んでいた。


「ああ、やっぱそれくらいにしろ。後はジュースでも何でも飲めよ」 


 一応上官であり、アサルト・モジュール教導の師でもあるランに珍しくかなめが気を利かせて言ってみた。


「なんだ?アタシに説教とはずいぶん偉くなったじゃねーか、西園寺よー」 


 そのかなめを見るランの目は完全に座っていた。この時になってようやくかなめは間違いに気づいた。すでにアメリアとパーラは何かを感じたとでも言うように黙って春子が運んで来た焼鳥盛り合わせを並べている。


「空酒は感心しないな……何か他に頼むか?」


「それじゃあ、さえずりで!」 


 嵯峨の気遣いに対する遠慮などどこかへ飛んで行ったランは元気にそう答えた。嵯峨が苦笑いを浮かべながら手を挙げる。


「あの!春子さん。さえずり!二つおねがいします」 


「はい!新さんも食べるのね」


 春子の言葉に嵯峨はランをちらちら見ながら苦笑いを浮かべていた。


「ああ、なかなか食が進まないのね誠ちゃん」 


 ラム酒の入ったグラスを片手に呆けている誠にアメリアがそう言って笑いかけた。


「それ飲まなきゃ食わせねえからな」


 かなめの非情な宣告に誠はただ目を白黒させてグラスを見つめる。


「大丈夫だ……貴様の体格なら問題がないだろう」


 カウラはそうフォローになっていないフォローを入れた。


 誠は覚悟を決めてグラスの中のモノを飲み干した。


 焼けるような感覚が胃袋に走る。


「神前よくやった!」 


 かなめの怒鳴り声で誠は思わず胃の中のアルコールを吹き出しそうになるのを必死にこらえる。アメリアはそれを無視してネギまを口に運んだ。


「毎回いじられてばかりじゃかわいそうでしょ?」 


 そう言う割にはアメリアは何をするわけでもなくボンジリの串を手にニヤニヤ笑っていた。


「それにしても……地球圏の人達は私達のことをどう思ってらっしゃるのかしら?」


 ビールを飲みながら茜は仕事の話に持っていこうとする。


「連中か?遼州人はほとんど他の星系に移住してねーからな。完全に他人事だよ」


 ランはそう言うとレバーを口に運ぶ。


「他人事ねえ……まあ人体発火の自爆テロで基地が壊されなくなったから歓迎してるんじゃねえか?」


 そう言いながらかなめは自分の目の前のレバーを誠の皿に移した。


「他人事でいてくれた方が都合がいいのは確かね。『地球圏至上主義』なんてまた持ち出されたら面倒だもの」


 アメリアはトリ皮を手にしてそうつぶやいた。


「まー『地球圏至上主義』は今の米政権でははやらねーみたいだわな。保守系野党がどーだこーだ言ってるみてーだが……何しろ軍事的背景がねーと成り立たねー主義だかんな……遼州独立後地球圏から独立した星系にはヤベーところが多いから関わってろくなことがねーことは第二次遼州戦争で身に染みてるはずだ」


 気持ちよさげにそう言ってランは小夏が運んで来たさえずりの皿を受取っていた。


「それより神前……大丈夫か?」


 カウラがそう言ったのも当然だった。


 誠の上体が右に左にと揺れ始めている。


「あれだけ飲んだんだ……ってビールまで飲みやがって」


「飲ませたのはかなめちゃんじゃないの」


 かなめが誠の身体を支えようとするのを見ながらアメリアは苦笑いを浮かべながら見つめている。


 誠は空きっ腹に食らったラム酒のせいで完全に出来上がっていた。


「誠ちゃんは置いておいて……あ、誰か砂肝食べる人!」


 アメリアは自分のテーブルの前に置かれた砂肝の皿を全員に見せる。パーラが手を挙げたのでアメリアは立ち上がってパーラのところにその皿を運んだ。


「それより……ランよ」


 上座でホッピーを飲んでいた嵯峨がそれとなくランを見つめた。


「今日、神前が試射した兵器……出番がありそうなんだわ」


 嵯峨のやる気のない『駄目人間』らしい視線がランの鋭い視線と交差した。


「どこだ……ってベルルカンに決まってるか。あんなの甲武だの外惑星だのの近代兵器相手に通用するわけねーしな」


 ランはそう言ってグラスに手酌でビールを注いだ。


「詳しいことは言えねえ……でもまあ……本移籍になってからの最初の出動になりそうだわ……すまねえな」


 そう言って嵯峨はいつの間にか運ばれていた鳥のささみの刺身を口に運んだ。


「仕事だかんな……仕方ねーだろ」


 二人の会話を聞き入るアメリア達を知ってか知らずか、不敵な笑みを浮かべながら嵯峨はホッピーをグラスに注いだ。


「それより……神前は……大丈夫じゃ……無いよな」


 嵯峨が目を向けた先にはゆらゆらと上体を揺らしている誠の姿があった。


「いつものことだろ?」


 気にも留めないかなめの隣で誠はそのまま仰向けに倒れた。


「寝てろ……バーカ」


 かなめの言葉を最後に聞いて誠はそのまま気を失っていった。

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