第8話 ただいまとおかえり


 

 

 

「かけるぅ〜。ご令嬢とはどうなんだ?」

 

 ビール缶を片手に、顔を真っ赤にした父さんがフラフラとした足取りで俺の部屋に入ってきた。

 あーこれは絶対だるいパターン。

 案の定、酔ったじじいは俺にだる絡みを始めた。

勉強机から俺を引き剥がして床に座らせると、肩に手を回して来た。


「あんま近づかないでよ。酒臭いし口臭いし加齢臭ヤバい。……で? 西条さんのことだっけ。…えーっと、西条さんとは、日曜うちに来た時以来、会ってもないし話してもないよ」

「…ほーん。そうなのか。連絡先は交換したのか?」

「してない」


 わざとらしく口を開けてまで驚くことかよ。

 

「おおおおい。それじゃあ話したり、遊びに行く約束を取り付けることもできねーじゃん」

「え、西条さんと会ったりするのって、両家がどちらかの家に出向いた時に限るんじゃないの?」

「んなことねぇよ。お前ら個々人の付き合いにまで俺たちが首を突っ込むことは無い。なんなら、もっと逢瀬を繰り返して仲を深めてくれた方が俺にとっても有難い」


 てっきり、西条さんとの関係の構築は、両家の管理のもと行われるものだと思っていたけど、実際は相当緩いらしい。

 まぁ、だからといって、今まで以上に積極的に関わるつもりは無いけど。つか、正直勇気がない。


 父さんは俺の肩から手を離すと、ビール缶を机に置いて座り直した。


「翔…どうだ? やっぱり結婚は嫌か?」

「嫌じゃないよ。許嫁でも居ないと、俺は一生結婚とは無縁だっただろうし。寧ろ、俺なんかと結婚させられる西条さんの方がよっぽど可哀想だよ」 

「"なんか"って…。お前はもう少し、自分に自信を持ったらどうだ? 見た目に関しちゃ俺譲りの良い男じゃねぇか。そんなんじゃご令嬢に逃げられちまうぞ? 自分に自信のねぇ男が、相手の女を幸せにするのは難しいぞ! はっはは」

「そう簡単に自分に自信なんて持てるわけないよ。俺は運動も出来ないし、特別頭が良いわけでもないし。それに……」


 気づいた時には、俺は父さんのゴツゴツした腕の中に居た。

 力強すぎだしキモイし全然離れないし、なにより、めちゃくちゃ恥ずかしいし。



「なぁ翔。俺はお前を愛してるぞ。ちゃんと愛してるから。お前以上に出来た息子はこの世に存在しないと思ってる。お前が自分を好きになれなくても、ちゃんとお前の事を想ってくれてる人は居るからな。ほら! 例えば俺とか! あははっ!」

「キモイし。暑いし。酒臭いよ。色んな意味でイタいし。それに、俺もう高校生だよ? 他の子は絶対こんなことしてないよ」

「馬鹿かお前は。高校生だろうが大学生だろうがおっさんだろうが俺の息子には変わりねぇよ。可愛いもんはいつまでも可愛い。だからこうして抱き締めてんだ。俺なりの愛情表現だよ、察しろバカ息子」




 父さんは中々離してくれなかったけど、無理矢理押しのけようとは思わなかった。


 



*****


 

 放課後の図書館で男女が2人ずつ。

 そうだ、部活だ。



「昨日はごめんね! 私達、ちょっと用事があってさ! ね、そうちゃん」

「…あぁ、ちょっと買い物にな。あと七海、そのそうちゃんってのいい加減辞めろ。いつまでやるつもりだ」

「えー! いいじゃん! 幼稚園からずーっと、そうちゃんはそうちゃんだし!」

「理由になってない。大体七海はいつもいつも…」

「ん"ん"っ」


 瀧宮のわざとらしい咳払いのおかげで、先輩たちのしょうもない痴話喧嘩は始まること無く終わった。

 瀧宮は人差し指で机を急かすように叩いている。これは…相当キテるな。


「あの、失礼を承知で言わせてもらいますが、先輩方は何をしにここに来たんですか? 馴れ合いたいだけなら他でやってください。ここは文芸部です。立場上私達の先輩なら、この部の先達として然るべき行動を取るべきでは?」


 鬼のような正論に打ち負かされた先輩たちは、涙目で押し黙ってしまった。確かに自業自得っちゃ、自業自得だけど、流石に同情しちゃうな。


「なぁ瀧宮、もういいんじゃないか? ほら、先輩たちも反省してるみたいだし」

「あなたはこれでいいの? 活動初日から部活をサボり、挙句次の日も遅刻。それでいて謝罪のひとつも無し。口を開けば盛った豚のように異性に媚びる。こんな人達が先輩でいいの?」

「もう、そこまでで…」


 あーあ、言わんこっちゃない。

 まじで空気が最悪だ。瀧宮はブチ切れ、磯山先輩は半泣き、川原先輩に至っては大泣きだ。

 こんなの、俺にはどうしようも無い。時には逃げることも大事って誰かが言ってたし、お先に失礼させて貰おうかな。


 俺は隣の席に置いていた鞄を右手に提げて、後ろを向き、本棚の間を縫って歩き始めた。

 瀧宮には悪いけど、後は任せるかな。

 

「あらあらどうしたの? 神代くん」


 赤ぶちの眼鏡に、ポニーテール、黒いスーツ。見覚えしかない。


「佐々木先生。すみません、少し野暮用が出来まして…お先に失礼させて頂きます」


 完全に顧問のことが頭から抜けていた。これはまずい、やばい。背中にじわりと冷たい汗が滲む。

 先生は俺を…じゃないな。俺の背後をやたら気にしている。何、なにか居んの?


「神代くん、その用事って…いいや。後ろを見た方が早いと思うよ」


 俺は恐る恐る振り返ろうと……する前に首根っこを掴まれて、無理矢理あの場所に引き戻された。

 瀧宮さん怖いよ。


「逃げられるとでも?」


 強敵が言いそうなセリフを実際に使う人を初めて見た。いやぁ……まじで怖いな。


 少し遅れてきた先生が手をパチリと叩いた。


「はい! 全員揃ってるね。えーっと……川原さんが泣いてるのは取り敢えず置いといて。まずは、神代くんと瀧宮さん。文芸部に入部してくれてありがとう。あなた達が来てくれなかったら、この部は廃部になってたわ」


 何故か瀧宮は不満そうな顔をして、俺を指さした。


「佐々木先生。私が聞いていた話と違うんですけど。部員が1人足りなくて、どうしようもないから私をこの部に入部させたんですよね? この人がいるなら私は必要無かったんじゃないですか?」

「それは…ごめんね。磯山くんと川原さんと私で、別々に勧誘しちゃってたみたいで。神代くんが先に私の所に入部届けを持ってきてくれて、そのすぐ後に瀧宮さんが持ってきてくれたの。だから、正直なことを言うと、瀧宮さんは入部しなくても良かったんだけど、部員は多い方が良いかなと思って。へへへ」


 俺が入部届けを持ってきたタイミングで既に廃部の危機は逃れていたけど、どうせなら部員は多い方が良いから、先に先生が誘っていた瀧宮も入れちゃったってことか。中々やってることが汚いな。


 瀧宮は怒ることはなく、どちらかというと、呆れている様子だった。


「まぁ、入ってしまったものは仕方ないです。ですが、私が入部した以上は真面目に部活に取り組んで貰いますからね? 先輩、それに、あなたも」


 睨まれるのも慣れたもんだなぁ。

 先生は申し訳なさそうに頬をかきながら口を開いた。


「えーっと、言い出しにくいんだけど、今日は部活を休みにしてもいいかな。実は私、ちょっと用事があってね。図書室の先生も出張でられなくて、この部の監督者が居なくなるの。監督者が居ないと部活動は原則禁止だから、今日はお休みってことでお願いします。……あ、あとこれを皆に、部活の予定表」


 わぁ、休み多いな…ってか、火曜と水曜だけじゃん。正直、この部を選んだことを後悔してたけど、これなら続けられそうだな。


 安堵してる俺を横に、瀧宮はやっぱり不満そうだった。真面目ちゃんは大変だな、色々。



「じゃあ今日は解散で、また来週の火曜日ね!」


 

 先生とほぼ同時に、俺も図書室を後にした。

 先輩たちは瀧宮に謝ってたみたいだけど、許して貰えたのかは分からない。





 小さな石ころを蹴りながら、夕焼けで橙色になった道をのんびり歩く。


 最近は色んなことがあった。

 許嫁が居たり、片想いを諦めたり、部活にその片想いの相手がいたり、母さんが……。


 ん? 足音? 確実にこっちに来てるな。それもかなり近い。


 まずいな、万が一瀧宮だとしたら、また迷惑をかけるかもしれないし…。俺もペース上げるか。


 蹴っていた石に別れを告げ、かなりのスピードで歩き始めた。

 

 俺がどれだけスピードを速めても、足音は全然遠くならない。寧ろ、近づいている気すらする。

 もう速くなりすぎて、さながら競歩の様相を呈していた。


 やっと十字路だ。俺はなりふり構わず、全速力で右に曲がった。

 なんとか振り切れたようで、俺は再びスピードを落とす。あれはかなりの強敵だった。間違いなく何かのスポーツをやってたな。


 もうすぐ家が見えてくるってところで、俺は顔を上げた。

 

「…え?」


 絶対に居るはずのない人が居る。

 ここらでは見ない黒いロングスカートの制服を身にまとった、小柄な少女。



「…あ、おかえり……なさい」

「あ…えっと、ただいま?」

 

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