第12話 転機

「…大事な話がある」


 斜め前の席で、黙々と読書を続ける瀧宮に声をかけた。

 瀧宮は俺の方を一瞥すると、本に栞を挟んで机にそっと置き、深くため息をついた。まるで、俺がこれから言うことを予見して呆れているような、そんな目で俺を見つめてくる。



「…どうぞ。早めに済ませてくれると有難いわ。今丁度いい所なの」

「あぁ、すぐ終わる。それで用件なんだけど、瀧宮に会わせたい人がいるんだ。時間とか諸々、大丈夫か?」

「別にいつでもいいけど…その人は何処に?」

「それは…」



「ここだよ!」


 俺が言い終える前に、投げられたフリスビーに向かって行く犬のような勢いで、多々良さんが本棚の陰から飛び出してきた。

 多々良さんはその勢いを殺さぬまま、瀧宮の席まで一直線に走って行く。初対面の人間に対する距離感とか、礼儀作法とかに全く意を介さぬ様子で、多々良さんは瀧宮の席の隣にどしりと座った。

 多々良さんって…誰かに似てるよな?



「初めまして、私は多々良春。一応瀧宮さんと同じ

クラスなんだけど、私のこと知ってるかな?」


 

 どう考えても普通じゃない距離の詰め方をしてくる多々良さんに対しても、瀧宮は恐ろしいほど冷静で落ち着いている。クラスでいつも見せている、俺には絶対見せないあの顔で瀧宮は多々良さんに微笑んだ。



「初めまして…では無いですけど一応。私は瀧宮澪です。多々良さんですね、勿論存じ上げてます。同じクラスメイトですから。それで、今日はどのような用件があって私のところへ?」

「用件、というか、要望、というか、欲望と、いうか、もう完全に私のエゴなんだけど…」

「私にお手伝い出来る範囲であれば、どんな内容でも大丈夫ですよ」

 


 それを聞いた多々良さんは目を輝かせて、瀧宮の顔へ自分の顔をぐいっと近づけた。多々良さんの頭を軽く後ろから押せば、口と口がくっついてしまうような距離。

 ただ相手は瀧宮、顔色一つ変えずにニコニコしたままだ。ここまで来るともう恐怖すら感じる。

 多々良さんは一度距離をとると、瀧宮の両手を大切な宝物を扱うように優しく握った。



「瀧宮さん、私と友達になって欲しいの!」



 多々良さん渾身の告白は、静寂な図書室いっぱいに響き渡ってすーっと消えた。

 斜陽が瀧宮の表情を隠しているせいで俺の位置からでは今の瀧宮の心うちは汲み取れない。

 二人の間に沈黙が流れるこの空間は、1秒を1分に感じさせるほど緊張している。正直帰りたい。


 沈黙を破ったのは瀧宮の方からだった。聞き慣れた体の芯から凍らせてしまうような冷たい声では無く、子供をあやすような優しい声で。



「喜んで、多々良さん」

「ほ、ほんと?」

「本当ですよ。友達なら下の名前で呼んだ方がいいでしょうか」



 不安で曇っていた多々良さんの表情は、一気に雲ひとつない満面の笑みに変わった。なんだかこっちまで嬉しくなるけど、俺に友達が居ないのはなーんにもこれっぽっちも変わらない。現実は実に非情だ。


 

「嬉しい。本当に嬉しいよ。ありがとう、瀧宮さん」

「こちらこそ、どういたしまして」

「えっと…その、我儘だけど、下の名前で呼んでくれると嬉しいかも。あと…出来れば敬語もやめてほしい…かな」

「…うん。分かったわ。これから宜しくね、春さん」

「よろしくね! 澪ち!」

「…澪ち? 澪ちってなに…?」

「ほら、澪ちゃんって長いじゃん? 略したら澪ち!」

「…澪ち…まぁ、思ったよりは…悪くない…かも」

「でしょー!」



 笑いあってる二人を見る限り、一先ずはこれで問題無さそうだ。一時はどうなることかと思ったけれど、意外となるようになるもんだな。


 それと、多々良さんの謎に上から目線の変な喋り方も治ってるところを見るに、打ち解けることさえ出来れば、そんなに変な人でも無いのかもしれないな。


 それでも敢えてひとつだけ言うならば、少なくともこの場に俺は必要無かった。まーじでただの置物だよ。

 まぁ、多々良さんの友達を作るっていう当初の目的は達成されたわけだし? 俺の仕事としてはこれで充分じゃないだろうか。ただ二人を引き合わせただけと言ってしまえばそれまでだけど。

 


「…あ、それと、神代くんもありがとね! 澪ちと会わせてくれて! 神代くんにもすぐ友達が出来るよ!」


 顔だけこちらに向けて、多々良さんはニカッと笑った。

 応援されてるのか煽られているのかはよく分からないけど、一応激励として受け取っておこう。多分彼女なりの励まし方だろうし。



「お役に立てて何よりです。友達は…まぁそうですね。精神衛生上、過度な期待は控えておきます」

「………」

 

 

 返事は無かったけれど、少しの間、多々良さんは俺の顔をじっと見つめていた。

 よからぬ事を考えてなければ良いけれど…。



「じゃあ私はこのあたりで失礼するよ。これ以上ここに居ると部活の邪魔になっちゃうだろうし」

「そう。ではまた明日ね、春さん」

「うん、じゃあね! 澪ち、あと、神代くんも」

「…あぁ、はいまた明日」

 


 多々良さんは俺たちに浅くお辞儀をすると、俺を流し目で見る。必死に目を動かして何かを訴えてきているが、全然分からない。アイコンタクトってムズいんだな。

 流石に多々良さんも諦めたのか、そのまま振り返って歩き始めた。その際、一瞬だけ俺の見て、



「ぁあー。喉が渇いたな。帰りにカフェにでも寄って帰ろー。最近新設された、ここから徒歩5分ぐらいで着くカフェに寄ろう。ああーひとりで寂しいなぁ」

 


 長ったらしくて、やたら説明口調の独り言を言い残して、多々良さんは図書室を後にした。

 絶対面倒臭いから無視を決め込もうとしたけれど、俺の斜め前の席の女がそれを許してくれなかった。


「あなた、もしかして行かないつもり? あんな露骨なお誘いを無碍にするほど、あなたは腐ってるのかしら。それともまさか、あなたにいくら友人が少ないとはいえ、春さんの最後に言った言葉の真意が分からないなんて言わないでしょうね。もしそうなのだとしたら、その…同情するわ」

「…はぁ。はいはい。分かったよ、行くよ行きますよ。今日も先輩たちは来ないみたいだし、後は任せたよ。戸締りとか」

「最初からそうすれば良いのよ。春さんを待たせないよう、早く行ってあげて」



 本当に、心底面倒臭いけど、もし行かなかったことがバレたら後で瀧宮に何をされるか分かったもんじゃないし、一応顔ぐらいは出すか。

 

「じゃあな」

「………」


 既に本に夢中の瀧宮に挨拶を済ませ、多々良さんの後を小走りで追いかけた。




*****



 太陽はゆっくりとその高度を落とし、街路樹や今はまだ機能していない街灯の影を伸ばしている。

 その影が目を覆う度に陽光を浴び、目がチカチカする。


 惣菜がたくさん入った買い物袋を自転車の籠に入れて走るお婆さん。帰宅中のどこかの高校の生徒。恋人繋ぎをしている仲睦まじげなカップル。忙しなく電話をしながら時計を確認しているサラリーマン。

 そんな沢山の人が闊歩する大通りで、俺は一人の女子を探す。走れば走るほど息は上がり、額に汗が滲む。上着を畳んで鞄に詰め込み、目的のカフェに向かいながら並行して多々良さんの背を探す。

 カフェで待っているはずの多々良さんをどうして血眼ちまなこで探しているかと言えば、単純に恥ずかしいから。

 だって考えてもみてほしい、女子と二人きりでカフェで密会。これはもう完全にデートと呼ばれる類のものじゃないだろうか? それは普通に恥ずかしいし、西条さんの件にも色々問題を及ぼしかねない。

 俺は首がちぎれるくらいに辺りを見回しながら走る。



 とうとう多々良さんを見つける事は出来ないまま、目的地のカフェに到着してしまった。いやはやどうしたものか。このまま店内に入店して、多々良さんを探すのもありだけど、新設されたばかりのカフェともなれば、帰宅途中の生徒で溢れ返っているはず。

 そんな中から多々良さんだけを探し当てるのは中々に難しい。…というか普通に嫌だ。店内をうろうろしたくない。

 

 今日は仕方ないな。運が悪かった。そういうことにしておこう。

 俺はまだ荒れている呼吸を整え、鞄から制服を取り出して羽織った。

 さあ帰ろう、そう思って顔を上げた矢先、目があってしまった。ガラス越しに涼し気な顔でドリンクを飲んでいるボーイッシュな女子と。

 

 手招きされたらもう逃げようが無い。俺は渋々そのカフェに足を踏み入れた。



 やはり新設されたカフェというだけあって、案の定高校生で溢れ返っている。あまりこういう所に足を運ばない俺でも、ここが高校生に好かれる理由が何となく分かった気がする。

 お洒落なクラッシック調の音楽が流れる店内で、黒を基調にした木製の机に座り、今流行りのタピオカドリンクを飲む。

 大事なのはそのドリンクの味じゃなくて、このオシャレな場にいる自分をSNSで発信したい、その承認欲求を満たす為にこの場に集まってるんだろう。

まぁ全部、友達の居ない俺のひがねたそねみに満ちた、しょうもない邪推でしかないけれど。


 

 俺はカウンターに向かい、この店で1番安い珈琲を注文した。待っている時間があまりに暇だったので、店内を軽く見渡す。

 想像以上に店は大きく、奥行きがあった。勿論、客は高校生だけではなく、ドリンクを片手にパソコンを眺めている人や、いかにもジェントルマンなイケおじが珈琲を嗜んでいたり、意外にも幅広い客層がいることが分かる。

 

 そうして人間観察をしていくうちに、ある制服が目についた。

 つい1週間ほど前に見たばかりのあの制服。

 まさかと思い、視線を顔の方へ持っていく。



「あぁ、やべぇ」

 

 

 

 


 

 







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