第10話 関係
振り返った先にいたのは、黒絹のような綺麗な髪を手櫛で解きながら、気だるそうに欠伸をしている瀧宮だった。
瀧宮は背中を預けていた壁からスっと離れると、あらためて俺の方を向き直し、柔らかに微笑んだ。
「あなたのお家って本当に大きかったのね。…で、何その格好。コスプレ?」
やっぱりこれ似合ってないよな…。スーツに革靴なんて、社会人でもあるまいし。
照れくささを隠すために顎を軽く触りながら視線を逸らす。
「…はぁ。だんまりってことは触れない方が良さそうね。それで、ここに来た用なんだけど…」
瀧宮は肩にかけていた鞄からクリアファイルを取り出した。
丁寧に整頓されたプリントの中から、1枚の藁半紙を手に取って、
「はい、これ。部活の予定表、図書室に忘れてたでしょ?」
言われてみれば…机の上に置きっぱなしだった気が…。
「ありがとう。助かるよ」
恥ずかしくて瀧宮の顔を見るのはやっぱり難しくて、視線を落としたまま差し出された藁半紙に手をかける……が、全然渡してくれない。
「感謝を伝える時はちゃんと相手の目を見なさい」
またまた高いハードルを突きつけられたもんだ。でも、顔を見るくらいならまだ大丈夫。
落としていた視線を、ゆっくりと上げていき、しっかりと瀧宮の双眸を見据える。
「…ありがとう。瀧宮」
「どういたしまして」
瀧宮から受け取った予定表を4つに折り畳み、胸ポケットにしまう。
全てやる事を終えたこの場に、なんともいえない空気が流れる。
少し前までは、間が途切れることがないぐらいの勢いで俺が話題を振っていた。
別に今だって話したくないわけじゃない。何故か何も出てこない。言葉が出てこなかった。
「今日はわざわざありがとう。帰り道、気をつけてな」
結局、振り絞って出たのは別れの挨拶だけ。もっと言いたいことがあった気がしたけど、言ったところで、きっと何の意味もない。
「気を付けてって…私の家はすぐそこよ。あなたが一番知ってるでしょ」
「…そうだけど、近頃変質者も多いからさ」
「あなたみたいな?」
「ぐぅ」
「ぐぅの音はでるのね」
瀧宮は小さく鼻をならして、後ろを振り向く。
「そろそろ帰るわ」
「…そうか。じゃあ、またな」
少しの間だけ、離れていく小さな背を見つめる。
数歩歩いたところで心地良い風が吹き、夕陽に照らされた艶めかな長い黒髪が一瞬、ふわっと広がった。
そのシルクのような髪を軽く押さえて、瀧宮は立ち止まった。
「…ねぇ」
瀧宮は前を向いたまま続ける。
「あなた…変わったのね」
「こう…上手く伝えられないのだけれど、今のあなたは…そうね、変じゃない」
「距離感も変じゃない」
「朝も迎えに来ないし、学校でも話しかけてこない。一緒に帰らないし、遊びにも誘ってこない」
「…何か……あったの? これは、ただ純粋に疑問に思っただけ。他意は無いわ」
「…いいえ、やっぱり忘れて。全てただの妄言よ」
その声は、少しだけ、ほんの少しだけ、震えている気がした。
「何も無いよ。鬱陶しいのが消えて良かった、程度に思ってくれれば良いよ」
「…そう」
瀧宮が止めていた足を再び前に向けたのを見て、俺も後ろを向き、外門を開けた。
*****
勉強しながら、ふと、瀧宮の言った言葉を思い出す。
何を思って、考えて、あんなことを聞いてきたんだろうか。
瀧宮からすれば、鬱陶しい奴が消えて清々するだけだ。別に、俺が瀧宮から離れた理由なんて、気にする必要もないのに。
いくら鬱陶しいハエとは言えど、急に消えたら気になるものなのかな。
そうやって少しでも気にかけてくれてるなら嬉しいけれど……そんな事はまず有り得ないよな。
以前も瀧宮が遅刻した理由を勝手に考えて、怒られたばかりだし。
前みたいに邪推したところで、いいことなんて何一つ無い。もしかして、なんて都合のいいもの、存在しない。考えるだけ無駄だ。
瀧宮の言う通り、ただ純粋に疑問に思っただけなんだろう。
…勉強するか。
*****
青白く光る天井のライトを見上げながら、スマホを片手にベッドに横たわる。
腹も膨れて、湯船に浸かり体も温まった。あとは寝るだけ。
寝る前に少し動画でも見ようかと思い、スマホを開く。
LIMEの通知が2件、一応確認しなきゃな。
「えっ?」
思わず、情けない声が出てしまう。
いや……でも、本当に意味がわからない。
何度見直しても、やはり変わらない。
瀧宮からのLIMEだった。
-突然の追加、ごめんなさい
-今日みたいな忘れ物があった時とか、部活の連絡を個人で伝えたい時に、連絡先を登録しておいた方がいいと思って
瀧宮らしい合理的な理由だった。
確かに、グループで大々的に言いにくい事でも、個人になら伝えやすい。となると、俺も先輩方を追加しておくべきなのかな。
一先ず、瀧宮に返信しないと。2時間前には送られてきてたみたいだし。
-返信遅れてごめん。よろしく
送った瞬間に既読がつき、一瞬で返事が来た。
-寝てるのかと思ってた
こういう時ってなんて返せばいいんだ? 人とLIMEとか殆どしないから全然分からん。
とりあえず…このうさぎのスタンプを…。
-それ初期から入ってるやつでしょ? 他にスタンプ買ってないの? これとか
瀧宮から送られてきたのは、バーコードハゲのおっさんがデフォルメされた、はっきりいってしまえば、キモイスタンプだった。
-そんなのにお金を使いたくない
-そんなのって、このスタンプ、可愛いじゃない。この頭とか
-ハゲが好きなん?
-実際のハゲは全然。このハゲたおじさんが可愛い
今どきの女子高生が考えることはよーわからん。
早く寝たかったし、俺はそこでLIMEを閉じて動画アプリを開いた。
-寝たの?
動画の上が通知で見えない。
-スタ連してもいい?
スタ連ってなんだ? スタ連…?
突然、スマホが暴れだした。大量の通知と共に、画面いっぱいに流れてくるハゲたおっさん。
俺は大慌てで瀧宮とのトーク画面を開いた。
-流石にうるさいよ
-起きてたんだ。既読スルーしたのが悪い
既読スルーってなに? 既読つけたら必ず返信しなきゃいけないのか? 仮にそうだとしたら、一生会話が終わないだろ。
初めて聞いた言葉に困惑して、返信しかねていると、瀧宮からメールが送られてきた。
-今日はごめんなさい。いきなり変なこと聞いちゃって
…夕方のことか。
-俺こそごめん。急に態度が変わったら、そりゃ驚くよな
-そう。驚いたの。本当にそれだけだから
-そうか。迷惑ばかりかけて悪いな。あと、そろそろ寝るから
-あなたが寝る前に、ひとつだけ聞きたいことがあるんだけど
-何?
-彼女できた? 特に深い意味は無いのだけれど、最近友達の間で恋バナが流行ってて、その参考に
彼女はいないけど、婚約者ならいる。なんて、言えるわけがない。そもそも口外できることじゃないし、言うべきじゃない。
だとしたら…。
-彼女はいない
これがベストだと思う。嘘でもないし。
あれだけ早かった瀧宮からのレスポンスは、ぴたりと止んだ。
-もう寝るよ
相変わらず一瞬で既読だけはつくが、返信はなかった。それ、既読スルーってやつじゃないのか?
まぁいいけど。
布団に入って寝ようとしたところで、やっとスマホが鳴った。
-そう。おやすみ
えらく時間がかかった割には普通の内容だった。
まあなんであれ、あの瀧宮と連絡を取れたんだから、これ以上を求めても仕方がない。
ただ最近になって、瀧宮の物腰が少しだけ柔らかくなった気がする。俺が話しかけても殆ど無視されていた頃と比べると、かなり接しやすい。
何が理由かは分からないけど、もう少し早ければ、色々変わったのかもしれない。
まぁ、今更なにを言っても遅いんだけど。
やはり、必要以上に関わらないと決めた以上は、それだけは徹底して守りたい。瀧宮にとって、俺が邪魔で鬱陶しいのは、どうしても変わらない事実だ。
こうしてLIMEで普通に話せているのも、直接会って話してないことが大きな要因だろうし。
直接顔を合わせて話せば、相手がどんな事を考えているのかが丸わかりで、感情も全て伝わってくる。それに比べて、文字だけのやりとりであれば、感情も伝わりにくいし、表情なんて見えもしない。
瀧宮と実際に会って話せば、ほぼ間違いなく夕方のような微妙な空気になる。
この先、瀧宮に想いを伝える事は無い。
これ以上瀧宮との関係が深まることも無い。
そう考えると、今ぐらいの関係性が丁度良いのかもしれない。
友達でもない、ただの顔見知りぐらいの関係が。
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