第9話 約束
小柄な少女……西条さんは、赤褐色の革靴をぴったりと隙間なく合わせて、外門から少し離れたところで佇んでいる。
その佇まいを一目見れば、誰だってこの少女が高貴な家の出ってことが分かるだろう。そう確信させるほど、西条さんの一挙手一投足は、とても上品なものだった。
ただ話しかけるだけなのに、どうしてこんなに勇気がいるのか…。深呼吸して心を落ち着かせないと…。
「……お久しぶりです。もしかして、お待たせしましたか?」
「お久しぶり…です。いえ…大丈夫です」
「そうでしたか。なら一安心です。仮に何十分もお待たせしてしまっていたら切腹ものでした」
「ふふっ…命拾い…ですね」
西条さんは俯き加減のまま、体の前で大事そうに鞄を両手で持っている。顔はよく見えないけど、笑ってる気がして、俺の緊張も少しだけ
「立ち話も申し訳ないですし、西条さんが宜しければ私の部屋へ…」
「…ここで大丈夫です。すぐ…済みますから」
西条さんは鞄から小さな和封筒を取り出して、両手で持って俺の前に突き出した。
小刻みに震える封筒をみて、俺にも緊張が伝わってくる。
手紙なのか、なにかの令状なのかは分からないけど、出された物は受け取るしかない。俺も鞄を道の端に置いて、賞状を受け取る時の格好で手紙を受け取る。
「はい…確かに受け取り…ま……あの、離して頂いてもよろしいですか」
いや力つぇーよ。封筒ちぎれるって。
「やっぱり返してくぁさぃ…」
まるで綱引きだ。ここで離すと、力の釣り合いが取れなくなって西条さんが吹き飛んでしまう。何としてでもそれは避けないと。
「西条さん…離してください。怪我をするかもしれませんよ」
「怪我よりもぉ…中身を見られると困りますから…」
ここまで焦らされると、一層中身が気になって仕方ない。俺も腐っても元運動部。ボールを扱う技量はなくても、筋肉量は一般の運動部の学生と同じ位はある…? 多分…恐らく。
「ちょっとだけ……引っ張りますよ」
「…あ」
俺は思いっきり封筒を引っ張った。
西条さんが俺の胸に飛び込んできて……なんてことは無く、封筒だけが俺の元に届いた。そして俺は思いっ切りケツを地面に打ちつけた。
西条さんが大慌てで駆け寄ってくる。
どうしても拭えない小動物感。そうだ…ちょこちょことボールを追いかける子犬だ。
「…ご、ごめんなさい。お怪我は無いですか?」
「全然大丈夫です。それよりも、西条さんのお身体は大丈夫ですか?」
「…私も大丈夫です。すみません…急に離しちゃって。…神代さんの後ろに人がいた気がして…びっくりしちゃって…」
通りすがりの人か…。確かに、見られたら恥ずかしいよな。
「…どうぞ…」
目の前に現れた細い白い手。
「ご厚意ありがとうございます。でも、1人で立てます」
「…そう…ですか」
尻を軽く払って、くしゃくしゃになった手紙を手の平で伸ばした。その手紙を、西条さんに両手で差し出した。
「申し訳ないです。せっかく頂いたものなのに…」
「大丈夫です。やっぱり…受け取ってください。覚悟は決めました」
そんなにやばい内容なの? なんか怖くなってきた。
「…はい。今度こそ確かに受け取りました。しかと拝読させて頂きます」
「…では…今日はこの辺りで」
西条さんは鞄を持つと、とんでもない速さで消えていった。
やっぱり…西条さんはよく分からん。
*****
俺は早速、封筒を開けてみることにした。
勉強机に座り、デスクライトをつける。
和封筒から出てきたのは、数枚の真っ白な便箋。
そこに書かれている文字は達筆で、西条さんの人柄を表しているような、美麗で上品な文字だった。
『前略
失礼ながら、
私は人とお話するのがあまり得意ではありません。神代様と初めてお会いした時も、上手にお話が出来なくて、とてもご迷惑をお掛けしてしまいました。ですので、お手紙なら自分の気持ちを上手く伝えれると思い、筆を執りました。
では、早速本題に入らせて頂きます。
あらためて乱筆乱文のほど、お許しください。
日曜日は短いお時間でしたが、とても楽しく過ごすことが出来ました。神代様のお気遣いのおかげでトランプで遊べて、凄く嬉しかったです。今となっては、ばば抜きしか知らない私のせいで、神代様を退屈させていたらどうしよう、と不安になります。もし、次の機会がございましたら新しいルールを覚えて来ますので、ご一緒して頂けたら幸いです。
大変申しにくい、というのを文に起こすのもおかしな話ではあるのですが、ばば抜きの勝敗をかけた話、覚えていますか? 負けた方はなんでも言うことを聞く約束でした。
そうです! 約束は守ってもらいます!
電話番号を教えてください。
私のはこれです。********
すみません、あぷり? とやらで、メールなるものが送信出来るらしいんですが、やり方がよく分からなかったのでお電話でお願いしたいです。
この電話番号にかけて頂ければ、神代様の電話番号も登録出来ますので、お時間に余裕があればお電話ください。いつでもお待ちしております。
私が上手くお話出来ないばかりに、お手間を取らせてしまい申し訳ありません。連絡手段がないと様々な場面で困ることが多いと思い、このような回りくどいやり方を取らせて頂きました。
草々不一』
西条さんの事をよく分からないと言ったのは全部撤回させて欲しい。西条さんはものすごく良い子だ。トランプの勝敗の件も、今後のことを思ってのことだったし。
俺はすぐにスマホを取り出して、手紙に書かれている電話番号を打ち込んだ。時刻は17時過ぎ。もし出なくても、かけるだけなら問題無いと思う。
-プル…
「はぁっ…はい! 西条です!」
西条さんらしからぬ元気で大きな声が耳に飛び込んで来た。ワンコールすら終わる前に出てくれたのは単なる偶然だろうか。…まるで…いや、邪推はよそう。ろくなことがない。
「こんにちは。神代です」
「…はい…お電話…ありがとうございます。言いたいことは…あれで……全部です」
「お手紙、拝読させて頂きました。上手く相手に気持ちを伝えるのって難しいですよね。自分もよく空回りしちゃって、色んな人に迷惑をかけてます。あと、ばば抜きとても楽しかったですよ! また楽しみにしておきますね! それと、西条さんの電話番号登録しておきますね」
「私も…しておきます」
「お手紙本当に嬉しかったです。少し早いですが、この辺りで失礼します」
「…はい…今度は…私からかけます」
電話番号を交換しただけと言えばそうなんだけど、それ以上に、ちょっとだけ西条さんのことを知れた気がする。話すのが苦手だったり、機械音痴だったり、心配性だったり。多分それは、西条さんのほんの一面でしかないのだろうけど、少しでも西条さんのことを知れたのが嬉しい。
通話が終わって一気に肩の力が抜けたからか、瞼が垂れ、意識が朦朧としてきた。
熟睡とまではいかなくても、
こんな時間も悪くない…いや、寧ろ好きだ。現実と夢の狭間を行ったり来たりして、目の前の問題から目を背けることが出来る。完全に意識が飛んでしまえば、あっという間に時間が過ぎて明日が来てしまう。睡眠のいい所をとりながら、尚且つ時間はそのまま過ぎていく、この時間が好きだ。
風前の灯火の意識を、瞬く間に覚醒させたのは、ドアを叩く音と、美香さんの明るい呼び声だった。
「翔様、お客様です」
ドア越しに聞こえた美香さんの声は、微笑を含んでいる。よからぬ事を考えているな、と思いながらも、客人を待たせる訳にもいかないので、ベッドからのそりと立ち上がり、頬を両手で挟むように叩いた。
「今から行く」
ドアノブを引くと、口もとをいやらしく緩めた美香さんが俺をじーっと見つめている。
「どーゆー風の吹き回しでしょーかね。翔様?」
「意味がわからん」
「見れば分かりますよ。あははっ。せーしゅんですねぇ」
相手にするだけ無駄だ。美香さんに関しちゃ、本当に何を考えてるのか分からない。
俺は一応スーツに袖を通して、ネクタイを締める。制服での応接は、お客様への無礼にあたるかもしれない。その辺は相手方の受け取り次第だけど。
「お客様はどこでお待ちに?」
「客間へどうぞと申したのですが、お客様がどうしても外で待ちたい、と」
「そうか」
「早く行ってあげてください」
「はいはい」
俺は涅色の革靴を履き、重い玄関の扉を押し開けた。
5月初旬の涼風が
陽気に充てられて、このままでは再び夢心地になってしまいそうで、俺は外門を見据えてスーツのシワを伸ばした。
花崗岩の敷石を20枚ぐらい踏むと、目的の外門についた。ここからでは、お客様は見当たらない。恐らく、外門に並び立つ壁でお待ちになられているのだろう。
俺は黒い柵状の外門に手をかけて、取っ手を引いた。
「遅い」
俺は一呼吸置いて、声のする方に振り向いた。
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