第3話 笑顔



 雀の鳴き声と、嫌に耳につく目覚ましの音で目を覚ます。

 

 4月ももう終わりとはいえ、早朝はまだ少し冷える。

 外気と室内の温度差のせいで、部屋がかなり湿っぽい。上げ下げ窓に水滴が滴り、木製の窓枠にカビが生えそうだ。

 見た目的にも、衛生的にもそれは勘弁。


 群青色から、仄かな灰色のグラデーションがかる薄暗い空を見上げながら、窓を引き上げた。

 春には似合わない、冷たい風が首筋を撫でる。

 

「……やっぱり…少し寒いな」


 普段なら絶対何があっても朝4時になんて起きない。

 日曜だぞ? じじいでもあるまいし。


 だけど、今日は起きざるを得ない理由があった。


 なんたって、西条家が家に来るから。


 両親に許嫁がいることを伝えられたのが一昨日。

 初めて顔を会わせたのは昨日。

 そして、初めて家に来るのが今日。


 なんだ? このとんでもないスパン。いくらなんでも早すぎるだろ。普通、もう少し時間をかけて関係を深めていくんじゃないのか?


 …多少は仕方ないのかもしれないけど。


 俺と許嫁の子はこの16年間、一度も会ったことはなかったし、言うまでもなく関わりもなかったんだから、親が焦るのも少しは分かる。


 そう焦るぐらいなら幼い頃に伝えとけよ! とは言えないよなぁ…。

 今更言ったところでもう手遅れだし。



 そんなことよりも……先ずは西条家を迎え入れる為の準備を済ませないと。

 昨夜、一家総出で家全体の片付けをしたから、今からやることは俺の部屋の掃除。

 

 念には念をって奴だ。

 あの子がこの部屋に来ることはないとしても、万が一、何かの間違いで見られたらと考えると、このままの状態にはしておけない。


 散乱した服、床に散りばめられたプリントの数々、ほっぽり出されたゲームソフト、ぐちゃぐちゃに丸まった布団。


「…はぁ。…だる」


 まだ完全に目覚めてない体に鞭を打ち、重い腰を上げた。



*****



 呼び鈴が鳴った。


 俺たちは親子揃って西条家を出迎える。

 

 従者の美香さんに向かわせず、俺たち自身が行くってのは…あれだ。西条家と俺の家の立場っつーか、上下関係つーか。

 でも、それは俺が知るところじゃない。俺は親に言われた通りにするだけ。


 玄関のドアを押し開け、外門まで向かう。

 家の前の道路には白塗りのリムジンが停車していた。運転手の執事らしき老人が俺たちに会釈をすると、後方のドアが開いた。


「わざわざお出迎えありがとうございます。昨日から引き続き、今日も宜しくお願い致します」

「こちらこそ宜しくお願い致します。では、こちらへ」 

 

 父さんの案内で、西条家を家に招き入れる。


 和風造りの西条邸とは違い、俺が住んでいる家は黒と白を基調とした洋モダンな外装の家だ。西条邸ほどの大きさは無いが、一般的な家よりは大きい。

 ただ、あくまで一般的な家よりは大きいってだけで、西条邸の足元にも及ばない。完璧な庭もなければ、終わりが見えない廊下もない。上品な女中さんも居ない。



 こうやって両家を比べてみると、改めて痛感させられる。




 俺は失敗しちゃいけないんだ。


 


******

 

 

「…お邪魔…します…」


 縮こまった愛らしい小動物が俺の部屋に来訪した。


 なんでかって? 理由は簡単。


 昨日と同じように、親同士で話があるとの事。それで行き場を失った俺が真っ先に思いついた避難先が自室だったってだけ。

 

 早朝から部屋を掃除した甲斐あって良かった! なんて楽観的では居られない。

 そもそも…俺の部屋に母さん以外の女性が来ることは初めてだし、西条さんのように、抹茶でおもてなしも出来ない。


 緊張で産まれたての子鹿のように震えが止まらなくなった足を力強く殴り、一生懸命笑顔を作る。


「汚い部屋で申し訳ないです。…どうぞ、お好きな所へお掛けください」

「……失礼します…」


 西条さんは部屋をキョロキョロと不安げに見渡すと、カーペットの上に置かれている小さなローテーブルの近くにちょこんと正座した。

 

 

 さぁどうする、俺。考慮する点は多々あるけど、まず真っ先に考えるべき事は…。


 俺はどこに座ればいいんだ?


 俺と西条さんは許嫁とは言え、出会ってまだ2日。近すぎても距離感が分からないキモイ奴になってしまうし、離れすぎてもそれはそれで許嫁としてどうなんだって話になる。


 …どうしよう。


「…あの………座らないんですか?」

 

 金剛力士像ばりの仁王立ちで突っ立っていると、西条さんが胡桃色の大きな瞳で俺を見上げてきた。


 これは…無視出来ないな。 


「あ…はは。そ、そうですね、お言葉に甘えて座らせて頂きます」

「………? どう……ぞ?」

  

 やけくそになった俺は、西条さんの目の前に座った。目の前とは言っても、一応、ローテーブルを挟んでるから…セーフ?


 俺はチラチラと西条さんの顔色を伺う。


 …何を話そう。


 昨日は庭の話題を振ることが出来たし、抹茶もあった。だから俺のコミュ力の低さを補えたけど、生憎、話題を振る事が出来そうな物はこの部屋には無い。

 

 だとすると…、1つしかないだろう。


 相手の容姿を褒める。


 正直これに限るんだけど…昨今さっこんのハラスメント事情を鑑みると、容易に相手の容姿に触れるのも如何な物なのか。

 セクハラなんて言われた日には目も当てられない。

 

 ただはっきりいって、西条さんは滅茶苦茶に可愛い。今着ている薄い桃色の着物もとても似合っている。花柄の帯との相性も抜群だ。あとは…くまのポーチ? 着物とは全然ベクトルが違うけど、可愛いから良いや。


 その100人が見たら120人が可愛いと思う容姿をお持ちの西条さんに対して、仮に、「そのお召し物、とてもお似合いですね」と言ったとしよう。

 確かに、それは褒め言葉としても受け取れる。

 でも…捉え方を変えると、着物が似合う女性=お可愛い胸部をお持ち、って事にもなるんじゃないか?


 実際西条さんの胸部がお可愛いことは紛れもない……。


 いや、そんな失礼な事を考えてる時点で、俺が西条さんを褒める資格は無い。


 やっぱダメだ…なんの話題も出てこない。


 ……あ、そうだ。これなら何とか…。


「昨日は失礼を働いてしまい、大変申し訳ございませんでした。私の気が回らないせいで、西条さんの面目を潰しかねない愚行でした」

「………? 私こそ…昨日は大変な御無礼を…」


 なんて謙虚な方なんだ…。

 トイレなんて誰だって行くんだから、謝る事なんてないだろうに。



 何の会話も無いままに、時間だけがゆるやかに過ぎていく。

 

 つい先程から、西条さんがくまのポーチを開けたり閉めたりしてるのが気がかりだ。開ける度に俺の顔を見て、恥ずかしそうにまた閉じる。また開けて、俺を見て、閉じる。そんな事を数回繰り返している。

 

 これは…聞いた方がいいよな。明らかに何かを伝えたがってるし。


「何か、御用ですか?」

「…や…なんでも…ない…です」


 西条さんがそう言うなら…良いか。余計な事はしない方がいいよな。


「…そうですか」 

「…はい……」


 真っ赤になった顔を一生懸命小さな手で隠そうとしてるけど全然隠れてない。

 やっぱなんかあるよね?


 西条さんは目をあちらこちらに泳がせて、また同じ動作を始めた。

 ポーチを開けて閉めて開けて閉めて…。


 いや絶対なんかあるじゃん。


「ポーチに何か?」

「……うぇっ? あ…はい。実は…これを…」

 

 西条さんがポーチから取り出したのは、


「トランプ…?」

「…はい。間違えて…! あ…いいえ……あの…どうです?」


 どうです、ってのは一緒にやろうって事で合ってるよな。


「やりたいです!」

「…ぅへぇ……」


 曇っていた西条さんの顔はみるみるうちに晴れて、ぱあっと咲いた向日葵のような笑顔になった。

何だこの子、可愛すぎやしないか?


 西条さんはトランプを両手で大事そうに持ち、そろりと机の上に置いた。そのまま、俺の方をじっと見る。


「…ばばぬき…です」

「承知しました!」


 西条さんは、出会って1番のテンションでカードを配っていく。

 2人でばば抜きとなれば、ジョーカー含めた53枚のトランプを半分に分ける事になるから、1人あたりの手札がとても多い。

 ほんとに…上手く行くのかな…。


「……スタートです…」


 2人でばば抜きをする事に若干の違和感を抱きながらもゲームは始まった。


 手札を見て、同位の札をどんどんと捨てていく。

お互いが捨て終わったころには、10枚程しか手元に残っていなかった。


「…私からとります」

「…どうぞ」


 俺の手札は11枚、西条さんの手札は10枚。俺の方にジョーカーはある。

 西条さんは俺の手札を吟味しながら、慎重に選ぶ。正直どれをとっても変わらない気がするが、どうやら、俺の顔色を判断材料にしているらしい。

 もっとも、西条さんに見つめられてふやけた顔なんて、判断材料になる気もしないけど。


 1分程の戦闘を経て、西条さんはやっとカードを引いた。


「…これっ!」


「…えへへへっ…」

 

 なぜかしてやったりと言わんばかりの顔で見てくる。ペアが揃ったことが余程嬉しいらしい。


 その後も同じことを繰り返し、紆余曲折を経て、俺の手札が1枚、西条さんの手札が2枚、ってとこまで来た。


 普通なら2分の1で俺の勝利、なんだけど…。


 ここまでの勝負で分かったのは、西条さんは異常な程顔に出る。

 そりゃあもう、ジョーカーを引いた時なんて、百面相にも引けを取らない変化をみせる。


「じゃ、引きますよ」

「………」


 ひりついた緊張が走る。まるで世界大会決勝の様相を呈しているばば抜きだが、実際のとこはもの凄く簡単に勝てる勝負である。

 だって、右のカードを選んだ時だけ目がうるうるしてるもん。


 ここである考えが頭をぎる。


 これ、本当に俺が勝ってもいいのか?


 こんなに真剣にばば抜きをする女の子なんて世の中に多分居ない。そして、こんなにばば抜きが弱い人間もいない。


 俺は勢いよくカードを引いた。



「あぁ! ジョーカー引いちゃった!」

「…えへ」


 嬉しそうで何よりです。


 西条さんは深呼吸して勝負に挑む。

 カードを引く前に、突然、とんでもない事を言い出した。


「…負けた方は何でも言う事を聞いて下さい」

「あ、え? はい」


 俺が返事をしたと同時に、西条さんはカードをぶんどった。


「…ったあ! 私の勝ちです! やた!」


 俺がジョーカーを引いた時に、場所を入れ替えなかったのを見ていたらしい。そのままクイーンを引いて、西条さんは無事勝利を収めた。

 なんとも卑怯だとは思ったが、喜ぶ様があまりに可愛かったから、まぁよしとしよう。


「おめでとうございます。とても楽しかったです」

「…こちらこそ…」

「その、言うことを聞くって言うのは…」

「…また後で…です」


 西条さんのお願いか…。逆に気になるな。

 俺と西条さんはせっせと手を動かし、トランプを片付けた。

 

 次は何をしようかと悩む時間すらもう無いようで、スマホで父さんから呼び出しがかかった。


「西条様がお帰りになられる。お嬢様にも伝えろ」

「うん」


 未だ興奮冷めやらない様子の西条さんに声をかける。


「西条さん、お時間のようです。今日は貴重なお時間、ありがとうございました。とても、楽しく過ごさせて頂きました。また、宜しくお願いしますね」

「…こちらこそ…です。お願いは……次に会った時…」

「承知しました。自分に出来ることなら何でもご命令下さい」

「…じゃ、また…」

「はい。またすぐに」


 俺は西条さんを外門まで見送った。

 西条家の車が見えなくなると、父さんが耳打ちしてくる。…別に大きい声で言えばいいのに。

 

「翔、今日はどうだった?」

「トランプした。楽しかった」

「そりゃ良かった! またすぐに会えるからな」

「そっか。楽しみにしとくよ」


 西条さんとの時間はとても楽しかった。

 許嫁なんて関係を度外視しても、凄く有意義な時間だったと思う。それは間違いなく、ここ最近でも1番楽しかった。

 


 それでも、やっぱり、明日、月曜日の事を考えると、憂鬱になる。

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