第14話 満月


 恥ずかしさとちょっとの嬉しさで放心状態になった俺は、逃げるように店から飛び出した。 


 五分たった今でも、心臓が爆発しそうな勢いで脈を打ち続けている。

 俺の女性経験が豊富であれば、もっと冷静でいられたのだろう。ただ非常に残念なことに、俺は産まれてこの方、女性と交際したことはない。勿論告白をしたことも無いし、されたこともない。


 そもそも中学生の間は、瀧宮以外の女子に微塵も興味が湧かなかった。

 クラスが変わる度、初めて顔を合わせた女子に何度か遊びに行こうって誘われたことはあったけど、全て断った。

 「ごめん、初デートは好きな人と行きたいから」って言うと、皆同じような呆れ顔をして二度と誘ってくることは無かった。

 一度だけ、「そもそもデートじゃないんですけど……自意識過剰過ぎない? キモ」ってすげぇ冷めた顔と声で言われた時の事は一生忘れない。トラウマです。

 


 確かに、遊びの誘いを全て断ったことへの後悔は微塵も無い、と言えば嘘になるけど、仲のいい男友達とバカをするのもすげぇ楽しかったし、瀧宮とのデートが出来る可能性があの時は少しでもあったから、そんなに悪くない選択だったと、今なら思える。


 まぁ、その宇宙が誕生する確率と同じくらい低い瀧宮とのデートの可能性も、綺麗さっぱり無くなったんだけど。

 

 

 

 そういえば、まだ日が落ちてない。

 十七時か…帰るにはちょっと早すぎるし、部のことを瀧宮に任せっきりなのも悪いな。

 

 用も済んだし、戻るか。




*****



 

 昼間は人で溢れかえる無駄に騒がしい廊下も、生徒が帰ってしまった後のこの時間は、哀愁を漂わせている。

 まるで、人類が全て滅んでしまったような、うら寂しい気持ちになる。

 まぁ、人類が滅ぶどころか、ほんの数十メートル先のグラウンドでは、野球部とサッカー部が必死にボールを追いかけてるんだけどね。

 

 

 そんな厨二臭い妄想をしながら二階に続く階段を上がると、図書室が視界に入る。


 足を進め、少し重い木製の戸をゆっくり引いた。貸し出しの受付をしている先生に会釈をして、いつもの場所に向かう。今日もここは閑古鳥が鳴いているようで、殆ど文芸部の貸切状態だ。


 普段なら活動場所に近づくにつれて、先輩たちのうざったいイチャイチャボイスが聞こえてくるはずだけど、今日は物音ひとつしない。

 どうせサボりだろう。今更気にすることでもないか。

 

 本棚の迷宮を歩き回り早三分、やっと文芸部御用達の長机が目に入った。なんでこんなに遠いんだと心の中で愚痴を零しながらも、瀧宮と会えると思えば差程苦痛にはならなかった。

 

 迷宮を抜けた俺は、真っ先に、瀧宮が普段座っている席に視線を送る。

 あれ、居ない。と思ったのも束の間、すぐに見つけることが出来た。

 机に上体を預けたまま美麗な顔をこちらに向け、スーッスーッと静かに寝息を立てていた。

 

 寝ている瀧宮にも驚いたけど、何より驚いたのは、瀧宮の座っている席だった。

 俺がいつも使っている席で、あの瀧宮が寝ている。


 きっと何の意味も無いただの偶然なのだろうけれど、正直、少しだけ嬉しい。

 気持ち悪いと自分でも思うけど、どうしても喜ばずには居られなかった。

 こんな形で寝顔が見れるとは…もしかしたら、神様っているのかもしれない。


 俺は瀧宮を起こさないように、そっと音を鞄を置いて瀧宮の向かいの席に着く。

 下心は無いから大丈夫、そう言い聞かせて、無理やり自分を納得させた。

 

 念の為持ってきた本を開いてみるものの、やはり全く集中出来ない。気を抜くとすぐに視線を引っ張られて、読書どころじゃない。


 どうせ近くに座るなら、向かいじゃなくて隣に座れば良かった。

 いや、そうすると瀧宮が起きた時に気まずいな。この位置がベストか。

 



 瀧宮の物を言わないつむじと睨めっこをするのにも段々と飽きてきた。

 この静かな空間でぼーっとしていると…どうしても、意識が薄れて…



 

*****




「…あら、起きたの。もうすぐ十九時よ」

 

 

 目を覚ますと、びっくり、瀧宮がいる。

 この訳の分からない状況を頭の中で整理していくと……どうやら、俺も寝てしまったらしい。

 最悪だ。瀧宮の前で寝てしまうとか、まじであり得ない。



「あなた、相当うなされてたわよ。涙まで流して、ほら、これ」

 

 

 瀧宮は懐からスマホを取り出すと、その画面を俺の方に向けた。

 そこには無様にも、両目から涙を流している俺の顔が思いっきり写り込んでいる。

 ってかなんで写真撮ってんだよ。



「ごめんなさい。ごめんなさい。って、寝言も言ってたし。なんか面白かったから写真を撮らせて貰ったわ」

「なんか悪い夢でも見たんだろ。…そんな事よりも、その写真を早く消してくれないか。頼む。泣き顔なんて情けない物を保存されるのは家のアルバムで充分だ」

「…そう。面白いと思ったのに…。仕方ない、消してあげるわ」

「そうしてくれると助かる」


 

 瀧宮にしては偉く物分りがいいな…。俺の要望が通った事なんて、片手で数えられる程しかないのに。

 

 

「消したわ。無いでしょ、どこにも」



 瀧宮はアルバムを上下にスクロールして、写真がどこにも無いことを主張している。



「あの…瀧宮さん」

「何?」

「スクロールが速すぎて何も見えないんですけど」


 

 スクロールというか、もう、画面を擦っている。写真らしきものの残影しか見えない。



「普通に考えれば分かるでしょ。自分のアルバムをあなたは人に見せられる?」



 自分のアルバム…。

 いや…無理だ。絶対に無理だ。男子高校生のアルバムを他人に公開するなんてのは、自殺にも等しい行為。



「無理」

「あなた…何保存してるの。いえ…やっぱり言わなくていいわ…想像もしたくない」

「そういう瀧宮だって見せられない物を保存してるんだろ。人の事言えないじゃん」

「私は…。いえ、何でもない。…でもまぁ、流石に可哀想だから、証拠を見せてあげるわ」

「証拠?」



 瀧宮は再び画面を俺に向けると、最近削除された写真、という欄を開いた。

 そこにある俺の写真を選択し、完全に削除した。

取り敢えずは、安心…か。


「これで満足?」

「あぁ、ありがとう。俺がありがとうって言うのもおかしいけど」

「あら、また泣き顔を撮られたい? 実力行使で無理やり泣かせることも出来るのよ?」

「はい、すみません、感謝してます。ですから、そのハサミで何をするつもりかは存じ上げませんが、どうぞ、筆箱にお仕舞い下さい」



 瀧宮はハサミを片手に勝ち誇ったような笑みを浮かべている。ほんとに怖い。

 文句無しであなたの勝ちでいいです、はい。


 何はともあれ、写真は消して貰ったし、そろそろ帰らなきゃな。西条さんとの約束もあるし。


 部活を終えるとなると、片付けは必須。俺も瀧宮に習って、棚の本の並びを整える。

 本棚を挟んだ向こう側から瀧宮の声がした。


「そういえば、多々良さん…春さんとは、どんな話をしたの? 野暮なことを聞いている自覚はあるわ。それでも、あなたが春さんに変な事を言ってないか確かめておきたいの。友達だから」


 友達想いだな。多々良さんが羨ましいよ。


「大丈夫だよ。変な事は多分言ってない」

「そう。で、どんな話をしたの?」


 そこそんな気になるか? 


「友達になろうって言われたんだよ。それだけだ」

「…そう。良かったわね。お友達が出来て」

「うん。まぁ、具体的にはまだ友達じゃないんだけど…、これから友達になるのが確定してる感じかな」

「複雑そうね。よし…そろそろ、整頓も終わりね」

「そーだな。じゃあいつも通り、鍵はやっとくよ」


 時刻は既に十九時半を回っている。いくら五月と言えど、この時間になれば外はもう真っ暗だ。

 瀧宮を一人で帰らせるのには少し抵抗があったけど、瀧宮からすれば、一人で帰るよりも俺と帰る方が、余っ程身に危険を感じるだろう。

 瀧宮は鞄を持ち、廊下の方へ歩いて行った。

 やはり、気にする必要は無さそうだ。


 俺は図書室の電気を落とし、戸を引いて廊下に出る。

 鍵をかけて階段を降りようとすると、薄暗い踊り場に、見慣れたシルエットが佇んでいた。

 


「最近、この辺りで不審者が良く出るらしいの。危ないから、お母さんが一人で帰ったらダメだって。だから…あれよ。その…いっしょに…えっと…」



 なるほど、そういう事か。

 俺が寝ている間、瀧宮が帰らずに待っていた理由が分からなかったけど、これで理解した。一緒に帰る人がいないと親が心配するからってことか。

 帰る方向も一緒だし、変に避けると余計に怪しまれるよな。



「分かった。十字路まで一緒に帰ろう」

「あ……うん」



 

 校門を出て空を見上げると、雲の隙間から満月が顔を覗かせていた。

 今日の月明かりは影が濃く、昼間とまではいかないけど、物の形をはっきり認識出来るぐらいには明るい。

 

 

 瀧宮と帰るのなんて、本当に久しぶりだ。

 それも、瀧宮の方から誘ってくれるとは。まぁ、理由が理由だけに、仕方ない部分はあるんだろうけど。



 瀧宮は俺の数歩先を歩いている。

 月明かりに照らされた瀧宮の後ろ姿は思っていた以上に小さくて、女性であることを再認識させられた。

 いくら強くて何でも出来る瀧宮も、こうしてみると、普通の女子高生にしか見えない。

 親御さんが心配する理由も分かった気がする。


 瀧宮も空を見上げながら、少し不満げに語り始めた。



「月が綺麗ですね、なんて、ありふれた個人の感想なのに、日本で使うと非常にややこしいのよね」




「そうだな。でも、当の夏目漱石さんも、まさかこの令和の時代まで語り継がれるとは思ってもみなかっだろ」




「でしょうね。ただ、この話自体がただの俗説で、信ぴょう性の薄い逸話なのだけど」




「へぇ。そうなんだ。てっきり、実話かと」




「実話であっても無かったとしても、これだけの人が共通の意味を認知していたら、そんなのはもう、殆ど関係無いわよね」




「まぁ…そうだな」




「………」


 珍しく瀧宮の方から作ってくれた話題もあっという間に終わり、無言の時間が帰ってくる。

 瀧宮と俺との距離は二メートルはあり、第三者が見れば、まさか一緒に帰宅しているとは思わないだろう。



 

 瀧宮は突然大きく息を吸うと、静かに吐ききり、また口を開いた。




「久しぶりに見たわ。満月なんて」

「俺も久しぶりに見たよ」



 


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